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07_「成人教育」が成立しなくなったとき、「役に立つ教養」の意味は変質を強いられた

功利主義/ロマン主義がもつ二面性

 本連載の第5回から第6回にかけては、現在の「役に立つ/立たない」を基準とする人文学不要論から出発して、視点をより広げていくためにイギリスにおけるC. P. スノー対F. R. リーヴィスの「二つの文化」論争を論じ、それが産業社会の勃興以降の「功利主義」対「ロマン主義」の対立であったことを論じた。それは、社会の全体性をどうとらえるかという疑問に対する二通りの答えだった。非常に粗い要約にはなるが、功利主義はベンサムの「最大多数の最大幸福」が表現しているように、個人の功利の総和を最大化することを社会に求める、一種のリアリズムである。それに対してロマン主義は「文化」を、それなしではバラバラになってしまうであろう産業社会を束ねるものとして構想する。そのような「文化」の理想は、たとえばマシュー・アーノルドの文化/教養、リーヴィスの(「大衆文明」の対立項としての)「少数文化」であった。功利主義がリアリズム的であるとするなら、ロマン主義は疎外論的であった。つまり、それは産業がもたらした社会や環境の荒廃を嘆き、返す刀で理想的な「文化」を構想したのである。

 前回は述べなかったが、功利主義とロマン主義はそれぞれ保守的な側面と進歩的な側面を兼ね備えている。前者は産業社会の現実を肯定するという意味で保守的になり得るが、まさにその現実を正面から受け止めて場合によってはそれを変革しようとするという意味で、進歩的たり得る。ロマン主義は現状を嘆いて過去の理想郷への回帰を願う場合には保守的であるし、むしろ未来のユートピアに向けた衝動であるならば進歩的である。

 後出しになってしまうが、私が以上のような認識を獲得したのは、ウェールズ出身、イギリスの文学者・文化研究者レイモンド・ウィリアムズの著作を通じてであった。ウィリアムズは、功利主義対ロマン主義の物語の重要な登場人物の一人、T. H. ハクスリー(アーノルドと「第一次二つの文化論争」を展開した人物で、ウィリアムズは彼を高く評価する)の伝記の書評で、次のように述べている。

科学と文化との関係は、なんといっても、その両者の不適切な定義によって混乱したものになってきた。それらの分離は、全体的な社会的圧力のもとでの、おおきな知的歪曲のしるしである。それは歴史的には、いっぽうではロマン派、他方では機械論的唯物論者によるものだ。(“Science and Culture” p. 584)

 最後の機械論的唯物論者とは、私が「功利主義者」と呼んできたものにほぼ一致するだろう。ウィリアムズは、科学と文化を分離させてしまった咎を、ロマン主義者と功利主義者の両方に負わせているのだ。

 理系と文系、そしてそれに重ね合わされる「役に立つ/立たない」という対立のより広い源流はこれら二つの理念、もしくは社会観であった。だが、私たちはこの対立からさらに外側へと出て行く必要がある。今回その外部として提示したいのは、まさに今参照したレイモンド・ウィリアムズが深く関わったもの、つまりイギリスにおける成人教育(adult education)である。

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「成人教育」が生まれるまで

 成人教育がここまでの議論の外部であることは、いくつかの点から言える。具体的に成人教育の歴史と実践を見る前に、それを整理しておこう。

 ひとつには、私たちは、教育と社会との関係を真の意味で考えるなら、議論を、そして実践を、学校教育(formal education)に限っていては不十分なのである。学校教育の外部の教育は、現在の行政用語では「社会教育」や「生涯学習」という言葉でカバーされるものである。だが、これらの言葉も、本稿の後半で明らかにするように、限定的だ。私たちは教育をそのもっとも広い意味へと投げ返すことから始めなければならない。そのために私がこだわりたいのが、「成人教育」という言葉である。

 この言葉とも関連して、前回論じたスノーとリーヴィスは、すでに述べたように、対立しながらも、じつは両者とも20世紀に勃興したメリトクラシー社会の申し子であり、その象徴的な存在たる「奨学金少年」であったという点で、同じ背景を共有してもいた。そのような社会と教育の基本的なイメージは、「はしご」のイメージである。20世紀のメリトクラシー=能力主義社会は、下層中産階級や労働者階級からの、教育を媒介とした階級上昇を可能にした。それは、はしごを昇るのに成功した個人たちに解放をもたらしたかもしれない。しかし、そのような「教育」は決定的に限定を加えられたものなのである。このことが、成人教育を視野に入れることで見えてくるだろう。

 さて、イギリスの成人教育の歴史はどこまでさかのぼれるだろうか。イギリス成人教育史のスタンダードであるトマス・ケリーの『イギリス成人教育史──中世から20世紀まで』は、その起源を中世のアングロ=サクソン人の侵入と、それにともなうキリスト教伝道活動までたどっている。

 当面の目的のためには、さすがにそこまでさかのぼる必要はない。やはり、産業革命以降が重要だろう。実際、19世紀前半は成人教育にとって大きな転換点であった。ケリーによれば、19世紀初頭には科学、とりわけ応用科学の教育の要請が高まったが、当時のパブリックスクール〔中・上流階級向けの全寮制を基本とする中等教育学校〕やオクスフォード・ケンブリッジ両大学ではいまだ古典語を柱とする人文学教育が大勢を占めており、科学教育は弱かった。そこで、大学外に科学(理系)教育を行うアカデミーなどの組織が多く生まれていったのが19世紀の前半である。

 そのような教育組織のうちのひとつが、工員学校(mechanics’ institutes)であった。ケリーが注意を喚起しているが、工員(mechanics)とはその言葉が含意するかもしれないような、機械を操作する人員という狭い意味ではなく、(19世紀初頭の労働はまだ必ずしも機械によるものではなかったので)要するに労働者階級のことであった。つまりここに、労働者階級を明確な対象とした成人教育が生まれたのである。

 だが、工員学校は、労働者階級による、労働者階級のための主体的教育機関だとは言えなかった。そうではなく、工員学校は基本的に当時の中流階級によって創設・主導され、勃興した産業主義と資本主義が要請する労働力を生産するためのものという性質を持っていたのである。それは、ケリー曰く、「ベンサム的リベラリズム」に基づくものだった。私たちはここに、つまり近代的成人教育の発祥において、すでに理系・文系の対立に重ね合わされる形での「役に立つ/立たない」問題を見いだすことができるかもしれない。

 ただしここにおける、産業資本主義に役に立つ労働者スキルの教育(ベンサム的リベラリズム=功利主義)に対立するのは、高踏的な教養といったものでなければ、アーノルド=リーヴィス的な「文化」でもない。そうではなく、労働者階級による主体的な学びとそれによる社会変革という理念である。

社会変革の実践としての成人教育

 19世紀も半ばになると、チャーティスト運動や協同組合運動という形で勃興した労働者階級の運動に呼応する形で、より主体的な労働者階級教育としての成人教育が興った(これ以降の経緯についてはケリーに加えて、矢口悦子『イギリス成人教育の思想と制度』に詳しい。また、コンパクトな成人教育史としてはスティーヴンスも参照)。

 その代表的なものが、労働者カレッジ(working men’s colleges)であり、1854年にキリスト教社会主義者によって設立されたロンドン労働者カレッジである。ケリーは工員学校と労働者カレッジ以降の成人教育との差異を強調しすぎることには警鐘を鳴らしながらも、やはりそこには大きな違いがあったと見ている。

 労働者カレッジは、肉体労働者が半分、あとは店員や下級専門職といった労働者階級から下層中産階級の学生を、教育のある中流階級の教員(ラスキン、J. S. ミルやD. G. ロセッティらの前ラファエル派といった、現在にも名の残る人物たち)が教えるという意味では、工員学校と外形的にはそれほどの違いはない。だが、労働者カレッジはその精神において異質であったし、部分的にはそのために、あまり成功しなかった工員学校と比較して、イギリスの成人教育の伝統を確立するような重要性を獲得した。ケリーを引用するなら、「それ〔労働者カレッジ〕は真に共同的で社会的な生活を想像することに成功し、またそれは少なくとも一部の学生に、教養/学び(learning)とは精神のための大きな利をもたらすものであり、新しい知識を機械的に獲得することではないという感情を抱かせることに成功したのである」ということだ(p. 186)。ケリーは、これによって労働者カレッジが「実務技術的な教育と教養教育(liberal studies)との間の区別に注目を引きつけた」と評価する(p. 188)。

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 ここに浮かび上がった対立軸は、前回見た、功利主義的な文化とロマン主義的な文化との対立とはかなり異質なそれである。功利主義に対立するのは、社会の全体性を理想的にまとめあげる「文化」ではなく、労働者たちによる学び=教養なのだ。

 イギリスにおいて、労働者階級は20世紀に入って本格的な政治組織を形成していく。現在イギリスの二大政党の一翼をなす労働党の前身、労働代表委員会が結成されたのは1900年である(1906年に労働党に名称変更)。

 実質的に労働者階級教育である成人教育はそのような潮流を受けて大規模化し、定着していく。それを象徴するのが、1899年のラスキン・ホール(1907年にラスキン・カレッジに改称)と1903年のWEA(労働者教育協会; Workers’ Educational Association)の成立だろう。

 とりわけWEAは現在まで続く全国的組織を持つ、イギリス成人教育の本体とも言える組織と実践だ(現在もうひとつ重要な組織としては、テレビ以降のメディアを利用し、日本の放送大学のモデルとなったオープン・ユニヴァーシティ(1969年設立)がある)。

 WEAは、労働運動や協同組合運動の伝統と盛り上がりを背景とするもので、それらの運動の精神でもあるボランタリズムを基本とするものである。その成立と拡大の要因を考えるには、労働者組織だけではなく、19世紀後半から拡大していたオクスフォード・ケンブリッジ大学の拡張運動(Extension Movement)、イギリス国教会の役割、それらの理念をもとに1903年にWEAの前身である「労働者のための高等教育推進協会」を設立したアルバート・マンスブリッジの存在など、さまざまな要素に目を向ける必要がある(詳しくは矢口)。

 だがここでは、WEAがまさに「労働者による労働者のための」教育を行うというボランタリズムを基礎としていたこと、そしてそれがここまで述べたような資本主義・産業社会と学び・教養との意味の関係を変更しようとするものだったことを強調しておく。

 冒頭で触れたレイモンド・ウィリアムズは、戦後のしばらくの期間、このWEA(正確にはオクスフォード大学の構外教育と連携したWEAの講座)で成人教育を行っていた。彼の他に、『読み書き能力の効用』で有名な英文学者・文化研究者リチャード・ホガートもまた成人教育のチューターであった。彼らの成人教育での教育内容はその著作にも結実し(ウィリアムズの主著『文化と社会』など)、その方法は「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれる学問の潮流を生み出した。

 だが、成人教育がある学問分野(カルチュラル・スタディーズ)を創設したという物語は、成人教育の実践が持っていた意味を矮小化するだろう。ウィリアムズが「成人教育と社会の変化」という文章で表現しているように、成人教育は社会の変化を反映して生まれ、変化してきたものではなく、むしろその実践は社会の変化を生み出す実践そのものだったのだ。

 具体的にその変化とは何か。その核心は、まさに前回まで論じてきた、教養/文化の意味と、文化/教養が「役に立つ/立たない」という問題の、問題設定そのものの変化と言えるだろう。誤解を恐れずに言えば、基本的には高等教育の教育内容をモデルとした成人教育の内容は、労働者階級の受講者たちにとって「役に立つ」ものだった。しかし、それはここまで見てきたような意味で(つまり資本主義・産業主義下での労働者の技能として)「役に立つ」ということとはかなり異質なものである。ウィリアムズは以下のように述べている。

成人教育が教化と洗練のプロセスとしてのみ見られているとき、そしてそのような伝道主義的な精神で教育に乗り出した人びとが……「この教養(learning)はどうやって私の人生に結びつくのか?」と尋ねる人びとの決然たる語り(これは功利主義的な問いへと切りつめられがちであるが、実際はそうではない)に直面したとき、洗練や教化といった概念は反教育的なものになりうるのだ。(“Adult Education and Social Change” p.259)

 つまり、逆に言えば、成人教育は教化や洗練(アーノルド的な文化/教養)とは異質な、労働者の「この教養はどうやって私の人生に結びつくのか?」という問いに答えうるような教養/学びを提供する、いや、生み出す場なのだ。そしてここで重要なのは、これは功利主義的な問いではないとウィリアムズが注意書きしていることである。この問いは、前回まで私が記述したロマン主義と功利主義の外側でなされている問いであり、その対立と重ね合わされる意味での「役に立つ/立たない」の対立の外側にある「役に立つ」なのである。

 ここまでの議論は、いまだ抽象的に響くだろうか。だとすればそれは、私の書き方が悪いというよりは、「社会を変化させるものとしての成人教育」の構想が可能であった歴史的条件が失われてしまったからであろう。

 実際、ウィリアムズが上記のように成人教育を実践し、それについて書いていた時代とその直後(1950年代から60年代)に、そのような理想としての成人教育はすでに危機を迎えていたのである。次回はその時代の成人教育の危機の内実を、「歴史的条件の変化」が何だったのかを論じ、それが私たちの時代の教育とそれが想定する「能力」の問題にどうつながっていくのかを考えていく。


参考文献
スティーヴンス、マイケル・D『イギリス成人教育の展開』渡邊洋子訳、明石書店、2000年
矢口悦子『イギリス成人教育の思想と制度──背景としてのリベラリズムと責任団体制度』新曜社、1998年
Kelly, Thomas. A History of Adult Education in Great Britain: From the Middle Ages to the Twentieth Century, 3rd ed. Liverpool UP, 1992.
Williams, Raymond. “Adult Education and Social Change.” Border Country: Raymond Williams in Adult Education. Ed. by John McIlroy and Sallie Westwood. National Institute of Adult Continuing Education, 1993. pp. 255-64.
---. “Science and Culture.” New Statesman. Vol. LVII, No. 1467, 25 April, 1959: 584.

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