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第九章 ラオウ杉本裕太郞――オリックスはなぜ優勝できたのか by喜瀬雅則

早くも増刷の『オリックスはなぜ優勝できたのか』。本記事では第九章の冒頭を公開します。以下、本書の概要です(光文社三宅)。

下馬評を大きく覆し、2年連続最下位からのペナント制覇は、いかに成し遂げられたのか? 逆に、なぜかくも長き暗黒時代が続いたのか? 黄金期も低迷期も見てきた元番記者が豊富な取材で綴る。
1994年の仰木彬監督就任まで遡り、イチロー、がんばろうKOBE、96年日本一、契約金0円選手、球界再編騒動、球団合併、仰木監督の死、暗黒期、2014年の2厘差の2位、スカウト革命、キャンプ地移転、育成強化、そして21年の優勝までを圧倒的な筆致で描く。
主な取材対象者は、梨田昌孝、岡田彰布、藤井康雄、森脇浩司、山﨑武司、北川博敏、後藤光尊、近藤一樹、坂口智隆、伏見寅威、瀬戸山隆三、加藤康幸、牧田勝吾、水谷哲也(横浜隼人高監督)、望月俊治(駿河総合高監督)、根鈴雄次など。

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「最後、ここが一番面白いギャンブルなんですよ。大化けするか、万馬券になるか、ならないか」

第九章 ラオウ杉本裕太郞

当たったら、飛ぶ。
大砲候補につく枕詞は、このフレーズと半ば決まっている。ただ、その行間からは「当たる確率も低い」という懸念が、常ににじみ出ている。
杉本裕太郎は、期待と不安が相まったその「冠」を、長らく背負い続けてきた。
2015年(平成27年)ドラフト10位指名。
12球団が支配下選手枠で指名した総数は88人。杉本は、全体の最後から2番目、87番目で指名された選手だった。
1位の吉田正尚は青山学院大時代の2年後輩。当時も杉本が4番、吉田が3番を打った。
社会人の強豪・JR西日本を経てのプロ入りは24歳の時だった。
当時、編成部長だった加藤康幸は、「びっくり箱、特別推薦枠だね」
杉本の〝ブービー指名〟に踏み切った理由を、楽しそうに明かしてくれた。

加藤が編成部長として本格的に動き出して、2年目のシーズンだった。
ドラフト会議直前、指名選手の候補リストを最終的にまとめる頃だった。
その前年を含め、2年連続で中四国エリアから指名選手が出ない流れになりつつあった。
「2年連続ともなると、さすがに仕事してないってなっちゃうぞ?」
冗談交じりで、加藤がその担当スカウトに忠告した時だった。
「ソフトバンクの3軍との練習試合で、場外ホームランを2本打ったヤツがいます」
スカウトには、必ずプレーの映像を撮るように通達してある。
「じゃあ、それ、もう一回見せてよ」
広島市にあるJR西日本のグラウンドには、レフト側スタンドの奥に、打球が外へ出ていかないように、防御用の高いネットが張り巡らされている。
杉本の一撃は、そのはるか上を通り過ぎていった。
加藤は、高い放物線を描いた杉本の打球に、長距離砲としてのロマンを見出した。
「オリックスには、他にあのタイプがいない。だから、俺の中では、これはいいんじゃないかなと思ったんです」
その当時のサイズも身長190センチ、体重88キロを誇る、デカい右打者だった。ただ外野守備も走力も、プロの世界では並のレベル。つまり、打てなければ存在意義はない。
打つだけなら、外国人の方がパワーがあるというのが、この世界の定説でもある。
だから、こういう「打つだけ」「ポジションが一塁か外野」「スピードがあまりない」という「大きな日本人選手」というのは、どうしても敬遠されがちになる。
その一方でJR西日本側からは、杉本がプロ志望で、指名順位にこだわっていないことも伝えられていた。上位指名でなければ、社会人出身でも契約金は低めに抑えられる。
ならば、獲っておいて、損はないだろう。
日本人離れした飛距離とシビアなソロバン勘定も踏まえ、加藤は杉本の指名を決断した。

吉田正尚を単独での1位指名に成功。2位には、即戦力投手として、社会人のパナソニックで活躍する右腕・近藤大亮、3位には好守の内野手、立教大の大城滉二を指名した。
5位には夏の甲子園優勝校・東海大相模でダブルエースの1人として活躍した右腕・吉田凌、6位には同じく夏の甲子園の準優勝エース、仙台育英の佐藤世那を指名した。
「2人のうち、どちらかが出てくればいい。2人なら切磋琢磨して、競り合って、ライバル心も生まれてくるから、相乗効果が生まれる」という加藤の狙いも込めた、甲子園での〝決勝対決投手〟のW獲得は、メディアでも大きな話題を呼んだ。
佐藤は1軍登板のないまま3年で戦力外となったが、吉田は2020年に35試合、2021年は8月に1軍昇格し、後半戦の18試合に登板、貴重な中継ぎ役として優勝に大きく貢献している。
9位まで投手6人、内野手2人、外野手1人。
補強のバランスもいい。欲しい選手は戦略通りに獲れた。予算の関係もある。
ここで「終了」という指示が、球団のトップからも届いた。
そこに、加藤が「待った」をかけた。
「いやいや、最後、ここが一番面白いギャンブルなんですよ。大化けするか、万馬券になるか、ならないか、というところ。最後の最後が一番面白いんです。残っていて、これだというのがいたら、獲った方が契約金の金額も安いし、話題にもなるしね」
その年、ドラフトの本指名で10位まで指名したのは、オリックスと西武の2球団だけ。
最後から2番目で「杉本裕太郎」の名前が、会場に高らかにコールされた。

漫画『北斗の拳』のキャラクター「ラオウ」を愛するあまりに「ラオウになりたい」
いつの間にか、ファンの間でも、選手にも、監督にもコーチにも、報道陣からも、ごくごく当たり前のように、杉本は「ラオウ」と呼ばれるようになった。
そのいかめしいニックネームの男は、珍記録を作っている。
プロ3年目の2018年(平成30年)に、プロ野球史上8人目となる「出場2戦連続満塁弾」をマークしているのだ。
ただ、記録の注釈をよく見れば「2戦連続」の上に「出場」が付いている。中5日置いての達成だ。杉本は満塁弾を打っても、しばらく試合出場から遠ざかっていたのだ。
プロ3年で放ったヒットの5本の中に、シングルヒットがなかった。
本塁打が3本、二塁打が2本。つまり、長打のみの5安打。しかも、プロ3年間での17試合・計34打席で11三振を喫している。
当たれば、確かに飛ぶ。しかし、確実性からは程遠い。これでは、レギュラーどころか1軍の代打要員としても使いづらい。
社会人出身とあって、年齢も20代後半。だから、毎年のように「戦力外リスト」の俎上に上がっていると噂された一人だった。
このままでは、もったいない。
オリックスの球団スタッフで、1軍ブルペン捕手を務めていた瓜野純嗣は、打撃練習で捕手役を務めながら、間近で見続けてきた杉本のスイングに魅せられた一人だった。
「まとまったら、化けそうな気がするんですよ。きっかけさえつかめれば、ラオウはホームラン王を目指せるような逸材ですから」
瓜野はかつて、独立リーグの四国アイランドリーグプラスの福岡球団(現在休止)でプレーを続け、NPB入りを目指していたキャッチャーだった。
その独立リーグ時代に、とんでもない左打者に遭遇したという。
軸足の左足に体重を残したまま、筋肉の塊のような体をグイっと旋回させる。
アッパースイング気味に、思い切りかち上げた打球が、どでかい放物線を描いていく。
「迫力がありました。あの時は、日本でそんなに見られなかったんですけど、その当時から、メジャーの打ち方だったんですよ」
それが、同じ独立リーグのライバル球団・徳島でプレーしていた根鈴雄次だった。
「あの人」に見てもらったら、ひょっとしたら、何かが変わるかもしれない。
漠然とした思い付きが、その後の杉本を大きく変えることになるとは、瓜野ですら、当時はまだ想像もできていない。(続く)


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