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「男脳」と「女脳」は存在するのか?|高橋昌一郎【第44回】

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★現代の日本社会では、あらゆる分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。
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★本連載では、哲学者・高橋昌一郎が、「知的刺激」に満ちた必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します。

ジェンダーバイアスが「性差」を生み出す!

1951年にオーストラリアのメルボルンで生まれたアラン・ピーズという人物がいる。彼は10歳になると家庭用スポンジの訪問販売を始め、21歳時にはオーストラリア史上最年少で100万ドルの生命保険販売記録を達成したという。その後、彼は「トップ・セールスマンになる秘訣」を講演して回るようになった。

ピーズは「心理学・神経科学・精神医学の教育を受けていない」と自認するセールスマンであるにもかかわらず「人間関係の専門家」として売り出したわけである。1980年代、彼は政治討論会などのテレビ番組の解説者となり、政治家や出演者のアイコンタクトやジェスチャーといった「ボディランゲージ」から「本心」を読み取ってみせた。彼が1981年に出版した『Body Language』(日本語版『本音は顔に書いてある』)はベストセラーとなり、1991年にはロシアのモスクワ・クレムリン宮殿に招待され、後のプーチン大統領らに講演を行った。

1993年にライターのバーバラと結婚したピーズは、数年にわたって世界各国を旅行して多彩な文化圏のコミュニケーションを観察し、脳科学者や進化生物学者にインタビューして回った。夫妻はその成果を1999年に『Why Men Don’t Listen and Women Can't Read Maps』(日本語版『話を聞かない男、地図が読めない女』)として発行した。この本は、世界各国でミリオンセラーとなった。

この本の出発点は「男脳」と「女脳」の根本的な区別にある。原始時代の男は狩猟に出掛けて獲物を捕らえることが仕事だった。いつ死ぬかもわからない命懸けの状況で獲物と闘い、常に逃げ場を確保するため、高度な「空間認知能力」が身に付いた。一方、女の役割は男が食料を持って帰るのを待ち、女同士で家事を行うことにある。そこで、たとえ本音を隠してでも周囲の女と衝突せずにコミュニケーションを取る必要が生じ、高度な「言語処理能力」が身に付いた。

「男が話をする目的は解決策を得るため」だが「女が話をする目的は人間関係の形成」にあるため、男と女が会話をしてもすれ違いが生じる。その理由は「男脳」と「女脳」の根本的相違に加えて「男性ホルモン=テストステロン」と「女性ホルモン=オキシトシン」の機能の相違からも説明されるという。その後、夫妻は、日本語版『嘘つき男と泣き虫女』や『セックスしたがる男、愛を求める女』のように、男女の相違を際立たせるエピソード集を出版して大儲けした。

さて、人間の脳は本当にピーズ夫妻が主張するように「男脳」と「女脳」に分かれているのか。実は私は以前からこの発想に違和感を抱いてきた。というのは、学問の世界で、並外れた言語処理能力を持つ男性や、並外れた空間処理能力を持つ女性のような強固な「反例」をこれまでに何人も見てきたからである。

本書の著者・森口佑介氏は、脳科学や心理学の膨大な先行データを基盤に、「空間認知能力」「言語処理能力」をはじめ「好み」「攻撃性」「学力」「感情」の性差がどれほど顕著なものかを分析する。その結果、たしかに「空間認知」は男児が優位で「言語処理」は女児が優位だが、その差はごく僅かだった。「攻撃性」は男児が優位で「笑顔」を見せる回数は女児が優位だが、この差もごく僅かにすぎない。「学力(IQ)」の膨大なデータ分析によれば、男性と女性に差はない。

本書で最も驚かされたのは、タイトルにある通り、子どもの性差が「つくられる」ものであり、「男脳」と「女脳」は「存在しない」という明快な結論である。大人がおもちゃのある部屋にいて、スカートをはいた2歳児が入ってきたら、大人は無意識的にピンク色の服を着た人形を渡すという実験結果がある。大人のジェンダーバイアスが、いつのまにか子どもの性差を生み出すのである!

本書のハイライト

子どもとかかわる大人ができる、最も基本的かつ最も重要なことは、子どもを、自分とは異なる人格を持った一人の人間として尊重することでしょう。親の考える女性や男性についての思い込みを押し付けるのではなく、子ども自身の興味や才能をしっかりと観察し、それを大切にするのです。これは、筆者が子育てに関する取材に答えるときなどに、繰り返しお伝えしていることです。

(p. 207)

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著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)、『天才の光と影』(PHP研究所)など多数。

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