見出し画像

【第12回】精霊と呼ばれる白いクマを求めて|スピリット・ベア(前編)

数々の極地・僻地に赴き、想像を超える景色に出会ってきたネイチャー・フォトグラファーの上田優紀さん。ときにはエベレスト登山に挑み、ときにはウユニ塩湖でテント泊をしながら、シャッターを切り続けてきました。振り返れば、もう7大陸で撮影してきているかも!? そこで、本連載では上田優紀さんのこれまでの旅で出会った、そして、これからの旅を通して出会う、7大陸の数々の絶景を一緒に見ていきます。次は北アメリカ大陸へ。精霊とも称される"白いクマ”の撮影にチャレンジします。


森の精霊

その野生動物の話をはじめて聞いたのは、確か海外のネイチャー誌だったと思う。何年か前、毎月購読していたその雑誌の表紙に目が止まった。それは緑の森の中に真っ白いクマがいて、「森の精霊」というふうに紹介されたものだった。最初はその不思議な写真を見て、環境問題か何かでホッキョクグマが北極に住むことが出来なくなって森にまでやって来たのか、というふうに考えていたが、ページをめくっていくと、どうもそれは違うようだった。

スピリット・ベア(精霊のクマ)。その白いクマは現地ではそう呼ばれているらしい。スピリット・ベアはアメリカクマという種で、アメリカやカナダではよく見られる特に珍しくはない黒いクマだ。そのどこにでもいるアメリカクマを神格化しているものは、やはり彼らの白さだった。調べてみるとその毛の白さは一般的に思いつくアルビノではないらしい。アルビノというのはメラニンの生成が不足、または欠如する遺伝子疾患であり、肌や毛が白く、瞳は淡い色になることが多い。人間だと約二万人に一人という確率で発症する遺伝子疾患で、野生動物の世界でもごく稀に発見されることがある。

一方でスピリット・ベアは白変種ということらしかった。白変種は色素の減少により体毛・羽毛・皮膚等が白化した動物の個体をいう。白い外見からアルビノと混同されがちだが、全く異なる形態になる。例えば、白変種を代表するホワイトタイガーという動物は皆さんも写真や動物園で見たことがあるだろう。ホワイトタイガーはその名の通り、美しい白い毛並みを持つが、縞模様は他のトラたちと変わらずはっきりと黒い。一方でアルビノのトラの場合は縞模様も薄く、体全体が白っぽいという違いがある。

もう少し白変種について調べていくと、さらに興味深いことが分かった。白変種が生まれる理由は諸説あったが、現在、有力な説としては氷河期の名残と考えられているようだ。はるか昔、地球が雪と氷に覆われていた時代があった。そんな白色に覆われた風景に適応するために保護色として白くなるという遺伝子が動物たちの体内に僅かに残っていて、それが百頭に一頭という割合でごく稀に現れるということらしかった。

数万年前、氷河期と呼ばれる時代があったということはもちろん知っている。子供の頃、ボロボロになるまで読み込んだ地球図鑑には、その頃の地球の風景として雪に覆われた世界を闊歩するマンモスのイラストが描かれていたのを今でもはっきりと覚えている。そして、同時にそれはもう見られない風景であることも知っていた。この世界にはもう見られなくなってしまった風景が存在する、そんな当たり前の事実をわずか五歳という年齢ではじめて知った時、幼心にそれがどれほどショックだったか。

もちろん氷河期の風景がそのまま残っているわけではないが、スピリット・ベアはきっとその時代を抱えたまま生きているような気がする。図鑑に夢中になっていた頃から三十年近くたって、諦めていた風景をもしかしたら見ることができるかもしれない。この事実に気づいた時、言葉にできないほどの喜びを感じた。

キャンセル待ちは五年後

すぐにでもスピリット・ベアが住む森に行きたかったが、それは容易なことではなかった。スピリット・ベアは先住民たちにとって神様のような存在であり、古来より彼らはスピリット・ベアを崇め、敬い、守ってきた。今は昔ほど厳しくはないが、森に入れる人数や期間は極端に制限され、また現地に暮らす先住民たちの案内がなくてはクマたちが暮らす島に立ち入ることさえ許されない。

スピリット・ベアに出会えるのは一年のうちでも九月の限られた時期だけだという情報を得た僕は、知り合いのカメラマンを通じて一年後の秋のスピリット・ベア撮影の許可を取ろうとした。彼はアメリカで活躍する動物写真家であり、野生動物観測のガイドもしている。こういった希少な動物が観測できる機会はなかなかなく、僕のような写真家だけでなく研究者など多くの人たちが世界中からこの僅かなチャンスを狙っている。僕の経験では、それでも一年前であれば多くの場合はその枠を手にすることはできる、はずだった。

一週間ほどして友人からメールの返信がきた。「Unfortunately……(残念だけど……)」ではじまるそのメールには、来年はもう一年間に出せる許可の枠が埋まっていること、そして、五年後まで同じ状況であることが書いてあった。それは希望者が殺到しているというより、森に立ち入れる人数が極端に少ないことが理由だった。許可が取れない限りは現地に行くことすら不可能だ。しかたなく五年後の二〇二七年にキャンセル待ちという形で気長に待つことにした。

しかし、二〇二四年二月、その年にスピリット・ベアの撮影に行く予定だったカメラマンの友人から来た一通のメールで事態は一変する。そこには「一緒にいくはずだった友達がいけなくなったからお前が来るか?」と書いており、メールを最後まで読まずに「YES!!!!」と返信した。しばらく信じられなかった。こんな幸運あるんだろうか。夜になってベッドに入ってもしばらくドキドキして眠ることができず、目を閉じると深い森の奥から真っ白いスピリット・ベアが近づいてくる風景が見えてくるようだった。

日本からわずか三日で

スピリット・ベアの撮影はヒマラヤ登山のように肉体改造するほどのトレーニングは必要なかったが、撮影成功には運という要素が大きな(というよりほとんど)割合を占めていた。エベレストは登頂できるかできないかを別にすれば撮影することはできるはできる。山は動かずずっとそこにあるからだ。これから何万年たっても、例え人類滅亡の危機があったとしても、同じ場所にずっとそこに存在し続けるだろう。だから行くことさえできれば、少なくとも一枚も写真が撮れないなんて事態にはならない。だが、野生動物たちはそうはいかない。とりわけスピリット・ベアは地球上に数百頭しか存在しない希少なクマだ。会えるかどうかは本当に運次第だった。

二〇二四年九月初旬。トンガでザトウクジラの撮影を終え、帰国してからわずか三日後、いよいよスピリット・ベアに出会うため、カナダへ出発した。スピリット・ベアたちが暮らしているのはカナダとアラスカの間にある広大な熱帯雨林。今回はその中でも特に多くのスピリット・ベアが生まれるという無人島の森に行く。日本からカナダのバンクーバーまで行き、そこからさらに飛行機と船を乗り継ぎ、目指す無人島から船で一時間ほどの入江にある小さな先住民たちの村に着いたのは、日本を出て三日後のことだった。

世界の果てまでたった三日で着くなんてすごい時代だなと、こんな僻地を訪れるたびに考えてしまう。考えてみたら南極だってエベレストのベースキャンプだって十日もあれば行くことができてしまう時代だ。その恩恵を目一杯受けている僕だが、早すぎることに時々違和感を感じることがある。もう少しゆっくり移動しないと大事なものを見過ごしてしまうような感覚は、タイパだコスパだ言われる時代にはそぐわないのかもしれないが、少し寂しい気がする。

苔むす森を歩く

ともかくベースとなる先住民たちの村に到着した。今回はガイドをしてくれる人の家に宿泊しながら毎日、無人島に行きスピリット・ベアを探す予定だ。夕食を食べながらミーティングをして逸る気持ちを抑えながら就寝した。翌朝、五時に起床。ランチのサンドウィッチと熱いコーヒー、撮影機材を持って村の入江に停めてある船に乗り込んだ。八人乗りの小さな船はまだ濃い霧に覆われた世界をゆっくりと進んでいく。陽が昇り、次第に霧が晴れてくると、ようやく周囲の様子が見えてきた。この辺りは無数の入江や無人島があり、そのどれもが太古の森に覆われている。森が終わった途端に海がはじまる風景はまさに思い描いた通りのカナダやアラスカの沿岸部のものであり、次第に胸が高まっていった。

一時間ほどすると目的の無人島に着岸した。もちろん港や船着場のような人工物はなく、剥き出しの岩岸にそのまま船を乗り付けて陸へ飛び降りる。そここらすぐに森が始まり、道なき道を行くトレッキングがはじまった。そもそも北海道よりも広い森でどうやって数百頭もいない希少なスピリット・ベアを見つけるのか。答えは簡単で待つ、だ。作戦とも言えない作戦だが、この時期、大量のカラフトマスが産卵のために川をのぼる。スピリット・ベアを含めてクマたちは、このマスを目当てに川沿いに集まってくるのだ。なのでそのクマたちが来そうな、たくさんマスがいて、捕まえやすそうなポイントを見つけてひたすら待つ。もちろんこの広大な森にはそんなポイントは山の数ほどある。けど、僕にできることは信じて待つほかなかった。

森に入って、川に沿って歩いていく。もちろん歩きやすい道なんてなく、時には川に入って濡れながら川の上流を目指す。森歩きはひたすら楽しかった。日本の植生とは違った苔むす森は深い緑に覆われて美しく、深呼吸をすると苔と土の匂いが鼻をくすぐる。森にはたくさんの赤や青いベリーがなっていて、見つけるたびに先住民たちと同じように食べながら歩いた。

森の中には時々、頭と腹部がなくなったマスが落ちていた。クマが食べたあとに違いない。クマたちは餌にありつけない時は魚の肉まで食うが、食うに困らないこの時期は栄養の豊富な頭と内臓だけを食べるんだ、と先住民のガイドが教えてくれた。半身になったマスを見てもったいないな、と最初は思ったが、この肉が土に還り、豊かな森を作っている。そして、この豊かな森から流れる川は栄養たっぷりの海を作り、ザトウクジラや魚たちを育てていくのだ。太古から続く、命の循環がこんなにもありありと映し出されている世界ははじめてだった。
(後半に続く)

著者プロフィール

1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。

世界最高峰への挑戦をまとめた
『エベレストの空』も好評発売中です!


光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!