第七章 宗佑磨 吉田正尚 山本由伸――オリックスはなぜ優勝できたのか by喜瀬雅則
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第七章 宗佑磨 吉田正尚 山本由伸――オリックスはなぜ優勝できたのか by喜瀬雅則

光文社新書

新刊『オリックスはなぜ優勝できたのか』第七章の冒頭を公開します。以下、本書の概要です(光文社三宅)。

下馬評を大きく覆し、2年連続最下位からのペナント制覇は、いかに成し遂げられたのか? 逆に、なぜかくも長き暗黒時代が続いたのか? 黄金期も低迷期も見てきた元番記者が豊富な取材で綴る。

1994年の仰木彬監督就任まで遡り、イチロー、がんばろうKOBE、96年日本一、契約金0円選手、球界再編騒動、球団合併、仰木監督の死、暗黒期、2014年の2厘差の2位、スカウト革命、キャンプ地移転、育成強化、そして21年の優勝までを圧倒的な筆致で描く。

主な取材対象者は、梨田昌孝、岡田彰布、藤井康雄、森脇浩司、山﨑武司、
北川博敏、後藤光尊、近藤一樹、坂口智隆、伏見寅威、瀬戸山隆三、加藤康幸、牧田勝吾、水谷哲也(横浜隼人高監督)、望月俊治(駿河総合高監督)、根鈴雄次など。

以下、すべての抜粋記事を読めるマガジンです。

「この子は、プロ野球に行ける可能性がある子だと思いました」

第七章 宗佑磨 吉田正尚 山本由伸

横浜から、相鉄本線でおよそ15分。
希望ケ丘駅からは、閑静な住宅街を通り抜けていく。
歩くこと、およそ15分。
東海道新幹線をまたぐ高架橋を越えたその右手に、横浜隼人高等学校がある。
横浜、東海大相模、桐蔭学園。
全国を制した経験のある強豪校がひしめく神奈川県。2009年(平成21年)夏、その激戦区で頂点に立ち、初めての甲子園に出場したのが横浜隼人だった。
「ウチが12年前に行ったのが、初出場の最後なんですよ。それくらい厳しい。出られへんのです、神奈川って」
そう説明してくれたのが、2021年で横浜隼人の監督30年目というベテラン・水谷哲也だった。つまり、初の甲子園は、監督就任18年目でのことになる。
「監督として、おぎゃーと生まれた時に生まれた子たちと甲子園に行ったんですよ」
その長い監督生活の中で、ひと目見た時に「この子は、プロ野球に行ける可能性がある子だと思いました」というのが、宗佑磨だった。

宗は、横浜という野球激戦区の中では、異例のキャリアを誇っている。
全国に名だたる強豪校だらけの神奈川。だから、各校のレベルも高い。有望選手ともなればそれこそ、あちらこちらの高校から勧誘の声がかかる。
そういう選手たちは、ボーイズリーグやシニアリーグなど、中学時代から「硬式球」を使ってプレーしている。
軟式から硬式への転身は、ボールの重さ、バットでの打感、打球の速さ、そうした違いを克服するのに、やはり時間がかかる。甲子園を目指す強豪校なら、そのスタート地点での差は、とてつもないハンディになる。
ところが宗は、地元の少年野球から、公立の玉縄中で軟式野球をやっていたという。つまり、部活動での野球だったのだ。
強豪校のスカウティングは、やはりレベルの高いボーイズやシニアの方に集中する。軟式の部活動まで、なかなか目も配れない。
宗佑磨という逸材の情報は、入学募集の資料を配布するために、県内の中学校を回っていた当時の野球部長・榊原秀樹(現神奈川県高野連専務理事)が聞きつけてきたという。
「能力の高い子がいて、横浜隼人を希望しているらしい」
ショートを守って、投手もやる。でもゴロを打たれたら、内野手がエラーして負ける。
そんなごく普通の野球チームの中で、宗は突出した存在だった。
寮ではなく、家から通わせたい。勉強もやらせたいが、甲子園にも行かせたい。そして、できることなら、息子の夢でもあるプロにも行かせたい。
それが、宗の母・ミカさんの強い意向だった。
「学力もそこそこあって、甲子園に行ったこともあって、プロ野球選手も出したというとウチがバチっとはまるんですね。ホントにはまった、というような感じですよ」
だから宗は、横浜隼人への進学を望んでいたのだ。
スポーツ推薦の枠もある同校だが、宗は進学コースに合格した。スポーツクラスなら、5時間の授業を終えると、6時間目の授業扱いで部活動に入るのだが、宗は6時間の授業をフルに受けるから、練習途中に合流することになる。
軟式の打球は、硬式よりも高く跳ねる。しかし、宗はそのギャップも楽々と飛び越えたのだという。その敏捷性、リズミカルなグラブさばきに水谷も驚かされるばかりだった。
「今もそうなんですけど、本能で捕ることができるんですが、型にはまって、きちんとこう、ゴロを捕るような取り方はなかなかできなかったですね。でも、反応だけは抜群です。息をのむようなプレーをする時もあれば、普通のゴロをエラーする時もある。普通のゴロをエラーする時って、ゴロの距離が長い時なんです。自分の捕る形をしっかりもって、しっかりスローイングしなきゃ、という時はエラーをするんです。でも、パパーンという時は抜群です。距離が短ければ短いほど、あの子は反応でやる子ですから」
ギニア人の父、日本人の母という「ハーフ」特有の運動能力の高さやスピード感、リズムの良さを、そうした部分に単純に結びつけ、結論を落とし込むような愚は避けたい。
しかし、やはり、宗のアドバンテージは、そこから起因しているといえるだろう。
これがおそらく、他の強豪校に行っていれば、腰を下ろして、打球の正面に入るという基礎練習をまず、強制させられていたはずだ。
それを、水谷はやらなかった。型にはめず、将来を見据えて、そのポテンシャルをさらに大きく伸ばすために、あえて触らなかったのだ。
1年生の秋にライトをやらせたのは「硬式に慣れさせるため」
2年生の春からサードへ転向したのは、ゴロへの反応の速さを買ってのものだった。
「最後はやっぱり、ショートでないとプロには行けない。プロに一番近いのは、ピッチャーとキャッチャー、そしてショートですから」
水谷は、2年生の秋からスタートする新チームで宗をショートに据えた。
その逸材に、加藤が目を付けたのは、2年の夏のことだったという。(続く)



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