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第13回 書き続け、働き続けた、少女小説家オールコットによる日記文学|三宅香帆

大黒柱を担った女性作家による日記文学

日記だからこそ表現できるものがある。――この世で出版されている日記文学を読むたび、そう思う。

『若草物語』の作者として、世界中で知られている作家オールコットによる日記集。それが『ルイーザ・メイ・オールコットの日記――もうひとつの若草物語』である。オールコットの生涯の日記を編纂し、現代の私たちにも読みやすいようにしてくれた一冊となっている。

なかなか分厚い一冊で、現在では見かけることも難しいのかもしれないが、それでもたくさんの女性たちを励ます一冊になり得る日記のひとつだ。『若草物語』ファンのみならず、女性として働く人たちに読まれてほしい、と願ってしまう。

というのも、本書の書き手であり『若草物語』の作者であるオールコットは、自分の原稿料で家族を養っていた、当時にしてはかなり珍しい一家の「大黒柱」になった女性だった。

彼女の生きていた時代は、19世紀アメリカ。生まれはフィラデルフィアで、理想を掲げるがなかなか収入を得られない父と、フェミニストで活動家の母のもとに、次女として生まれた。幼少期のオールコットは、エマーソンという師に出会い、そして自分の手で稼ぎ、家族を養うことを目指していく。実際、20代前半で彼女は書き物の仕事を始める。

針子、看護師、教師などさまざまな職を経験しながら、彼女は原稿を書く仕事を続けることになる。そして大ヒットするのが、『若草物語』だったのだ。

本書に収められている日記は、オールコットが11歳の時から亡くなる直前まで綴られたものだ。そう、ほとんど人生の大半の記録を彼女は日記に残しているのである。こんなの、面白くない訳がない。

日記を覗き見る楽しさとは?

他人が読んでいいのだろうか……とどきどきしながら開く日記文学は、たしかに『若草物語』が彼女の思想と生活に拠っているものであることを理解できる。さらになによりも、ひとりの書き物を生業にする女性として、現代に通じる実感を綴っていることに、驚いてしまう。

八月一日――少し書いて、手紙や書類などの整理。なにかしたいけれど、面倒をみなくてはいけないものが多すぎて、どれをすればいいのかわからない。

(『ルイーザ・メイ・オールコットの日記』、p. 391)

こんなふとした雑感も、おそらく在宅勤務で仕事をしたことのある人は、「わかる」と呟いてしまうのではないだろうか。

オールコットは、まぎれもなくベストセラー作家だった。『若草物語』はアメリカでもっとも売れている少女小説のひとつだ。オールコット自身、『若草物語』のヒットによって、自分の立場や名前の売れ方が変化したことを日記に綴る。しかし一方で、そんなベストセラー作家になった後ですら、生活について考えない日はなかった。創作のことばかり考えていた訳ではないのだ。

家族のこと。自分の身体のこと。原稿料のこと。支払いのこと。人間関係のこと。――そんな生活の雑事が、とくに年齢を重ねてからは、オールコットの頭の大半を占めていた。その事実が、短い文字数で綴られた毎日の日記から、ひしひしと伝わってくるのだ。

二十九日――わたしの誕生日。三十六歳。せっせとペンを走らせ、ひとりですごす。贈り物は父の本、『タブレッツ』のほかはなにもない。
 誕生日にたくさん贈り物をもらう人がいるし、わたしは人にはたくさんあげてきたのに、人からはあまりもらえないようだ。これは最高にいいことなのかもしれない。もらったときありがたみが増す。

(『ルイーザ・メイ・オールコットの日記』、p. 227)

なんだかこんなふとした誕生日の描写にも、「少女小説の金字塔を打ち立てた作家の日常」という華々しい概要からは想像できない、生活のざらりとした感情が伺える。

決して現代から遠くないオールコットの日記

他人の日記を覗き見ることで、他人が生きていることを理解することができる。私はそう思っている。著名人の日記を読んでいると、「ああこんなにすごい人でも、みんな苦労して頑張って生きているんだなあ……」と思えてくるのだ。なんだかこうして言葉にすると、当たり前すぎる事実だ。それでも、意外とその当たり前すぎる事実を、私たちは忘れがちである。

オールコット自身は、意外にも最初から作家ひとすじという訳ではなかったらしい。女優になって有名になりたい、という野心を持っていたこともあり、あるいは大人に向けた本も出版していた。児童小説家としてのオールコットは、あくまで後世の人々が知っている一面でしかない。

オールコットですら、挫折を経験し、苦労しながら、原稿料を稼いでいた。本書の日記には原稿料などもかなり仔細に綴られている。ヒット作を出すことになって原稿料が上がることもリアルだが、同時に「若い頃は本当にお金について苦労していたんだなあ……」と感じるエピソードも多い。最初から何もかもうまくいっている人なんて、いないのだ。当たり前のことかもしれないけれど。

日記を読むことで、私たちは他者の輪郭を知る。最初はただの覗き見願望かもしれないけれど、しかし読んでみると想像よりはるかにリアルな日記の書き手が浮かび上がって来る。その想像とのギャップが、日記文学を読む理由のひとつかもしれない。

だとすれば、オールコットの日記は、私たちが日記を読む意味を教えてくれる。時代も、国も、職業も、私たちとなにもかも違うオールコットの人生。しかし彼女が綴る日常への悩みや嬉しさや愚痴は、決して私たちから遠いものではない。

オールコットの綴った「人生の見取り図」

若いころのわたしはお金がなかった。いまお金はできたけれど、暇がない。いつの日か暇ができたときは、できればの話だけれど、人生を楽しもうにも健康がなくなっているだろう。わたしに必要なのは試練だと思う。でも、義務のためにガレー船にがんじがらめに繋がれている身では、いましていることを好きになり、ただ時がすぎゆくのを見ているのはかなり難しい。それでも最後に順風満帆で港に到達できれば、それも報われるのだろうけれど。
 人生はいつも謎だった。年を経るごとに謎は深まる。それでも最期まで雄々しく忍耐強く生きられれば、やがては謎も解け、いい人生だったと思えるだろう。

(『ルイーザ・メイ・オールコットの日記』、p. 263)

お金がない時代、暇がない時代、そして健康がない時代。オールコットの描いた人生の見取り図は、今なお健在である。なんて的確な人生の描写なんだ……と唸ってしまう。そんな才能あるオールコットですら、生きることは「ガレー船にがんじがらめに繋がれる」ことだったらしい。きっと共感する人も多いのではないだろうか。

だが、それでも、「雄々しく、忍耐強く」生き続けること。オールコットの生きる姿勢は常にそれだった。

前向きに生きるなんて言葉は白々しいかもしれないが。できるだけ忍耐強く、ただ船を漕ぐことを頑張ってみよう。オールコットの日記を読むとそう思えてくる。

オールコットが生活と仕事に日々邁進する姿を見ていると、自分も頑張らなきゃな、と素直に感じられるのだ。

それはきっと本書が、オールコット自身の日々の手触りを、たしかに保存できた日記だからなのだろう。


※「失われた絶版本を求めて」は第1部が今回で完結です。近日中に第2部が装いを新たにスタートします。ご期待ください!

著者プロフィール

三宅香帆

みやけかほ/1994年、高知県生まれ。書評家。京都大学文学部卒業、同大学院人間・環境学研究科修士課程修了。2017年、『人生を狂わす名著50』でデビュー。おもな著書に、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『妄想とツッコミでよむ万葉集』(だいわ文庫)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)、『それを読むたび思い出す』(青土社)ほか多数。最新刊は、『妄想古文』(河出書房新社)。

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