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スヌーピーに「禅の精神」を学ぶ!?

 光文社の『心をととのえるスヌーピー』は、スヌーピーと禅がつながるという一見不思議な本である。スヌーピーやその仲間たちのどこか脱力系の言葉やふるまいが、禅の思想に通じるというのは、意外であり、大いなる発見である。本書も指摘しているが、スヌーピーをはじめ登場人物たちは自然を前にしばしば名言を発する。作者のチャールズ・M・シュツル氏がどこまで意識していたのかわからないが、自然の摂理の中に真実を見いだそうとする禅の精神が垣間見える。谷川俊太郎氏の訳も心に沁みる。

 印象に残る部分は多くあるが、以下の部分はわかりやすく、また興味深い。

 まずは「諸行無常」。ここでは古今東西、人間は同じなんだな、と実感させられる。諸行無常という音の響きを聞いた日本人は、教科書で学んだ平家物語の冒頭部分を思い浮かべるだろう。そうしたバックグラウンドを意識する中で、どんなことも永遠に続かない、という4コママンガが紹介される。良いことは、どんなことも永遠に続かないし、いつか終わる。だがそうは言いつつも、「よいことはいつ始まるんだい?」という皮肉も効かせている。

 好ましくない状況に置かれていても、「やがて良くなる」と思えてくるし、絶好調の中にあっても、それは長く続かないのだから「有頂天になってはいけない」と気を引き締めることができるようになる。日々景色が変わり、季節が移ろうように、人生も変化していくということを、禅の言葉で再認識させられる。

 「知足ちそく(少欲知足)」の部分も興味深い。欲を小さく留めておけば、今の暮らしに感謝できるという意味である。4コマでは、スヌーピーとルーシーが抱き合って幸せを感じるところが紹介され、ルーシーが「しあわせはあったかい子犬・・・」とコメントしている部分は、読む側も心があたたかくなる。たとえ貧しくても足ることを知っている人は心安らかでいられるが、足ることを知らなければ、どれほど豊かでも心は貧しいという部分は、胸に響く。物欲で心が迷いがちな現代人に、自分自身を見失わず、本来の自分に思いを馳せよと説く。禅の言葉と絵がマッチする心豊かなシーンである。


(左)『つまらない日も楽しくなるスヌーピー』(祥伝社新書)
(右)『心をととのえるスヌーピー』(光文社)


 一方、類書に祥伝社新書の『つまらない日も楽しくなるスヌーピー』という本がある。印象的なスヌーピーの場面を抜き出してこちらも谷川俊太郎氏が訳をつけている。1950年にスヌーピーが生まれて73年。昨年は作家のシュルツさんの生誕100年にあたる年だった。米国生まれのスヌーピーが、長年にわたり日本人の心をとらえているのは感慨深い。

 スヌーピーはその愛らしさゆえに、世界中にファンが多いが、英文によく目をこらしてみると含蓄のある内容のものが多い。それを突き詰めていくと禅の教えに結びつくのだろう。谷川俊太郎氏の訳からは、あたかも哲学書の主人公のようなスヌーピーが立ち現れる。そうした目でスヌーピーをあらためて見返すと、示唆に富む内容にあふれた本であることがわかる。祥伝社新書は哲学とは銘打っていないが、こちらも読む者の心をとらえるストーリーを集めている。光文社の「心をととのえるスヌーピー」と併読すると、スヌーピー哲学をより深く理解できるだろう。

 2011年に亡くなったスティーブ・ジョブズ氏が禅に傾倒していたことは良く知られているエピソードだが、物事を突き詰めて考える人であればこそ、禅の精神はそうした人々の生き方の精神に共鳴し融合していくのではないか。筆者もキャラクターのスヌーピーに心癒やされる一人であるが、あらためて哲学的な視点を意識すると、スヌーピーの見方が変わってくる。このほかの多くの作品の中からどんな学びや解釈を得られるのか、興味はつきない。


毬谷まりや礼実のりみつ(ブックレビュアー・ジャーナリスト)

ビジネス・経済分野でのジャーナリスト活動のかたわらライフワークとして長年ブックレビューに取り組んでいる。欧米の駐在経験で視野が大きく広がった。政治、経済、国際分野のほか、メディア、音楽にも関心があり、英書邦訳も手がけている。


『心をととのえるスヌーピー』の続刊『自分を受け入れるスヌーピー』も光文社より好評発売中です!


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