僕だって「桜を見る会」に呼ばれたら…。|中森明夫、新刊を語る。
作家でアイドル評論家の中森明夫さんが、小説を上梓した。
タイトルの『青い秋』は、50代の終わりを迎えた中森さん自身の今を指す。
人生は収穫期を迎えた秋のはずなのに、ずっと青いままだという。本書は私小説だが、主題は「私」ではなく時代だ。
上京し、フリーライターとして仕事を始めた「青い春」。新人類の旗手として持ち上げられ、「おたく」を命名し、15歳の後藤久美子と16歳の宮沢りえを両脇に記念写真を撮った「青い夏」。
昭和から平成に続くキラキラ、ギラギラとした時間が甦る――。
インタビュー・文/今泉愛子
撮影/永峰拓也
――「おたく命名記」では、「おたく」を命名した当初は差別用語だと批判された言葉が、6年後、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤の自室の様子が公開されるやすごい勢いで広まった様子が書かれています。中森さんの発言が、彼を擁護したと見出しをつけて新聞記事にされたため、大変な思いもされたようですが。
中森 そうですね。あのときネットがあったら大変だったと思いますが、脅迫電話がいっぱいかかってきました。彼は僕より2つ下で、明大中野高校の後輩なんです。もしかしたらどこかですれ違っていたかもしれない、とも思った。
だから『青い秋』は、売れないライターが紆余曲折しつつも順調に上手くいって、今ではマスメディアで大活躍しています、という作品ではないんです。
新人類になったけど、心身ともにおかしくなったり、おたくを名づけたけど、そのツケが回ってきてえらいことになったりと、単なる成功話ではないから小説になった。
楽しくもあったけど、けっこうひどい目にも遭って大変だったんです。
――寄らば大樹の陰という生き方を全くしていないところに共感します。
中森 いや、僕だって「桜を見る会」に呼ばれたら、ちょっとは考えます……いや、やっぱり行かないかな(笑)。まあ呼ばれないでしょう。僕は、ただのフリーライターという立場。そして芸能人はけっこう好きという立場ですね。
————いつから、アイドル好きだったんですか?
中森 そもそも東京の高校を受験して三重県から上京したのは、アイドルに会いたかったからでもあります。当時は東京にしかアイドルはいなかった。今はご当地アイドルやSKE48、HKT48もいますけど。
――そのときは誰のファンだったんですか。
中森 南沙織、麻丘めぐみという正統派のアイドルが好きでした。原田美枝子も。原田美枝子はまだ少女で、「恋は緑の風の中」という作品で女優デビューしたんです。彼女は同世代ですね。
「テレビジョッキー」という番組を見ていたら、中学生が恋愛して、原田さんがヌードになるという衝撃的なシーンが紹介されたんです。司会者の土居まさるが「これから舞台挨拶だから、原田美枝子君に会いたい諸君は有楽町の映画館に全員集合!」と言うんですが、田舎だから行けない。これはもう東京に行くしかないと、翌年上京しました。
————私も地方出身なので、わかります。だけど、東京に行けば、芸能人に会える、というほど単純ではないですよね?
中森 三東ルシアというセクシー系のアイドルがいて、彼女が出演している『青い性』を新宿東映でやるというんで、学校を途中からサボって見に行きました。土曜日でしたが、ガラガラで。だけど三東ルシアが舞台挨拶で来ていたんです。終わったあと、バッと前に行って、舞台から降りてくる彼女と握手してもらいました。彼女は、当時の週刊プレイボーイの「オナペット人気投票」で第一位に選ばれたりする子だったんですけど。
で、10年後。僕は新人類の旗手になって、『アサヒ芸能』から何でも好きなことやっていいと言われたから、昔好きだったタレントにもう一回会う「あの愛をもう一度」という企画を考えて、三東ルシアに会いにいった。「10年前に新宿東映で握手してもらったんです」と言ったら、「覚えてる」と言ってくれたけど、どうかな。
5年前に『週刊現代』で、「三東ルシア告白」という記事があって、読んでみたら、初体験の相手がモト冬樹だったと書いてあった。もう、俺の青春を返してくれと(笑)。そのあと付き合ったのが相撲の水戸泉とか、ジャンボ仲根とか、もうすごいわけ。びっくりした。書いていると、そういう昔のことを思い出すんです。
————いくらでも小説が書ける。
中森 よく「中森さんの話は面白いですね。いや~、文章より面白いですよ」と言われて、複雑な気持ちになるんですが。又吉直樹さんも「エピソードが全て凄まじい」と推薦文に書いてくれたけど、とにかくいろんなネタを盛り込んでいます。芸人さんたちの「すべらない話」と近い感覚はあるかもしれない。
————アイドルには積極的に会いに行ってたんですか?
中森 中学3年の時、予備校の夏期講習で上京しました。で、後楽園のジャンボプールで木之内みどりが新曲を歌うというんで、すぐ海パンを買って見に行った。「あした悪魔になあれ」という曲の発表会で、サインしてもらって。
その木之内みどりが人気アイドルだったのに、ベーシストの後藤次利とアメリカに逃避行したことがあった。後藤次利は妻子もいたんですが、離婚して木之内みどりと結婚して、今は(元おニャン子クラブの)河合その子と結婚しています。
その後、コラムで書きましたよ、「後藤次利、許せん」って。日刊ゲンダイで「ベースマンヤリチン説」というテーマで、家に女性タレントを呼んでベースを弾いて子宮にビンビン響かせるって手口を(笑)。ポール・マッカートニーも矢沢永吉も皆ベーシストですね。
原田美枝子は、結局、ロックミュージシャンの石橋凌と結婚して、それで「石橋凌、許せん」みたいなことも書いたんですよ。僕らの美枝子ちゃんの大きい胸を自由にするなんて、と。
それからだいぶ経って、僕が38歳になる頃に、原田美枝子は『愛を乞うひと』という感動的な映画で、日本アカデミー賞主演女優賞を取るんです。僕はそれを東宝の試写室で見て、原田美枝子も大人になったなと思った。その時、後ろの席でやたら号泣してる人がいるわけ。試写会ってマスコミや関係者が多いから、感情をあらわにする人は少ないんだけど。それで、パッとその人を見たら、石橋凌だった。
それをオチにしてね、「凌さん、やっぱりあんたが原田美枝子と結婚してよかったよ」と書いたんです。やっぱり、我ながらネタの宝庫だなって(笑)。
————ぜひ次作に生かしていただいて。「美少女」では、後藤久美子と宮沢りえとのエピソードが満載で。二人は最初からまったく別格でしたか。
中森 もちろん別格ですよ。写真をツイッターに上げています。今見ても美しいじゃないですか、これが15、16歳ですから。今の乃木坂や欅坂にはいないタイプでしょう。
――宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさの3Mも中森さんが命名したんですね。
中森 そう。りえママに、一緒にするなって怒られたけど、そういうのを考えるのが僕の仕事ですから。りえちゃんは写真集『サンタフェ』が出て大騒ぎになった、ちょうどそのとき、写真を撮った篠山さんと仕事してたんです。当時の貴花田との別れ話の直前も会いました。
さらに国江さんというクリエイターも登場します。昨年末、彼が亡くなったという話を聞いて供養の意味もあって作品の中に組み込みました。すると、後藤久美子や宮沢りえより国江さんの比重が高くなったんだけど、小説の完成度は高くなったんじゃないですか。これまで後藤久美子のことを書いたり、しゃべったりしたことはあったけれど、こうして国江さんのことまで含めて書いたのは初めてです。
——「新宿の朝」では、西部邁さんや中上健次さんという濃い方たちとのお付き合いも書かれています。中森さんは飄々としていらっしゃる感じが、面白かったんですが。
中森 僕は楽観的だったんです。楽観的じゃなかったらやっていられなかったですね。将来を考えたら。
――西部さんや中上さんに取り込まれたり、潰されそうになったりしませんでしたか。
中森 僕は末っ子だから明らかに弟的な体質で、誘われるとついて行っちゃうんです。20代前半の頃って、どこへ行っても一番若かった。マガジンハウスでも2歳ぐらい上の編集者が、自分より若いライターが来たと、喜んでくれてしょっちゅう飯に連れて行ってくれた。すごく優しい人だった。その人が本上まなみと結婚したんですけど(笑)。
――出版業界やテレビの世界を舞台にするのは、時代の空気がとてもよくわかります。
中森 有名な作家になった方って、昔は放送作家出身の人が多かったですよね。野坂昭如さん、五木寛之さん、青島幸男さん。彼らは自分たちが放送作家をやっていたテレビの黎明期やレコード会社の始まりの頃のことをずいぶんと小説に書いています。その下の団塊世代だと景山民夫さんも『ガラスの遊園地』といった放送業界を舞台にした小説を書いている。だけど、案外、僕らの世代は書いていないんです。
その頃から40年経って、どの出版社に行っても編集長は年下になった。自分が年上なわけで、当然、年上のふりをしなきゃいけないから、変な感じがしますね。
でも、一回り上の団塊世代には鍛えられましたよ。今で言えばパワハラとか、マウンティング的なものもありました。
――すごかったでしょうね。
中森 しかも熱かったからね、まあ、すごく鍛えられました。たまに若いライターに言うんです。編集者やテレビ業界人なんて、犬みたいなもんで、こっちが弱みを見せると噛みついてくるから、最初にガーンと一発やってやらなきゃいけないんだよと。たとえば新人文学賞の受賞パーティで何も知らない若い受賞作家にそんな話をしていると、編集者が飛んできて「中森さん、変なこと吹き込まないでください!」って必死で止めてね(笑)。
これ、プロモーションになる? 大丈夫?
(つづく)
中森明夫さん渾身の私小説『青い秋』は、全国書店にて絶賛発売中です。
又吉直樹さん、川村元気さん、絶賛!
「エピソードが全て凄まじい。
街を這いつくばったから見えた景色。
それでも降参せずに遊び続けたからこそ見えた風景。」
又吉直樹(芸人、芥川賞作家)
「昭和、平成から令和へ。
ひとりの男の記憶を辿ると、そこには東京にかつて在ったもの、
失われたもの、新しく生まれようとしている何かが見えてくる。」
川村元気(映画プロデューサー、小説家)
青春には続きがある。
人生後半、「青い秋」のせつない季節だ――。
かつて〈おたく〉を命名し、〈新人類の旗手〉と呼ばれた。人気アイドルや国民的カメラマンらと、時代を並走した。フリーライター・中野秋夫。もうすぐ還暦で、自らの残り時間も見えてきた。人生の「秋」に差し掛かり、思い出すのは、昭和/平成の「青春」時代のことだ。
自殺してしまった伝説のアイドル、〈新人類〉と呼ばれたあの時代、国民的美少女と迷デザイナー、入水した保守論壇のドン、そして、〈おたく〉誕生秘話――。
東京に生きる、クリエイター、若者、アイドル、浮遊人種……それぞれの青春、それぞれの人生を丹念に紡いだ渾身の私小説。