なぜ地方女子は東大を目指さないのか|江森百花 川崎莉音
プロジェクトのはじまり
本書を手に取ってくださり、ありがとうございます。私たちは、地方女子学生の進学の選択肢を広げることを目指して、特定非営利活動法人#YourChoiceProject(以後#YCP)という団体を立ち上げて活動しています。大学受験時の進路選択において、地方で暮らす女子が抱える大きなジェンダーギャップ(男女間格差)を解消しようという取り組みです。
私たちがこのプロジェクトを始めるきっかけになった一つのデータを紹介したいと思います。中京圏のある高校の、2年分の男女別進学実績のデータです。
全体の進学実績をみると名門高校であることがうかがえますが、東京大学と京都大学への合格者は男子に大きく偏っています。また、「浪人」の欄に注目すると、こちらも明らかに女子学生の数が少なすぎるのです。「現役」の地元国立大学への進学者数のみ、女子がやや上回っています。
私たちがこのデータを初めて目にしたのは、2021年6月のこと。多くの受講生でにぎわう「ジェンダー論」の講義でした。授業後、同じ寮に住む私たちは夕食を共にしながら、その日見聞きしたことについて盛り上がっていました。
高校の同級生を見渡しても、女子が浪人をしない風潮は確かにあったということを出発点に話は弾み、そのうち、大学に入ってから出会った首都圏出身の女子学生と自分たち地方出身の女子学生の間にも、様々な「あたりまえ」の違いがあることに気がついたのです。中学受験はみんながするもので、中学に入ってからも塾に通い、受験の情報は学校や先輩がくれる。様々な職業で活躍している大人が周りにいて、いわゆる大手企業で働くことがどんな様子か、イメージがついている。
「東大を目指すことがあたりまえ」で、その先のいわゆる「エリートコース」まで明確に意識している彼女たちと、まずは地元旧帝大を考える私たち。そこには、歴然とした意識の違いがありました。
そうして私たちは、この違いの原因を突き止めることが、根本から問題を解決するために必要だと考え、動き始めました。
「あたりまえ」の違いをわかってもらうには
さて、プロジェクトを立ち上げたは良いものの、私たちは大きな壁にぶつかりました。大学受験において地方で暮らす女子学生には大きな障壁があるという課題意識そのものに、当事者以外の人から理解を得ることがとても難しかったのです。
「その考えって、全体的にかなりドグマティック(独善的)じゃない?」
これは実際に、都内中高一貫男子校出身である東京大学の同級生からかけられた言葉の一つです。私たちは地方女子学生個人の体験談を過度に一般化しているだけで、本当はそんな課題は存在しないのではないか、というのです。彼は、地方女子学生の不利な状況を強調されることで、まるで自分のこれまでの努力が否定されたように感じたのかもしれません。その口ぶりはかなり攻撃的でした。
首都圏出身の男子学生からは今までこのような反応を複数受け取ってきました。伝え方が攻撃的であるという部分を除けば、彼らがこのような疑問を抱くのはやむを得ません。東京大学の入学者のうち、およそ25%が東京大学に例年10名以上の合格者を出している首都圏中高一貫男子校の出身です。彼らにとって、中学受験をし、塾に通い、色々な人から情報をもらって、周囲と同じように東大を目指すことはあたりまえのことで、「自分なんかが東大を目指しているなんて言い出せない」と考える女子学生がいるとは、到底想像もつかないことでしょう。
そのような、地方女子学生とは全く境遇を異にする人たち、本書で取り上げるような問題とは縁遠い人たちに、議論のテーブルについてもらうために、私たちは問題意識をデータで示すことにしたのです。
「ドグマティック」だなんて、もう二度と言われないために。
この本の狙い――章立ての説明
この本は、2023年5月に私たちがホームページで発表した調査レポート「なぜ、地方の女子学生は東京大学を目指さないのか」に、インタビューや考察を加えて再構築したものです。
第1章では女性を取り巻く日本の現状について、私たちの問題意識を詳しく説明します。なぜ「大学進学におけるジェンダーギャップ」を深刻な課題として捉えているのか、そしてなぜ「地方女子学生」に注目したのかなど、課題意識の根本に迫る章です。続く第2章では、「地方女子学生が難関大学進学にメリットを感じていない」ことを、データに基づいて共有し、まず議論の前提としたいと思います。第3章から第5章では、地方女子が難関大学進学にメリットを感じない理由について、「資格重視」「自己評価」「安全志向」という、本人の価値観や意識などの内部要因の観点から分析します。第6章と第7章では、「保護者の期待」「地元志向」という周囲の価値観や意識などの外部要因の観点について、様々なデータを紹介しながら深掘りしていきます。第8章では、課題解決に向けて、私たちが取り組んでいることや、政策として望ましい解決策などについて提案します。「おわりに」では、調査を踏まえて、地方女子学生を取り巻く環境を少しでも変えていくためにそれぞれの立場から何ができるのか、あらゆる人々に向けて、私たちからの提案を載せています。
調査レポートでは触れられなかった点や、データだけでは想像のつきにくい事例の紹介などを含めて、できるだけ包括的に、地方女子学生を取り巻く進学に関する問題点を説明することを心がけました。
この本をきっかけに、地方女子学生の進学傾向について、建設的な議論が行われることを心から期待しています。このような話題について声を上げることは、人によっては勇気を必要とするかもしれません。そうした、ちょっとした勇気が必要な時に、この本に詰まっているデータが皆さんに寄り添い、力強い味方となってくれることを祈ります。
「そんなこと、今どきないでしょ」と言う前に
地方の女子学生が自身の価値観や周囲の環境によって、難関大学を志望することがはばかられている現状に対し、「男女平等が叫ばれる今の世の中で、そんなはずはない」と思われる方もいるかもしれません。
そのような方のために、ここで一つクイズをご紹介します。
佐藤医師は離婚していて、「父親」というのは元の奥さんの再婚相手で、息子は純粋に佐藤医師の息子。というように考えを巡らせた方もいるかもしれません。あるいは、水平思考ゲーム「ウミガメのスープ」をよくやる人なら、「父親」はもしかすると「息子」の父ではない……? などと考えたかもしれません。
しかし、それほど複雑に考えずとも、一つシンプルな回答があります。佐藤医師は女性で息子の母親、父親は夫であるというケースです。
この回答に真っ先に辿り着いた方はどれほどいたでしょうか。これは社会心理学の授業でも広く取り上げられるクイズで、そのたびにこの佐藤医師を男性だと決めつけてかかってしまう学生が半数以上いる印象です(実際には、外科医は「コロラド州立大学病院のドクター・スミス」として出題されるケースが多く、本書ではより想像しやすいように属性を変更して出題しています)。実は、私たちも最初にこのクイズを出題された時は、佐藤医師を男性だと無意識に推測していました。
佐藤医師が「外科医」であること、また佐藤医師の特徴として出された「腕利き」「大胆」「冷静沈着」などのいずれか、または全てが、女性よりも男性のイメージに近かったことで、「佐藤医師が男性なのでは」という憶測を生み出したのです。このような、特定の社会集団に対する固定的なイメージや信念をステレオタイプといいます。その中でも、女性・男性を含む様々なジェンダーごとの社会集団に対するステレオタイプが、「ジェンダーステレオタイプ」です。さらにこのステレオタイプから派生した、「女性は男性よりも勉学に向いていない」「男性は女性よりも家事に向いていない」など、事実に基づかない思い込みを「偏見」または「バイアス」といいます。
さて、本題に戻りましょう。本書では地方女子学生の進学意識の傾向や、周囲の環境がどのように影響しているかを考察していきます。その過程で、そんなはずはない、そんな問題が未だに存在するわけがない、一昔前の話だ、と懐疑的になることもあるかもしれません。しかし、先ほどの問題を振り返ってみてください。佐藤医師が女性である可能性は考えに上ってきたでしょうか。それがはじめに思い当たらなかった時点で、あなたが差別的なジェンダーステレオタイプや、そこから派生するバイアスを抱えている可能性は大いにあるのです。程度の差はあれど、それは一昔前に「女性は、男性の三歩後ろを歩き、家を守ってさえいればいい」と言っていたのと根本的には変わりません。本書に登場する調査結果やインタビューは「本当にあった話」です。そんなものはないでしょ、と一蹴してしまう前に、自分が同様のステレオタイプやバイアスを抱えていないかを問い直し、それらを取り払った「曇りなき眼」でこの課題を考えてみてほしいと思います。
また、先ほどのクイズで、佐藤医師が女性であると思った方は、差別的なジェンダーステレオタイプやバイアスはあまり持たれていないのかもしれません。その上で、「女だから」などという時代錯誤な話はないと言うのであれば、あなたの周囲はまさに理想とすべき、根本からの男女平等が成り立っているのかもしれません。であればなおのこと、このような事実が未だに存在していることを、本書を通じて知ってほしいと思います。あなたの「あたりまえ」との乖離がわかるはずです。
議論にあたって
私たちの調査レポートがニュース記事になった際、言葉の使い方から進路に関する考え方に至るまで様々なご意見をいただきました。ここでは、私たちの調査を皆さんにできる限り誤解なく届けられるよう、代表的なご意見とそれに対する私たちの認識・見解を提示したいと思います。
・「地方女子」は誰を指すのか――私たちの調査対象者について
本調査において、「地方」とは「一都三県(東京・神奈川・埼玉・千葉)以外」を意味します。教育格差の文脈では、地方という言葉に「田舎である」という意味合いが込められていることが多いですが、ここでは「東京の大学に実家から通えない」という意味での定義づけであることをご理解ください。私たちは「地方」という言葉に、一切の価値判断を込めていません。また、今回は周囲が認識している性別に基づくジェンダーギャップを取り扱っているため、本書の中では「女子学生」「男子学生」という言葉を用いていますが、トランスジェンダーやノンバイナリーなど様々な性自認のあり方を否定する意図は一切ありません。
・「偏差値の高い大学」が良い大学なのか
調査の中で、「偏差値の高い大学」という表現をたびたび使用しています。これに関して、「偏差値の高さで大学の価値が測れるのか」などの批判を多くいただきました。本調査では、調査対象者間で認識のズレが出ないよう、わかりやすい指標として「偏差値」という言葉を使用しましたが、そこに客観的な意味以上の価値判断は一切込めていないことをご理解いただければと思います。
・「地方創生」と逆行するのではないか
地方での活動において、特に指摘されるのが「地方の女子学生が首都圏の大学に行くことを後押しする取り組みは、地方からの人口流出を招くのではないか」というご意見です。地方からの人口流出は加速しており、懸念する気持ちはわかります。その上で、この意見に対する私たちの立場をお伝えしたいと思います。
第一に、「地方からの人口流出の課題」と、「ある属性が持つ選択肢の幅の狭さ」は、分けて考えるべき問題です。地方からの人口流出を防ぐために地方に住む利点の向上に努めることは、もちろん大切です。それと、ある属性の人々の選択肢の幅が狭められている現状を改善することは両立し得る論点で、対立関係にないと私たちは考えています。
また、仮に「地方学生が地元の大学に進学するトレンドを作るべきだ」という前提に立ったとしても、地元を離れられるか否かに男女差が生じている現状は肯定できません。
この点に関しては、第7章でも詳しく説明しているので、読んでいただけると幸いです。
・「個人の選択・嗜好」とマスの進学実績
実は、最も多く寄せられた批判が「東京大学を含む、難関大学に行くことがその人にとって良いかどうかは人それぞれだ」というものでした。それは全くもってその通りですし、私たちは、「誰だって行けるなら東京大学に行きたい/行った方が良いはずだ」などという傲慢な前提のもとに議論をしているわけでは全くありません。その人にとってどのような進路がベストかは、「個人の選択・志向」の問題です。それは人によって様々で、他者がその善し悪しを判断できるものではありません。
私たちは、そうした一個人の話ではなく、全体の傾向の話をしています。大学進学を選ぶ場合の価値観や意識に、性別や地域といった、生まれながらに決定される属性によって大きな差が出ているのであれば、それは個人の選択や志向が、属性によって狭められたり歪められたりしているということです。私たちが目指しているのは、その状況を改善し、全ての人が十分な選択肢の中から自分の進路を決められる社会を作ることです。個人の選択や志向は、そのような社会でこそ最大限に尊重されると考えています。
・進路選択上のジェンダーギャップ解消は女子だけのためではない
本書では、地方女子学生にどのような進学意識があるのか、ステレオタイプを含め、どのような障壁に阻まれているのかを考察しています。フォーカスされているのが女子なので、一見男子学生には全く利がない話に聞こえるかもしれません。
しかし、男子学生もまた、ステレオタイプや周囲からの影響を受けていると考えられます。詳細は後述しますが、女子学生が進学に期待を持たれないのと逆に、男子学生が進学に過度な期待を持たれている可能性があります。「優秀」「能力がある」「論理的な」というイメージが、「女性」「男性」といった特定のジェンダーと結びつけられなくなることは、男子学生が感じているかもしれない窮屈でプレッシャーのある進路選択の幅を広げることにもつながります。「また女子に利のある話ばかりして」と嫌厭せず、読んでいただければと思います。
私たちについて
このプロジェクトは、川崎と江森の2人で始めました。地方女子学生の進学という問題に強い関心を抱いたのには、それぞれ異なるきっかけがありました。そこで、簡単に自己紹介をしてから本編に入りたいと思います。
・川崎について
私は現在、東京大学法学部に在籍しています。主に法社会学などに関心があるのですが、それは本筋から外れてしまうので割愛します。
今思えば、かなり特殊な環境で育ちました。私のバックグラウンドは、この本で取り上げる「地方女子学生」とは少し離れているので、そんな私がどうしてこの問題に取り組むことになったのかを振り返ってみようと思います。
兵庫県の出身で、小学校受験をして地元の女子校に入学し、高校までを同じ学院で過ごしました。学校では、本当に多くの大切なことを学びました。特に、12年間の奉仕活動を通して様々な社会問題があること、私たちはその解決のために働くべきであることを繰り返し教えられた経験は、確実に今の私を形作っている、かけがえのない財産です。
テストの順位が発表されたことはなく、「成績が良い」ことを絶対視して競い合うような雰囲気が全くない学校で、私はそれをとても良いと思っていたし、そのおかげで今のびのびと活動できているといっても過言ではありません。同級生の多くが地元に残り、志望校のために浪人した人は5人もいなかったけれど、それは個々人が過度にプレッシャーを受けることなく、自分の選択を尊重できた結果だと思っていました。小学校受験の段階で、その学校の卒業生の進学先は見えていますし、保護者の方はそのような「学校の雰囲気」を期待して入学させているのでしょう。他校と比べても、穏やかでのんびりとした子が集まる学校だ、と言われていました。
違和感を抱いたのは、そんな同級生たちの兄や弟の多くがかなりの進学校に在籍し、エリートコースを歩んでいることを知った時です。同じ家庭環境、同じ出身地域を共有する男女のきょうだいの間で、なぜこんなにも本人や保護者の進学意識に違いが生じているのか? 彼女たちには、「女の子だから」された期待・されなかった期待があったのではないでしょうか? 振り返ると、確かに「志望校にこだわる」プレッシャーは受けていなかったけれど、「浪人する」ことがとても恥ずかしいことのような空気は存在していました。私が東京の大学に進学することについて、親は心配しないのか、と聞かれたこともありました。
そういう、ただもやもやとした思いを抱えて大学に入学しました。冒頭で話したジェンダー論の講義を受けた時、もやもやに対する答えはきっとこの先にあるのだ、と胸が高鳴ったのを覚えています。
かつての私のような人たちへ、この本を届けられたらと思っています。この本のどこかに、あなたのもやもやを生み出したり、解決したりするきっかけがあれば嬉しいです。
・江森について
私は生まれも育ちも静岡県静岡市で、静岡県立静岡高等学校を卒業しました。静岡高校は地元では名の通った「進学校」で、例年東大合格者も現役・浪人合わせて10名ほどといった人数です。入学時点では、静岡のいわゆるトップ層として、学力に自負のある人たちが集まっているといえるでしょう。それでも、最終的な東大志望者となると、私の代では男子学生が12名に対して女子は半分以下の5名でした。当時は「少ないな」「(女子の)皆、志望校控えめだな」とは思いつつ、さして問題と感じることはありませんでした。ただ、周囲の女子学生は志望校を公開すること、ひいては高めの志望校設定をしていると知られることに対して強い抵抗を感じていたように思います。対する私は頑なに東大を目指し、浪人までして、地元では相当イレギュラーな存在でした。
こういった現状が「問題」であると感じたのは、大学に入り首都圏の進学校出身の女子学生たちと話をしてからです。彼女らは学年から何十名もの東大合格者を輩出する高校の出身でしたが、自身を含め、男女問わず周囲の学生は終始「猫も杓子もとりあえず東大」のマインドでいた、と言います。高校3年生の秋の模試がどんなに悪くても、浪人しても良いのだし、とりあえず東大を目指して勉強しようと考えている女子学生があたりまえにいたそうです。その地元とのギャップに唖然としたのはいうまでもありません。続けざまに感じたのは、ひたすらに「もったいない」という気持ちです。私の周囲にも、東大に入れるポテンシャルを持つ女子学生はたくさんいました。しかし、果たしてその子たちの選択肢に「東大」は入っていたでしょうか。自分の可能性を信じ、東大を含めた全ての選択肢のうちから十分な検討がなされた上で、自分の志望校を設定していたでしょうか。
前述した通り、東京大学や京都大学など、いわゆる日本の「最難関大学」と言われる大学に行くことが全てではないし、ゴールでもなく、絶対的に良いとされることでもありません。ご家庭の事情もあるでしょう。しかし、ただ「自分が女であった」「生まれ育った場所が地方であった」というだけの、たったそれだけの理由で、東大を目指すことがはばかられたとしたら。将来の選択肢が狭められてしまったとしたら。あまりにも、もったいない。地方の女子学生をはじめ、「全ての人が生まれついた地域・ジェンダーにかかわらず自由な選択ができる社会」が実現されたその先に、真の男女共同参画があると私は考えています。
申し遅れましたが、私は現在、東京大学文学部社会心理学専修というところに所属しており、主に集団の意思決定や同調圧力などをテーマに社会調査の質問紙の作り方、簡単な統計手法などを学んでいます。今回の調査事業も、至らないながら事業責任者として主導させていただきました。今まで統計的に示されてはこなかったが、私を含め、皆さんがぼんやりと感じていたことを事実として提供できたと自負しています。ぜひ、「自分ごと」として、最後まで読んでいただけたら幸いです。