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日本学術会議問題、コロナ対策……日本のアカデミズムに未来はあるのか?|酒井敏

編集部の田頭です。総選挙も終わり、新型コロナウイルス感染も小康状態の今、改めてこの2年間に起きたことを振り返るタイミングになったように思います。京都大学教授、京大変人講座でおなじみの酒井敏先生によれば、昨年2020年は日本の大学にとって極めて大きな意味を持つ年になりました。2020年に起きた2つの出来事を手掛かりに、日本の大学ののあり方、研究や教養の本質的な意義について考えてみたいと思います。発売中の光文社新書『野蛮な大学論』より、序章を全文公開いたします。

2020年の2つの出来事

 日本の大学は今後どうあるべきなのか――。2020年は、この問題が大きく浮上した年でした。世間的には「コロナ禍が始まった年」と記憶される年なのでピンと来ない人もいるとは思いますが、まあ、聞いてください。

 大学はどうあるべきかというテーマ自体は、社会にとって決して新しいものではありません。この世に大学が誕生したときから、多くの人が考えてきたことでしょう。しかし私を含めた現在の日本の大学関係者にとっては、およそ30年ほど前から、それが切実な問題となっていました。そのころから今日にいたるまでさまざまな形で進められてきた改革が、必ずしも大学の改善にはつながっていないからです。むしろ、改革が進めば進むほど、日本の大学はどんどん改悪されているとしか思えません。

 ただしその問題意識は、大学外の人々と広く共有されてはいませんでした。大学進学率は徐々に高まっているので、大学に関わっている当事者は(学生の保護者も含めて)増えているはずですが、大学のあり方に対する関心はあまり高まりません。30年前から行われてきた大学改革の具体的な中身も、よくご存じでない方のほうが多いでしょう。「そもそも大学とは何か」という根本的な議論や理解も、なかなか深まらない。その結果、わが国の大学改革は長きにわたって迷走を続けているように見えます。

 しかし2020年に起きた2つの出来事が、社会の目を大学に向けさせるきっかけとなってくれました。1つは、感染症対策として始まった大学のオンライン授業。もう1つは、9月の菅義偉首相の就任早々に起きた日本学術会議をめぐる問題です。学生たちを含めた大学や学術界にとってはいずれも重大なピンチでしたが、大学の問題を世に問いかけ、考えを深めてもらえるという意味では、チャンスでもあったと私は考えています。

 では、そこから一体どんな問題が浮かび上がったのか。まずは、オンライン授業のことからお話ししましょう。

 2020年4月、政府の発出した1回目の緊急事態宣言下で新年度を迎えたとき、多くの大学と同様、私が所属する京都大学もいったん5月6日まで休講となりました。その後も教室での授業は再開できず、全面的にオンライン授業を実施することになりましたが、なにしろ過去に経験のない事態ですから、簡単にそんなことができるとは思えませんでした。大学には、IT方面の苦手な教員も少なからずいるからです。

 私自身は、インターネットが普及し始めた20年ほど前から、教員としてオンラインの活用を漠然と考えてはいました。単に知識を伝えるだけなら、技術的には十分に可能です。しかし勝手にそういうことを始めると、「誰もが同じようにできるわけではないのだから、インターネットなんか使うべきではない」などと足を引っ張る動きが出てこないともかぎりません。「自由の学風」が売り物の京大でも、まあ、学内にはいろいろあるのです。

 ですから、かなり早い段階で研究室のウェブページを作成したりはしていたものの、積極的なオンライン活用はしていませんでした(そこにはもう1つ別の理由もありましたが、それは後述します)。しかしコロナ禍に見舞われたあの状況下では、選択の余地などありません。それぞれの教員が、自分のやれる範囲でオンライン授業を実施するだけです。

 それまで誰も想定していなかったことですから、当初はかなりの混乱が見られました。統一したスタイルがなく、各教員のやり方があまりにもバラバラなので、学生たちも途惑ったことでしょう。困惑して「これではどうしていいかわかりません」と訴える声も聞かれました。しかしこちらとしても、大学に来られずに溺れかけている学生たちに向かって、必死で浮き輪を投げているような状態です。細かい配慮をする余裕はありません。

「とにかく、つかまれるところにつかまってほしい」

 そんなふうに祈るしかありませんでした。きっとオンラインでは成り立たない授業もたくさんあるだろうから、せめて自分の担当分は何とかしなければ……と思っていたのです。

 ところが結果的には、意外にもほとんどの教員がオンライン授業をしっかりとやり遂げました。人間、必要に迫られれば何とかやれてしまうものです。IT方面に不案内な人でも何とか対応できるぐらい、通信環境や機材などの使い勝手がよくなっていたおかげもあるでしょうが、これはなかなかの驚きでした。文字どおりの「緊急事態」に多くの大学がすぐに対応できたのは、いわば、うれしい誤算だったのです。

文科省が求めた「単位の実質化」

 とはいえ、それでメデタシメデタシというわけにはいきません。オンライン授業が定着してしばらくすると、次第に「学生たちが気の毒だ」という声が聞かれるようになりました。

 それは、たしかにそのとおりです。とくに2020年度の新入生たちは、キャンパスライフをほとんど経験することなく1年を終えてしまいました。自室でオンライン授業に参加するだけの日々では、誰が見てもまともな大学生活とはいえません。

 そのため大学は(懸命にオンライン授業をやってきたにもかかわらず)「なぜ対面授業をやらないのか」「授業料を返せ」などとブーイングを受ける立場になってしまいました。そういう世間の声に迎合するかのように、文部科学省(以下、文科省)も、対面授業が少ない大学名を公表するなどして、教室で授業をやるようプレッシャーをかけるようになったのです。

 しかし大学側だって、好きでオンライン授業をやっているわけではありません。不満を抱く学生たちの気持ちは痛いほどわかりますが、だからといって教室を「三密」状態にして、集団感染のリスクを高めるわけにもいかないでしょう。クラスターが発生すれば、「あの大学は何をやっているんだ」と叱られるに決まっています。ですから多くの大学教員が、対面授業を求める文科省の姿勢に反発や途惑いを感じました。

 そもそも、私たちがあれほど懸命に(というか、ほとんど無理やりのように)オンライン授業に取り組んだのは、大学改革を推し進める文科省の意向に何とか添おうと努めた結果です。というのも、文科省は、日本の教育のあり方を審議した1998年のいわゆる「21世紀答申」から、大学に「単位の実質化」を求めてきました。どういうことか説明しましょう。

 まず、文科省の定める大学設置基準の第二十一条には、「一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもって構成する」という規定があります。大学の授業科目の多くは半期で2単位なので、1コマあたり90時間も学修しなければいけません。かなり高いハードルなので、形骸化するのも無理はないでしょう。

 しかし文科省はある時期から、この規定を厳密に守ることを大学に求めるようになりました。それが「単位の実質化」にほかなりません。

 そのために、教員は何をしなければいけないか。具体的には、半期で2単位の授業を必ず15回やるように義務づけられました。1コマ90分の授業は「2時間」とカウントされるので、15回だと30時間になります。90時間にはまったく届きませんが、残りの60時間は学生たちの自習でまかなうという建前。それも相当に高いハードルなので、本気で単位を「実質化」する気があるのかどうか怪しいものです。しかし教員としては、とにかく半期で15回の授業をやりきらなければいけません。

 1980年代までに卒業した世代には、大学は休講が多いものだと思い込んでいる人が多いでしょう。でも、それはとっくに昔話です。いまの大学は、30年前とは比べものにならないほど「真面目」な教育機関になりました。やむを得ない事情で休講にした場合も、必ず埋め合わせなければいけません。(たとえ大雪などの不可抗力による休講であっても)教員はどこかで補講の時間を作って、回数の帳尻を合わせています。

 改革が行われる前の昔の大学であれば(仮にその時代にインターネットが普及していたとしても)今回のように必死でオンライン授業に取り組むことなどなかったでしょう。もともと休講はよくあるものでしたし、出席も取らず、レポートや試験さえ合格点なら単位を与える科目もたくさんありましたから、授業ができなくてもさほど問題はありません。

 そういう1980年代までの大学のあり方が「日本の大学生は勉強をしなさすぎだ」などと問題視された結果、単位の実質化が求められるようになったわけです。その是非はともかくとして、今回、われわれ大学教員は文科省のご意向に添って半期15回の授業を完遂すべく、がんばってオンライン授業を実施しました。つまり「単位の実質化」のために最大限の努力をしたのです。

 これによって、大学にとってきわめて本質的な問題が浮上しました。文科省が大学に求める授業は「オンラインで十分にやれる」ことがわかってしまったからです。ところが学生やその保護者をはじめとする世の中の人々は、それを本来あるべき大学の姿だとは認めませんでした。決められた回数の授業をきちんと実施し、文科省のいう「単位の実質化」を実現しても、大学としての役割を果たしたことにはならない。多くの人がそう感じました。大学が大学であるためには、それだけでは何かが足りなかったのです。

「板書」がすべてだった時代

 そもそも、いま文科省が実質化を求めている単位制度の基本的な考え方は、日本に大学が誕生した明治時代に生まれたものでしょう。とくに、週1コマの講義が半期で「2単位」とカウントされる背景には、その時代ならではの事情がありました。

 というのも、昔は本が高価な貴重品でしたから、誰もが簡単に学問的な情報にアクセスできるわけではありませんでした。そのため、大学の授業で先生が板書する情報には、きわめて大きな価値がありました。そこから貴重な知識をしっかり仕入れなければ、大学に入った意味がない。ですから学生は、1文字たりとも書き漏らさないぐらいの覚悟で板書をノートに書き写したはずです。

 そのため授業中は、とにかくノートを取る作業だけで精一杯。先生の教える内容を理解する余裕などありません。教室での授業は、先生からの情報をひたすら「手動コピペ」する時間です。ノートに写した知識を身につけるためには、家に帰ってから授業と同じ時間をかけて自習しなければなりません。だから、週1コマなのに「2単位」とカウントするのです(ちなみに実験の授業は板書の「コピペ」が不要なので半期で1単位です)。

 しかし、この前提がとっくの昔に崩れていることは、誰が見ても明らかでしょう。明治時代に先生が板書していたような情報は、いまや教科書にほとんど書いてあります。学生はみんなそれを持っているので、授業で必死にノートを取る必要はありません。それどころか、先生が教科書を読み聞かせて知識を伝授するだけの授業であれば、出席する必要さえないのです。

 実際、学生時代の私は、ほとんど授業に出ませんでした。そういう授業は、自分で教科書を読んで勉強すれば事足ります。しかも当時の京大は(ほかの大学もそうかもしれませんが)いちいち出席を取らない授業も多く、すべて「自習」で済ませるという選択肢が半ば公然と認められていました。試験で合格点を取りさえすれば、単位はもらえます。

 だから私は、真面目に出席している友達に「今日はどこまで進んだ?」と聞き、授業でやったところを自分で勉強していました。それでも何とか試験には対応できます。

 試験が終わってから、「そうか、教科書のあの部分はこういうことだったのか」などとわかって、あらためてそこを勉強することもありました。このように書くと、「だったら授業に出たほうが良い点を取れるじゃないか」と思う人もいるかもしれませんね。

 でも、そもそも大学は高校と違って、試験で良い点数を取っても大した意味はありません(少なくとも当時の私はそう思っていました)。最低限の合格点さえ取れればOKです。いわば車検みたいなもので、それをクリアすれば、好きなところにドライブに行っていい。つまり試験で最低限の合格点を取れば、あとは自分のやりたい勉強や研究をやっていいだろう、という感覚でした。もし何か問題があれば、「ここのボルトが緩んでいるよ」とか「タイヤがすり減っているぞ」などと教えてくれる。それが大学の試験だと思っていたのです。

学生が求めた「コミュニティ」としての大学

 ともかく、「先生の板書がすべて」という明治時代の前提は、私が学生だった40年前でさえ、とっくに失われていました。インターネットの普及で情報環境が激変した現在では、なおさらそうでしょう。いまや、ネットで検索すればたいがいの知識は手に入ります。もちろんデマやフェイクや間違いを見分けなければいけませんが、正しい知識も確実にそこにある。そういう時代に、単に先生の持っている知識を伝えるだけの授業が大きな価値を持つとは思えないのです。

 そう考えたからこそ、20年ほど前にインターネットが普及し始めたとき、私はオンラインの活用を積極的にはやりませんでした。ネットは便利なので使い途はいくらでもありますが、それに頼ると大学の存在意義が見失われてしまうような気がしたのです。

 私は学生時代、単に知識を伝えるだけの授業には出席しませんでしたが、大学そのものに行く意義を認めなかったわけではありません。そこでは、教科書的な知識だけにとどまらない「何か」を得ることができる――そう思ったからこそ、大学には行きました(そのまま40年も同じ大学に居続けています)。

 コロナ禍のせいでオンライン授業ばかりになった大学に不満を抱いた学生たちも、その「何か」を求めていたに違いありません。不満を抱く学生たちのために、文科省は授業をオンラインではなく対面で行うよう大学に求めましたが、これは見当違い。学生たちは、大学が「知識を教える授業」だけを提供することに不満を抱いたのだと思います。だとすれば、授業がオンラインだろうが対面だろうが、関係ありません。実際、オンラインでも教室でも受講できるハイブリッド型の授業を実施したケースでも、オンラインを選ぶ学生が多かったという話も聞きました。

 では、学生たちは何を求めたのか。ひとことでいうなら、それは大学という「コミュニティ」なのだろうと思います。授業はオンラインでもかまわないけれど、大学には行きたい。それは、大学が単に知識を入手する場ではなく、人との交流の場だからでしょう。

 大学での「交流」と聞くと、友達とのお喋りや飲み会、サークル活動などのキャンパスライフを思い浮かべる人が多いと思います。もちろん、それらは大学生にとって大事なものですが、勉強や学問とは直結しません。いわば副次的な価値であり、大学にとって本質的なものだとは思われにくい面があるのはたしかです。

 しかし、コミュニティとしての大学から得られるのは、そういう副次的なキャンパスライフだけではありません。主眼である教育や研究を行ううえでも、教員と学生が大学というコミュニティで同じ空気を吸いながら交流することには大きな意味があります。大学での教育や研究は、教科書的な知識のやり取りだけでは成り立たないからです。

 たとえば、資格試験の合格を目的とする専門学校のようなものなら、オンライン授業で必要な知識を伝えるだけでも最低限の役割は果たせるかもしれません。ところが、大学は研究機関でもあるので、教育の目的もそういう学校とは違います。学術的な研究とは、これまで世の中になかった新しい価値を生み出そうとするもの。いい換えると、まだ誰も知らない新しい知識を生み出すのが、研究のそもそもの目的なのです。

 したがって、学生たちが自ら解くべき問題の答えは、教員も知りません(知っていたら、それは新しい知識ではありません)。そこで教員がなすべき教育とは、学生が自ら新しい問いを立て、その答えを出せるようにすることです。もちろん、教科書に書かれた既存の知識も必要ですが、それに加えて、未知の問題に取り組むときの考え方や物の見方などを身につけてもらわなければなりません。

 資格取得のための勉強は、いわばあらかじめ敷かれたレールの上を走るようなものだといえるでしょう。それに対して、大学に求められているのは、学生たちが自ら新しいレールを敷けるようになるための教育です。そのような教育に、オンライン授業だけで教えられるようなマニュアルはありません。研究に必要なノウハウは言語化が難しく、いわば直観や本能に訴える類のものなので、学生と教員がいっしょになって「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤することを通じてじわじわと伝わります。

 それが具体的にどういうものかは、のちほどじっくりお話ししますが、そういう教育と研究の場になることこそが、コミュニティとしての大学の存在意義なのではないでしょうか。そういう大学本来の価値を享受できないから、コロナ禍によってオンライン授業しか受けられない学生たちは、じつに気の毒なのです。

学術団体の「権威」が揺らいでいる

 ともかく、単位の実質化というお題目を掲げ、既存の知識を一方的に伝えるだけの授業を重視する文科省の方針は、大学本来の役割を意識したものとは思えません。その方針の根底にあるのは、いわば知識や情報という大河の「上流」に大学を位置づけ、そこに権威や存在意義を見出そうとする姿勢でしょう。平たくいえば、「下々の者が知らぬ情報がたっぷり蓄積されているから大学には存在価値がある」という発想です。

 しかし前述のとおり、それが通用したのは、ひと握りの学者だけが情報を寡占していた時代だけ。膨大な情報が社会の隅々まで行き渡るようになった現代社会では、周回遅れの考え方だといわざるを得ません。そこにしか価値を見出せないのでは、大学は無用の長物となってしまうでしょう。

 じつは、2020年に起きたもう1つの出来事――菅首相による日本学術会議会員の任命拒否問題――も、その根っこには同じ問題があると私は思っています。

 2020年10月、就任から間もない菅首相が、日本学術会議の推薦する会員候補のうち6名の任命を拒否した一件は、学術界のみならず、広く社会からの反発を招きました。理由も示さず、まったく恣意的に任命を拒んだのですから、きわめて強権的な姿勢であることはいうまでもありません。そもそも首相に拒否権があるのかどうかも微妙であり、学問の自由を脅かすものでもあることから、違法性や違憲性の疑いも指摘されています。

 任命拒否問題自体はいまだ決着していませんが、その一方で、この一件はより大きな問題、すなわち日本学術会議の存在意義に関する議論も呼び起こしました。世の中には、日本学術会議に対する菅首相の強硬な姿勢に拍手を送る人々も少なからずいます。その多くは、任命拒否の是非を問う以前に、そもそも学術会議のような団体の存在に疑問を抱いているのでしょう。もっと直截にいってしまえば、そこにはアカデミズムそのものに対する反感や不信に近い感情があるようにさえ思えます。

 それこそ新型コロナウイルス対策もそうであるように、政府の政策決定には、多くの場合、専門家や有識者の意見が欠かせません。さまざまな審議会や諮問会議などがその役割を果たしていますが、日本学術会議も「政府に対する政策提言」を自らの役割の1つとして掲げています。

 専門家による助言や提言が必要とされるのは、政策を正しい方向に導くためだけではありません。広く国民がその政策を正しいと信じられるだけの「お墨付き」を与えるという役割もそこにはあります。たとえば新型コロナウイルス対策で、感染症の専門知識のない政治家が根拠も示さずに「とにかく外出を控えてくれ」と訴えても、国民は納得しないでしょう。緊急事態宣言を発出するにしろ解除するにしろ、国民がそれを受け入れるためには、専門家による科学的な裏付けが必要になります。

 ただし、この権威としての地位も常に安泰ではありません。社会全体の教育水準が低く、国民が知識や情報を十分に有していない時代には、学者や学術団体の「お墨付き」に誰も疑問を抱かなかったでしょう。

 しかし現代のような情報化社会になると、事情は変わってきます。一般人もさまざまな情報源から科学的な知識を得ることができますし、同じ分野の専門家の意見が決して一枚岩ではないことも見えてくる。政策にお墨付きを与えている学者たちに対して、批判的な立場をとる学者もいることなどがわかってくるのです。

 そうなると、アカデミズムの権威も盤石ではいられません。たとえば2011年の東日本大震災に伴う福島の原発事故は、その権威が大きく揺らいだ例でした。政府の原発推進政策に「絶対に安全だから大丈夫」とお墨付きを与えていたのは、原子力の専門家である科学者たちでした。それが裏切られたのですから、多くの人がアカデミズムに不信感を抱いたのも無理はないでしょう。事故後も、放射能汚染が人体に与える影響に関して、専門家のあいだで意見が対立しました。一般の人々は、誰を信じればよいのかわかりません。そんなことでは、政策の正しさを裏付ける権威にはなり得ないのです。

 新型コロナウイルスについても、原発事故のときと同じことがくり返されているように見えます。「自称」も含めた専門家たちが、マスメディアやSNSなどで口々にさまざまな対策を主張する百家争鳴状態に、「何が正解なのかさっぱりわからない」とウンザリしている人は多いでしょう。それによってますます専門家の権威が揺らいでいる最中に起きたのが、日本学術会議に対する任命拒否問題でした。ご意見番としての信頼を得られていないから、「税金の無駄遣い」などといわれ、不要論も出てきたわけです。

アカデミズムは自らの「野蛮さ」を認めよ

 私自身は、日本学術会議のような団体が不要だと思っているわけではありませんし、本書でそれについて論じたいわけでもありません。問題にしたいのは、あくまでも大学を中心としたアカデミズムのあり方です。

 学術会議の一件でも明らかになったように、ただ知識や情報を握る権威として振る舞っているだけでは、大学や研究者の活動が広く世の中の理解や信頼を得ることはできません。社会からの支えを失えば、日本の学術全体の停滞や地盤沈下が進むばかりでしょう。それによって価値ある研究成果が生まれず、イノベーションも起こらなくなれば、私たち研究者だけでなく、日本の社会にとっても大きな損失です。

 そもそも、かつての大学や研究者が「知識の上流」としての権威を持っていられたのは、そこに情報が集中していたことだけが理由ではありません。大学という場所で研究者や学生が何をしているのかが、世間の人々からは見えなかったこともその一因でしょう。

 社会全体の教育水準が低かった時代は、大学に進む人もほんのひと握りでした。そのため、ほとんどの人は大学の中の様子がわかりません。アカデミズムの外にいる人たちに見えるのは、研究の成果としてアウトプットされるイノベーションやノーベル賞級の新しい発見などです。とくに、日本に大学が誕生してからの100年間は、自然科学や工学を中心に、大学から「役に立つ成果」が次々と出てきました。成功した立派な業績だけ見ているのですから、尊敬の念を抱くのも当然でしょう。だから、政府のご意見番としての権威も揺らぐことがなかったのです。

 しかし大学進学率が高まるにつれて、状況が変わってきました。日本の大学進学率は、1950年代は10%程度、1960年代は20%程度でしたが、1980年代後半から1990年代にかけて40%程度にまで上がります(現在は60%弱)。学生の保護者を含めて多くの人々が大学に大きな関心を寄せ、その内情を知る立場になったわけです。

 そこに、バブル崩壊後の経済の停滞も重なりました。それまで産業界では人材育成も研究開発も個々の企業が多くを担っていましたが、経営状況が悪化するとその余裕がありません。そのため、すぐにビジネスに直結するような技術開発や即戦力として使える人材の供給を大学に求めるようになりました。すると当然、産業界も「大学で何が行われているか」に注目するようになります。

 そうやって社会の目が大学に注がれるようになった結果、大学がそれまで放置されていたことが問題視されるようになりました。出席しなくても単位が与えられる授業のあり方も、その1つ。バブル期には、勉強せずに遊んでばかりいる大学生を揶揄して「大学のレジャーランド化」などといわれたこともあり、「大学教育は役に立っているのか?」という疑念が生じました。

 また、もっとも強い批判にさらされたのは教養部の存在です。即戦力の人材を求める産業界にしてみれば、大学には専門分野の教育を期待したい。理系も文系もいっしょに4年間のうち2年間も一般教育を受ける教養部は、やはり「役に立っていないのではないか」と見なされるようになりました。その結果、教養学部の名称で存続させた東京大学と、東京医科歯科大学をのぞくすべての国立大学が教養部を廃止。これが、現在まで30年にわたって続いてきた大学改革のスタート地点だったといえるでしょう。

 改革の根っこに「大学が社会の役に立っていない」という認識があるのですから、それまでの権威性を保てるわけがありません。上流から下流に向かって「われわれの知っていることを教えてあげましょう」という姿勢はもう通用しないのです。

 では、どうすればよいのか。私はまず、アカデミズムの世界に生きる人々が、自分たちの仕事に無駄や失敗が山ほどあることを認めることから始めるべきだと思っています。学術的な研究は、誰も知らない新しい知識を模索するもの。つまり前例や従来の常識が通用しないところに踏み込んでいくのですから、効率よく一発で成果を得られるはずがありません。あちこち遠回りして、何度も失敗をくり返すのが常です。失敗したまま終わる研究だって山ほどあるでしょう。むしろ、成功するのはほんのひと握りかもしれません。でも、そういう泥臭い試行錯誤や失敗の山がなければ、大きな成功もあり得ないのです。

 いままで多くの研究者たちは、その成功例だけを世間に見せてきました。そうしないと権威が保てず、社会からの支援も受けられなくなると思っていたのでしょう。でも、その権威はもはや失われました。だとすれば、隠し事をせずに、自分たちの仕事の意味や価値をストレートに社会に伝え、それを理解してもらうしかありません。たしかに大学には、無駄で非効率で何の役に立つのかわからない教育や研究があるけれど、じつはそこにこそ大きな値打ちがある。それを社会に向けてしっかり説明して、人々の理解や支持を得ることが、これからの大学のあり方を模索するための大前提だと私は思っています。

 大学の教育や研究は、計画どおり一直線にスパッと答えが出るような洗練されたものではありません。目的地までの地図を見ながら高速道路をスイスイと走るわけでもなく、地図も道路もない未知の土地を手探りで這っていくようなものです。洗練どころか、むしろ「野蛮」な営みだといえるでしょう。

 長い前置きになりました。私は本書を通じて、大学が持つべき野蛮さの意義や面白さをお伝えしたいと思っています。大学が本来あるべき姿を取り戻し、社会の中で存在意義を認められるためには、もう、上っ面の権威を捨てなければいけません。失敗ばかりで無駄も多いけれど、だからこそ大学は世の中に必要だ! そう思ってもらうためには、大学の「魅力あふれる野蛮さ」をアピールすべきなのです。

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