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仮想現実を現実のリハビリに応用する―『メタバースは革命かバズワードか~もう一つの現実』by岡嶋裕史

2章⑤ 仮想現実の歴史

光文社新書編集部の三宅です。岡嶋裕史さんのメタバース連載の9回目です。「1章 フォートナイトの衝撃」に続き、「2章 仮想現実の歴史」を数回に分けて掲載中です。仮想現実(≒メタバース)の歴史をたどることで、メタバースへの理解を深めていきましょう。

今回は一転、リアル寄りの話です。

下記マガジンで、連載をプロローグから順に読めます。

もう一つの世界で生きて、死のうよ」

 サブカルチャーの話題が続いたので、少しリアルに寄せた話もしておこう。筆者はリハビリにも仮想現実を使ったことがある。といっても、医学部の講座制研究室のような立派な設備や体制、志で行っている研究ではないので、話半分で聞いて欲しい。

 リハビリこそ、つらい現実の代表例である。事故や病気、加齢で失ってしまった機能を取り戻す試み、マイナスをゼロに戻す試みであるから、たとえば未就学児がさまざまな機能を獲得していくような、約束されたわくわく感はない。

 そして、つらい活動をしているとき、人は誰かに見て、応援して、認めて欲しいのである。もう少し身も蓋もない言い方をすると、おじいちゃんもおばあちゃんも若くて美しい異性に褒めてもらえると、リハビリのモチベーションがあがる。人というのは、歳を取ってもたいがいなものだなと思った。認知症が進みつつある人にルッキズムを説いても始まらない。美しいものを求めるのは、理念を超えて本能なのだろう。

 しかし、四六時中おじいちゃんおばあちゃんに寄り添って、声かけをし、優しく励まし続けてくれるような都合のいい異性はいない。リアルにそのようなうまい話が転がっていたら、むしろ怖い。壺を買わされそうである。看護師さんも、作業療法士さんもそんなに暇ではなく、若く美しい異性であるとも限らない。

 そこで都合の良い仮想現実の登場である。立てたり、歩いたり、排泄をうまく実行できたりすると褒めてくれる萌えっとしたVRコンテンツを作った。

 おそらく被験者の年代的には、リアルの異性を好んだだろうが、あいにく私は二次元女子しか好きではなく、手持ちのリソースも二次元のキャラクタしかなかったので、そうなった。そして、仮想のキャラクタの声援は、確かに彼らに届き、リハビリを頑張ってくれたのである。

 ひょっとして商品化すら可能ではと色めき立ったが、恒常的にリハビリの現場で使ってもらうにはいまのHMD(頭部装着ディスプレイ)は重くて高価だ。あくまで実験にとどまった。

 これも自分に都合のよい仮想現実である。自分を無条件に褒めてくれる相手などいるわけがないし、リアルの世界では危険でもある。詐欺に遭う前に、星新一の「養成配給会社」のようにリアルな人間とのコミュニケーションが色あせて見え、不必要になってしまう可能性すらある。

「それでいいじゃない、もう一つの世界で生きて、死のうよ」が本連載の主張の一つである。現代において、これが大手を振って認められる考え方でないことはもちろん理解しているし、主流派になることもないと考えられるが、あまりにもリアルがつらかったり、合わなかったりするのでれば、選択肢として残しておくことはできるのではないだろうか。

 もう起き上がれなくなった人が、仮想現実で自然の息吹を感じられたら素敵ではないか。ましてリハビリであれば、都合のよい仮想現実を利用することで、リアルに復帰する準備を行うことができるのである。(続く)

こちらのマガジンで連載が読めます。


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