牛たたき・イン・ジャパン・フェスティバル|パリッコの「つつまし酒」#169
シンプルに、焼いて食べればいい
もしもあなたが、密室で何者かに巨大な牛肉の塊を手渡され、突然こう言われたらどうしますか?
「今からこの肉で、ローストビーフを作ってください」
もちろん、料理人や経験のある方ならば問題はないでしょう。が、「そんな本格的な料理の作りかた、知らないんですけど……」と焦ってしまうという方も、けっこう多いのではないでしょうか?
ならばローストビーフではなく、「牛たたき」なら? 居酒屋のおつまみに、たまにあるじゃないですか。牛のたたき。あれならちょっとハードル下がりません? たぶん、レアに焼いた肉を、かつおのたたきと同様に冷やしてスライスすれば、それなりのものができるんじゃね? と。
そもそも僕、ただ牛肉を焼いて食べるのって、肉料理のなかでもいちばん敷居が低く、かつ失敗も少ない調理法だと思ってるんです。ところが、ローストビーフにしてもステーキにしても焼肉にしても、流儀やこだわりが世にあふれすぎている。それゆえ、料理をあまりしない人にとっては、どうしても難しいもののように感じてしまう。
大前提としてですね、豚肉や鶏肉などと違い、流通されている牛肉のなかには「寄生虫や菌が存在しない」という強みがあります。だから健康な大人であれば、レアな状態でも安心して食べられる。あ、内蔵やレバーは別ですよ。あくまで「ブロック状の肉の内側」に限って。ではなぜ、かつて重大な食中毒問題が発生し、「ユッケ」の提供が規制されてしまったかといえば、それは肉の表面に菌が付着していることがあるから。もしくは、包丁やまな板などに菌が付着し、調理過程でその菌が肉についてしまうことがあるから。
話をまとめますと、内臓肉やひき肉、少しでも加工された肉ではなく、新鮮な牛のブロック肉に限り、全体に焦げ目がつくくらいまで表面をしっかいと焼いて、清潔な調理器具を使って調理すれば、レアな部分が残っていても食べられるということになります。
もちろん、お子様やご老人、体調の悪い方は食べないほうがいいですし、うっかり調理前の生肉が触れてしまった調理器具を使ったりすれば、せっかくの安全性も台無し。あくまで「自己責任で」という話ではありますが。
牛たたきの敷居は低い
と、デリケートな話題ゆえ前置きが長くなってしまいましたが、そういった基本さえ押さえておけば、牛肉は、あんまり小難しく考えなくても、生焼けの心配をしすぎなくても、てきとーに焼いて食べちゃえる自由度の高い食材ということになりますね。
なかでも、僕がいちばん簡単で満足度が高いと思っているのが、そう「牛たたき」。そこで今日は、牛のブロック肉をど〜んと買ってまいりまして、自宅でひとり「牛たたき・イン・ジャパン・フェスティバル」を開催しちゃおうというわけなんです。
はい、さっそくスーパーで牛肉を調達してきましたよ。
100gあたり298円の牛肩ブロック肉。374gで税込み1204円。なかなかの贅沢ではありますが、たまのフェスならばそのくらいは大目に見てもらいましょうよ。パッケージには「カレー、シチューなどの煮込み料理に」と書いてあり、確かにちょっと筋っぽさがあって固そうにも見えるのですが、近年の僕は「固い肉好きだし、それならそれでいいやぁ」というモードなので、これでじゅうぶん。心配な方はもうちょっとお高めのローストビーフ用肉などを選ぶのが良いでしょう。
で、この肉の表面に、じっくりと火を通していきます。
全体になんとなく塩をふって、全6面をそれぞれ1分以上ずつ、しっかりと焦げ目がつくくらい焼きましょう。もちろん、好みに応じてもっとしっかり焼いても可。「焼きすぎにならないか心配」という方もいらっしゃるかもしれませんが、ブロック肉の中心までしっかり火を通すなんて、並大抵のことじゃないので大丈夫。
そしたら、「たたき」とは正式には、焼いた食材を氷水にとって冷やす調理法らしいのですが、面倒なので省略し、アルミホイルにでも包んでそこらへんに置いておきましょう。
いや、別に粗熱をとらずにいきなりカットして食べはじめるのも、なんなら焼けた肉にいきなりかぶりつくのも自由だと思うんですが、お酒のつまみにするのであれば、個人的には冷蔵庫でしっかりと冷やしたものが好み。昼間に仕込んでおいて、それを楽しみに仕事をがんばるくらいがちょうどいい気がします。
完成した牛たたきをいざカットしてみると、断面はしっとりと赤く、完全なレア状態。た、たまらね〜!
どんどん切り分け、今日はせっかくのフェスなので、アクトを数組用意することにしましょうか。
フェスティバルは終わらない
僕もふだんはタレや薬味を数種類用意するくらいのことしかしないんですが、いや〜、がんばって主催した。東奔西走、ブッキングした。
オーディエンス(僕ひとり)熱狂間違いなしのラインナップは、まずオーソドックスに「牛たたき」。それから、冷蔵庫にあった野菜と合わせて、オリーブオイル、塩こしょう、レモンで味つけをした「カルパッチョ風」。見よう見まねで握った「肉寿司」。肉を細くカットし、辛口の焼肉のタレ、卵黄、ネギ、ごまと合わせた「ユッケ風」の4組! よ〜し、ぶち上がっていこうぜ〜!
まずはもちろん牛たたきから。今日はシンプルに、にんにくとわさび、2種類の薬味と醤油で。
とろりとした肉を持ち上げ、醤油にひたして、ちょんとにんにくをのせたらいざぱくり。んお〜、まったりとした食感、濃厚な牛の旨味、ほんのりと香ばしい焼き目と、生肉ならではの味わいの官能的なハーモニー。懸念された筋っぽさはみじんもなく、こりゃあたまらんとビールをぐい〜っ! う〜ん、幸せすぎる……。
続くカルパッチョもいいな〜。レモンの爽やかな風味でがらりと気分が変わり、肉厚で甘いパプリカと、サクサク食感の生マッシュルームを合わせたのも正解。こいつはあれだ、イタリアからの来日アクト!
お次は寿司! ほぼ経験がないので、酢飯にしたごはんを俵形に握ってそこに肉をのっけただけですが、食べてみると驚くほどちゃんと寿司! 米が加わっただけなのに、単体とはまったく別物の美味しさで、贅沢気分が限界突破ですよ。
いよいよ大トリは「ユッケ風」。思えばかつては、飲食店のみならず街の肉屋さんでも、ユッケ用の生肉とタレを販売していたりしましたよね。大好きだったなぁ。はたして牛たたきで、あの気分がどのくらい再現できるのか!?
おもむろに卵黄を崩し、全体をざっくりと混ぜる。箸にかかる抵抗感、そういえばこうだった、ユッケって! と、食べる前から興奮していますが、遠慮なくたっぷりの量をがさっととってぱくり! もぐもぐ……あ〜、この味、もはやユッケそのものだよこりゃ。だってそりゃそうだ、かつての生肉ユッケと違う要素、全体の数%ほどしかない肉表面の焼き目だけなんだもん。
と、久しぶりの美味しさに大感激し、500mlの缶ビールがあっという間に空になってしまいました。
とはいえ、牛たたき料理たちはまだまだたっぷりと残っています。そこでお酒をワインに切り替え、また初めからさっきの一巡をくり返す。いやはや、なんという満足感。このフェス、もはや「2デイズ」と言っても過言ではないんじゃないでしょうか。
そうだ、ひとしきりワインと牛たたきの相性を堪能したら、冷蔵庫から缶チューハイをとってきて、まさかの「3日め」、参戦しちゃおうかな〜。