心配性なのは進化のせいでもある!? 身近にあふれる「進化」の話|河田雅圭
ダーウィンの『種の起源』が刊行されてから150年以上が経った今、進化論のエッセンスは日常にも浸透しています。「常に進化し続ける」「変化できるものだけが生き残る」。こんな言葉を一度は耳にしたことがあると思います。しかし、実際の生物の進化はそんなにシンプルなのでしょうか。すべての進化は生存に役立つもの? 否、偶然による生存に役立たない進化もあります。生存競争に敗れれば絶滅しかない? 否、そもそも生存競争から逃れ、別の地で生き続けることもあります。生物の進化は私たちの想像以上に多種多様なものなのです。光文社新書の4月新刊『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?』では、そんな複雑だから面白い進化の仕組みを、最新研究も交えて丁寧に解説していきます。本記事では刊行を記念して、「はじめに」をまるっと全部公開。身近にあふれる進化に迫ります。
はじめに
生物の進化は、私たちの身近なところに、様々な形で大きく関わっている。
最近、トコジラミが日本でも増えているという話を聞いたことはあるだろうか。トコジラミは、カメムシの仲間の体長5〜8mmほどの昆虫で、主に布団やベッドに潜み、寝ている人の血液を吸う。外国旅行に行った人や配送された荷物に交じって、そのトコジラミが最近侵入しているというのである。日本でも以前は、普通に見られていたようだが、殺虫剤のおかげでほとんど見られなくなっていた。しかし最近は、殺虫剤に抵抗性をもったトコジラミが進化し、それにより新たな増加をもたらしているという。
同様の抵抗性の進化は農業害虫でも見られ、さらに最近では、スーパーバグ(超多剤耐性菌)と呼ばれるほとんどの抗生物質が効果を発しない細菌が問題になっている。トコジラミ、農業害虫、スーパーバグは薬剤抵抗性を急速に進化させ、人間の脅威となっているのだ。
最も身近で、そしてリアルタイムな進化の体験は、2020年からの新型コロナウイルス感染症の流行であろう。新たな変異株が次々と突然変異によって出現し、そのなかの一部が世界中に広がっていったあとには、また次の新しい変異株が出現して置き換わっていくという進化を目の当たりにした。大きな流行の原因となるコロナウイルスの進化は数カ月から数年のタイムスケールで起こり、実際に観察することができたのだ。
コロナウイルスのような感染症を引き起こす病原体は、我々人間の進化にも大きな影響を及ぼしている。過去1万年、とくに4500年前から感染症の流行によって古代の人々は大きな影響を受けた。古代の人々のゲノム配列を調べてみると、感染症リスクに抵抗する遺伝子の進化が、同時に炎症性疾患のリスクを高めるような進化の原因になったという※1。アレルギーに悩まされるのは、最近の人工的な環境変化の影響ばかりではなく、過去の人類進化の結果なのだ。
普段当たり前に感じる人間の性質も進化によって影響されている。たとえば、日本人の平均身長が低いのは自然選択の結果であり、お酒に弱い傾向も同様だ。また、私たちの思考や知性、性格、感情などの精神的な特性の違いも進化が影響している。私たちの研究では、不安傾向に関わる遺伝子が進化の過程で自然選択を受けたことが示された※2。人間の精神的特性も進化の影響を受けているのだ。宗教を信じやすいかどうかということも、進化の結果である※3。
このように、生物の進化は身近な生物だけでなく、人間個人や社会にも大きな影響を与えている。だからこそ生物進化を理解するということは、害虫駆除や感染症対策、生物多様性の保全といったことから、人間の病気の予防といった直接的な応用にまで繋がるのである。実際に『Evolutionary Applications(進化の応用)』という学術誌があり、様々な研究が行われている。また、人間がいかに進化してきたのかを解明することで、人間の本性や存在についての本質的な理解も可能になる。
しかし、一般には進化というと、過去に生じた大きな変化を連想し、自分とは関係がない、と思っている人が意外と多いかもしれない。また、進化論というと「ダーウィンの進化論」を思い浮かべ、進化とは「生存競争における自然選択による進化」が、その考えの中心だと考える人も多いのではないだろうか。
ただ、実際はそうではない。現在リアルタイムで生じている進化から、過去何万年前からの比較的最近の進化、数百万年から何億年前の進化まで、様々な手法を用いてそのメカニズムが明らかにされつつあるが、解明された進化のプロセスは1つに集約されるものではない。本書でも紹介するように「生存競争における自然選択による進化」というだけでは、進化機構のほんの一部しか理解したことにならないのだ。
私が進化の研究を始めた1980年代の日本では、ダーウィンの進化論に疑義を唱える生物学者は少なくなかった。また多くの生物学者、とくにミクロな現象を扱う生物学者には、進化論は「お話であり、科学ではない」と主張する人が少なくなかった。確かに当時は理論が先行する面もあり、実証データが多いとはいえなかっただろう。
しかし2010年以降、ゲノム配列の解読が比較的容易になり、進化のプロセスをゲノム配列から解析することが可能になった。また、遺伝子編集など様々な生命科学の技術進展も、進化を実証的に検証する可能性を高めた。さらに、数千年前から数万年前のヒトの古代ゲノムが解読され、過去から現在にいたるゲノム配列の変化が観察できるようになった。このように、実証が難しく「お話」にすぎないとみなされていた進化学も、実証可能で重要な生命科学の基礎科学として、さらには応用科学として今は進展しているのだ。かつてのダーウィン進化論は、新たな事実や考えが追加され、現在の進化学として進展してきているといえる。
本書は、進化の概念や仕組みについて、誤解されている点を項目として取り上げた。「ダーウィン進化論は誤解されている」という趣旨の記事は少なくないが、本書は誤解されやすいトピックスを題材に、進化学の基礎を分かりやすく紹介することを目的とした。現代の進化学の視点から、進化がどのような仕組みで生じているのか、進化をどう理解するべきかについて解説することを試みた。
進化のメカニズムは複雑で、「進化はランダムに起こる突然変異と自然選択によって生じる」というように、シンプルにまとめることはできない。進化を理解するためには様々な生命科学の知識が必要であり、とくに遺伝学や集団遺伝学の基礎的な理解が求められる。そのため、一般の人が進化について誤解しているのは、専門的な内容は正確に伝わりづらいという、よく見られる現象の1つといえるかもしれない。
日本では、進化学に関する適切な一般向けの情報が不足しているということも、「誤解」が生まれやすい原因の1つかもしれない。とくに、最新の研究成果をもとにした分かりやすい解説本が存在していない。そういった現状のなか、本書は一般の読者の「間違った理解」を正そうとするものではない。進化は日常生活に深く関わっており、正しく理解することは様々な日常の現象に対する新たな視点や見方を提供する。そのような理解から、1人でも多くの方に、現代進化学が解き明かす進化の現象や仕組みに興味をもっていただければと思う。
一方で、生物進化そのものについて解説した一般書、生物や人間の本性が進化した理由などに言及する記事や書籍などで、誤った進化理解にもとづいた考えを主張している場合も少なくない。また、生命科学の研究者が間違った進化の解説をする場合もある。生命現象の仕組みの解説は正しくても、それがなぜ進化したのかについて言及するとき、誤った説明をする人は少なくない。一般の方には、そのような主張がなぜ誤りなのかを理解するうえで本書を役立たせていただければと思う。
ダーウィン進化論は、様々な思想に都合よく解釈され、悪用された面もある。社会ダーウィニズムや優生学はその代表例だ。このような進化論の誤解や悪用は大きな問題であるが、本書では、そのような思想面での誤用や悪用にはあまり触れない。その点については、千葉聡氏の『ダーウィンの呪い』(講談社現代新書)を参照してほしい※4。
本書執筆にあたって、進化についてほとんど知らない読者にも理解してもらえるように努力した。とはいえ、進化の仕組みを具体的に説明するためには、遺伝学や生物学の事柄を含めて記載する必要があったので、少し難しいと思われる方もいるかもしれない。しかし、よく読んでいただければ理解できるように書いたつもりである。本書は、進化学の入門書にもなっていると思うので、幅広い読者の方に読んでいただければ幸いである。
G. Kerner, et al., Genetic adaptation to pathogens and increased risk of inflammatory disorders in post-Neolithic Europe. Cell Genom. 3, 100248 (2023).
D. X. Sato, M. Kawata, Positive and balancing selection on SLC18A1 gene associated with psychiatric disorders and human‐unique personality traits. Evol. Lett. 2, 499–510 (2018).
河田雅圭「人はなぜ宗教を信じるように進化したのか」
千葉聡『ダーウィンの呪い』講談社現代新書(2023)
目次
はじめに
第1章|進化とは何か
1‐1:そもそも進化とはなんだろうか?
1‐2:有害な進化も起こりうる
1‐3:ダーウィン進化論は時代遅れ?
第2章|変異・多様性とは何か
2‐1:突然変異はランダムなのか?
2‐2:多様性は高ければいいってもんじゃない
2‐3:受け継がれるのは遺伝子だけか?
第3章|自然選択とは何か
3‐1:種の保存のために生物は進化する?
3‐2:生物は利己的な遺伝子に操られている?
3‐3:生き残るためには常に進化しないといけない?
第4章|種・大進化とは何か
4‐1:進化=種の誕生か?
4‐2:大進化は小進化で説明できないのか?
おわりに
より詳しい目次はこちらをどうそ!
著者プロフィール
河田雅圭(かわたまさかど)
1958年、香川県生まれ。帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業、北海道大学大学院農学研究科修了(農学博士)。静岡大学教育学部助教授、東北大学大学院理学研究科助教授、東北大学大学院生命科学研究科教授などを経て、2023年から東北大学教養教育院総長特命教授、名誉教授。専門は進化学、生態学。ヒトを含め様々な生物を対象に、ゲノムレベルから集団などのマクロレベルをつなぐ進化研究を行ってきた。’17年に日本進化学会学会賞および木村資生記念学術賞受賞。’20年に日本生態学会賞受賞。著書に『はじめての進化論』(講談社現代新書)、『進化論の見方』(紀伊國屋書店)、『進化学事典』(編集および数項目執筆、共立出版)など。進化についての解説記事をnoteで公開している。
河田先生のnoteはこちら!
こちらでは寄せられた質問に河田先生自ら回答もされています!