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異形であって異形でない。「教養としてのロック名曲ベスト100」リストを振り返る。by川崎大助

光文社新書編集部の三宅です。

「教養としてのロック名曲ベスト100」ですが、先週の1位発表をもって終了しました。長きにわたりお付き合いいただいた読者の方々には、感謝の念しかありません。

では、今日は何かと申しますと、全体の振り返りです。「なぜあの曲が入っていない?」「なぜあんなに順位が低い(高い)のか?」等々いろいろご不満もおありでしょう。そんな読者の方々の疑問にお応えすべく、あとがき的にこの回を設けました。

このベスト100リストに大満足の方も、違和感ありありの方も、大いに楽しめる内容ですので、ぜひご一読ください。

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Outro: 沼の底から浮上した、たったひとつの、ダイヤモンドの斧

びっくりポイントが多い、と僕は前書きで述べた。とくに第1位、事前に予想できた人は、どれぐらいいただろうか。また上位に近づくにつれ濃厚となった「人間ドラマ」――なかでも5位から2位あたり――の帰趨については、まるで、あらかじめストーリーが仕込まれていたかのような展開ではないか、とも僕は感じた。

もっとも、だれがどう「仕込んだ」わけでもない。ふたつのリストから、純粋に数学的に「合算」してみたところ、これほどまでに「やんちゃ」なランキングが浮かび上がってきた、というわけだ。おそらくは、汎地球的なロック・ファンたちの、集合的無意識の反映のごときものとして……。

というランキング・リストの全体像について、ここで分析を試みてみたい。この異様なる、しかし妙に説得力の高いリストの正体へと、迫ってみよう。その上で「なんであれが」こんな順位なのか? あるいは「リストに入っていない」のか? といった点についても――つまり疑問や不満、いや憤懣やるかたないポイントについても――読者のみなさんになり代わって、この場で僕が、追求してみたい。この連載の前身『教養としてのロック名盤ベスト100』(以下「アルバム編」)との比較もおこないつつ、当リストならではの特徴をとらえてみよう。
(※ネタバレ注意:以下、ランキング順位の具体的内容に触れるので、チャートのすべてをまだ未見のかたはご注意を)


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約半数を「強者」が支配

まずは、数字から見てみよう。全100曲のうち、複数曲以上がランキングされたアーティスト数は、14。この顔ぶれが累計42曲をランクインさせている。つまり(やはり)100曲のうちの約半数を「強者」が支配している、という構図だ。この構図自体は「アルバム編」とほぼ近い。あちらでは、全17アーティストが、47枚をランクインさせていた。

今回最も多くランクインさせているのは、アルバム編と同様、もちろんザ・ビートルズだ。しかも、こっちのほうが多い。アルバム編では6枚だったのだが、当リストでは8曲も入っている。圧倒的な、強者っぷりだ。

以下、ビートルズに次いで多かったのが、4曲をランクさせたアーティスト。ザ・ローリング・ストーンズとプリンスだ。前者は予想範囲内として、プリンスの強さが、僕は印象的だった。アルバム編でも2枚をランクインさせていたプリンスだが、「曲単位」となると、一気に倍増した格好だ。エルヴィス・プレスリーも「曲の人」だった。アルバム編では(なんと)「1枚もランクインしなかった」彼だが、当リストでは見事3曲を叩き込んでいる。以下、3曲で並ぶのがボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックスはいいとして、ザ・クラッシュも意外やここに。そして2曲をランクさせたのが、ザ・ビーチ・ボーイズ、デヴィッド・ボウイ、ザ・キンクス、ザ・フー、マーヴィン・ゲイ、セックス・ピストルズ、ジェームス・ブラウン、といった顔ぶれだった。

番外編(?)として、自身のナンバーが1曲だけランクインしたジェイ・Zだが、ビヨンセのランキング曲においてもフィーチャリングされていた。だから彼は「2曲アーティスト」の次点とすべき、なのかもしれない。

米英60年代強し!

次に、アーティストの出身国(活動を開始した国)別に見てみよう。言うまでもなく米英が強く、全64曲がアメリカで、次点のイギリスが33曲だった。なんとこの2国だけで、全体の97%を埋め尽くしてしまう有様だ。アルバム編でも同様の傾向はあったのだが、当リストでは「アメリカの占有率」がぐっと上がっている。アルバム編では、アメリカが56枚だった(イギリスは当リストとほぼ同じ35枚)。米英2国以外では、ジャマイカ、アイルランド、フランスのアーティストが、それぞれ1曲をかろうじてランクインさせている。

そして、すさまじいのが、発表年代だ。「60年代の曲が多いなあ」と思ったあなたは、正しい。なんと100曲のうちの全47曲、つまりおよそ半分が「60年代に発表された」ナンバーなのだ。圧倒的というか、なんというか。「ロックの名曲」というのは、まず最初に「60年代の名曲」を想起すべきもの――となっているのかもしれない。集合的無意識においては。

60年代に次いで多かったのが70年代なのだが、ぐっと減って20曲。最少が50年代の4曲、次点が90年代の7曲(なのだが、ここにニルヴァーナの1曲があったわけだ)ときて、意外だったのがゼロ年代と80年代が同じ11曲で並んだこと。通常、こうしたランキングでは「新しいものが比較的弱い」傾向があるのだが、こと曲単位となると「インパクトが生々しい」という点で、集計時に近いタイミングで発表されたナンバーに若干の優位性があったのかもしれない。また80年代ものが11曲しかランクしていない状況下で「そのうちの4曲がプリンスだ」というのは、結構すごいことだと思う。

ちなみにアルバム編では、70年代が最も強く、41枚がランクインしていた(次点が60年代の26枚だった)。だから「アルバムの時代」が本格化し、一気に頂点をきわめたのが70年代であり、その前に「名曲の時代」としての60年代があった、と理解すべきなのかもしれない。

女性アーティストの比率

男女比を見てみよう。女性アーティストは、とても少ない。だが、じつは、これでも「多い」。たとえばアルバム編と比較してみると、驚くべき多さだ。当リストで女性ソロ、あるいはバンドのフロントに女性が立っているものとの限定で数えてみると、15アーティストがランクインしている。ところがアルバム編だと、たったの7枚だった(フリートウッド・マックも入れれば8枚だった)。つまり曲単位となったこちらでは、女性比率がおよそ倍増したことになる。ザ・ロネッツなど、高位にランキングされる例もあった。男性原理が支配する「野蛮な荒野」の商業音楽界において、しかし「女性が大暴れできる」舞台としてよく機能したのが「1曲勝負」のヒット・ソング領域だったことが、よくわかる。

さらに見逃せないのが、時代が下るとともに、女性が「どんどん躍進していった」ことだ。当リスト、ゼロ年代の11曲のうち、5曲が女性アーティストによるものだった。つまり、約半数だ。この比率は、たとえば今日のポップ音楽界における女性アーティストの「強さ」と「多さ」を知る人ならば、納得の「近過去」であるはずだ。大昔の「歌うだけのお人形さん」あつかいから遠く離れ、ソングライティング、プロデュースはもちろん、ビジネス面まで全部自前で仕切るどころか、業界の最高峰に錚々たる顔ぶれの女性アーティストがずらりと並ぶ――2010年代以降の英語圏および欧州ポップ音楽界の常態とは、まさにこれだ。そこへとつながっていく「領地獲得」のために、彼女たちが無数の激闘を繰り広げていた時代の総覧としても、当リストは有効だろう。

「なぜ『○○○○○○○○○○○』が入っていないのか?」

といったところで、お待ちかね。「なんで?」の時間の開幕だ!

まず最初に僕が、大きな声で言いたいのは――「なぜ『ボヘミアン・ラプソディ』が入っていないのか?」ということだ。クイーンが生み出した大ヒット曲にして、あらゆる指標において、イギリスのロックを、いや、20世紀終盤のポピュラー音楽界を代表するに決まっているあの大名曲が……当リストには、ランキングされていない。これは「〈NME〉のせい」だ。〈ローリング・ストーン〉(以下RS)のリストには、ちゃんと166位に入っていた。しかしNMEリストにはなかった、どころか……奴らはクイーンを、ボウイと共演した1曲「アンダー・プレッシャー」(同リスト184位)以外はランキングしていない!(クイーンズ・オブ・ザ・ストーンエイジは2曲も選んでいるくせに……)のだ。ちなみにNMEは、アルバム編でもクイーンを1枚も取り上げなかった。

つまりこうした形にて「片側が選んでも、もう片側が選ばなかった」せいで、当リストに載らなかった「名曲」は数多い。たとえばビートルズ、ストーンズといった、リスト内最強部類アーティストであっても、彼らにとって「最も人気が高い曲」が入っていない、とも言えるのだ。前者なら「イエスタデイ」がRS13位、NMEで「ランクせず」だった。後者なら「サティスファクション」が同じ憂き目にあっていて、RSでは2位(!)なのに、NMEでは「ランクせず」で、当リスト外に没した。

英語で「Corny(コーニー)」という言葉がある。日本語の「ダサい」とほど近く、「陳腐な」とか「一般的すぎてかっこ悪い」といった意味でよく使われるのだが、どうやらNMEには「コーニー警察」とでも呼べそうな習性があって、前述のごときRSの「オッチャン」的セレクションには、容赦なく「笛を吹く」ようだ。だから「ボヘミアン・ラプソディ」も、ちょっと一般的すぎるよねー、などと「切って」しまったのか……と僕は読む。

NMEのこの基準は、やはりもちろん、イーグルスなどにも発揮されていて、アルバム編同様、選びやしなかった(RSでは49位に「ホテル・カリフォルニア」があったのだが)。同様にザ・ポリスも、アリス・クーパーも、やはり、沈めた。あるいはさらに、RSお得意の路線、レイ・チャールズ、ザ・ライチャス・ブラザーズ、ジ・インプレッションズ、リトル・リチャードなど「クラシック中のクラシック」をも、たぶん、ことごとくNMEの「コーニー砲」が葬り去った。RSの最上位20曲のうち、じつに7曲がこの餌食となった。つまり「NMEが選ばなかったせいで」当ランクに入らなかった。

一方のRSも容赦ない。NMEの上位20曲のうち、6曲がRSの選外となった。パルプ、アークティック・モンキーズ、ニュー・オーダー、オアシス、ブラーなどが、消えた。20位内に2曲をランクインさせていたザ・スミスは1曲のみが、かろうじて生き残った。ほか、ザ・スペシャルズも、ザ・ラーズも、LCDサウンド・システムも、オッチャン(RS)は、知ったこっちゃなかった。ストーン・ローゼズやプライマル・スクリームすら――目に入らなかった。かろうじてザ・ジャムが1曲のみ313位に滑り込んだのだが、それが「ザッツ・エンターテインメント」だったところが、なんとも苦い。

こうした両者の「潰し合い」の狭間にて割りを食らった、と見るべき有名曲もあった。たとえばボウイの「ジギー・スターダスト」が当ランクに入らなかったのは、完全にそのせいだ。彼の代表曲中の代表曲だから、RSもNMEも選んではいたものの、前者282位(!)、後者480位(!!)とあまりにも低位のため、当ランキングの100位内には入らなかった(130位だった)。おそらくたぶん、RSにとってはサブジャンル的に「趣味的すぎる」1曲であり、NMEにとっては「アリアリすぎる」コーニーなナンバーとして、両者ともに票が伸びなかった結果ではないか、と僕は見る。野球で外野手2人がお見合いして簡単なフライを捕りそこなうようなもの、だったのかもしれない。

そのほか、ハード・ロック、プログレッシヴ・ロックが、やはりとても冷遇されていた。この傾向はアルバム編のときと近いのだが、いくらなんでも「曲単位」で、レッド・ツェッペリンは1曲だけ、ピンク・フロイドはランクインすらしない、という当リストの仕上がりは「偏りすぎ」だろう。

ゆえに当リストは「最もプレーンな」名曲ランキングではない、と言い切ることができる。しかしそれは、とても「いいこと」なのだ、という感慨を僕は持つ。なぜならば、なにも考えずに、普通に「イエスタデイ」や「サティスファクション」的無難な代名詞ナンバーだけを並べてしまうような「名曲リスト」は、いつの世にも、どこにでも、無数にあるからだ。それに対して「違うんだよ!」との叫びを、大西洋の両側で上げ続けていた両者、RSとNMEにそれぞれ集結した「聴き巧者」たちが執念を燃やして切磋琢磨した結果――その「掛け合わせ」こそが、当リストの特異な内容となっている。だからこそ、特異なれども、同時に「なるほど、そういうことか」と、ひとつの明確な指標に基づいた、ロックの、ポップ音楽の歴史観の一端が垣間見えてくるものともなり得ているわけだ。

「たったひとつの、ダイヤモンドの斧」

その「指標」の内実とは、なにか? 要するにこれは「こだわり」やら「譲れない一線」やら「俺っちのドグマ」みたいなものが渾然一体となって渦を巻く、そのまさに中心から、すうっと浮かび上がってきた女神様が持っていた金の斧と銀の斧……じゃなくって「たったひとつの、ダイヤモンドの斧」のような結晶体であるように、僕には思えてしょうがない。そこまでの硬度をそなえた「想い」が、ここに並んだ100曲とその順位という価値体系の中心軸を、つらぬききっている。この点が、ユニークきわまりない個性となっている。

このユニークさの出どころというと、簡単だ。当リストには、血が通っているからだ。ロックやポップ・ソングを作った人も、それを愛する人も、もちろんリストなどを「選ぶ」人も……みんながみんな、当然のこととして、限りある人生のなかにいる。囚われ人として、物理的制約のなかにあるわけだ。「しかし、なおかつ」どこまでも続く現実の平坦さを超え得るアイデアや「気分」に、日々とてもとても強く執着している、としたら?――話はちょっと違ってくる。「その人」の立ち位置は、じつはとても「微妙な」ものとなってくるからだ。現実世界の片隅で、つまりは「ないものねだり」の人となるからだ。

おそらくその人は、生き身の人間ならではの業の深さ、哀しみといった「重み」を、真っ向から受け止めざるを得なくなる。重さを背負って、そのことを自覚する――つまり浮世で「沈みがちな人」となってしまう、はずだ。

とはいえ「そんな場所」から、言うなれば「現実の底」から照射してみることによってのみ、ときに浮かび上がってくる「聖性」というものは、確実にある。それをこそ、芸術のなかに見出したいんだ!――という渇望が、当リスト内部の縦横に脈動し続けるものの正体だ。つまり「血」の内容物というものだ。現実よりも上位に芸術を置く、半ば狂気じみた意志のあらわれの赤い色だ。

少なくとも、ここに100通り。「聖性」へと至るかもしれない切り口がある。あなたも僕も、いつでもそれを、聴いてみることができる。その連続のなかにこそ、英語で言うところの「LIFE」があるに違いない、と僕は思うことが多い。

ライフのなかでも、とくにあなたの「ロックンロール・ライフ」の充実へと、当リストが寄与したならば、筆者としてそれ以上の幸福はない。とにもかくにも、聴いてみてほしい。できるかぎり大きな音で、1曲でも多く。そして気に入ったら、繰り返し、何度も何度も!〈了〉

川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌「インザシティ」に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』(光文社新書)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki

ご愛読ありがとうございました! この連載は光文社新書の一冊として刊行します。乞うご期待!


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