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『ホークス3軍はなぜ成功したのか?』喜瀬雅則著/第1章26808字公開

光文社新書編集部の三宅と申します。目次、序章に続き『ホークス3軍はなぜ成功したのか?』の第1章を全文公開します。1章分とはいえ、25000字を超える文字数で、たいへん読みごたえがあります。本章の主役は小林至氏です。東大出身のプロ野球投手ということで、入団当時非常に話題になり、引退後も、メディア露出の多い方でしたが、実はその小林氏が、ホークス3軍の創設にあたり、大きな役割を果たしていたのです。3軍創設という、ある種のイノベーションを起こそうとした氏には、様々な壁が立ちはだかります。それはどのように乗り越えられていったのか? また、3軍制の理論的なバックボーンとは何か? 野球本でありながら、ビジネス的にも学びの多い内容です。

第1章 3軍を創る

「3軍制」の原点

東京・秋葉原から「つくばエクスプレス」の区間快速で27分。
「流山おおたかの森」で降り、駅前から出ているスクールバスでおよそ5分。
江戸川大学は、千葉県流山市の閑静な住宅街の中に位置している。
1990年(平成2年)4月に開学した総合大学には2学部・6学科がある。
小林至は、2006年(平成18年)から、社会学部経営学科の教授に就任している。
話を先に進める前に触れておくと、2005年(平成17年)から小林はソフトバンクの球団取締役に就任し、球団に10年間在籍することになるのだが「ありがたいことに、大学には、ずっと籍を残したままでした」という。
東大出身者では史上3人目となるプロ野球選手だった小林だが、その現役生活は練習生時代を含め、わずか3年間に過ぎなかった。
この〝不遇の思い〟を昇華させたともいえる小林の構想が「3軍制」の原点でもある。
 
小林は、現役引退の翌年にあたる1994年(平成6年)に渡米した。
1996年(平成8年)にコロンビア大経営大学院修了、MBA(経営学修士号)を取得している。フロリダのテレビ局に入社し、スタッフとして働いた経験もある。
米国生活は7年間。その帰国後は、江戸川大学で教鞭を執る傍ら、スポーツライターとしても、活躍の場を広げていた。
著書の中に、小林自身が、将来の自分を予言しているページを見つけた。
『プロ野球ビジネスのしくみ』(宝島社新書・2002年)では、福岡ダイエーホークスオーナー代行(当時)の高塚猛や、オリックス・ブルーウェーブ球団社長(当時)の岡添裕に、小林自らがインタビューしている。
元プロ野球選手ならではの視点、米国で最先端のスポーツビジネスを学び、スポーツマスコミで働いた経験から気づく日本のプロ野球ビジネスへの「謎」と「疑問」を、舌鋒鋭く切り込んでいる。
その岡添とのやり取りの中から〝実現した予言〟を、ここに抜粋してみる。

岡添「それより、小林さんは将来何をやりたいんですか? プロ野球経営に携わってみる気はありませんか?」
小林「それは大いにありますね」
岡添「オリックスはどうですか(笑)? 実際ウチに来て勉強してみればいいと思いますよ。僕はあなたみたいなスポーツビジネスを真剣に考えている人を求めているんです。僕は球団を見るというより、会社全体を見る立場にあります。そして、将来の幹部を育てる義務もあります。しかし、残念ながら今のプロ野球OBにはあなたのような人はなかなかいない。本当にどうですか? やってみませんか?」
(167ページより)

プレーヤーとしての経験。アカデミックな観点。スポーツマスコミの視点。
この稀有なキャリアに着目したのが、ソフトバンクのオーナー・孫正義だった。
孫は小林の著書『合併、売却、新規参入。たかが…されどプロ野球!』(宝島社・2004年)を読み、ダイエーから球団を買収し、球界へ参入することになった2005年(平成17年)、小林を取締役として球団に招聘したのだ。
その5年後の2010年(平成22年)に、小林はチーム編成、選手の育成、新人選手の獲得など、チーム作りに関わるすべての総指揮を執る「編成育成部長」に就任した。
翌2011年から、育成に特化した「3軍制」がスタートすることになる。
当時、その一大プロジェクトの狙いや、今後の育成方針について、小林に一対一でインタビューする機会を、2度設けてもらったことがあった。
だから、今回の取材は、まるで当時の復習作業のようだった。
当初、取材時間としてお願いしていたのは30分。しかし、小林の熱い口調に引き込まれるうちに、こちらもすっかり時が経つのを忘れてしまっていた。
時折脱線し、当時の思い出話が出てくると、互いにうなずき合った。質問を重ね、その細部を確認しているうちに、メモを取るノートのページが、どんどんと重なっていった。
いつの間にか、3時間近くは続いていたようだ。
昼下がりに訪問した小林の研究室の窓の外は、すっかり真っ暗になってしまっていた。
「土台を作ったという自負はあります」
小林至がいなければ「3軍制」は、構想の段階で「幻」に終わっていただろう。

球界再編とダイエーの行き詰まり

2005年(平成17年)
戦前の昭和時代から脈々と続くプロ野球の歴史において、この年は「再出発」とも位置づけられる、一大転換期だったともいえる。
大阪近鉄バファローズとオリックスの球団合併構想を足掛かりに、12球団から10球団への「球界再編構想」が持ち上がったのは、その前年、2004年(平成16年)のことだった。
オーナー側は近鉄とオリックス、さらにもう1組の球団合併、それに伴う「1リーグ・10球団制」への球界再編計画を推し進めようとした。
巨人以外の11球団は、すべて赤字。
それが、当時のプロ野球界の「定説」でもあった。
12球団から10球団への再編は、市場規模に応じての経営戦略であり、そうすることで各球団の赤字幅が縮小し、さらには黒字化への道が開け、適正な球団経営が可能になる。
オーナー側は、その「経営戦略上の理由」を主張し続けた。
しかし、12球団制の存続で一致団結した選手会の反対姿勢も強硬だった。
球団合併は、経営上の判断と解釈され、労働界においては、こうした経営事項を議論のテーブルに載せることは、団体交渉ではなじまないものとされている。ただ、再編問題が長期化するにつれて、経営者サイドが貫こうとする「理」が、かえってその冷徹さを強調してしまうという、何とも皮肉な流れを生んでいったのも、また確かだった。
オーナー対選手。その対立構図は、経営者対労働者、会社対組合という、ビジネス界にも投影しやすい事象である。さらに強者=オーナー、弱者=選手という勧善懲悪のドラマのごとく、話が展開していくことで、徐々に「選手側」を後押しする世間の風も強くなっていく。
シーズン中にも断続的に労使交渉が繰り返されたが、妥協点が見出せずに決裂。選手会側は、9月18、19の両日にストライキを強行した。
シーズン中に初めて、選手たちが、自分たちの意思で、試合をボイコットしたのだ。
こうした未曽有の混迷が続く中、ダイエーグループの経営が完全に行き詰まっていた。
 
昭和の高度経済成長期に、ダイエーは驚異的な急成長を果たした。
客との一対一の対面販売だった小売りの形態が、大量生産、大量消費へと時代が移り変わっていく中で、大型店舗で客が自由に商品を選び、まとめて支払いを行う、アメリカ型の「スーパーマーケット」の業態が、時流にマッチしたのだ。
それは「流通革命」と呼ばれ、ダイエーはそのフロントランナーとなった。
出店した土地を担保にして調達した新たな資金を元に、次の新規出店を展開していくことで、一気に全国へとその勢力を伸ばしていった。
それは、日本経済が右肩上がりで成長を続けることを信じていた昭和の「土地神話」、つまり、地価が下がらないという前提での「拡大戦略」だった。
日経平均株価が、いまだに破られない終値の最高水準、3万8915円87銭を記録したのは、1989年(平成元年)12月29日の大納会のこと。しかし、その平均株価が2万円を割ったのは、そのわずか2年3か月後の1992年(平成4年)3月。バブル経済が崩壊することで地価の大幅下落が起こると、それがダイエーの持つ資産価値の急落へとつながった。
まさしく、負のスパイラルに入り込んだ。
そこに、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災が、グループの苦境にさらに拍車をかける。当時の基幹店があった神戸・三宮が壊滅的な被害を受けたのだ。
経営難に陥ったダイエーは、グループ企業の解体、売却を余儀なくされることになる。
女子バレーボール部と陸上部は、グループの経営悪化に伴い、1998年(平成10年)に、そろって休部が発表されていた。
こうした泥沼での経営の中で、そもそもが「赤字体質」といわれたプロ野球球団の存在がクローズアップされるのは、まさしく、必然の流れだった。

too big to fail
ダイエーは「大き過ぎて潰せない」と言われた。
2001年(平成13年)には、グループ全体の有利子負債は2兆円を超えた。
これだけの経営規模を誇る大企業が仮に経営破綻すれば、日本経済全体に与える影響はあまりにも大き過ぎる。
そこで当時、ダイエー再建のために作られたとまで言われたのが「産業再生機構」だった。
同機構は、5年間の時限的な組織として2003年(平成15年)に発足した。
経営不振に陥った企業の貸付債権を同機構が銀行から買い取り、公的な管理下に置く形で企業の再建を支援するために、国も出資し、官民共同で作られた株式会社だ。
ダイエー本社は、産業再生機構を使わない、自力での再建を模索し続けていた。
しかし、政府の方針は、問題の先送りを認めず、あくまで産業再生機構の活用による経営再建にあたるべきというものだった。
こうなると、ダイエー再建は「国策」ともいえるマターだ。
その「核心の情報」を、政府筋からいち早く手にしていたオーナー側は、こうした経済の動きと連動させたシナリオを描いていたとされている。
まず、ダイエーが〝機構入り〟をする前にグループから球団を切り離し、球界としてダイエー球団を救済する。そして、オリックスと近鉄に続き、ダイエーともう1球団との合併球団を作ることで「10球団・1リーグ制」への再編を行うというものだ。
つまり、ダイエー球団の救済と、リーグ再編の一石二鳥を図ったわけだ。
ダイエーとの合併構想で、最有力候補と目されたのはロッテだった。
ロッテグループの経済拠点でもある韓国と地理的にも近く、人的にも経済的にも交流が深い福岡を本拠にするダイエーとの合併には、グループの経営面としても、大きなメリットがあるとみられていた。
実現へ向け、懸命に調整が図られた「ダイエーとロッテ」の球団合併だったが、親会社のビジネスが複雑に絡んでくると、野球界だけの事情だけでは簡単に事が進まない。ダイエーが「産業再生機構」による経営再建を渋り、球団の切り離しの動きが遅れたことも響いた。
大山鳴動して……の結末は「2リーグ・12球団制の存続」だった。
オリックスと近鉄の球団合併は当初のプラン通りに進められた中、近鉄不在の「穴」には宮城・仙台市を本拠地とする楽天球団の新規参入が決まった。
さらに、〝機構入り〟することで親会社が〝消滅〟したダイエー球団は、ソフトバンクへ売却・譲渡された。
孫が小林に白羽の矢を立てたのは、こうした一連のタイミングでのことだった。
球団経営という新規ビジネスに挑むソフトバンクからの「ヘッドハンティング」だった。

「編成育成部」

小林は、入団してからの5年間は「連盟担当」を務めていた。
それは、球団経営に軸足を置いたビジネスの色合いが濃いポジションで、IT企画といった、将来の球団経営の中核を担うとみられていた分野の新開発に尽力していた。
パ6球団が株主となり、試合映像の配信などに関し、合同でビジネスを行うパシフィックリーグマーケティング(PLM)を設立したのは2007年(平成19年)のことだった。
小林は、PLMの初代執行役員も務めている。
試合の放映権は、球団の収入で大きなウエートを占める。
かつて、巨人戦の地上波中継での放映権料は、1試合1億円ともいわれていた。
巨人のみならず、セ・リーグの他の5球団には、これがドル箱でもあり、球団経営の支柱的存在でもあった。
球界再編騒動の真っ只中の2004年、セ・リーグは年140試合制だった。
この場合、巨人を迎えてのホームゲームを、セの5球団は14試合ずつ組める。単純計算で、巨人戦の放映権料は14億円になる。
2000年代初めの当時、球団経営にかかる年間コストは、低いところで60億円、高いところでも100億円前後とみられていた。
それだけに「巨人戦の放映権料」の比率は、非常に大きなウエートを占める。
この既得権を、セの各球団は手放したくなかった。1リーグ制への再編に関して、セ・リーグの一部球団が抵抗を見せたのは、ここに大きな理由がある。
この「放映権」を、米メジャーリーグのようにリーグが一括管理し、その収益を各球団に配分する形が理想と言われ続けながら、いまだに日本では実現していない。
そこで、パ6球団だけで、この一括管理のシステムを発足させたのだ。
球団単独で、各地域のテレビ・ラジオ局と放映権の契約を結ぶ形は基本的に変わっていないものの、いまや、テレビの地上波中継自体が激減し、その放映権料も大幅減とみられている。
その一方で、パソコンやスマホの画面で試合を見るスタイルは、当たり前の時代でもある。
PLMでは、試合の映像をリアルタイムで配信している。さらに試合後やオフシーズンでも、繰り返して見られるようなサービスも行っている。
スマートフォンは「動くインターネット」と言われる。
映像を見るためのデバイスは、気軽に持ち歩ける。野球を見るのに、テレビの前に座っている必要はない。いつでも、どこでも、時間や場所を問わずに、試合を見たい。
試合というコンテンツの魅力は、同時性と臨場感だ。
いつでも呼び出せるようにしておかなければ、ファンは他のスポーツ、いや、他のコンテンツに、あっという間に流れてしまう。
こうした先見性を持った新ビジネスを、小林はPLMで先頭に立って手がけていた。
もちろんやりがいはある。それでも、元プロ野球選手は現場の血が騒ぐ。
2010年(平成22年)に、ソフトバンクは「編成部」と「育成部」を一つにした「編成育成部」を発足させた。
選手の獲得、育成、チームの体制作り、監督、コーチ、そしてメンバーの編成。
勝つためのチーム作りという、いわば川上から川下まで、そのすべてを管轄する「編成育成部長」に小林が就任することになったのだ。
球団内で「3軍制構想」の話が浮かび上がってきた、ちょうどその頃だった。

「試合に出ないと、うまくならない」

小林は、かねてから日本の育成システムの「乏しさ」を痛感していた。
それは、プロ野球選手としての日々を送る中で感じた、拭い去れない「疑問」でもあった。
「現役のとき、僕みたいな投手は『中2か月』ですよ」
自虐的な説明は、決してジョークでも、話を大袈裟にしたネタでもない。
東京六大学では通算0勝12敗。
小林の在学中、東大はリーグ戦70連敗という、とんでもない負の記録も樹立している。
それでも、プロになりたい。
野球への情熱を高く買ってくれたのが、ロッテだった。
留年が決まっていた小林に「卒業まで待つ」と、球団側は「練習生」として、1年間の猶予まで与えてくれた。
1991年(平成3年)、小林はドラフト8位指名を受け、晴れてロッテの一員となった。
東大出身の左腕。その希少価値は、プロとしての話題には事欠かない。
しかし、シビアな実力の世界でもある。
当時、イースタン・リーグは年80~90試合。雨天中止は、そのまま代替ゲームもなく終わってしまうため、球団によってこなせる試合数も違ってくる。
2軍とはいえ、記録がモノをいうプロスポーツの世界では、おかしな話だ。そこに、プロ野球界の「ファーム」という環境の貧弱さが表れているともいえる。
しかも、1軍の公式戦より、年50試合近くも少ない。
将来、1軍で戦うために鍛えなければならない選手たちに与えられる試合数が、1軍よりも少ないというのは、どう考えても、合理的なシステムではない。
これが、育成を強化すべきだという自らの持論の「原体験です」と小林は明かす。
とにかく、試合で投げる機会が少な過ぎるのだ。
「1年目は、ある程度使ってもらえたんです」
ところが、実力を見極められたという部分もあるだろう。2年目に入ると、小林の登板機会が、パタッとなくなった。
試合が始まると、小林は1回から、ブルペンで肩を作る。仮に先発投手が序盤で降板したら、試合をつなぐために投げられるよう、準備しておくわけだ。
「だから、先発が炎上したときだけ、行くわけですよ」
小林ら、登板機会のない投手たちは、自分たちのことを「十把一絡げ組」と自虐的に表現していたという。
2軍でも、当然ながら実力格差がある。
若手育成に加え、1軍での登板機会は少ないが、戦力として必要な選手、さらには故障明けのベテランといった調整組の登板も、2軍の試合で優先されることになる。
「先発するのは、1軍の調整組か、将来を嘱望された若手。後ろ(ストッパー)や中継ぎも、要は1軍の当落線上の投手。僕のような立場では、やることがないんです」
小林のように、2軍でも実力が「下」と判断されると、試合登板のスケジュールを組む段階で、もうはじかれてしまうのだ。
投げる機会がない。すると、自分の成長ぶりも分からない。課題も生まれない。
恐ろしいばかりの悪循環。これでは練習するモチベーションすら湧いてこない。
小林のプロ通算成績は、2年間で1軍登板なし。
イースタン・リーグでも通算26試合、23回3分の1、0勝2敗、防御率6.17。
年平均にすれば、13試合、12イニング。
シーズンのうち、1か月に2イニングしか投げていない計算になる。
たったこれだけのチャンスで、やり尽くした、全力を尽くしたなんて、とても言えない。
「試さずにクビ。燃え尽きていない。なんとなくクビですよ。悔しいだけ。それって、球団にも選手にも損失ですよね」
何も、できなかった。
「試合に出ないと、うまくならないじゃないですか」
メジャーだと、その下に3A、2A、アドバンスドA、クラスA、ショートシーズンA、ルーキー・アドバンスド、ルーキーの7段階にクラス分けされている(2Aの下の3つが1A)。
つまり、メジャー30球団はそれぞれ「8軍」まで抱えているわけだ。
マイナー選手だけで約6000人。独立リーグも、各地で毎年のように発足したり、あるいは休止が繰り返されてはいるが、毎年、7~8リーグが稼働している。
メジャーを頂点とする、米プロ野球界の「人材の裾野」の巨大さは明白だ。
これだけのマイナーリーガーがいれば、必然的に「メジャー」という小さなパイを巡っての争奪戦は激化する。ルーキーが、いきなりメジャーでデビューするケースは、長いメジャーの歴史でも数例しかない。誰もが、下部組織からスタートする。
試合の中で結果を出し、評価され、次の段階へと上がっていく。
競争を勝ち抜き、いくつもの関門をクリアしなければ、メジャーリーガーになれない。
小林は、このメジャーの育成方式を「安上がり」と分析している。
「FA(フリーエージェント)で桁違いの額で連れてくるより、マイナーからメジャーに上がってきた選手に、FAになるまでの6年間、活躍してもらう、その方が安上がりなんです。それで、お客さんも喜ぶ。野球界の裾野も広がる。球界も潤う。それだけの理由なんですよ。それを、球界全体でどう認識するのか。育てた方が安いんですよ」
メジャーは、トップレベルの選手になればなるほど、FAやトレードが絡んで流動的でもある。一方で日本は、1軍の外国人選手枠が「4」、生え抜き重視の風潮が強く、トレードも決して活発ではなく、FAで獲得できるのも、基本的には年2人までだ。
「だから、日本ほど育てる方が大事。マイナー充実が重要なんです」
その小林の認識に反するかのごとく、日本の育成システムでは、トップチームへ昇格するための関門は、2軍から1軍への「1つ」しかない。
2019年(令和元年)の支配下、育成を合わせた12球団の総数は923人。
1軍の出場選手登録枠は各球団29人。これを引いた人数を「ファームの選手」と解釈すれば、計555人。マイナーの10分の1しかいない。
それなのに、2軍という「人材のプール」で、試合に出られない選手がだぶつく。
「大リーグだと、8軍まであるわけですよ。なのに、日本はなんで2軍だけだと? 僕は疑問でしょうがなかったんです」
小林がソフトバンクに入団してからも、そうした〝同じ声〟が聞こえてきた。
試合に出られない選手がいる――。
育成選手の環境が、球団内で問題視され始めていた。

育成選手が増えると、育成の場が貧弱になる?

当時、ソフトバンクのファームは、福岡市東区にある雁の巣球場を本拠としていた。
グラウンドでは、試合に出る2軍選手の練習が優先となる。育成選手は、ファームの公式戦でも、5人までしかベンチに入れないからだ。
そこで、福岡県内で他の球場を借りたり、雁の巣球場を時間差で使用したりすることで、増えた育成選手のための練習時間をやりくりしていた。
支配下選手の定員は70人。ただ、65人以上いなければ、育成選手を採用することができない。育成選手が増えれば、2軍にいる選手は必然的に増える。
当時、1軍の出場選手登録は28人(なお、2019年からは29人)。育成選手7人を加えた2010年(平成22年)の開幕前、ソフトバンクの全選手は75人を数えた。
1軍、2軍で2チーム。つまり、30人前後での2ユニットを組むことになる。
ケガや故障でプレーできない選手を仮に5人としても、支配下枠の70人、2軍制で十分にメンバー構成ができる計算になる。
ところが、支配下選手70人に育成選手が加わると、途端に10~15人ほどの〝余剰人員〟が出てきてしまう。
15人では試合はできない。しかも、1軍よりファームの試合数は少ない。
1人あたりの試合出場機会はもちろん、練習時間も減ってしまう。鍛え、経験値を積ませるのが重要な若手選手に、その機会を十分に与えられない。
逸材を発掘し、育てるための「育成制度」のはずが、育成選手が増えることで、育成の場が、逆に貧弱になるというジレンマに陥っていた。
 
2019年(令和元年)の数字で、ある計算をしてみよう。
前提は少々大雑把になることを了解していただきたい。あくまで「出場機会」の濃淡を分かりやすくする「目安」として提示するものだ。
計算式を説明しよう。
1軍、2軍、ソフトバンクと巨人の場合は3軍を含めた「総試合数」
1試合12人出場(ポジション別の分類は煩雑になるため、便宜上ここでは行わない)
総試合数×12÷全選手数(支配下選手数と育成選手数の合計)
そうすると「選手1人あたりの試合数」がはじき出されることになる。
高い数字から、列挙していこう。
 
東京ヤクルト   46.3(総試合数274、支配下68人、育成3人)
北海道日本ハム  46.8(総試合数271、支配下68人、育成2人)
巨人       46.6(総試合数338、支配下68人、育成21人)
福岡ソフトバンク 45.1(総試合数338、支配下69人、育成21人)
横浜DeNA   43.6(総試合数269、支配下70人、育成4人)
千葉ロッテ    43.5(総試合数268、支配下70人、育成4人)
阪神       43.2(総試合数263、支配下69人、育成4人)
中日       43.1(総試合数262、支配下67人、育成6人)
埼玉西武     43.1(総試合数262、支配下67人、育成6人)
広島       41.7(総試合数264、支配下70人、育成6人)
オリックス    41.1(総試合数260、支配下70人、育成6人)
東北楽天     38.5(総試合数266、支配下70人、育成13人)

※筆者注 ソフトバンクと巨人の3軍に関しては、球団HPで日程が確認できた試合数としている。2軍のイースタン・リーグは7球団、ウエスタン・リーグは5球団と、両リーグとも奇数編成のため、2軍の公式戦が組まれない日には、独立リーグや社会人との練習試合、交流戦を組んでいるケースが散見されるが、これらの試合データのすべてを完全に捕捉できないため、試合数には組み込んでいない。また、1軍のクライマックス、日本シリーズの試合数もここでは含んでいない。
なので、各球団とも総試合数は計算したものよりも多くなると思われるが、日程上や選手数を考慮に入れると、いずれかの球団が突出して試合数が多くなることはないと推察する。そのため、ここではじき出した1人あたりの試合数の数字が大きく変動したり、その順位が大きく入れ替わったりすることはないと考えてもいいだろう。

「少数精鋭」か「3ユニット」か

仮にソフトバンク、巨人が、現状の育成選手数で「2軍制」なら、1選手あたりの試合数がどうなるかを、同じ計算式を使って出してみた。

福岡ソフトバンク 34.7
巨人       36.3

これらの数字から導かれる推論は、以下のようになるだろう。
ヤクルトも日本ハムも、総選手数はともに71人。つまり「少数精鋭」に絞り込んだ2球団と、巨人とソフトバンクのように育成枠を拡大して「3ユニット」で試合を行える体制を築いた2球団は、1人あたりの試合数で同レベルになる。
「2軍制」だと、育成選手が増えることで、1人あたりの平均試合数がどうしても少なくなる。若き小林のような「試合に出られない選手」を、より多く生んでしまうのだ。
「少数精鋭の考え方もあります。それでも選手に出場機会は必要なんです。ファームの若い選手たちは、試合慣れしていない。だから、まず試合への出場機会をきっちり与える。それが、大事なことなんです」
獲らないなら、絞り込む。獲るなら、拡大する。
小林の「持論」は、もちろん後者だった。
自らの経験ももとに、選手数を拡大し、3つのユニットを作った上で「3軍」にもチームとしての機能を備え、3軍単体で試合ができる体制にする。
その上で毎年、60~80試合ほど対外試合が組まれる。
2019年(令和元年)には、6月の韓国遠征11試合を含み、3軍での対外試合は計78試合行われている。
「ずっと、この考えを温めていたという感じでしたね。マグマがたまっていた感じです」
育成システムを整備する。それには「3軍」を創る必要がある。
小林の心の中で、その情熱が沸々と温度を上げていた。

「育成の日本ハム」

先のデータから見ても分かるように、ソフトバンクの「3軍制」と〝対極〟に立つ球団の一つが、北海道日本ハムファイターズだ。
2018年(平成30年)のドラフト会議で育成選手を1人指名するまで、2005年(平成17年)の育成ドラフト発足以降、12球団の中で、育成選手を最後まで採用していなかった球団でもある。
そのことを批判するのが主眼ではないことを、まず前置きしておく。
少数精鋭の育成方針。
これで成果を出し続けることで「育成の日本ハム」の評判は、プロのみならず、アマ球界にも、完全に浸透している。
中田翔、ダルビッシュ有、大谷翔平、清宮幸太郎。
ドラフト指名でも、他球団との競合を恐れず、その年に最も評価した選手の抽選にリスク覚悟で果敢に挑み、運も味方につけ、逸材を次々と獲得してきた。
それらの選手たちを2軍で育て上げ、1軍に送り出し、主力へと成長させていく。
東京から北海道へ本拠地を移転した2004年(平成16年)以降、2019年(令和元年)までの16シーズンで、リーグ優勝5度、日本一2度を誇る。
1軍と2軍。その「2ユニット」で、勝利も、育成も追求していく。
選手枠を拡大するソフトバンクと、逆に絞り込む北海道日本ハム。
その「違い」を探るべく、私は沖縄・名護の春季キャンプ地へと飛んだ。
 
2020年(令和2年)2月。
2年をかけて改装された名護市営球場には、新たなネーミングライツも結ばれた。
その「タピックスタジアム名護」で行われている日本ハムキャンプは、1981年(昭和56年)以来、長きにわたって続いている。
その新球場に、ゼネラルマネジャー(GM)補佐を務める遠藤良平を訪ねた。
遠藤は、東大時代に東京六大学リーグで8勝をマークした左腕投手で、1999年(平成11年)のドラフト7位指名で日本ハムに入団している。
東大出身者としては、史上4人目のプロ野球選手となる。
つまり、小林至の〝次〟にプロ入りした東大生だ。
2年という短い現役生活の後、メジャーのアリゾナ・ダイヤモンドバックスに留学。帰国後の2004年(平成16年)から、日本ハム球団のフロント入りをしている。
北海道移転後のチームとともに歩んできた一人で、2020年(令和2年)現在のポジションであるGM補佐には、2015年(平成27年)に就任している。
早速、遠藤に日本ハムの「少数精鋭の育成方針」について尋ねてみると「もう少し、人数がいてもいいんです」という〝想定外の答え〟が返ってきた。
「誰が育つか、それは分からないんです。だから、その分母が大きい方がいいに決まっているんです。ただ、それで投資効率が落ちて、投手のイニング数、打者の打席数が分散されてしまっては意味がない。最近は試合数が増えてきているので(支配下選手枠上限の)70人を超えて、もう少し育てられるかなというのはありますね」
2020年(令和2年)1月25日現在、日本ハムの支配下選手は67人。ここに育成選手が6人加わり、総勢で73人。前年よりも2人増となっている。
2軍のイースタン・リーグに所属するのは関東以東の7球団。奇数編成のため、試合が組めないときが、どうしても出てくる。その場合、社会人や独立リーグのチーム、あるいは巨人の3軍との交流戦を行うケースがある。
それらは、リーグの公式記録に残らない「非公式試合」の扱いになるとはいえ、若手選手にとっては、貴重な試合機会の一環である。
ただ、けが人や故障者が増えると選手が足りなくなり、投手が代走に出たり、外野手が内野手に回ったりするなど、穴埋めで出場せざるを得ない選手が出てくるという。
強化が主眼の試合のはずなのに、試合をこなすことで四苦八苦する。そうした状況を避けるために、選手を増やしておかないといけないという事情もある。
「試合に出られない人が、あまりいない方がいいというのがあります。限りある資源に対して、分散投資をするのは効率がよくない。集中投資をしたいんです。その前提としてスカウティングで獲ってくる素材が大事です。獲ったからにはファームで使う。(人数面から)使わざるを得ない布陣でもありますし、かなりの確率で1軍戦力になってもらわないと、というプレッシャーは、獲る側にも育てる側にもあります。そのサイクルが日本ハムなんです」
遠藤の説明は、実に明確だった。
試合を通して選手の能力を伸ばし、そのパフォーマンスを評価の対象とするという方針は、日本ハムもソフトバンクも全く変わらない。
選手を絞り込み、2ユニットでやるのか。
選手数を広げて、3ユニットでやるのか。
その「方法論」の違いというわけだ。
「絞ることで、あまり冒険がしにくいのはありますね。僕が思うのは、大学卒でドラフト上位指名を受ける投手でも、高校の頃には、名前を知らなかった投手がいる。高校時代は大したことがなくても、4年たったら、ドラフト1位になる。スカウティングをきっちりとやっても、未来予測がきちんとできるわけではないんです。
絞り込むのが目的ではなく、1軍を優勝させるためですから、そのためには、選手が多い方がいい。3軍を作って試合ができるのであれば、それはもちろんいいんです。だって、どこからいい選手が出てくるのか分かりませんから。こういうのは思い通りにはいかないんです。ただ、どこまで増やせるかは、さじ加減次第なんです。身の丈に合った中で、何がいいのか。その答えはなかなか出ませんね」
つまり「拡大した体制」を採れないのであれば、予算や施設によって「限定」される範囲の中で選手を育て、1軍に送り込まなければならない。
その目的に適う手段を選ぶ。
日本ハムは、それが「少数精鋭」ということなのだ。
「3軍には、公式戦がないですよね。ホークスはそこが大変なところだと思うんです。そのために、場所も造る、お金もかけて造らないといけない。そこまでやる覚悟がないといけない。人数をただ増やせばいいというもんじゃないですからね」
2005年(平成17年)から2018年(平成30年)までのドラフトで、育成を含めた指名人数は、ソフトバンクが139人、日本ハムは107人。そのうち2019年シーズンまでに1軍でプレーしたのは、ソフトバンクが75人で、日本ハムは93人。その〝昇格確率〟は、ソフトバンクの「54・0%」に対して、日本ハムは「86・9%」
さらに、2019年(令和元年)に、日本ハムで1軍の試合に出場した野手は27人、投手は30人。一方、ソフトバンクは野手30人、投手29人。総人数が日本ハム71、ソフトバンク90だから、その割合からすれば、日本ハムの方が1軍で出られる確率は高くなる。
2016年(平成28年)の日本シリーズは、少数精鋭の日本ハムと広島。
2019年(令和元年)の日本シリーズは、3軍制のソフトバンクと巨人。
育成のトレンドが、その出た結果によって、大きく一方に振れる傾向は否めない。ただ、どちらかにターゲットを絞らないと、結果が伴わないことだけは確かだ。
実は、その〝中間〟ともいえる方法が、プロ野球界の主流でもある。
育成選手と、1軍、2軍の故障した選手で構成される3軍。指導者も、3軍監督と投手、野手のコーチが、各1人ずつといった陣容だ。
いつしか「広島型」と呼ばれるようになったこの「3軍制」では、育成とリハビリに特化している。このケースでは、3軍単独で試合をできるだけの人数をそろえていない。
2020年(令和2年)から「3軍制」を編成した西武をはじめ、大半の球団は、こうした「2・5軍」のようなユニットを抱えるようになっている。

1年間の1人あたり育成コストは約1000万円

かつて、阪神や千葉ロッテも「3軍制」に本格的に乗り出そうとしたことがある。
そこでネックになったのは、3軍というチームを稼働させるための「コスト」だった。
選手数が増えることで、育成費も増大する。
選手1人に対し、1年間でかかる育成に関するコスト、つまり食費をはじめとした諸雑費など、大雑把に「1人あたり1000万円くらい」と小林は証言する。
スタッフ、コーチ陣の増員も必要になる。練習場所も、人数が増えることで新たに確保する必要がある。選手寮の拡充も迫られる。
阪神は、育成選手を最大12人(2011年)、ロッテも同14人(2009年)を抱えたことがあった。このとき、両球団とも寮の部屋が足りなくなり、阪神はマンションを一時的に借り上げ、ロッテは、グループの一般社員の寮に育成選手を住まわせた。
コストは増大する一方で、そこから、育成選手がどれだけ一人前になり、1軍戦力となれるのか。
育成ドラフトがスタートした2005年(平成17年)から2018年(平成30年)まで、育成指名を受けて入団した選手は、12球団で287人を数える。
そのうち、1軍の試合で1試合でもプレーすることができたのは、投手38人、野手37人の計75人。その確率は「26.1%」となる。
その中から、1軍で活躍し、戦力として定着したとなると、さらに人数が少なくなっていく。タイトルを獲得した選手は4人しかいない。
一方、同期間でのドラフト本指名の入団は1093人。
1軍に出場したのは914人。確率とすれば「83.6%」となる。
1軍という「プロの舞台」にたどり着くだけでも、これだけの「差」が生まれている。
選手を「モノ」や「材料」のように扱うのは、本意ではない。
それでも「費用対効果」というシビアなものさしで測れば、育成は「無駄」という結論を導き出すことになるのも、無理もない数字が出てしまう。
契約金の多寡は、初期投資の大小と同義語でもある。
投資に対するリターン。それは、時間とリンクする部分も大きい。結果が出なければ、先に切られるのは、ドラフト1位ではなく、育成の選手になる。
ドラフト上位指名で、多額の契約金を投じた選手には、その費用を回収するために、ある程度のスパンで、成長に期待し、見ていくという判断が生まれていく。
それは、ビジネス界における当たり前の理屈でもある。
また、10代後半から20代前半の若い選手を20人近く抱えることで、犯罪などの不祥事が発生する可能性も、ほんのわずかとはいえ、高まるというのも否定できない。
それは球団のみならず、親会社のイメージ悪化につながる大問題にもつながる。
あくまで稀なケースだ。それでも、確率としてはゼロではない。
親会社からの出向組がいまだに多い日本の球団フロントにとって「自分の在任中は」という、事なかれ主義の風潮は、今もなお残っている。
ソフトバンクでもかつて、育成選手から支配下登録されながら、不祥事を起こして警察に逮捕され、解雇された選手が出たこともある。
そうした種々のリスクを抱えたくはない。ならば、あえて育成選手を増やす必要もない。
何とも悲観的な観点だが、それが社会の現実でもある。
新しいことを「やらない理由」の方が、前に出てきてしまうのだ。

試合を通して選手を評価

ソフトバンクでは、ファームディレクターと選手との間で、シーズン前に一対一の面接が行われる。選手が「こういう自分になりたい」という目標を掲げ、それに基づいて、どういう練習をすべきなのか、どういう点を強化していくべきなのかを話し合っていく。
そのための具体的な取り組みを「目標管理シート」に書き込んでいく。
これをもとに、前半戦終了時のオールスター休みの間とシーズン終了後にも選手との面談が行われ、その進捗状況を確認する。
Management By Objectives
略して「MBO」と呼ばれる目標管理システムによって、育成を管理していく。
「ビジネスの世界では、ごく普通のことですよね。MLBのファーム組織でもやっています。ただ、日本の野球界がこれまでやってきていなかっただけです」
小林が打ち出した新機軸の狙いは明確だ。
試合を通して、選手を評価する。それを「可視化」していくのだ。
シーズン前には、フロントとファームの首脳陣が集まり、合議の上で若手選手たちの相対評価として「A」「B」「C」のランク分けを行っている。
選手たちに、こうした評価を伝えることは一切しない。それでも、現場とフロントの双方では常に確認され、共有されているという。
契約金と指名順位は、アマ時代の実績に応じた評価であり、期待値の表れでもある。
大金を投じて獲得した「A」の選手は、基本的にはドラフト上位の選手になる。
彼らには、2軍で出場機会をしっかりと与える。基準に足りない分は、3軍でも出場機会を与え、トータルで目標となる数字に到達させる。
一方で、育成選手は、投資額からしても、力量的にも、ランク「C」になる。
その「C」の選手にも、出場機会を与えなければ評価ができない。
Aの選手が年400打席なら、Cには年200打席。
同じポジションなら、CはAのバックアップという分け方になる。
この「年400打席」という数字は、1試合4打席、これを100試合以上こなすという計算から出てくる。つまり、ファームのシーズンを通して「フル出場」することで達成できる数字になる。
2019年(令和元年)に、2軍のウエスタン・リーグで規定打席数(チーム試合数×2.7)に達した打者は5球団で17人。うち6人がソフトバンクの選手で、もちろん、リーグでもトップの数字だ。
その6人のうち、1、3軍のゲームを含めると、4人が「500打席」を突破している。
この「500打席」になると、ウエスタン、さらにイースタン・リーグの7球団を含めても、2軍の試合だけで到達している選手は、たった1人しかいない。
このように「期待値」と「投資額」に応じてというシビアな前提がつくとはいえ、育てるべき次代の若手選手たちにできるだけ多くの出場機会を与え、試合を通して評価する。
そのために「3軍」を設けて、実戦の場を増やす必要があるのだ。
「入って、横一線の世界ではないんです。大金を投じた選手には、投資の回収という側面がありますから、より重点を置くことになる。全員が1軍というのは不可能。でも、競争を促進する。パイを広げることによって、出てくる数は増える。刺激も多く与えられる。
ただ、こうしたやり方が、100%ではありません。どんなに優秀な解析ソフトを使っても、選手はどう育つか分からない。受験と一緒ですよ。東大に入る。その時点で優秀なことには間違いないでしょうが、その後の伸びしろは分からない。東大合格はあくまで18歳の時点での結果。その後、例えば30歳になるまでの競争の中で、勝てる能力があるかどうかは分からない。東大卒ということで、チャンスが多くもらえる分、有利なところはあるとは思いますけどね。それは野球も同じだと思いますよ」
その比喩が、何とも小林らしい表現のような気がした。
こうした方針に従って、2軍、3軍ともに、日々の練習内容の進行具合、ゲームでのパフォーマンスを記したレポートが毎日作成され、フロントと現場首脳に一斉メールされる。
球団会長の王貞治のもとにも、その報告書は届けられている。
律儀な王は「読みました」という返信を送るそうだが、これがうっかり、受信者全員への一斉返信になってしまっているときがあるという。
突然舞い込んで来る王からのメールに、スタッフは驚かされるのだという。
「王会長から『読みました』って連絡が来ると、びっくりしますよね。でも、読んでいただいているんだなと、反対に思いますね。こんなうれしいこともないですよね」
小林は、そうした若手の日常にも、それだけ強い関心を持ってくれている王の思いが、何ともありがたかったと振り返る。
メーカーで例えれば、工場のラインからの報告書を、会社の相談役が読んで、工場長に返事を送っているようなものだ。
さらに王は、その報告書を熟読した上で、小林らに対して〝聴取〟することもあるという。
「こういう報告が入っていたけど、君はどう思うのかな?」
「俺は、こうだと思うんだよね。それを2軍監督に伝えようと思うんだけど?」
トップがいきなり動いてしまうと、組織はその意向に振り回されてしまう。
育成へ注ぐ王の情熱と、部下たちへの気遣いにあふれたエピソードだろう。

「聖域なき構造改革」

結果は「数字」だ。はじき出されたデータによって、クラスがふるい分けされる。
選手が増える。しかし、1軍というトップチームの枠は「29人」と決まっている。
競争原理が、必然的に働く。
それが、プロスポーツの世界における「掟」でもある。
小林が編成育成部長に就任した当時、小久保裕紀(前日本代表監督)、松中信彦(現独立リーグ香川球団総監督兼GM)ら、中心選手が30代半ばを迎えていた。
世代交代が急務の中、ベテランを脅かすような目立った若手の台頭が見当たらなかったという現状は、2003年(平成15年)の日本一以降、レギュラーシーズンは1位になりながら、プレーオフで2004、2005年(平成16、17年)と連続して敗退する悲運も重なったこともあるが、2009年(平成21年)までの6年間、リーグ優勝を逃していたことにも表れていた。
「弱い球団になると『ファームの主』ってのがいるんですよね」
それは、小林の実体験でもある。
1軍のレギュラーではない。しかし、1軍で故障者が出たら、即座に代わりになるベテラン。こうした選手が、2軍には存在するのだ。
居心地は悪くない。そこそこの給料ももらっている。いざというときには役に立つ。
そうした〝2軍ズレ〟した中堅やベテラン選手を、常に2軍の試合に出して、調整させておかなければならない。それが、伸びつつある若手には邪魔な存在にもなる。
「あれほど腐らせるものもないんです。これをなくしたい。だから、クビの選手を含めてどんどん入れ替えようと。育成選手を増やすのも、そこから出てくる可能性より、最初は結構、そっちの狙いの方でしたね」
小林が編成部門に携わった2010年(平成22年)からの5年間、ソフトバンクは大型補強に次々と乗り出している。
そこには「強い刺激をチームに与えないといけない」という、王の方針も反映されている。
その第1弾が、2010年4月のシーズン開幕直後の緊急補強だった。
ヤクルト、巨人で活躍したロベルト・ペタジーニを獲得したのだ。
1999年(平成11年)から4年間はヤクルト、2003年(平成15年)からは巨人でプレー。その6年間で、日本通算223本塁打を放っている。
ヤクルト時代には2度の本塁打王、打点王にも1度輝いている。
その後、メジャーと韓国でプレーし、ソフトバンクに入団したときは38歳。守備には不安がある。起用法は、必然的に「指名打者」か「一塁」になる。
ポジションがかぶるのは、小久保であり、松中である。
「聖域なき構造改革です。チームの顔、人気者のベテランという聖域に外国人をぶつけるということですね。小久保も松中も、私のことを恨んでいただろうな」
小久保や松中は、チームリーダー的な存在でもある。
ベテランのプライドは傷つく。チーム内の反発、ファンからの疑問の声も聞こえてくる。
ペタジーニなんか、いるのか?
それでも、小林の方針はブレない。
チームの新陳代謝を図る。強いホークスを取り戻す。ただ、チームが一瞬にして強くなるような魔法はない。だから、何かにチャレンジする時点で、100%の理解はありえない。
そのシビアさとタフさを兼ね備えていなければ、突き進んでいくことはできない。
 
小林の編成育成部長時代、ソフトバンクは「FA補強」にも積極的に乗り出している。
 
2010年 内川聖一(横浜・内野手、外野手) 細川亨(西武・捕手)
2011年 帆足和幸(西武・投手)
2012年 寺原隼人(オリックス・投手。2001年のダイエードラフト1位)
2013年 中田賢一(中日・投手) 鶴岡慎也(日本ハム・捕手)
 
外国人補強でも、日本の他球団で実績を挙げた選手の獲得が目立った。
 
2011年 アレックス・カブレラ(西武~オリックス。2002年に55本塁打)
2013年 ジェイソン・スタンリッジ(阪神・投手)
      デニス・サファテ(広島~西武・投手)
      ブライアン・ウルフ(日本ハム・投手)
      李大浩(オリックス・内野手。2008年北京五輪では韓国代表で金メダル)
 
この助っ人4人を補強した翌2014年は、3年ぶりの日本一奪回につなげている。
小林が編成育成部に携わった5年間で、外国人選手の補強は計19人。トレードを成立させたのは7件、FA選手の獲得は6人。さらに、メジャー経験者の松坂大輔、岡島秀樹、五十嵐亮太も獲得している。
それは、まさしく「血の入れ替え」とも言えた。
小林の振るった大ナタが、後のホークスの「強さの礎」となっているのは、時が経ってみたら分かる。競争は、より多くの、よりレベルの高い選手が集まることで激化する。
「3軍制」という新機軸は、そうした発想の延長線上に出てくるものでもあった。

「やれない球団に不平等になる」

勝ちながら、育てていく。
その二大ミッションを、あくまでも追求しようとするソフトバンクに「金満球団」「カネにあかせた巨大補強」という、心ない声も聞こえてきた。
新しいことを始めるときには、そうした中傷や横やりが入ってくるのも付き物だ。
12球団のフロントの実務者レベルで集まり、今後の運営方針などを話し合う実行委員会でも、育成選手を多数獲得することで「3軍制」を本格稼働させたいというソフトバンクのプランに、多くの球団から異議が出たという。
その大勢を占めた意見は「やれない球団に不平等になる」というものだった。
強化、選手獲得。それは、球団の方針であり、他球団から口を出されるものではない。
ただ、12球団には、共存共栄を図るという「サロン」の役割もある。
サッカーのJリーグのように、入れ替え戦はない。戦力均衡の中で争う。そのためにドラフト制度が取られ、資金力の差が出ないように調整されている面もある。
「12球団の利害が衝突するのは仕方がない。各球団、事情がありますから。それは分かります。分かりますけど『あなたのところだけ』となるんですね。『なんで3軍まで?』という球団もありました。それも一つの考え。その少数精鋭の考えも、我々は否定しません。それでも、ホークスうんぬんじゃなく、野球界の損失になるんです。3軍制に関する、快く思わない、たくさんの選手保有をすることが〝ぬけがけ〟という見方になるんですね」
小林は、その矢面に立つことを厭わなかった。
「僕は『リスク・テイカー』なのかもしれません。返り血を浴びるだろうと分かっていても、やるべきと自分が思っていることは押し通す傾向にありますから」
外野の声に囚われず、自らの信念を貫く。
その強さがなければ、前例のないプロジェクトは、始めることもできない。

もう一人のキーマン

育成選手を、20人前後そろえて、試合をさせる。
その20人は、最低年俸240万円。支度金も300万円程度。つまり、育成ドラフトで5~6人を指名すると、その獲得費用は3000万円程度となる。
監督、コーチら、3軍スタッフは常時7~8人。その推定総年俸は1億から1.5億円。
さらに選手1人あたり、育成費に年1000万円というのが相場だ。
練習場の確保、試合のための移動。そうした種々のコストを含め、さらにプラス3億円。
つまり、育成選手20人を抱えての3軍を稼働させるためには「年6億~7億円」の新たなコストがかかることになる。
ソフトバンク球団の2019年(平成31年)2月期決算で発表された売上高は「317億7400万円」だった。
全体に占める割合としては低くとも、そこにきっちりとした成果の見通しが示されなければ、ムダ金になってしまう。
6億円で、実績のない、1軍に昇格できるかも分からないような選手を20人も連れてきて、数年でクビにするくらいなら、その6億円で「大物のメジャーリーガーを引っ張ってきた方がいい」「他球団の主力をFAで引き抜いてきた方が効率的」という反論が出てくる。
球団内部でも、育成に関して、どうしても意見が分かれがちになる。
そうした中で、球団会長の王とともに、3軍制実現へ向け小林を後押ししたもう一人のキーマンが、球団社長兼オーナー代行の笠井和彦だった。
富士銀行(現みずほ銀行)の副頭取、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)の会長を歴任し、2000年(平成12年)にソフトバンク取締役に就任した笠井は、ダイエーから球団を買収した2005年(平成17年)から球団社長を務めていた。
当時、外資の企業が保有しており、年50億円の使用料を払わなければならなかった福岡ドームを、約870億円で買い取る決断も下している。
自己保有した球場を生かしたビジネスを大々的に展開、球団経営の拡大に努めた凄腕のビジネスマンは、オーナーの孫正義の懐刀といわれ、財務面のスペシャリストでもあった。
その笠井が「3軍は、やらなきゃいかんね」と前向きだったという。
後に2016年(平成28年)、ソフトバンクは一大育成拠点の「HAWKSベースボールパーク筑後」を福岡県筑後市に完成させるが、これは笠井が中心になり、2、3軍の本拠地移転に関するプロジェクトチームを立ち上げていたことが、その端緒となっている。
笠井は、筑後への移転を見届けることなく、2013年(平成25年)10月に逝去している。それでも、王と笠井の〝ツートップ〟のお墨付きは、小林にとっては3軍制という新プロジェクトを推し進めていくための「葵(あおい)の御紋」でもあった。
王と笠井がOKなら、オーナーの孫が認めているのと、もはやイコールだ。
小林も、この〝図式〟を熟知しているからこそ、こういう例え話になってくる。
「自分は、雇われマダムみたいなものですからね」
裏を返せば、3軍制の反対派や、小林のアンチからすれば、小林が、王や笠井に「取り入って」好きなようにやっているとも映るのだ。
「ドラフト下位の選手だって、どうなるか分からないじゃないか」
「そういうレベルの選手を獲って、さらにコーチもスタッフも増やすのか?」
「人事権を振るいたいだけだろ。小林の自己満足だろ」
新規事業での主導権争い、それらを巡る権力闘争は、ビジネス界の常でもある。
「露骨な反対はしないんですね。でも『大丈夫?』って、よく聞かれましたね。反対する理由はいっぱいあるんです。チーム強化のためにはやるべきだということは、野球に携わった人間だと分かりますが、野球をやってなかった人からすると『費用対効果はどうなの?』となるのは分かります。一朝一夕に効果が出るものでもないですしね」
新たなる「3軍制」は、試合を行うのがメーンだ。だから、監督もコーチも必要になる。
必要とされたコーチは、投手、バッテリー、打撃、内野守備、外野守備。
ここでも、球団内部や本社サイドからも、異議の声が上がった。
「もっと〝スモール〟にはできないんですか?」
人を少なくするというのは、費用の削減、抑制の意味合いが強い。
「本社から出向で来た方には、その立場もありますから、折り合いはやっぱり必要です。プロ野球は本社の理解がなければ成立しない事業でもありますから」
そこで、内野守備と外野守備は「守備コーチ」として、1人に集約することを小林は呑んだという。しかし、投手とバッテリーは「ブルペンでリリーフ陣を見る人が必要」と、当初の計画を押し通している。
新しいプロジェクトを始めるためには、そうした駆け引きをこなさないといけない。
それでも、3軍で試合を組むためには「人数が足りなかったんです」
3軍制初年度の2011年(平成23年)、他球団の支配下選手で戦力外となった選手を3人、育成契約したのは、やむにやまれぬそのチーム事情からでもあった。
2013年、14年にもそれぞれ3人、15年にも1人、同様のケースがあった。
ただ、それは「育てる」という観点からすれば、本意からずれている。他球団の支配下選手を育成枠で採用する事例は、2016年(平成28年)以降、見られなくなっている。
小林の表現を借りれば、2軍とは「ゴルフでいうところの、クオリファイング・トーナメント(QT)」。プロゴルファーが、シード権を確保するための予選会を意味する。
つまり、1軍へ上がるための調整と、挑戦権獲得のための「挑戦の場」だというわけだ。
自らの経験を踏まえても、実績のない若手には、その予選会に出場するだけの「力」がまだない。それを蓄えるための鍛錬の場が「3軍」になる。
しかし、こうしたコンセプトは、球界内でもなかなか理解してもらえなかった。
「3軍制」を発足させた直後から、小林は他球団の関係者から、何度となく投げかけられた〝不可解な疑問〟があったという。
「ホークスの選手って、調子に乗っているんじゃないの?」
「3軍でも、試合に出られるわけでしょ。満足しちゃっているんじゃないの?」
そこには、日本的な「育成観」が込められている。
 
2軍は、1軍への足掛かりをつかむ「鍛錬の場」でもある。
その舞台に立つために、そして2軍のレギュラーになるために、まずは2軍の中で競り勝たないといけない。
猛練習を重ね、まずはファームの試合に出る〝権利〟を得る。
そこで結果を出して、1軍へ上がっていく。
この「努力のプロセス」を、日本はことさら美化し、大事にするメンタリティが強い。
なのに、ソフトバンクの育成選手には「3軍」という場がある。
試合に出られる。その与えられた機会では、精神力や根性が養われないという発想だ。
「そういうリスクはないの? ってよく聞かれましたね」
元プロ野球選手ゆえに、小林には、その質問の意味が瞬時に理解できた。
「実戦で見極めるための場所が必要。それは、ある種、当然の帰結なんです。ロジカルに考えれば、ですね」
だからこそ、小林は自らの手足となるスタッフに、プロ経験者を置いたのだ。
小林とともに「3軍制」の立ち上げに尽力し、後に小林を継いで「編成育成部長」の重責を担うことになるのは、王ダイエーの初優勝を支えた「元エース右腕」だった。

「ユニホーム組」と「背広組」をつなぐ〝蝶番〟

永井智浩は、1997年(平成9年)のドラフト1位でダイエーに入団した。
社会人・JR東海のエースとして活躍した右腕は、中日との争奪戦になった逸材だった。
プロ2年目の1999年(平成11年)には10勝をマーク。若き右腕は、エースの称号にふさわしい活躍を見せ、王ダイエーの初優勝と日本一に貢献した。
永井はその後、2003年(平成15年)に右肘を手術。2005年(平成17年)には体調不良で入退院を繰り返し、現役を引退することになった。
それでも、翌2006年(平成18年)には背番号「120」をつけ、チームスタッフの肩書ながら、現役復帰への可能性も最後まで模索した。
栄光と挫折。努力と執念。
現役時代の明と暗を知った男は、永井の就任に合わせて立ち上がった「野球振興部」で子供たちの野球普及に努めた。
「12球団ジュニアトーナメント」は、各球団の地域で選抜された小学生らで代表チームを作り、各球団のユニホームを着て戦う。
そのジュニアチームで、永井は「監督」も務めている。
「野球振興で、いろんなスポーツとかかわったんです。サッカー界なんか、ずっと進んでいましたよね。指導者のライセンスがあって、段階ごとに、そのライセンスの格も上がっていく。野球界には、そういうのがないじゃないですか。運動能力の高い子供は野球に来てたのに、今は人口自体も減っているし、他のスポーツへの興味が高い。素材のいい選手を育てないと、プロ野球界のレベルが落ちて、そうすると野球人気も下がってしまう」
そうした危機感から、永井も「3軍制」の意義に、大いに賛同できたという。
「放っておいても、伸びる素材の選手はいますし、管理して、きっちりとやれば強くなる選手もいる。だから、選手を獲って、現場に投げて、あとはよろしくお願いしますということだけではないでしょう。フロントも携わって、ファームをやっていこうということで、僕も任命されたと思っています」
2010年(平成22年)に、小林が編成育成部長に就任したその年、永井も「野球振興部」から「編成育成担当」へと持ち場が替わった。
フロントと現場が一体となって、育成していく。
だから、部署名に「編成」と「育成」が一緒になっているのだ。
「現場」と「フロント」、「ユニホーム組」と「背広組」をつなぐ、両方を知る永井は、その〝蝶番(ちよう つがい)〟としての存在でもある。
ただ、フロントが介入して、育成の管理を行おうという新しい試みに、今度は現場側からも、反発の声が上がり始めたのだ。
2軍で若手を鍛え、1軍に戦力を送り込む。2軍の監督やコーチ陣、スタッフは、その「育成」という命題を成し遂げるために任命されている。
そこに、フロントが入ってくる。
野球を知らん奴が、口を出すな。
グラウンドでのことは、ユニホーム組がやるんだ。
そういう風潮が、野球界には残っている。
それが、野球選手としての誇りでもある。その感情は、永井にも「分かる」という。
「辛かったですね。俺に任されているはずなのに、なんでフロントが来るんだ、何しに来たんだ、となるんです。今までそうやってきたし、それも正しいんです。でも、これからはフロントも携わって、ファームをやっていこうということなんです。ただ、最初は『育成担当』って何? だったんですけどね。完全に、手探りでしたから」
当時の2軍スタッフの一部が見せた反発は、かなり強硬だったと小林も振り返る。
「現場で、個性を見ながら、技術を教え込む。それは2軍監督やコーチがやることなんです。ただ、そのフレームワークが理解してもらえないんですね」
小林も、2軍首脳陣たちと、何度となく膝を突き合わせ、互いの理解を求めて話し合ったという。新たな方針は理屈で分かっても、職人気質が強ければ強いほど、指導者たちにはどうしても、割り切れない思いが残るのだ。
しかし、3軍制という新たなメソッドは、フロントと現場が一体となって、発掘した逸材を開花させ、育て上げるシステムなのだ。

3軍制という「新メソッド」の〝肝〟

小林が、こんなシチュエーションを挙げて説明してくれた。
きょうの試合は、ピッチャー4人でまかなう。
そのプランをもとにイニング数、球数のメドを立てる。
しかし、登板した投手が打たれる。大量失点になりそうだ。
流れを止めたい。勝ち負けにこだわれば、リリーフを送り込む場面だ。
「こいつだと抑えられる、というのはそうじゃない。与えられた中だけでやっていく。その意味が分からないと、悪く取る人はいるんです」
試合が壊れる。それでも、続投させる。
その失敗の中から、新たな課題も生まれてくる。
それらを含めることが、育成プログラムの中での〝決め事〟なのだ。
「あいつは、頑張っている。だから、俺が試合に出させてやる。これまでは、そういうプロセスだったわけです。いずれにしても、試合で結果を出す。それが前提となっているはずなんですけど、『上』でやってきた人ほど、それが分からないんです。彼らには、技術を教えることも、その見本を見せることもできる。なのに、そのストラクチャーが分からない。育成をするという、その意味が、ですね」
この試合は、この選手に、これだけのイニングを任せる。打席に立たせる。
そのパフォーマンスを指標化し、実力の評価と、今後の育成プランを定める。
この日はオフ。この日は、早めに練習を切り上げさせて休養に努める。
各個人のレベルや状態に合わせ、フロント側が現場にそうした要請を行うこともある。
これを「現場への介入」と受け取られては、小林の描く「3軍制」という育成システムはそもそも、成立しなくなってしまう。
「3軍制」での育成計画は、フロントと現場の二人三脚で進めていくものなのだ。
小林の下で、編成育成部で動き始めた永井の認識には、元プロ野球選手ゆえの経験に裏付けられた説得力があった。
「野球界って、若いやつを捕まえて、練習をさせる風潮があるんですよ。でも、1年目とか2年目の選手には、練習する準備ができていない。出来上がっていないやつを捕まえて『やれ』ではダメですよ。技術の練習をするのには、数を受けて、数を打たないと、ノックでもバッティングでも、うまくならないんです。でも、数をやらせるだけの体力がないと、壊れてしまうし、体も痩せる。だから『いっぱいバットを振れ』と言っても、こっちが『それができる体ができていませんよ』と言わないといけない」
それが、フロントの役割であり、3軍制という「新メソッド」の〝肝〟でもある。
なぜ、3軍を創るのか。その狙いをフロントと現場で共有し、浸透させていく。
「俺が育てた、ではないんです。みんなで育てる。その仕組みで育てる。育てたら、それを評価する。こういう風にして、チームの骨格を作るんです。人と仕組みです。それをみんなで理解するんです。だから、2、3軍の勝ち負けは、評価を一切しない。与えられた中でやってくださいと。しかし、その意味が分からないと、悪く取られるわけです」
こうした小林の「勝敗は不問」の方針にしても、新たな育成の枠組みを理解することができなければ、その真意も当然ながら伝わることはない。
新方針を受け入れられなかった一部のスタッフからは「勝ち負け、どうでもええって、ウチのフロントは言う」という、悪い解釈にもつながっていき、そうした不満や悪評は、尾ひれや背びれがついて、瞬く間に他球団にも広まっていく。
野球人にとって「負けても構わない」というのは、それが極論だとは分かっていても、感情的には受け入れがたいものがあるのだ。
その感情論は、小林だって分からないわけではないのだ。
「野球界って、情緒的なところがあるんですね。例えば、選手のABCのランク付けにしても、そんなこと、しちゃいかんとかね。野球以外の人が、入ってきてほしくない、標準化をしたくない、聖域を崩したくないんですね。自分たちがたどってきたキャリアと違うことをする。それは、前例否定のような気がするんでしょうね。でも僕は『標準化』を選んだんです。職人芸から標準化。それは、相当反発を食らいましたね」
理想の形を、実現していく。
その「道」は、決して平坦ではなかった。
周囲との摩擦は避けられない。横やりを入れてくる人間もいる。しかも、肝心の選手が育たなければ、カネの「無駄遣い」と叩かれ、己の立場すら危うくなる。
それでも、やる――。
「自分は『テクノクラート』なんですね。もっとも、手順を間違ったり、手続きを吹っ飛ばしたりするので、優秀なテクノクラートではないのですが」
それが、小林が自分自身を支える〝アイデンティティ〟でもあった。

「サバイバルの思想」

「テクノクラート」とは、日本語訳だと「技術官僚」となる。
科学技術、経済運営、社会政策。こうした高度な技術、あるいは専門技術を持った上で政策の立案、その実施に関与していく官僚や管理者のことを指す。
小林の「元プロ」としての経験と知識。そのすべてを駆使して「3軍制」を創る。
スパルタではない。鉄拳制裁でもない。根性と猛練習だけではない。
公平な評価。平等なチャンスのもとで、選手たちがプレーする。
潜在能力を開花させる「場」を作る。そのための「環境」と「指導者」を置く。
「メジャーの真似といえば、真似なんですね」
複数の階層を置き、レベルに応じて、段階ごとにクリアしていく。
3A、2A、1A、ルーキーなど計7球団を傘下に置くメジャーと、トップチームの1軍の下には「2軍」という1層しかない日本。
その「育成の裾野」の貧弱さは、選手たちの「挑戦の場」が少ないこととイコールだ。
王から、小林はこんなアドバイスを受けたという。
「野球の本場は、メジャーなんだ。歴史だって長いだろ。だから、基本的には彼らのやるようにやって、日本流にアレンジすればいいんじゃないか?」
少数精鋭ではなく、選手層を広げ、競争の場を拡大する。
メジャーの「サバイバルの思想」を持ち込んだのが「3軍制」というわけだ。
その組織を、円滑に運営し、発展させ、結果を生み出す。
小林至という「野球官僚」は、新たなチャレンジには不可欠な「頭脳」だった。

(第2章に続きます)



 

 

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