高城剛 新刊「はじめに&目次」を公開!『いままで起きたこと、これから起きること。』――「周期」で読み解く世界の未来
はじめに――いままで起きたこと、これから起きること
イシャンゴの骨
1960年、ベルギーの地質学者J・デ・ハインツェリンがアフリカのコンゴを探検中、ナイル川源流域にあたるエドワード湖の北西部にあるイシャンゴと呼ばれた段丘で、およそ2万年前の旧石器時代の骨を見つけた。
のちに発掘場所にちなんで「イシャンゴの骨」と呼ばれることになった褐色のヒヒの腓骨(ひこつ)は、長さが10センチほどあり、片方の端には彫刻用と思われる鋭利な水晶が取りつけられ、いくつもの人為的な刻み目があった。
大きさの異なる刻み目が3列にわたって骨につけられた謎をめぐり、この日から60年近くにわたり考古学界では多くの議論が交わされることになる。
刻み目が非対称的な3つの列にグループ化され、中列の数には、3とその2倍の6、4とその2倍の8、そして10とその2分の1の5が含まれていることから、刻み目は適当につけられたのではなく、2の掛け算や割り算の概念をある程度理解し、「骨自体が簡単な計算機として使われていた可能性が高い」と考えられてきた。
こうした見方に対して、イスラエル工科大学の物理学教授ピーター・ラドマンは、刻み目の印が数を表したものである可能性を否定しないながらも、素数の概念は割り算が理解されて初めて存在し得るはずだが、割り算の概念が現れたのは農耕牧畜文化誕生後の1万年前以降であり、さらに素数を最初に理解したのは紀元前500年代の古代ギリシャの数学者たちだったことから、「これは計算機ではない」と反論した。
このような長年にわたる議論の中、近年、この骨は「カレンダーである」という説が有力になってきた。
周囲で発見された遺跡から、イシャンゴの住人たちは、雨季には山や谷に住み、乾季になると湖の岸辺へ降りてくる移動生活者だと考えられていた。このような彼らの生活様式に着目し、アメリカの考古学者アレクサンダー・マーシャクは、イシャンゴの骨を顕微鏡で観察し、刻み目は6カ月にわたる月の満ち欠けを記録したもので「太陰暦の一種である」ことを示唆したのだ。
現在、この説が最も有力で、ブリュッセルにある王立自然史博物館で常設展示されている「イシャンゴの骨」は、どうやら世界最古のカレンダーである可能性が高い。
生物が「生き抜くための機能」としての周期
イシャンゴの住人たちに限らず、人は周期によって支配されている。
それに気がつくか気がつかないかの違いはあるだろうが、「イシャンゴの骨」に見られるように、1分60秒、1日24時間、1年365日という周期を刻む時間は、太古から誰にも平等に与えられる。見た目はともかく、誰もが同じように歳をとるのだ。
体内に目を向ければ、サーカディアンリズム(概日〔がいじつ〕リズム)がある。サーカディアンリズムとは、約25時間周期で変動する生理現象で、動物、植物、菌類、藻類などほとんどの生物に存在する。
光や温度、食事など、外界からの刺激によって修正されることもあるが、基本的に概日リズムは、進化上最も古い細胞に起源を持ち、昼間の有害な紫外線下でのDNA複製を回避するために獲得した機能であると考えられている。このリズムは内在的に形成されるものであり、生物が生き抜く上での基本機能として備わっている。
米国の時間生物学者マイケル・ウォーレン・ヤングは、ショウジョウバエにおける睡眠と覚醒のパターンの遺伝子による制御の研究から、1994年に、細胞質に24時間周期で産生されるタンパク質「PER」が核内に取り込まれ、24時間の時を刻むのに深く関わる「タイムレス遺伝子」を発見した。
さらに「タイムレス」に関与する別の時計遺伝子「ダブルタイム」も発見し、サーカディアンリズムの基本メカニズムを解明。時間生物学の発展に貢献し、2017年に「サーカディアンリズムを制御する分子メカニズムの発見」の業績で、ジェフリー・ホール、マイケル・ロスバッシュとともにノーベル医学生理学賞を共同受賞した。
生物も無生物も持っている一定のリズム
このような生物のリズム=周期は自動生成されるもので、これを非生物に置き換えたのがフラクタルだ。海岸線も腸の内壁もブロッコリーの形状も、パターンの連続によって全体がデザインされ、目に見える自然にも周期が存在する。
フランスの数学者ブノワ・マンデルブロは、形のうちの任意の一部を切り取っても、それが全体と似ている成り立ちをしている自己相似的な構造を「フラクタル」と定義し、今日では自然物形状の自動生成アルゴリズムとして考えられている。
後日、マンデルブロは、株価チャートを見ていた時にフラクタルの着想を得たと述べている。
つまり、目に見えるものも見えないものも、また、生物に限らず、時間が存在するこの世のすべては、ある一定の周期で動いていると考えられる。
その一定のリズムを持った周期は幾度となく繰り返され、人はそれに合わせることができると、「心地よい」と感じるように設計されている。
日が昇る朝に目覚めて夜にしっかり休む規則正しい生活から、心躍る太鼓が奏でる祭囃子(まつりばやし)、そして、ビッグウェーブを掴んだサーファーまで、繰り返される波にピタッと乗ることは、たしかに心地よい。
サイクルを見失うことによる不調――米国に見る80年の周期
一方、波に乗れずにリズムを持った周期=サイクルを見失ってしまった時、人や社会は不調に陥ってしまう。こうなると健康的(つまり、リズミカル)とはいえない。これは、国家にもあてはまる。
世界恐慌の直後、米国大統領だったルーズベルトは、「出来事には不思議なサイクルがある」と述べている。
たしかに米国では、およそ80年ごとに政治制度の仕組みが変わる「不思議なサイクル」が存在する。憲法の大きな枠組みは保たれるものの、連邦と州の制度の相互関係や個人の価値観が大きく変わり、それに伴ってそれぞれの機能自体も変わってくる。
建国からこれまで、そのような大きな変化が米国に3度起きている。
第1のサイクルは、独立戦争とその余波の中から誕生し、憲法が制定された1787年に始まった。
第2のサイクルは、南北戦争が終わった1865年に始まり、第二次世界大戦終結まで続いた。
第3のサイクルは、第二次世界大戦が終わる1945年に始まり、この「不思議なサイクル」パターンが同じように続けば、次のサイクルは2025年頃から一度終わって、再び始まることになる。
独立戦争、南北戦争、そして第二次世界大戦以降の価値観が変わる第4のサイクルでは、連邦政府と州との関係をどのように再定義し、個人をどのように変えることになるのだろうか。
そこで今後どのようなことが起こり、次の80年をどう考えたらいいものなのかを理解するために、過去のサイクルについて把握し、いまこそ改めて学ぶ必要があると考えた。
米国の大きな変化は世界中に影響を与えるが、特に日本への影響は大きい。
だが、もしかしたら日本にも、同じような80年周期のサイクルがあるのではないか?
世界的に見られる80年のサイクル
米国で独立戦争が始まったのと同じ頃、日本では1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて、悪天候や冷害により、近世では最大の飢饉「天明の大飢饉」が発生し、「百姓一揆」や「打ちこわし」が次々と勃発。徳川幕府の体制が大きく揺らぎ、この頃を境に、幕府より列強な藩が力を持つようになっていった。
そして、およそ80年後の1868年に、徳川幕府が崩壊し、明治政府が樹立される。
さらにその77年後の1945年、第二次世界大戦が終結した。
日本と同じような古い歴史を持つイタリアは、1790年代にナポレオンに征服され、それから71年後の1861年に、現在まで続く統一イタリア王国が樹立。そしてその84年後の1945年、第二次世界大戦が終結。
フランスは、1789年にフランス革命が勃発し、その81年後の1870年に、ナポレオン失脚に伴い第三共和政が樹立。さらにその75年後の1945年に、第二次世界大戦が終結した。
こう考えると、おおよその80年周期は、米国に限らない。
各国の大きなターニング・ポイントとなった1860年代の近代世界史を紐解けば、
1861年 アメリカ南北戦争とイタリア統一戦争
1864年 ドイツ統一戦争
1867年 カナダがイギリス帝国から無血独立
1868年 日本の戊辰戦争が勃発し、江戸幕府が崩壊
1870年 フランスでナポレオン失脚に伴い第三共和政樹立
と、わずか10年の間に世界的に大きな変化が立て続けに起きている。
地政学を超えた偶然ともいえる出来事は、科学的根拠もないので、アカデミックでは無視されてきた。
世界恐慌の直後、当時の米国大統領ルーズベルトは、「出来事には不思議なサイクルがある」と述べた後、「ある世代には多くが与えられ、ある世代は期待され、また、ある世代は歴史を感じる出来事がある」と世代論を述べている。
自分が所属する世代が他の世代と明らかに異なるのは、いまに始まったことではない。
時代の大波を知り、自分の波を知る
本書では、中世封建社会が崩壊し、資本主義が成立した近代250年間を俯瞰的にに見ていくが、サイクルを国家の樹立や大きな社会変化だけに注視せず、もっと大きなサイクルを持つ、「宇宙 >太陽系 >地球 >1日24時間や温帯の四季 >覇権国家の栄枯盛衰 >景気動向」として巨視的に俯瞰し、すべてを自然科学を土台にした影響下にあると定義した。
このうちの前半分「宇宙 >太陽系 >地球 >1日24時間や温帯の四季」を自然科学と考え、後半の「覇権国家の栄枯盛衰 >景気動向」などを既存の歴史や地政学、さらには経済学として分けて考える枠組みからでは、もはやこの先を推察できない。
さて、もし80年周期が世界的に大きな変化をもたらすなら、今日の各国の国体となる礎(いしずえ)が作られた1860年代から2サイクルを経た160年後の2020年代に、世界的な大変化が起きると考えねばならない。
そこで本書は、サイクルを掴むために、時代の大波と、世代などによって異なる自分の波とを重ね合わせる試みを目的とした実用書としてお考えいただきたい。大きなサイクルを掴むとともに、自分の位置を確認しなければ、波に乗ることはできない。
この波に上手く乗れたことを、一般的には「幸運」と呼んでいる。
だが、本当にそのような波は存在するのだろうか?
自然界の基本法則だけを見ても、波やサイクルの存在を否定するのは難しい。物理を見れば、あらゆる物質は振動し、量子場は波と点を形成する。
いや、それどころか、僕らは波やリズムに日々踊らされていて、それに気がつかないだけなのではないだろうか? まるでループミュージックの心地よさに、いつまでも体を揺り動かされるように。
本書は、あくまでも私見と仮説に過ぎないが、もし、大自然や自分の中にサイクルを感じ、また、時代の波に乗るきっかけになれば、何より作家冥利に尽きる。最後まで「不思議なサイクル」をご堪能いただければ幸いです。
目 次
以上、光文社新書『いままで起きたこと、これから起きること。』(高城剛著)より一部を抜粋して公開いたしました。
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