くじ引き民主主義――総選挙が終わった今だからこそ知っておきたいこと|吉田徹
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くじ引き民主主義――総選挙が終わった今だからこそ知っておきたいこと|吉田徹

編集部の田頭です。政権交代が取り沙汰された総選挙も終わり、自公政権は存続することになりました。なぜ野党は負けたのか。その問いについては様々な論考が出ていますが、ここではそもそも民主主義とは選挙だけが手段なのかということについて考えるための1冊をご紹介したいと思います。はたして選挙とは何か欠点のある制度ではないのか。そして「くじ引き」にその欠陥を埋める力はあるのか。つとめてフェアに、そして「くじ引き民主主義」を理解するための入門書として本書は書かれました。以下に序章の本文を公開しますので、ぜひ「選挙」や「民主主義」を考えるきっかけにしていただければ幸いです。

はじめに──政治のイノヴェーションに向けて

 国民の代表となる人々を「くじ引き」で選んだらどうか──そういえば驚かれるかもしれない。そんないい加減に政策を決めてもらったら困る、素人にそんな資格や技量なんかあるわけがない、「選民(エリート)」を選挙という通過儀礼なしに選ぶべきではない等々。そんな反論が聞こえてきそうだ。

 ただ、私たちは「民主主義」という政治体制と、その政治体制を支える「民主的な社会」という理念の中に生きている。民主主義や民主的と一言でいっても、それには様々な意味合いが込められている。それでも、民主主義とは何か、と問われれば、それは「共同体(地球、国、地域、家庭など)に関わることは、共同体の構成員(人類、国民、住民、家族など)の皆で決定し、そこで決まったルールは皆で従う」というものになるだろう。

 民主主義をめぐる議論で参照され続ける古代アテネでは、アゴラ(広場)に数千人の市民(市民権を持つ18歳以上の男子)が集まり、そこでポリス(都市)についての討議と決定がされる最高議決機関「民会(エクレシア)」が、月に数回持たれていた。

 古代ギリシャ史を専門とする橋場弦は、この民会の風景を以下のように記している。

市民たちは議場に入ると、思い思いの場所に席を占める。入場口には係員がいて、民会参加資格のない者が入場しないか目を光らせている。(略)演壇で議論が白熱している一方で、議場のあちこちでは弁当を広げる姿がみられた(略)議論が始まる。議論といっても、原則的には同じ議題について何人もの発言者(動議発案者)がいれかわりたちかわり演壇に上がって自分の意見を述べるにすぎない。いわば「モノローグの連続」である。(略)いくつもの提案が動議されたあとで、民衆はどの提案を最善と思うかについて、多数決で採決を行う。可決された提案は国民決議として成立する。これが基本的な手続きであった。(『民主主義の源流 古代アテネの実験』)

 この民会で承認された提案を執行するのは「500人評議会(ブーレー)」だったが、その任に当たる人々こそが、各地の10部族からくじで選ばれた30歳以上の男性たちだった。この評議会は、民会への法案の提出や財務、また外交に関する決定を行う行政部門に相当する。さらに、軍事、祭事、司法など重要な任を司る最高役職の「アルコン」など、多くの重要な役職がくじ引きで選ばれていた。

 くじ引きによる民主主義は、風雪を耐えた。それから数十世紀がたった15世紀、イタリアの都市国家フィレンツェ共和国の中興の祖、メディチ家のコジモが逝去した。統治者を失った同国の公会議は、政府の役職をくじ引きで選ぶことを決定し、1466年5月27日に市民400人が宣誓式を行った。くじ引きによる役職の割り当てを認める法律には「都市は正当で民主的な政府を通じて統治されなければならず」「公共の事柄について市民は自由に議論し決定できなければならない」と謳われた。

 もちろん、数万人規模の都市国家ではなく、最低でも数百万人を数えるようになった現代の国民国家では、アテネの民会のように、市民が顔を突き合わせて共同体の物事を決定することは現実的ではないだろう。いくらITが発達したからといって、数百万もの人々が同じ時間に同じバーチャル空間にアクセスし、物事を順番に討議していくのは不可能だ。ITを利用した政治参加では先進的な国として知られるエストニアのような国でも、インターネットを用いてできるのは選挙や国民投票の際の投票に限られており、共同体の決定にとって不可欠な討論や討議、熟議といったことが可能になっているわけではない。

 本書でみていくように、私たちが今日生きている民主体制や、そのもとで運営されている政治システムは、近代(概ね18世紀から20世紀初頭頃まで)に入ってその原型が出来上がっていった。ここでの共同体の意思決定は「議会」が主となり、20世紀初頭ごろまでは「教養と財産」を持つ人だけが投票でき(例えば日本で男子普通選挙が導入されたのは1925年)、その選挙で勝つことができるのは多くの場合、名望家や貴族だけだった。なぜなら、この「議会」の原型を遡れば、それは王の諮問機関として、一部の社会階級しか代表しない議会にあるからだ。

 言い換えれば、今日私たちが慣れ親しんでいる民主主義は、選挙を通じて選ばれる「代表」を介した民主主義、過去2世紀ばかりの間に発展してきた「代表制(代議制)民主主義」なのだ。しかし、この代表制民主主義は、完全な形での民主主義ではない。

 しかも、この「代表制民主主義」は、今に至って様々な形で、傷み、劣化している。これからみていくように、民主主義の現行OSたる選挙政治とその代表制民主主義は様々な問題を抱えている。アメリカでは、社会の分断が進んで議会が物事を決められなくなり、これが議会や政治家不信へとつながり、トランプのような民主主義の鬼っ子を生むことになった。トランプが分断を生んだのではなく、社会の分断こそがトランプを生んだのだ。ヨーロッパでは多党化が進んだことで安定した多数派形成ができなくなり、中にはベルギーのように1年以上も組閣に時間がかかったり、ギリシャやイタリアのように、既存政党を批判する左右ポピュリスト政党が連立政権を組んだりする事例が出てきた。イギリスでは、EU離脱についての国民投票に際して、残留派と離脱派がそれぞれの主張を先鋭化させた結果、社会の分断はますます深いものになってしまった。日本では政権交代が起きず、政策が硬直化し、これは新型コロナウイルス対策をめぐる迷走へと帰結している。そのためか、市民はますます、自国の政治家や政党を信頼しなくなってきている。21世紀に入って、先進国の政治不信は過去最高の水準に達している。かといって、私たちの政治システムを中国やロシアのような権威主義的な政治に置き換えるわけにはいかないだろう。日本に関していえば、それは自らが戦後歩んできた道を自らの手で否定することにもなる。

 そうであれば、機能不全に陥っている代表制民主主義を補正し、修正するような形で民主主義それ自体にイノヴェーションを起こし、その潜在力を発揮させるような方法が模索されなければならない。その方策こそが「くじ引き民主主義(ロトクラシー)」なのである。

 くじ引き民主主義は、遠い昔の話ではない。無作為抽出された一般市民による意思決定の方法には市民会議、市民討議、市民参審制、コンセンサス会議、討論型世論調査など、運営のされ方に応じて様々な名称が用いられているが、すでに多くの先進国で民主主義の実践方法として用いられるようになっている。本書ではこれらを一括してくじ引き民主主義と呼称しよう。

 くじ引き民主主義は、決して荒唐無稽な話ではない。先に紹介した古代アテネやフィレンツェ共和国のように、くじ引きで人々が選ばれ、彼らや彼女らが公的な重要な決定について意見を交わすという現実の営みは、現代になって、広くみられるようになっているのだ。詳しくは第2章でみることになるが、すでに少なくない国で、新しい自治体の政策から憲法の制定に至るまで、文字通り「くじ引き」で選ばれた一般の市民が参加し、彼らや彼女らの話し合いによって決められるようになっているのだ。

 より控えめな形ではあるが、くじ引き民主主義は日本の各地でも実践されている。ただ世論の関心が集まらないこともあってか、日本でのくじ引き民主主義についての議論は、自治体の行政研究という学問領域での紹介や、どのように実践するのかという方法論、あるいは民主主義においてそれがいかなる意味を持つのかという政治理論に集中してしまっている。他国の事例や現実政治における意味を明らかにしつつ、実践と規範の間をつないでくじ引き民主主義の持つポテンシャル(とその限界)を示したいというのが、本書の目的だ。

 くじ引きで政治を行うことの意味はどこにあるのか──それは、くじ引きが「偶然」によっていることだ。世の中は、個人でも組織でも、役割や機能に応じて組織され、動き、統御されている。個々人は社会に有益かどうか、どの程度の能力を持つかで値踏みされる。しかし、それは今の世の中を前提とした役割や機能、価値でしかない。地政学的変動やパンデミック、先進国の制度疲労を含め、数多くの不確定要因が増大する中で、これまで社会や国を構成してきた要素を組み替え、新たなシナジーを引き起こし、既存のものと異なる知恵や処方箋が引き出されなければならない。そのための「偶然」を人智によって引き起こすことを目指すのがくじ引きの哲学なのだ。

 もちろん、くじ引き民主主義が有効に機能するためには、いくつかの欠かせない条件もあるし、何にでも通用する万能の民主主義でもない。デジタル・デモクラシーやネット投票が叫ばれる時代にあって、対面と議論と熟慮を核とするくじ引き民主主義は、いかにも時代遅れに見えることだろう。しかし、そのスローな感じとぬくもりは、個人主義とスピードが優先される現代においてこそ、必要なものなのだ。そして温故知新、現代の民主主義が上手く機能していないのであれば、人類が歴史上すでに経験した異なる形の民主主義に範を求めて、その足りない部分を補えるようなイノヴェーションを起こせばよい。そもそもくじ引き民主主義は、おそらくもっとも根源的な民主主義に近いものなのだ。なぜならそれは、あなたや私を含むみんなが平等な条件でもって、共同体の意思決定に参加することができる民主主義だからだ。

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