真鍋厚さん最新刊『山本太郎とN国党』の「はじめに」を公開します
安倍政権から菅政権へと変わり、解散総選挙が取り沙汰される今、「れいわ現象」「N国党躍進」と呼ばれた彼らの出現を、改めて考え直す時期がきたように思います。評論家・真鍋厚さんによる本格論考による一冊、待望の発売を記念して、「はじめに」を全文公開します。
令和以前と令和以後の世界
平成からの改元後、令和初の国政選挙となった二〇一九年参議院選挙。
「れいわ新選組」と「NHKから国民を守る党」(以下、N国党)の躍進は、日本で初めて民主主義とインターネットが融合した政治勢力が誕生した新時代の幕開けでした。しかも、これは恐らく一過性のものではありません。わたしたちにとってリアルではなくなってしまっていた政治と生活の関係性を、ダイレクトに結び付ける「接着剤」としての新しい運動のひな型を提供してしまったからです。つまり、パンドラの箱は開けられたのです。
国政レベルでは何の実績もない二つの新興勢力がいきなり政党要件を満たしてしまった事実は、明らかに従来とは異なる国民の投票行動が国政選挙に決定的な影響を与えたことを意味しています。にもかかわらず、選挙結果が出た直後から、とんちんかんな分析が後を絶ちませんでした。例えば、れいわ新選組を「日本新党」をはじめとする過去の新党ブームと比較する言説。N国党を「スマイル党」などのいわゆる泡沫候補の文脈で論じる言説……。
このため、筆者は以前からお付き合いのあった「東洋経済オンライン」と「現代ビジネス」に相次いで記事を寄稿しました。主なもののタイトルと配信時期だけを並べると、以下のようになります。
〈れいわ新選組の底力を、ポピュリズム批判だけでは見誤る「真の理由」〉
(二〇一九年七月二八日、現代ビジネス)
〈N国党躍進を茶化す人が見落とす「庶民の鬱屈」〉
(二〇一九年八月三日、東洋経済オンライン)
〈れいわとN国党に通じる不安な個人への訴求力〉
(二〇一九年八月一四日、東洋経済オンライン)
〈N国党が次は「文春砲」「マツコ・デラックス」を狙った恐るべき理由〉
(二〇一九年八月二五日、現代ビジネス)
筆者がこれまでフォローしてきた分野は、過激派組織「イスラーム国」に代表されるテロリズムであったり、ヘイトスピーチや国粋主義の復活などの不寛容の風潮であったり、不謹慎狩りをはじめとする「ネット炎上」であったりと、先進国を中心に広がる個人化の進展とコミュニティの衰退を背景にした社会問題全般でした。
いわゆる国会中継などに代表される永田町の動向には、大手メディアの報道などで軽く目を通す以上の興味を持ってはおらず、ましてや選挙分析の記事など一度も書いたことはなかったのです。しかし、あまりにも的外れな論評が多いことに反発を覚え、自分から編集者に提案して一連の記事を発表するに至ったのです。これはかつて経験したことのない局面でした。
これらの記事が配信された直後からPV数は跳ね上がり、配信サイト内のランキングが一位にまで上昇したりしました(Yahoo!ニュースなどの外部配信でも上位にランクインする例が目立ちました)。Twitterなどのソーシャルメディアでも拡散され、想像以上に大きな反響を得ました。特にれいわ新選組について取り上げた「現代ビジネス」の記事は、「ポピュリズム」というキーワードで代表の山本太郎やれいわ新選組を危険視する声について、むしろ身の危険を感じているのは支持者や支援者たちの方だと述べた点が思いのほか評価されました。つまり、「れいわ現象」の背景には、「生産性」という尺度で人生の価値が暴力的に決定され、いつ社会から不要と宣告されてポイ捨てされるかもしれないといった、安定した生活が崩壊することへの人々の恐怖や不安があったのです。
考えてみれば平成の三〇年間、この国ではグローバル化の進展に伴う経済的格差が拡大するとともに、いわゆる「職場」を社会的な承認の支柱とする人生モデルが足元から崩れ落ちていきました。さらにそれらの変化と並行して、家族や地域社会、同業組合などのソーシャル・キャピタル(社会関係資本)がひたすら弱体化し、「社会的孤立」状態の人々が増大し続けました。つまり、中間層の解体を推し進めた格差社会の深刻化と、コミュニティの空洞化を意味する社会的孤立の全面化のダブルショックが、れいわ新選組とN国党の票田に直結しているのです。このことを皮膚感覚としてどれだけ実感できるかどうかが、これからの日本の未来を占ううえで欠くことのできない状況認識といえます。しかし、残念ながらマスメディアや政治家を含め、この国の権力者と称される人々は、いまだ事の重大性を真正面から受け止められずにいます。このような現状把握に対する決定的なズレこそが「社会の分断」を加速させているのです。
本書では、令和以前と令和以後を画する大きなイベントの一つとして、れいわ新選組とN国党の台頭を中心に、日本におけるインターネットと政治活動の地殻変動を探るだけでなく、今や強力な兵器と化しつつあるソーシャルメディア独特の力学と、その情報技術と融合しながら世界各地で活性化している「再部族化」がもたらす新たな闘争について、できるだけ本質的な議論を展開させていきたいと考えています。そこで、重要な視点となるのは、もはや傍観者でいるのは不可能になるということと、傍観者でいることは一つの意思表明、政治的な立場にならざるをえないということです。これは当然ながら筆者も例外ではありません。わたしたちの一挙手一投足が「絶望の未来図」と「希望の未来図」を描く絵筆として、目の前の風景を絶えず何色かに彩ろうとするのです。しかも、この闘争に終わりはありません。
また、今回の問題設定に関しては、筆者がロスト・ジェネレーション(就職氷河期世代とも呼ばれる。バブル崩壊後の就職難がひどかった時期に社会人になった世代)であることを言い添えておかねばならないでしょう。友人や知人の多くが、非正規雇用に追いやられ、上京後や帰郷後に連絡が途絶えたりして社会の表舞台から消えていきました。引きこもりになってしまったり、精神を病んでしまったりした人も少なくありません。筆者は、いずれこのバブル崩壊のツケを押し付けられた世代の怨嗟が、どこかのタイミングで時限爆弾のように噴出するだろうと踏んでいました。
しかも、今や老若男女を問わず「勝ち組」「負け組」というカテゴリー分けが横行する過酷な生存競争が社会のあちこちで発生するようになりました。日本の相対的貧困率は、日米欧主要七か国(G7)のうち、米国に次いで二番目に高い状況にあります。約六人に一人は「相対的貧困」なのです。最悪の場合、国家を構成するメンバーの六分の一が時限爆弾と化す可能性があるというわけなのです。これは単に犯罪予備軍になるということではありません。次世代のことを見据えて社会を良くしようという動機付けが失われ、「社会がどうなろうと知ったこっちゃない」と考える人々が増えていくことを意味しています。一〇年後、二〇年後に振り返ってみれば、令和以後のこのような新党の出現は、最初の「警笛」だったのかもしれない――そのような総括が行われるに違いありません。要するに、筆者の「なぜこの参院選の結果の背後にある真の問題が分からないのか」という世の中に対する歯がゆさ、腹立たしさは、「なぜ社会がこれほどまでに壊れてしまっていることに気付いていないのか」という問いと同居していたのです。
本書において筆者は、あえて大げさな言い方をすれば、没落が運命付けられた国家の一員であることを強烈に意識しながら、わたしたちの政治行動のナビゲーションの可能性について、できるだけ先入観を排して多角的かつ平易に描きだしたつもりです。読者諸賢のご海容を請う次第です。
目次
刊行記念イベントのお知らせ
12月16日(水)『山本太郎とN国党』刊行記念 真鍋厚さん × 宮台真司さんトークセッション 「ポピュリズムという爆弾」
詳細はこちら
http://pundit.jp/events/5145/
会場予約
https://pundit2020-1216-01.peatix.com/
配信予約
https://twitcasting.tv/tetsuo_pundit/shopcart/37820
著者プロフィール
真鍋厚(まなべあつし)
1979年、奈良県天理市生まれ。大阪芸術大学大学院芸術制作研究科修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。専門分野はコミュニティ、暴力、宗教、サブカルチャーなど多岐にわたる。著書に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)がある。その他、各種ニュースサイトで連載を執筆中。
11月刊『山本太郎とN国党』は、11月17日前後に全国書店ほか、ネット書店でお買い求めいただけます。