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【新連載】失敗からこそ学べること――エンタメ小説家の失敗学2 by平山瑞穂

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平山瑞穂さん、最新刊です。

はじめに 後編

失敗からこそ学べること

 実際に売れたという実績をほとんど持たない人間が何を言っても説得力はないかもしれないが、正直な気持ちを言わせてもらえるなら、売れている作家の作品と自分の作品とを比べてみて、自分の作品にあからさまに遜色があると感じたことはない。少なくともある時期までは、ネームバリューのある出版社から引きも切らず執筆依頼が来ていたという事実からしても、それはある程度まで立証されているのではないかと思う。

 にもかかわらず、現在の僕は小説家として底辺の境遇に置かれている。それはすなわち、僕がデビューしてから現在に至るまでのいずれかの段階で、なんらかの面で失敗していた、ということを意味するのではないだろうか。

 それは、単一のポイントに特定できるようなものではないかもしれない。幾度かにわたって僕はまちがいつづけ、いつしか引き返すことができない地点にまで到達してしまっていたのかもしれない。いずれにせよ、「もしあのとき、こうしていなかったら……」といういくつかの節目が、これまでの作家生活の中に折々に存在していたのではないかという感覚が拭えないのだ。

 成功にせよ、失敗にせよ、事後にその理由を特定しようとする営為には、必ずどこかしらあと出しジャンケン的な色合いがつきまとってしまうものである。「勝てば官軍」という言葉があるが、逆もまた真なりで、「負ければ賊軍」なのだ。

「この本が売れなかったのは、ここがよくなかったからだ」というのは、事実としてその本が売れなかったという結果が見えているからこそ言えることだ。たとえば、あるえげつない内容の小説が売れたとすれば、「えげつない方向に針を振り切ったいさぎよさが逆説的に支持されたのだ」と人は解釈するかもしれない。しかしその同じ本が売れなかったとしたら、人はなんの疑問も抱かずに、「あんなえげつない話が売れるはずはなかった」という説明で満足するだろう。

 あとづけで理由を云々することに伴うそうしたうさんくささは、承知の上だ。それでも、小説家としてこうして追いつめられていく中で、「ここがいけなかったのではないか」という悔悟に苛まれる瞬間がしばしばあることは否定できない。許されるものなら、そのときまで時間を巻き戻したいと思うほどだ。しかしある時期から僕は、それをただ一個人の悔恨として終わらせてしまうのはもったいないのではないか、と思うようになった。

 失敗からこそ学べることが多いのは、すでにさまざまな分野で立証されていると思う。しかし、職業作家として小説を書くことに関しては、僕が知るかぎり、そういう切り口で論じた本などをこれまでに見かけた記憶はない。

 小説家としては、僕はぶざまな失敗をしたとしか言いようがないが、その失敗の原因となったと思われる事例をつまびらかにすることによって、それを「小説家になりたい」と思う人々にとって役に立つ助言に転じることはできないだろうか。せめてそれくらいの有用性を付与しないことには、僕が翻弄されてきた七転八倒の数々が浮かばれないとも思うのだ。

 小説家としての僕が経験してきたことは、あくまで平山瑞穂という一小説家をめぐって起きた個別具体的な事例にすぎない。しかしその中には、「こうなってはいけない」という意味での普遍的な要素が、必ず含まれているはずだ。それを一度思いきって、洗いざらい検証してみることに、意味がないとは思えない。

 それを果たすために、これまでに発表してきたさまざまな作品を例に取りながら、「自分はここで失敗した」と思われる事例を、ひとつずつあげつらってみることにした。そしてその理由をできるだけ明確にするために、個々の作品の成立過程や、担当編集者との間で交わされたやりとりなども含めて、周辺事情をこの際、赤裸々に明かそうと思い立った。

 この本を書く僕の中には、出版不況が不可逆的に進む中、あえて小説家になろうとする人々に対して、「本当にその道を選んでもいいの?」と釘を刺したい気持ちもある。しかしそれ以上に、いざ作家デビューできるとなってから、どれだけの困難が待ち受けているのか、それをどうすれば克服できるのか、その方策をいささかなりとも示すことで、路頭に迷わないよう指南したいという思いのほうが強い。ぜひ僕の数々の失敗談を参考に、同じ轍を踏まないようにしていただきたい。

 なお、ひとつだけ注意しておきたいことがある。この本は、あくまで「エンタメ小説家の」失敗学を語ったものである。僕自身は、二〇〇四年のデビュー以来、一貫してエンターテインメント系小説の分野で活動してきた。したがって、僕が経験してきたことは、(その失敗も含めて)すべてエンタメ小説という分野内のロジックや慣例に沿ったものだ。

 同じ小説でも、純文学はまた様相がだいぶ異なる。純文学の場合、「売れるかどうか」というのは必ずしも第一義的な問題ではなく、たとえ売れなくても、文学的に価値が高いと評価されれば、本を出しつづけることができる場合もある。しかしエンタメ文芸の世界は、その点に関しては驚くほどドライかつシビアだ。売れなければ、瞬く間に見切りをつけられる。ライトノベルなども、その点は同様だろう。

 それを踏まえた上で、以下の章に目を通してもらいたい。なお、わざわざ章を設けるほどではない失敗の事例や、僕が失敗を重ねていく中で見えてきた、文芸出版というこの業界の持つ特異な側面などについては、〈コラム〉という形で適宜、補足していくことになる。それも併せて参照してほしい。

 いずれにせよ、いささか自虐的にならざるをえないこの告白が、「小説家になりたい」という人をはじめとして、少しでも多くの人のお役に立つならさいわいである。(続く)

※本連載終了後、光文社新書で刊行予定です。

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