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日本企業は「現場力」だけでは生き残れない。「世界標準」に必要なキーワード

「アーキテクチャー戦略は日本の弱点と言って良い。中でもコアになるモジュール化の概念はノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンによって、1960年代に提起されたものだ。それ以来、世界はその概念を様々な分野で有効活用し実装してきた。だが日本での評価と実装は、世界の潮流と大きくかけ離れてしまい、低い水準にとどまっている。
本書はそのアーキテクチャー戦略とモジュール戦略を取り上げて、それらの概念がいかにして生まれ、世界でどのように議論されて発展してきたのか、にもかかわらず、それらの概念は日本でなぜ誤解されてしまったのか、そして、それは今後の日本の産業競争力にとってどのように重要なのか、といった事柄を紹介するために書かれている。」

序章「なぜアーキテクチャー戦略が重要なのか」より

学習院大学国際社会科学部教授・柴田友厚さんの最新刊『IoTと日本のアーキテクチャー戦略』(光文社新書)の発売を機に、本書の「あとがき」の一部を公開いたします。

不思議な概念

デジタル化の進展する時代、日本は現場力をアーキテクチャーで補強しなければやっていけなくなるのではないか──、そういう思いから本書の執筆は始まった。

私がアーキテクチャーという不思議な概念に出会ったのは、30年以上も前のことになる。随分と長い付き合いになってしまった。

私は大学を卒業後、ファナックの研究所で開発技術者として、NC装置の基本ソフトウェアの開発に従事していた。当時はマイクロプロセッサの興隆期にさしかかりつつあり、その覇権を巡って米インテル社と米モトローラ社が激しく競争を展開していた。当時ファナックもまた、両社の競争の帰趨を見極めていたように思う。あるNC装置にはインテルのプロセッサを使い、他のNC装置にはモトローラのプロセッサを使うというように、どちらか一社に依存してしまわないようにバランスを取っていたはずだ。

プロセッサはソフトウェアで制御される。NC装置の基本ソフトウェアの開発に従事していた私は、プロセッサの技術仕様を理解せざるを得ない。プロセッサの技術仕様に関する知識がなければ、それを制御するソフトウェアを書けないからだ。その結果として、インテルとモトローラ双方の仕様を知るようになったのだが、そのような時に出会ったのが、アーキテクチャーという言葉だった。

インテルとモトローラのプロセッサは、命令セットなどの考え方がかなり異なっていた。ある会議で、インテルとモトローラではどちらのアーキテクチャーがきれいなのか、という激論に遭遇したのが、アーキテクチャーとの初めての出会いだったと記憶している。とりわけ新鮮に響いたのは、アーキテクチャーという技術的概念を「きれい」という感性的表現を使って形容した点だ。技術の判断に際して、きれいなアーキテクチャーかどうかという観点が一つの基準になりうるのだろうか、と当時は驚いたりしたものだ。

その時から30年以上が経過し、その間私は、職場を企業から大学へ変えることになったのだが、アーキテクチャー及びモジュール化は継続してフォローしているテーマの一つである。

日本語に翻訳できない概念

冒頭で「不思議な概念」と表現したのは、技術やイノベーションの文脈で使われるアーキテクチャーという言葉にぴったりとあてはまる日本語を見つけることは極めて難しいからだ。

ちなみに、手元の辞書でアーキテクチャーをひいてみると、まず建築や建設という訳語があり、次に、構造や構成という訳語が出てくる。だがインテル・アーキテクチャーと言う時、建築や建設のことを意味しているわけではないことは明らかだ。プロセッサの構造や構成という意味合いは完全な的外れというほどではないが、決して的中はしていない。かと言って、技術仕様という言葉で表現されるほど、技術の細かな点をアーキテクチャーは問題にしているわけではない。

あえて言うならば、設計思想という日本語が最も馴染むのかもしれないが、それでもアーキテクチャーの持つニュアンスは抜け落ちているように思う。そのため今では多くの場合、アーキテクチャーという言葉がそのまま使われている。アーキテクチャーを日本語に正確に翻訳できないからだ。

つまり、日本はアーキテクチャーという言葉にぴったりと合致した日本語を持たないのである。それはおそらく、日本の産業がこれまでのところ、アーキテクチャーという概念を必要としなかったからではないのだろうか。アーキテクチャーのような抽象的で面倒臭いことを事前に考えずとも、走りながら分厚い現場の力を総動員することで何とか事業を回していけたからに違いない。

実はこの「現場」という言葉こそが、日本企業の経営者や企業人が最も良く好んで使う言葉の一つである。ところが現場という概念は、適切な英語に翻訳することが難しい日本語だ。Frontline(最前線)やField(実地)といった英語では、現場という言葉の持つ重要で微妙な意味合いが抜け落ちてしまう。翻訳が難しい日本独自の概念なのだと言って良いだろう。そのため、例えば日本の良さを積極的に取り入れようとする海外企業は、現場をそのまま「Gemba」と表記して使っている。

そして日本企業の持つ稀有な現場力こそが、日本企業を支える屋台骨だという暗黙の共通理解のようなものが存在してきた。私自身の10年以上の製品開発における現場経験を振り返っても、確かに現場の底力を実感する場面に何度か出会った。合理的に考えれば無理難題としか思えないような難問に対しても、持ち前の使命感と責任感を発揮して何とか応えてきたのが日本企業の現場だったのではないか。だが、これ以上現場の力に頼るだけでは、現場は疲弊し劣化してしまうかもしれない、そういう時代状況に入りつつあるように思う。本書で取り上げた幾つかの企業事例からも、その兆しを察することができるに違いない。

では日本はどうするのか。英語に翻訳できない現場という日本独自の概念と、日本語に翻訳できないアーキテクチャーという欧州発の概念。この非対称性に一つの鍵があると思う。言うまでもなく日本独自の強みは大切にすべきだが、それにばかりこだわり続けていては環境変化に柔軟に対応できなくなってしまう。

これまでの日本企業は必要としなかったかもしれないが、今後はアーキテクチャーという概念を積極的に導入することだろう。日本語への翻訳が難しい概念にこそ、日本の弱みを補い産業を強化するヒントがあるのではないか。それによって持ち前の現場力を、アーキテクチャーという概念で補強するという方向性が見えてくる。本書がそれを考えるための一助にでもなればと思う。

目次

【序章】なぜアーキテクチャー戦略が重要なのか
【第1章】アーキテクチャー論はいかにして誕生し発展してきたのか
【第2章】なぜ日本でモジュール戦略は誤解されてきたのか
【第3章】車の脱炭素競争とアーキテクチャー戦略
【第4章】自動運転開発競争とアーキテクチャー戦略
【第5章】産業アーキテクチャー
【第6章】 二兎を追う経営──ダイキン工業のモジュール戦略
【第7章】製造業のデジタル変容史 
【終章】日本の正念場 サイバーとフィジカルの好循環へ

著者プロフィール

柴田友厚(しばたともあつ)
1959年北海道札幌市生まれ。学習院大学国際社会科学部教授。東北大学名誉教授。京都大学理学部卒業。ファナック株式会社、笹川平和財団、香川大学大学院教授、東北大学大学院教授を経て2020年から現職。筑波大学大学院経営学修士(MBA)、東京大学大学院先端学際工学博士課程修了。博士(学術)。主な著書に『日本のものづくりを支えた ファナックとインテルの戦略』(光文社新書、2019年)、『イノベーションの法則性』(中央経済社、2015年)、『日本企業のすり合わせ能力』(NTT出版、2012年)、『モジュール・ダイナミクス』(白桃書房、2008年)、共著に『製品アーキテクチャの進化論』(白桃書房、2002年)などがある。

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