見出し画像

やりたいことなんてなくていい。プロの編集者とは「機能」にすぎない

前回からの続き

神吉晴夫が出版界に遺した3つのもの

――ここで今さらだけど、ちょっと神吉晴夫個人について詳しく聞きたい。そもそもこの記事の読者は、神吉さんのことを知らないと思うから。

柿内 もちろん、そうですよね。出版業界の人でもよく知らないと思うし、ぼくくらいの世代で知っている人は、まずいないと思います。
神吉晴夫とは、ひと言でいうと「戦後最大の出版人」ですね。もともと講談社の社員でしたが、敗戦直後の1945年10月に光文社が創立されたときに出向して、そこから光文社の2代目社長になった人物。そして何より、著者の原稿を一字一句そのまま出版することがあたりまえだった時代に、編集者はプロデューサーとして著者と共同で本を作らなければならないという「異端」の信念を持ち、その手法「創作出版」により連発されるベストセラーをもって、昭和の出版業界を席巻した人物ですよ。

――「パンのように売れた」と、言われているよね。「10万部に達しないものは本ではない」とか(笑)。

柿内 【都会で、町で、村で、日本中で、カッパの本はベストセラーです】という、当時のコピーもありました。とにかく、カッパの本は売れに売れて、当時の年間ベストセラーなんかを見ると、なんとトップ10の半数がカッパ・ブックスだったりしますからね。

――すさまじいね。柿内のご両親もそうだろうし、うちもそうだけど、昭和の家庭の本棚には、必ずカッパ・ブックスがあった。

柿内 ぼくは、神吉晴夫が戦後最大の出版人である理由は3つあると思っていて、まず1つ目は、「戦後の大衆文化」を作ったことです。学問や知を、知識人だけの占有物にせず、大衆にも触れられるものにしたんです。
神吉晴夫の人となりを表す大好きなエピソードがあって、神吉さんは新しい新書版レーベルを立ち上げるときに、「ミレーの種まく人」をトレードマークにしている岩波書店(岩波新書)に対抗して、庶民・大衆を象徴するマークとして「カッパの絵」を使ったんですよね。岩波とは「戦前」「権威」であり、光文社は「戦後」であり「大衆」なんだと。神吉いわく、【カッパは日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。カッパはいかなる権威にもへこたれない】。

――なるほど、なるほど。

柿内 伝統があり権威でもある岩波書店に楯突いているから、同じ判型なのに「新書」という言葉も絶対に使わなかったんです。

画像1

――そうそう。だから「カッパ新書」ではなく、「カッパ・ブックス」なんだよね。

柿内 今じゃあたりまえのように企業や商品のロゴにキャラクターが使われていますが、神吉さんはその走りだったんだと思います。でも、神吉さんがここまで権威に対抗するのにはひとつ大きな理由があって、戦前の出版文化がついに太平洋戦争をやめさせることができなかったからなんですよね。

――ああ、そうか。だから戦前のエリートを否定して、戦後の庶民とともに新しい文化を作ろうとしたわけだ。

柿内 まさにその通りだと思います。そしてそれとも関わる話ですが、神吉晴夫が戦後最大の出版人である2つ目の理由は、大衆に向けて本を作るため、「新しい出版手法」を確立したことです。

――それが、創作出版だね。

柿内 そう、神吉晴夫やカッパの代名詞となっている「創作出版」です。この創作出版って、じつは説明がむずかしくて、今やあたりまえに行われていることすぎて、新鮮味がないんですよ。それって常識じゃん? みたいな。でも当時はまったくもって常識ではなく、さっき言ったように「異端」だったわけですよね。

――著者が自分の書きたいものを書き、出版社はそれを一字一句変えずに本にしていた時代に、編集者自らが企画を立て、著者に書いてほしいと依頼する、しかも書かれたものに対しても【すらすら分かる】ものでなければ容赦なくダメ出しや赤字を入れ、徹底的に作り込む。著者が書きたいものではなく、読者が読みたいものを「創作」するという考え方は、当時の言論界や知識人からは、猛烈な反発を食らったりしていたからね。

柿内 「どうやら、光文社という名も知らない出版屋の神吉という男は、作家の原稿に赤字を入れるらしい」と、新聞紙上でけちょんけちょんに叩かれたりもしました(笑)。ぼくはやっぱり、〝創作〟出版というネーミングが良くなかったんじゃないかと思います。ミスリードを引き起こしているというか、偉そうに聞こえるというか、ちょっと「企画」のほうに寄りすぎて解釈されたがために、のちの編集者の関心が手法やノウハウのほうにいっちゃったんじゃないかなと思っていまして。

――そうかもね。企画を立てる、原稿に手を入れること自体が目的化していたようにも感じる。

柿内 ただ、著者が書いた原稿を「玉稿」とあがめて、忠実に本にするという時代に比べたら、まったく画期的だったことは間違いないです。神吉さんが行った「売るためならなんでもやる」宣伝術やPR手法もじつに画期的で、まさに何もないところからブームを作り出す魔法のように捉えられたのは自然な流れでした。
でもですよ、これが3つ目にも関わってくるんですが、ぼくがいちばんすごいと思うのは、神吉さんが編集者の「新しい立ち位置」を作ったことなんですよ。創作出版という言葉ばかりが一人歩きして、これがあまり伝わっていないのが不幸なことだと思っているくらいで。

――というと?

柿内 神吉以前というのは、編集者や出版社は、著者とだけつながっていたんです。さきほどの「玉稿とあがめる」という表現は、まさにそういう現象を指していますよね。要するに、編集者が書き手側しか見ない仲介屋だったんです。現在の、大家の側しか見ていない不動産屋と一緒ですよ。だから、書き手が怒ったりするとマズいので、「つまらない」「わからない」と思っていても指摘しない。読者が不便を強いられても、われ関せず。一般の消費者相手に商売をしているのに、向いているのは著者の方向だけで、完全に読者不在だったんです。

――戦前だと、そういう本でもみんな情報に飢えているから、なんとか読んでいたわけだね。

柿内 そうです。それに対して神吉さんはこう言っています。【文化を自分たちだけの小グループで独占し、我々大衆にはできるだけ難しく、ちびちびと、勿体つけて下げ渡そうとする】。我々庶民を下に見るな、と。こうも言っています。【これまでの出版では、大先生が書いた原稿、大作家が書いた作品を、お下げ渡しいただき、それを本につくる、いってみれば、出版人不在の出版人、もっと別の言葉でいえば、文化の配達者、文化のメッセンジャー・ボーイにすぎなかったわけです】と。

――すごい言い方(苦笑)。

柿内 でも神吉さんが登場したことで「大衆(読者)」と「著者」は「編集者」を通じてついにつながり、この三者は「払い下げる」相手でも「あがめる」対象でもなく、対等な関係、一体の関係になったんです。じつはこの変化がいちばんのポイントで、だからぼくは著者にムスッとされたり怒られたりしても、凹まないんですよ。昔はいちいち落ち込んでいました。それはぼく個人に対して怒られたと思っていたので。そうじゃなくて、ぼくは単に大衆の身代わりとして代理で怒られているだけであって、だから編集者であるぼく個人は傷つかないんです。ぼくの勝手なマインドの持ちようですし、はっきり著者にそう伝えるわけでもないんですが、いろいろなアプローチでこの「三位一体」をできるかぎり納得してもらうようにしていますね。

――なるほどね。あくまで先に、読者と著者と編集者のトライアングルがあるわけであって、創作出版で注目されがちな「企画」というのは、あくまでそのなかでの一工程にすぎないということか。

柿内 そうです、そうです。正直、企画なんてどうでもよくて、読者という第3のプレーヤーが入った三角形を作ったことが本当の意味での創作出版だと思うし、著者と読者をつなげるという編集者の新しい立ち位置を発明したのが神吉晴夫最大の功績なんですよ。その立ち位置と出合って、ぼくの中でパラダイムシフトが起きたという話は、もうしたと思うんですけど。

画像3

「企て、画く」よりも、「拾う」

――企画といえば、今日ここに柿内がいた頃の企画会議の資料を持ってきたんだけど、ええと、「ジャズはピアノトリオを聴け」とか、「携帯のない恋愛」に「ロックギタリスト その愛器と名演」……、柿内自身もいろんな企画を立てているよね。『江戸三〇〇藩 最後の藩主』なんて、柿内発の企画として大ヒットしたタイトルだと思うけど、それでも企画は、どうでもいい?

柿内 たしかに企画は必要です。でもぼくが言いたいのは、それよりもはるかに大切なことがあるということです。編集者が企画やアイデアにこだわりすぎてしまうと、編集者が職能として持っている「最大の機能」がうまく働かなくなってしまう危険性があると思っていて。

――最大の、機能?

柿内 編集者というのは、べつにゼロイチを生み出す作家でもクリエーターでもないわけです。だから企画にこだわるのはナンセンス。ここはちょっと神吉さんとは考え方が違うかもしれませんが、ぼくは企画というのは、自分が立ててもいいし、著者が立ててもいいし、赤の他人が立ててもいいと思っていて、それよりも作家である著者に「どうしても伝えたいこと」や「その人でなければ表現できないこと」「その人だけの強さ」があることのほうがはるかに重要だと思っています。それを引き出すための手段として企画があるのであって、企画なんてしょせんはその程度のものですよ。

――なるほど、なるほど。

柿内 著者に会うときに手ぶらで行くわけにはいかないので、何かしらの企画書は持っていきます。でもそれは「出会うきっかけ作り」にすぎなくて、そこから先は「この人に何を書いてもらおうか」と企てたり画(えが)いたりする以上に、「この人をこの人たらしめているものはなんなんだろうか?」と問い続けなければならない。
みんなアイデアとか企画とか大好きですけど、企画、企画って言いすぎると、そこに囚われてしまって本質を見失うと思うんですよ。やっぱり編集者の仕事って、著者のいちばん言いたいことが何かというのを、著者自身が気づいてない可能性も含めて適切に見極め、それが最適な形でアウトプットできればよいわけです。
光文社新書を作っていた20代の頃は、まだ「企画どうしよう……」と毎週悩んでいましたけど、今ではすっかり変わりましたね。

――30代前半で星海社新書を立ち上げた頃は?

柿内 星海社新書までは、まだ多少引きずられていましたね。でも今は、本当に企画はどうでもいい。たまたま縁があって出会った「才能」たちと対峙して、そのつど、その人の核心を探ろうとするだけです。だから意識としては、「企画する」んじゃなくて、「拾う」という感覚ですね。「企てる」とか「画く」というのは、それこそおこがましい。クリエイティブっぽいことをやって喜ぶクリエーターもどきには、なりたくありませんね。

――編集者はクリエーターではない、と。

柿内 間違いないです。そんな大した存在ではない。たとえば、『嫌われる勇気』なんて、べつにぼくが企画したわけじゃないし、『漫画 君たちはどう生きるか』もそう。『さおだけ』だってそうですよ。著者の古賀さんの企画であり、マガジンハウスの鉄尾さんの企画であり、山田真哉さんの企画です。ぼくは編集者として担当しただけ。誰の企画でもいいんですよ。ただ、ぼくがやる以上は、大衆の身代わりとして、最適な形にその本を仕上げるというところの役割、機能は絶対に果たす。編集者というのはただの一機能にすぎません。

――そうすると、著者の言いたいことがいちばん届く形であれば、紙である必要はないということにもなるよね。

柿内 なんでもいいですね。紙は好きですけど、べつに紙原理主義者ではないです。書店も好きですけど、書店原理主義者でもない。こんなことを言ったら怒られそうですが、ブックオフで本を売るし、ガンガン中古で本を買います。こういったことも、やっぱり神吉イズムの延長にありますね。出版業界に入ったときにすごく違和感があったのが、「本が奉られすぎている」ということです。それに対しては神吉さんも同意見で、【本の物神化】という言葉を使って批判していますね。我々はそれを打破しないといけない、と。

――本の、物神化……。神様のように取り扱うということだね。

柿内 神吉いわく、【石鹸も本も同価値、いや、それぞれ違った価値かな、それに上下をつけるのは愚論だというのだ。本のほうが価値がたかいと考えるのは、エリート意識である】と。神吉さんは「読者」という、ちょっと特権的な表現も嫌い、本の読者のことをあえて【消費者】と呼び続けていました。

画像4

――少し、耳が痛い。自分も、紙の本が一番だといまだに強く思っているところがある。

柿内 本が好きとか、本屋さんが好きだというのは、もうマニアの世界だと思うんですよ。もし八百屋好きという人がいたら、マニアだと捉えられますよね。なのになぜ本屋が好きと言うとマニアじゃなくなって、無条件に良い趣味と見なされるのか。出版界は、本が好きすぎる人の集まりになってしまっているんじゃないか。神吉さんやぼくみたいに、石鹸やラーメンと本がまるで同価値だとフラットに見る人のほうが、圧倒的に少数派なんです。

――それが、本を物神化しているということにつながるんだね。

柿内 そうです。何度も言いますが、いちばん大事なのは、著者のメッセージが正しく伝わるということじゃないですか。それが、過剰に本だけを特別とする考えによって達成されない元凶になりうるのだとしたら、少し引いて考えないといけません。

――なるほど。

柿内 自分が、権威とか、専門家とか、マニアとか、高偏差値とか、そっちのほうに入り込んでいないかというのは、ふだん相当に意識しています。もしそっち側に行っちゃったら、自分は編集者としては終わりだなと思っているので。専門家は専門家でも、編集の専門家。大衆の身代わりであり、その一人であるというスタンスは崩さない。ぼくが趣味としてB級グルメをずっと食べ続けているのも、じつは庶民感覚から離れないためなんです。たとえば、ぼくがもし化学調味料なんかを否定しだしたら、目も当てられませんよ(笑)。

――なるほどね。だからラーメン二郎にもしょっちゅう行っているのか!(笑)。ちなみに柿内が言うところの「大衆」って、どういう人たちのことを指すの? たとえば偏差値50の、ちょうど真ん中くらいの人?

柿内 偏差値で語るのは語弊があるかもしれませんが、すごく客観的に見ると、自分がいるのは真ん中よりだいぶ上だと思います。でも絶対にエリートではない。ほんとうは真の意味での平均値や中央値でありたいのですが、現実的には不可能だと思っていて。やはり、本を習慣的に読むなど知的欲求を満たしたいと思っている人を母集団としたときの、真ん中ですかね。

――自分がそこにいることを測る指標なんかは、あるの?

柿内 あります、あります。基準として、映画の年間興行収入ランキングとぼくの満足度ランキングが大きくズレていたら、もうダメだと思っているんですよね。でも案の定、ぼくはまだズレていないんです。これで、単館系のフランス映画なんかをマイベストにしだしたら、やはりもうぼくは終了です(笑)。ちなみに去年のマイベスト映画は、『アベンジャーズ エンドゲーム』でした。

――ああ、そうなんだ。世界興行収入で1位になった作品ですよね。2位は?

柿内 2位は『ジョーカー』になると思います。一昨年の2018年は、『ボヘミアン・ラプソディ』ですね。最近では、『鬼滅の刃』と、音楽になっちゃいますがBTSが最高ですよ。

――ズレていないかを確認するために観ているところもある。

柿内 そうです。『君の名は。』の年(2016年)は、やはりあの映画が最高でした。3回観て、3回とも感動しました。あの作品をイマイチだとか、けしからんと言っている人がマスコミの人には多くて、それはもう完全にズレてきているんですよ。もはや大衆ではない。

――柿内のうしろにはそうした大衆がいるということだけど、読んで面白い、わかりやすい本にするために、他にどんなところに気をつけているの?

柿内 そうですねえ、なんだろう……。たとえばルビですかね。「ルビは入れろ!」って神吉さんは言っていますよね。特に、人名と地名には必ず。

――わかる。

柿内 これは入れない人がけっこう多くて。「山田太郎」でも、必ず入れないといけないんですよ。

――え? そこまで?

柿内 だって、「やまだ」ではなく難読名字の「さんでん」さんかもしれないじゃないですか! ぼくは「さんでん ふとろう」の可能性を否定できません。もちろん、ほぼほぼ「やまだ」さんなんだろうけど。

――さすがに「やまだ たろう」は入れないなあ。

柿内 ぼくは神吉さんの教えを守って、愚直に入れますね。たとえばいま手元にあるこの『非属の才能』、ちょっと開いて見てみると、ほら、ここの「腐る」にもルビを入れてますよね?

――それに入れるのは珍しいね。

柿内 だって、画数多いじゃないですか!

画像5

――まあ、ぼくもルビは多めにするほうだけれど、「腐る」には入れないな(笑)。

柿内 以前、ぼくがあまりにルビを入れるもんだから、ある著者の方に失笑されたことがあって。「さすがにこれは読めるでしょ?」って。でもけっしてぼくが読めないから入れてるわけじゃないですからね。

――それはそうだよね(笑)。

柿内 べつにいいんですけど、やっぱりここが勘違いされているところでもあるんです。ぼく個人じゃないんです。1億人の、大衆を背負ったぼくが、たまたま編集者という役割をもって目の前にいるだけなんです。「薔薇」って漢字だって、今のぼくは読めますよ。

たった1つの気づきを、自分のものにする

――ちなみに、自分に似た編集者に会ったことはある?

柿内 ええと、神吉さん……?

――ああ。でも会ってはいないよね(笑)。

柿内 いや、ぼくは他の編集者がうらやましいんですよ。何かやりたいこととか、思想とか、好みがすごくあるわけだから。ぼくはもう、神吉さんが言っていたことなのか、ぼくが言い出したことなのかわからなくなるくらい、神吉イズムを吸収してしまっただけであって、もともとの自分は無。ただ外から取り入れているだけで、やりたいことなんていまだに何もないんです。
ただ性格として粘着質だから、何か課題を出されると徹底的にやってしまう。美術の成績だけはずっと5だったんですけど、「模写せよ!」という課題が与えられると、ユトリロの絵を見ながら本当にそっくりなぐらいにまで模写を突き詰めたりしていました。ただ、絵自体を描きたいとは、これっぽっちも思わないんですよね。白いキャンバスを与えられても、参照するものがないと何もできないし、課題でないかぎり何もしたくない。

――そうか、でも与えられて、やって、と言われるとちゃんとやれる。思えば入社1年目もそうだったね。ほんと、とても粘り強かったな。何かの言葉の使い方で、「これ、どう思います?」と何度もしつこくしつこく聞かれた記憶がある。内心、「もうそれでいいじゃん……」とあきれていたけれど(笑)。

柿内 ぼくは自分の中に何も求めていないんです。常に、外に求めています。よく言われますが、何かすごくやりたいことがある人のように見られる。たとえば独立したときに、これからいったい何をやるんですか? というふうにたくさん聞かれて。いや、べつに何もやりたくないんだけどなあ、と(笑)。ただ、何かテーマや人と出合ったりしたときに自分の編集能力を使って協力する、ぐらいな立ち位置なんです。三角形の、機能の一端として。ぼくは100%受け身だし、編集は受注仕事でいい。やりたいことがあるのは、絶対に作家のほうなので。

――ああ、なるほど。

柿内 だから、ぼくに似ている編集者はたぶんたくさんいるとは思うんですけど、そういう人とはなかなか知り合えないんですよね。

――あまり表に出てこないから?

柿内 そうかもしれません。表に出てくる人というのは、アーティスティックな人が多いし、ぼくから見るとクリエイターであり作家なんですよね。クリエーターが編集者という職業をやっているだけであって、厳密には編集者じゃない。だけど、そういう人ばかりが編集者のイメージを形作ってしまっていますよね。

――噂によると、若い編集者を集めた私塾を開くと聞いたんだけれど、それは今の話のような問題意識から?

柿内 三宅さん、よく知っていますね。誰に聞いたんですか(笑)。自分のところの狭いオフィスで、3カ月に一度、5、6人くらいの若手を集めてやろうかと。柿内のKで「Kゼミ」。瀧本哲史さんがTゼミという自主ゼミをやっていたので、それへのリスペクトというか、パクりですね。
やっぱり編集というものを正しく定義しないと、プロにはなれないんじゃないかと思っていて。自分も20代のときはあまり考えなかったんですけど、30代以降は何をもって編集者なのかということをすごく考えるようになりました。だってもう名刺に「編集者」って刷れば、誰でも編集者を名乗れるわけじゃないですか。編集者は時代的に増えていると思うんですけど、本当のプロの編集者は何かといったら、やっぱり機能以外にはないです。その機能をちゃんと果たせている人というのが、ぼくの中では神吉イズムに重なる。だから、神吉イズムをこういった取材をとおしてあらためて考えていくことも、編集者を育てていくことに通じますね。

――ゼミ以外には、いま何をしているの?

柿内 いまは、とある教科書を作る企画を進めています。

――なんの教科書?

柿内 なんの教科書かまでは、まだ言えません!(笑)でも、ものすごい教科書ができあがるんですよ。で、企画をスタートさせるとき、「教科書」ってなんだっけという定義づけがないといけないと思って、いろいろ調べてみたんです。教科書に近い言葉に、「カリキュラム」という言葉がありますけど、ならばカリキュラムってそもそもなんだっけというふうに掘り下げていったら、ラテン語に行きついて。じつは動詞だったんですよ、カリキュラムって。

――へえ。

柿内 「currere」というラテン語の動詞から来ていて、じつは「run」と同じで「走る」という意味なんです。ぜんぜんイメージになかった話じゃないですか、「カリキュラム=走る」って。それを知って見えてきたのが、教科書とは「走る道を作ること」なんだな、と。ちゃんとした道がないと、人ってうまく走れませんよね。たとえ走ることができても、どっちに行っていいかよくわからないから、不安になりながらしか走れない。人は、道があるからこそ、全速力で走れるようになるんですよ。そう考えていったときに、何か目の前の企画のあるべき姿がバシッと見えてきたりするんですよね。でもふつう、教科書を作るときに、たぶんラテン語までたどらないと思うんです。面倒くさいし。

――まあ、たどらないね。

柿内 でもなんでそういうふうに発想するかというと、これこそぼくが編集論を神吉さんに学んだように、何かを考えるときに常に原点は大事だと思うからなんですよ。

画像5

――それ、すごくいい話だな。

柿内 頼りなく歩いていた人とか、走ってはいるけれど、北へ行ったり南へ行ったり、同じところをウロウロしている人に、こっちの方向だよと示してあげることがカリキュラム=教科書だったんです。

――向くようにしてあげるということだね。

柿内 そうです。そしていつしか駆け足になり、最後はしっかり走れるようになる。自走できるまで持っていくというのがカリキュラムの役割なわけですけど、翻って日本のすべての教育のカリキュラムは、ほとんどがカリキュラムになっていないということもわかってくるわけですよね。

――なるほど。本来の語源に含まれた目的がぜんぜん押さえられていないということだ。

柿内 そうなんです。本質からズレて、アクロバットなこととかノウハウにいっても仕方ないんです。やっぱり学びというのは、自分が希求したときにしか、真には学べません。話をこのインタビューのそもそもに戻すと、ぼくも本当に入社当初に苦しんで藁にもすがる思いだったからこそ、神吉イズムを理解し会得することができたわけです。本人が心の底から求めていなければ、それはただの知識、単なるライフハックになっちゃうんですよね。そしてそんなハックは、世の中には無限に存在しています。でも、よく思うんですが、今の自分に本当に必要な気づきって、本来はたった1つでいい。重要なのは、そのたった1つのことを、自分なりにしっかり咀嚼し、実地でトライ・アンド・エラーをくり返して、本当に自分のものにすることです。もはや、自分のオリジナルな考えだと錯覚してしまうくらいに。

――それは、ぜひうちの新入社員にも伝えたいメッセージだな。とても重要。そしてそんな柿内は、10年後、いったい何をやっていると思う?

柿内 そうですね……、自分でもわかりませんけど、たぶん機能としての編集者をやっているだけですね。唯一たしかに言えることは、ぼくは光文社を離れましたけど、マインドは今でも光文社社員なんですよ。真顔で言うのは、ちょっと恥ずかしいですけれど(笑)。

――そうだね、神吉チルドレンであり、たぶん誰よりも光文社を愛しているだろうね。

柿内 最後に三宅さんに1つだけお願いがあります。今回神吉さんの本を十数年ぶりにもう1回読み返そうと思ったなかで、『カッパ軍団をひきいて』だけがどうしてもなくて……。どこかで手に入らないですかね。光文社の書庫か資料室に眠っているとか? これ、Amazonだとプレミアがついてしまって、1万8000円もするんですよ(笑)。

――わかった。じゃあ今回の取材の謝礼として、なんとか探してプレゼントすることにするよ。

柿内 本当ですか。たしかその本の中には、神吉流広告術、PR法の極意が書かれているんですよ。

――なるほど。ではその話はまた、次のインタビューの機会にでも!

(了)

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!