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ISから息子を救出した家族の実話がすごい!―398日間をどう生き延びたのか?

光文社新書編集部の三宅と申します。今回は近日公開予定の映画とその原作本を紹介します。

まず、映画の方はこちら。2月19日全国公開の『ある人質 生還までの398日』です。監督のニールス・アルデン・オプレヴ氏は『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』を手掛けたことで知られていますね。

その原作本はこちら。『ISの人質 13カ月の拘束、そして生還』(光文社新書)です。著者はデンマーク人ジャーナリストのプク・ダムスゴー氏です。彼女が、ISに人質に取られ、九死に一生を得て生還した同じくデンマーク人の写真家ダニエル・リュー氏への取材を基にまとめたのが本書です。

本書は500ページ近くあり、新書としてはかなり厚い部類になりますが、正直、読み始めたら止まりません。内側から見たISの実態、人質たち間に芽生える友情、必死に救出に動く専門家や家族の作戦や苦悩など、読みどころ満載です。これが現実に起こったこととは、俄かには信じられないかもしれません。

そして、このボリューミーな内容を2時間ほどの映画にどうまとめるのかと思っていたのですが、これがとてもよくできているのです。

私は担当編集者ですから、原作の新書を翻訳者の山田美明さんの次に読み込んでおり、話の展開も頭に入っています。にもかかわらず、ハラハラドキドキ、手に汗を握りすぎてハンカチがグシャグシャになってしまいました。それでいて、原作の重要なエピソードはしっかり押さえられています。また、文章だけではイメージしにくい場面は、納得感のある素晴らしい映像に仕上がっていました。原作を知っていても十分に楽しめるだけでなく、原作を知らずに観ていたらどれだけ衝撃的だったか……。

主人公であるデンマーク人の人質ダニエル・リュー氏は日本では知られていませんが、アメリカ人の人質ジェームズ・フォーリー氏の名は多くの人がご存じでしょう。囚われの間、ダニエルはジェームズと親交を深め、何度も精神的に救われます。ジェームズは悲しい最期を迎えますが、ダニエルが彼の葬儀に参加し、彼の親族たちと悲しみを分かち合う感動的なシーンもあります。

映画も新書もともにおススメです。どちらが先でも両方楽しめることは保証します(単に楽しいのではなく、深く考えさせられる内容でもありますが)。

これから数回にわたり、映画の紹介とともに、原作本『ISの人質』の本文を公開していきます。まずは、目次と登場人物紹介と序章です。本書が書かれたときの状況や背景がよくわかると思います。登場人物は映画と共通ですので、映画を観る際の予習にもなるでしょう。

ちなみに、原作・映画ともに重要な役割を果たすアートゥアという人物がいます(彼のみ仮名)。ジェームズやダニエルなどISの人質救出の先頭に立つコンサルタントです。その彼のキャラクターや仕事の進め方があの名作コミック『MASTERキートン』に非常によく似ているのです。『MASTERキートン』の人質救出エピソードをご記憶の方は、本作品を見て大いに納得するはずです。

ISの人質  目 次

第一章 ジム、誕生日おめでとう 

第二章 ヘデゴーのエリート体操選手

第三章 シリア周遊旅行  

第四章 首の鎖  

第五章 小児病院の人質たち  

第六章 ダニエルとジェームズ 

第七章 ダニエル、月が見える?

第八章 囚人服で見た世界  

第九章 暗闇からのメール  

第一〇章 実験  

第一一章 お母さん、ダニエルだよ  

第一二章 再び自由に  

第一三章 砂漠の死  

あとがき

本書に登場した外国人の人質 

本書について  

解説 佐藤優[作家・元外務省主任分析官]

本書の主な登場人物

ダニエル・リュー…写真家。元デンマーク代表体操選手。シリアで拘束される
アートゥア…保安が専門のコンサルティング会社のオーナー
ヤン・グラルップ…ベテラン戦場記者・報道写真家
スサネ・リュー…ダニエルの母親
ケル・リュー…ダニエルの義理の父親
アニタ・リュー…ダニエルの姉
クリスティーナ・リュー…ダニエルの妹
シーネ…ダニエルの恋人

【人質たち】
ジェームズ(ジム)・フォーリー…アメリカ人、フリージャーナリスト
ピエール・トレス…フランス人、フリージャーナリスト
ジョン・キャントリー…イギリス人、ジャーナリスト
カイラ・ミューラー…アメリカ人、人道支援活動家

【IS関係者】
アブ・バクル・アル・バグダディ…ISの指導者
アブ・アシール…ムジャヒディン・シューラ評議会の指導者。ISに合流
アブ・フラヤ…拷問人。アブ・アシールの部下
アブ・スハイブ・アル・イラク…元イラクの軍人。ISの有力者
アブ・ウバイダ・アル・マグリビー…オランダ出身のISの有力者
ジハーディ・ジョン…ISのイギリス人戦闘員
イェユン・ボンティンク…ISのベルギー人戦闘員

 二〇一三年五月末のある日の午後、電話が鳴った。シリアのヤブルードという街に二週間ほど取材旅行に出かけ、ベイルートにある宿泊先に帰ってきた矢先のことだった。ヤブルードはダマスカスから少し北に行ったところにある。この取材旅行は、シリア政府がその街に戦闘機を送り込んできたために唐突に終わった。爆弾が近隣に落ち、私たちが泊まっていた建物の窓を粉々に砕いた。そのため私は、一緒に組んでいた写真家とともにシリアを離れ、国境を越えてレバノンに帰ることにしたのだ。

 私たちは、絶え間なく命の危険を感じながら数日間続けて仕事をしていたため、すっかり疲れ果てていた。危険を感じたのは、この爆撃だけではない。その地域には、シリアの反政府軍を構成するさまざまな組織が存在する。こうした組織も信用できなかった。そこから少し南で、すでにフランス人写真家が拘束されている。ヤブルードの雰囲気は、数か月前に滞在したころからかなり変わっており、誰に会うにせよ気をつけなければならなかった。

 私が体力を回復しようとソファに手足を投げ出して横になっていると、電話が鳴った。相手は、ベテラン戦場カメラマンのヤン・グラルップだ。いきなりこの会話の内容は極秘だと言われたので、私はソファの上に身を起こした。話によると、ヤンの助手を務めていたフリーランスのデンマーク人写真家ダニエル・リューが、シリア北部で何者かに拘束されたらしい。

「シャリア(訳注:イスラム教の法律)法廷にコネのある人物を知らないか?」とヤンが尋ねる。
「いえ。ぱっと思いつく人は誰も」私は答えた。

 入手できる限られた情報によると、この事件にはイスラム過激派の組織が関与しており、どうやらシャリア法廷で裁判にかけられることになるという。だが細かいことはヤンもほとんど知らないようだった。私は、何の力にもなれない自分がはがゆかった。真っ先に考えたのは、ダニエル・リューの両親のことだ。私は常々思っていた。私がそんな目にあったら、両親はこの上なく苦しむだろう。私がどこにいるかもわからず、じっと待っているほかないのだ。そう考えるととても耐えられない。

 ダニエル・リューのこの一件は、この職業が重大な危険にさらされていることを如実に示すさまざまな事件の一つでしかない。シリアでは、外国人の同業者が何人も拘束されている。私たちがそんな話をよくしたのは、自分も不安だったからだ。基本的には、私たちは例外なく拘束される可能性がある。つまり、シリアで展開される悲劇を報道し、戦争の重要な情報を伝えることが、次第に難しくなりつつあるということだ。

 それから一年の間に、拘束される外国人の数は増えていった。中東で活動するジャーナリスト全体に不穏な空気が広がった。私の狭い交友範囲の中でもこうした事件が話題になった。私が知っている人が何人も、終わりのわからない監禁生活を強いられている。二〇一三年の九月と一一月、二〇一四年の六月にまたシリアに行ったが、恐怖感は高まるばかりだった。

 私たちの活動を制限していたのは、イスラム原理主義組織ISISだった。ISISがたとえ支配している地域から姿を消したとしても、その触手はシリア人社会やその精神にまで深く浸透している。二〇一四年六月にシリア北部で会った武装した男は、何をしでかすかわからない野蛮な目をしていた。車の運転をしてくれた親切な男は、ISISの元戦闘員だった。「今は違いますよ」と私を安心させてくれはしたが。

 バグダッドでも、ISISの存在から逃れることはできない。二〇一四年春、ISISはシーア派の選挙集会が開かれていたスタジアムを攻撃した。そこには、子供も含め、数千人の男女が詰めかけていた。私がその集会を取材していると、最初の爆弾が炸裂した。私はすっかり聴覚を失いながらも、仮設露店の冷凍庫の後ろに隠れた。そして、激しい銃撃が続く中、通りを走り抜けていった。するとその直後に、自爆犯を乗せた車が道を逆方向へ走っていく。間一髪だった。背中に爆風を感じた。この一日で四〇人以上が死んだ。その春、この地域に訪れた喜ばしいニュースといえば、拘束されていたヨーロッパ人数名が身代金と引き換えに解放されたことぐらいだった。ダニエル・リューもその一人だった。

 二〇一四年八月のある晩、私がイラクのホテルの一室にいたとき、ある動画がユーチューブにアップロードされた。ジェームズ・フォーリーというフリーランスのアメリカ人ジャーナリストが殺害される動画である。シリアの砂漠でオレンジ色の囚人服を着てひざまずかされ、ISISの死刑執行人に命を奪われたのだ。私はその日の夜、あるアメリカ人の同業者とビールを飲む約束をしていたが、その女性は動画にすっかりショックを受け、約束をキャンセルしてきた。私もその夜は眠れなかった。この事件は、ジェームズ・フォーリーやその家族にとって許しがたい悲劇であると同時に、ジャーナリズムに対する野蛮な攻撃でもある。それまでは、戦争を報道している最中に弾丸や爆弾で攻撃されるかもしれないというどうしようもない事実を覚悟しておく、あるいは愛する人に覚悟させておくだけですんだ。しかしここまで来ると、もはやそれだけの覚悟ではすまない。

 今やジャーナリストである私は、格好のターゲットだった。価値の高い政治的手段として意のままに利用されるおそれがあるのだ。確かに、そのような戦術がこれまでなかったわけではない。だがその脅威を自分に関することとして、これほど身近に感じたのは初めてだった。それでも私は、ISISの拠点であるラッカを訪れ、イスラム原理主義者の様子や、彼らが一般市民のために築き上げた生活をどうしても描写したかった。彼らを綿密に調査し、その正体を突き止めたかった。こうした情報から遠く隔てられていることに苛立つあまり、頭から爪先まで黒ずくめの衣装に身を包み、地元の人間に扮装してラッカを訪れようかと真剣に考えたこともあった。
 

 しかし私は、結局それよりも次善の策を選んだ。自分の報道スキルを利用して同業者の身に起きたことを描写し、それを通じてISISの核心に近づくことにしたのだ。ダニエル・リューは、ジェームズ・フォーリーとともに拘束されていた。そこで私は、共通の知り合いを通じてダニエルにメッセージを送り、ISISに拘束されていた一三か月間について話を聞かせてくれないかと頼んだ。するとダニエルは、フェイスブック上でこんな返事を寄こしてきた。

「やあ、プク。ダニエル・リューです。ぼくのことは聞いているよね。去年仕事でちょっと危険な目にあった。ハッピーエンドで運がよかったよ」

 私たちは、二〇一四年一〇月初旬のある金曜日、コペンハーゲン中心部にある地下のレストランで初めて会った。そして、ダニエルの経験を一般大衆に伝える必要があることで意見が一致した。

 本書は、近年まれに見る注目を浴びた誘拐事件から生還した人物の物語だ。この事件を引き起こしたのはイスラム過激派であり、欧米の大半の国がこのイスラム過激派と戦争状態にある。デンマークも二〇一四年一〇月に戦闘に参加した。

 シリア北部のラッカにある収容所には、一三か国から来た二四人の人質(女性五人、男性一九人)がいた。ラッカを支配するのは、イスラム国あるいはISIS(イラクとシリアのイスラム国)を名乗るテロ集団だ。この組織は、イラクとシリアのかなりの地域を制圧し、支配下に置いている。ダニエル・リューはこの人質の一人だった。本稿執筆時点で、ダニエル以降生きて帰ってこられた人質は一人もいない。同じ部屋に収容されていた仲間のうち六人は、解放されることなく殺された。

 本書は、ダニエル・リューやその家族との対話、および無数のインタビューに基づいて記された物語風のノンフィクションである。きわめて残忍なテロ組織に拘束されたダニエルが解放されるまでの過程をたどるために、ほかにも多数の関係者から話を聞いている。かつて同じ収容施設にいた人、イスラム聖戦士、この事件やダニエル・リューを拘束した人々について広範な知識を持つ世界各地の影の情報筋などである。

 また、誘拐事件の専門家で保安コンサルタントでもあるアートゥアの存在も忘れてはいけない。ダニエル・リューや、同じ収容施設に拘束され、シリアで命を落としたアメリカ人ジェームズ・フォーリーの捜索を指揮した人物である。アートゥアというのは本名ではない。世界中で人質解放の交渉をするには、それだけ用心深い生活を送る必要がある。そのため、本来は自分の仕事について語ることなどまずないが、それでも本書に協力してくれたのは、この事件から学ぶべきことがたくさんあると考えたからだという。実際、アートゥアの言うとおり、ダニエルの経験は「命があれば希望もある」ことを証明している。

 本書は、ダニエル・リューや関係者が経験した事実、記憶している事実を記している。殺害された人、いまだに拘束されている人、生き延びた人、およびその家族に敬意を表したい。

 プク・ダムスゴー、カイロ、二〇一五年九月

(続く)



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