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世界で初めて「深宇宙ニュートリノ」を発見した研究チームが成し遂げた三度目の快挙。

ビッグな宇宙ニュートリノ、実は「反ニュートリノ」だった!

『深宇宙ニュートリノの発見』という著書を光文社から出したのは、1年ほど前のことでした。

可視光にくらべて100億倍のそのまた100億倍(1「垓(がい)」倍)という、とてつもないエネルギーの放射が宇宙からきている。その故郷を、これまたわけの分からない不可思議な素粒子「ニュートリノ」を使って探り当てるという無謀な試みを、1990年前後から2018年までの30年近い年月をかけた山あり谷ありの道のりとともに回想する、というのが大体の内容でした。失敗もあれば、ついに宇宙ニュートリノを発見し、その放射元天体の一つを同定するという成功もありました。だけれども失敗のほうがはるかに多いのが、僕の、控えめに言っても順調とは言いがたい、物理学者としての実績でした。

なのに、本を出して1年も経たないうちに、次の発見を報告できるという、信じられない状況にいます。南極点で観測を続けているIceCube(アイスキューブ)実験が検出した数々の宇宙ニュートリノ信号のなかで、2番目にエネルギーが高い(可視光にくらべ3000兆倍!)というビッグなやつが、実は反ニュートリノだったというものです。報道等で知った方もいらっしゃると思います。

「反ニュートリノ」って何!?

反ニュートリノというのは、ニュートリノの反粒子です。反粒子というのは粒子と電荷が反対だけどあとはまったく同じ(実は少しだけ違っていて、その起源は現代物理学の大きなテーマの一つです)というのが、大体正しい言い方です。

電荷がマイナスの電子の反粒子は電荷がプラスの「陽電子」、水素の原子核であり、物質を構成する基礎的な粒子である陽子の反粒子は「反陽子」。どちらも存在は確証され、素粒子実験の現場では当たり前のように作られています。ところがニュートリノの場合は電荷がないので、反ニュートリノとの違いはさらに微妙です。「スピン」の向きが反対、という説明がなされますが、それをここで説明することはやめておきます。それをテーマに1冊本が書けるくらいの深淵なテーマでもありますから。

ここで僕らにとって大事なことは、宇宙を探査する新しい情報軸ができた、というものです。天文学観測が成立するための基礎的な条件は3つあって、信号がきた時間が分かる、やってきた方向が分かる、波長(あるいは同じことですがエネルギー)が分かる、というものです。これにニュートリノと反ニュートリノの比率という、まったく新しい情報軸を観測データに加えることができる、この情報は、宇宙がどのように極めて高いエネルギーの放射を駆動しているのかを探るのに役に立つ、ということだけ言及しておきましょう。

「大発見」をもらたらすものは何か?

さて、相次ぐ大きな発見に恵まれた僕には、何か特別な力があるのでしょうか。そんなことはまったくありません。本を読んでいただければ分かります。では、何が成功をもたらしたのでしょう。考えられることをつぶやいてみたいと思います。

一つは、とにかく超高エネルギーなニュートリノを少しでも早く、少しでもたくさん見つけたい、と毎年毎年の観測データを解析するために、研究グループとして最初から全力を尽くしていたことです。この反ニュートリ信号は、僕ら千葉大学グループがIceCube実験初期のころから構築していた通称EHE解析によって最初に同定されました。本にも頻繁に登場する僕の同僚である石原教授が最初に発見しました。もし宇宙が僕らにたまに親切にしてやるかという気分になったなら、そのときのシグナルは確実に一番乗りで捕らえてやろう、という気構えで長いこと臨んでいたわけです。運・不運自体はどうしようもないけれども、だから人生は不公平だけれども、もし運の風向きが少しでも変わったら確実に引き寄せる、それは努力次第で可能じゃないかと思えるわけです。

もう一つは、優秀な仲間を大切にすることです。この信号を最初に見つけた石原さんのあとを継いで、データを詳細に調べ、その思わぬ特長からこの信号は反電子ニュートリノである、という結論までもってきたのは、僕の研究グループで5年以上働いてきたルーさんでした。僕の本の後半でも登場する彼女は、物理が好きで好きでたまらない、物理解析やシミュレーションをやっていればとにかくハッピーです、という情熱的な若手研究者でした。こうした優秀な研究者が力を好きなように発揮できるよう、後ろから援護する。壁にぶつかって進めないでいたら、このやり方を試してみたらとアイデアを出してあげる。うまくできたかどうか分かりませんけれど、こうしたことを心がけてきました。能力がなくて僕にできないことでも、彼女たちには難なくできることがたくさんあるんです。

もちろん、そこでも簡単なことは何一つありませんでした。この信号は2016年12月に南極点氷河に突き刺さったのですが、僕と石原さんがEHE解析で観測データに潜むこの信号を同定したのは、2017年5月です(「ブラインド解除提案(本書参照)」は僕自身がやったのでよく覚えています)。世界12か国に散らばるIceCube実験グループメンバーに正式に報告したのは5月24日です。それ以来、今回のネイチャー誌による論文発表まで、4年近い時間がかかっているのです。

当時から、これはもしかしたら反電子ニュートリノかも、という仮説はありました。この仮説段階「…かも」と、論文発表による正式な結論の間にはなかなか渡れない大河が流れています。反ニュートリノじゃないだろう、という懐疑的な研究者と論争し、データから導ける新事実を提示し、説得し、説得に失敗したら、また再考したり計算をやり直して再挑戦する。本でも書いた「真夜中の攻防」が繰り返されたわけです。ルーさんが大河の荒波を乗り越えて、結果を出すところまでたどり着いたわけです。

また国境を越えたチームワークもありました。データに見つかった特徴を生かした解析手法の開発、検出器の較正データの洗い出し、氷河の中での光の散乱現象の扱い、それぞれにアメリカやドイツにいる幾人ものエキスパートが手を差し伸べ、大きなゴールに向かって進んできました。国際共同プロジェクトの醍醐味とも言えるでしょう。個人の強さは必要だけど、個人だけじゃないんだ、チームなんだ、ということを思い起こさせる成果でありました。ルーさんもそれはよく分かっていて、論文がネイチャー誌に出版されたあと、こうした縁の下の力持ち的なエキスパートの名前を出して謝意を表すメッセージをIceCube実験メンバー全員に出しています。

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2019年9月、千葉大にIceCube実験チームのメンバーが集結したときの記念写真

今、僕たち日本チームは次の実験装置の建設に向けて走り出しています。IceCubeの次世代プロジェクト、IceCube-Gen2 という実験です。主要検出器の一つ、通称 D-Egg は現在、300台を組み立てる製作過程の真っただ中にいます。高性能の装置を多数、仕様を満たすように製作し試験する。この作業は研究者というより、生産管理や工場現場のエンジニアに近いものがあり、また別種の能力が必要とされます。この分野は、残念ながら僕はあまり得意とは言えません。でも、この領域に力を発揮する人達がちゃんといて、十分すぎるほど補ってくれます。この装置が南極点氷河に埋設されるのは2023年の予定です。

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IceCubeの次世代プロジェクト、IceCube-Gen2 実験の主要検出器の一つ、通称 「D-Egg」。

無事に動いて、観測データを取り始めたら、そのデータを料理して結果を出そうとする若手研究者をサポートする。さらに、その次を見据えた計画を立案し実現する。それが、もうシニア研究者になってしまった僕の役割です。

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著者が「D-Egg」を組み上げている様子。

著者プロフィール

吉田滋(よしだしげる)
1966年大阪市生まれ。東京・横浜・札幌育ち。宇宙物理学者。千葉大学大学院理学研究院教授。千葉大学ハドロン宇宙国際研究センター長。専門は高エネルギーニュートリノ天文学、宇宙線物理学。ユタ大学高エネルギー天体物理学研究所研究員、東京大学宇宙線研究所助手を経て、現職。従事した観測プロジェクトの場所は、山梨県北巨摩郡から始まり、ユタ州の砂漠ときて、ついには南極点と、どんどん人里から離れていくが自身は都会型の人間だと思っている。2014年、第5回戸塚洋二賞、2019年、「超高エネルギー宇宙ニュートリノの発見」で第65回仁科記念賞を受賞。

深宇宙ニュートリノの発見◆目次

まえがき
第1章 ニュートリノ40億年の旅
第2章 宇宙はとてつもないエンジンを持っている
第3章 苦難の始まり――IceCube実験前夜
第4章 IceCube実験との出会い
第5章 超高エネルギー宇宙ニュートリノを捕まえろ
第6章 超高エネルギー放射起源は?
第7章 放射天体を同定せよ
第8章 未来の展望
あとがき ニュートリノの神様



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