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新型コロナは「ただの風邪」? 「科学的に考えるのが実は苦手」な私たちが気をつけるべきこと

読売新聞編集局科学部の三井誠さんは、先日、科学技術に関する優れた報道や著作に贈られる「科学ジャーナリスト賞2020」を受賞されました。受賞を受けて、本書執筆の意図や伝えたかったポイントなどをあらためて綴ってくださいました。科学技術が生活の隅々にまで浸透した現代社会において、私たちは科学とどう付き合っていけばいいのでしょうか。そのヒントが本書で描かれています。

「トランプ大統領」誕生の衝撃

読売新聞ワシントン支局で2015年から特派員をしていた3年余りの中で、最も忘れられない瞬間は、2016年11月9日午前2時半過ぎのことです。

AP通信など米国のメディアが一斉に、大統領選でトランプ氏の当選確実を報じはじめたのです。ヒラリー・クリントン氏が優勢と伝えられ、私も含め多くの人が「トランプ大統領」を想像していませんでした。想定外のトランプ大統領に、愕然としました。

「地球温暖化はでっちあげ」などと科学的ではないことを言う大統領の誕生です。

主に科学分野の取材を担当していた私は、「科学大国アメリカ」でなぜ、「反科学的」なことを主張するトランプ大統領が誕生したのか、知りたくなりました。

アメリカ人は科学をどのように受け止めているのか。その答えを探そうと全米各地に取材にでかけ、書き上げたのが『ルポ 人は科学が苦手』です。

トランプ

トランプ大統領(左)とペンス副大統領(右)。「アメリカ・ファースト」の価値観が世界を揺るがせている

進化論の支持は約2割

取材を進めると、アメリカでは今も、神が生物を創り出したとする「創造論」を信じる人が多く、進化論を支持する人は全体の2割に過ぎないという世論調査の結果に出会いました。

創造論の世界を紹介するテーマパークのような施設「創造博物館」(南部ケンタッキー州)に取材に行きました。そこでは、アダムとイブの模型が展示され、「神が人類を約6000年前に創造した」と紹介されていました。

熱心に展示を見る年配の男性が「進化論はでっちあげだ」と小学生くらいの子どもに教えていました。私はその口調の真剣さに驚きました。このように父親から教えられて育つ子どもは当然、進化論を否定し、創造論を支持することでしょう。世論調査の結果だけでは実感できなかった、米国に根付く創造論の実態に触れた瞬間でした。

恐竜と人類が共存

創造博物館の展示では、人類(中央)と恐竜(左)が共存している。一人の少年が興味深そうに展示を眺めていた

「地球は平ら」と信じる人たち

米国が誇る「アポロ計画」で月から撮影した丸い地球の写真は有名なのに、「地球は平ら」と信じている人たちがいて、そう考える人たちが集まる国際会議が開かれていることも知りました。1回目の会議は2017年11月に南部ノースカロライナ州で開かれ、約500人が参加したそうです。

彼らは「フラット・アーサーズ(Flat Earthers)」と呼ばれていました。当然、地球が丸いことを写真で示したアポロ計画も認めず、「アポロ計画は旧ソ連との宇宙開発競争に勝つためにNASAがでっちあげたものだ」との立場を取ります。そこまで疑わなくても、と驚きました。

2時間以上に及ぶユーチューブの映像。「水平線や地平線はどこで見ても常に平らだ」という1番目の「証拠」から始まり、「地球が平ら」である「証拠」をあらゆる視点で200個紹介している

政府の宇宙開発を疑う人がいる一方で、UFOは人気のようです。2015年の民間の世論調査結果では米国人の56%がUFOの存在を信じており、45%は地球外生命がすでに地球に来ていると答えているそうです。

UFO博物館

米国には、UFOをテーマにした博物館もある。砂漠が広がる南西部ニューメキシコ州の小さな街ロズウェルにある「国際UFO博物館」だ。取材当時、国際UFO博物館のジム・ヒル事務局長はUFO人気の背景を次のように説明してくれた。「アメリカ人はもともと政府への不信感が強い。だから、いくら政府がUFOの存在を否定しても、UFO人気は衰えない」

「人は、自分が思っているほど理性的ではない」

科学的なことだからといって、簡単に受け入れられるわけではありません。インタビューしたオークランド大学のマーク・ネイビン准教授はこう話してくれました。

「私たちが科学的な知識に基づいて判断することなんて、ほとんどありません。人は、自分で思っているほど理性的に物事を考えているわけではないんです。何かを決める時に科学的な知識に頼ることは少なく、仲間の意見や自分の価値観が重要な決め手になっているのです」

科学が、観察や実験という土台に合理的な思考を積み重ねて、組み立てられるものだとすれば、「理性的ではない」私たちはやはり、科学が苦手なのかもしれません。「科学的なことは受け入れられるはずだ」と素朴に思っていた私は自分の視野の狭さに気付き、インタビューを終える頃には、見える世界が少し広がったような爽快な気分になりました。

現代人の脳は、まだ科学に適応できていない

『ルポ 人は科学が苦手』でお伝えしたかったことは、すごく単純にして言うと二つのことです。

一つは、科学的でない考え方が広まるのはどうしてなのか。「自分たちが思っているほど理性的ではない」ことが、その理由の一つであると紹介してきましたが、私たち人類の進化を振り返ってみても、そう思えてきます。

化石に基づいて推定すると、人類の誕生は約700万年前になります。長い進化の末、私たちと同じ種である「ホモ・サピエンス」になったのが約30万〜20万年前とされています。さらに、科学的な手法が広がった近代科学の時代は、自作の望遠鏡で月にクレーターなどを見つけたガリレオ・ガリレイからとされています。それは17世紀前半です。

人類700万年を1年のカレンダーに見立ててみると、1月1日に人類が誕生して、近代科学が誕生したのは12日31日午後11時半ごろです。もう新年まで残り30分のころに、科学は生まれたのです。

約5000年前(12月31日午後6時ごろ)までは、まだ石器だけを使う時代でした。カリフォルニア大学のジョン・トゥービー教授(進化心理学)はこう言います。

 「現代に生きる私たちに、石器時代の心が宿っている」

図表10  1・10

私たちの脳はまだ、「科学」に適応できていないのかもしれません。

科学的な知識をどう伝え、どう共有するのか

さて、二つ目に伝えたかったことは、科学的ではない考え方が広がるなかで、どのように科学を伝えていけばいいのか、です。

すべての人が科学的な考え方をして生きるべきだなどとは、決して思いません。私自身も科学的な判断をいつもしているとは、とても思えません。ただ、地球温暖化問題のように科学の知見をいかして対策をしたほうが、住みやすい環境を維持できることもあります。だからこそ、科学とうまく付き合っていく必要があるのだと思います。

そのためには、科学を伝えていく必要があります。

伝える工夫の一つは、「知識は『心』を通って『頭』に届く」という考え方です。米国で地球温暖化を疑う人たちに向けてメッセージを届けようと活動している元共和党議員ボブ・イングリスさんがインタビューで話してくれた言葉です。

米国では、地球温暖化問題に対する受け止め方が支持政党によって大きく異なります。民主党支持者は、社会保障を充実させるなど人々の生活を安定させるために、政府が果たすべき役割は大きいと考えています。地球温暖化対策など環境問題についても、しっかりした対応が必要だと考え、実際に前オバマ政権は積極的に対策を進めました。

一方、共和党支持者は、政府に多くを期待するのではなく、自分たちの責任で生活すべきだと考えています。規制が嫌いで、税金を安くする「小さな政府」を指向します。二酸化炭素の排出規制などにつながる地球温暖化対策にも消極的です。

そうした共和党支持者に、地球温暖化対策のために「エアコンの温度を高めに設定しましょう」と呼びかけても、すんなりとは伝わりません。「政府にそんなことを言われる筋合いはない」と受け止められかねません。イングリスさんは「『心』がそのメッセージを遮断してしまう」と言います。

エアコンの設定温度のことを言わなくても、技術革新などを通して温暖化対策を進めていくことは可能です。例えば、効率的な太陽光発電や風力発電の技術を開発して、二酸化炭素の排出を減らしながら経済を活性化していくことができれば、多くの共和党支持者にとっても不満はないはずです。イングリスさんは、こうした共和党支持者の「心」に受け入れられる形で、温暖化対策のメッセージを発信しています。

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私たちは地球温暖化にどう向き合っていくべきなのか。(写真はイメージです)

効果的なコミュニケーションに必要な3つの要素

古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉を引用して、情報を伝えるために重要なことを紹介する研究者にも会いました。連邦議員のスタッフを20年にわたって務め、現在は科学の伝え方を教える仕事をしているマーク・バイヤーさんです。こう指摘してくれました。

 「アリストテレスは演説に大切なものとして三つを上げた。一つはロゴス(Logos=論理)。論理的であり、事実であるということだ。これはじつは3分の1でしかない。アリストテレスが次に上げたのはエトス(Ethos=信頼)だ。聞き手と話し手の関係であり、話し手の信用の問題だ。三つ目はパトス(Pathos=共感)だ。この三つの要素が効果的なコミュニケーションに必要だ

科学者が冷徹な論理にしたがって事実を話しても、「信頼」と「共感」がなければ、うまく伝わりません。近代科学は、実験や観察できめ細かく事実を突き止めるのが特徴です。「事実」は近代科学にとってアピールポイントであるはずなのに、じつは、その事実の力が強すぎてコミュニケーションに失敗しているのではないかと感じました。事実に頼りすぎて、「信頼」と「共感」に考えが及ばないのではないでしょうか。

一方、トランプ大統領は、アリストテレスが言う3要素のうち、「事実」を軽んじても、成功したビジネスマンという「信頼」、言葉を巧みに操る「共感」の要素では支持者に完全に食い込んでいます。コミュニケーション能力が高いのです。

コロナ禍で露見した科学と社会の不協和音

トランプ大統領の科学軽視の姿勢は、新型コロナウイルスの感染が広がるなかで、ますます強まっているように思えます。

唖然としたのは「消毒液を体内に注射し、ウイルスをやっつけることはできないだろうか。試してみたら面白いだろう」との発言です。

この発言を受け、米国の州などの自治体には問い合わせが相次ぎ、担当者は「体内に入れないように」と注意喚起に追われました。全世界の経済を麻痺させたコロナ禍は、科学と社会を巡る不協和音も改めて浮き彫りにしているように思えます。

ブラジルでは、ボルソナロ大統領が、新型コロナ感染症を「ただの風邪」と過小評価して、十分な対策を取っていないようです。その結果、感染者は6月に入って70万人を超え、トランプ大統領の米国に次ぐ感染者の多さとなっています。

日本では爆発的な感染拡大は抑えられていますが、「26〜27度のお湯でウイルスが死滅する」とか「花崗岩が出す放射線が感染予防に有効」とか、科学的な事実に基づかない話がインターネットで広まりました。

ほかにも、「身につけるだけで空間のウイルスを除去」「スプレーで新型コロナウイルスを瞬間破壊」などと訴える商品が販売され、消費者庁は「効果を裏付ける根拠がない」として販売業者に改善を指導しました。

コロナ禍が広がる今、科学と社会の不協和音を減らしていくことが、ますます重要になっています。そのためのヒントを『ルポ 人は科学が苦手』から読み取ってもらえるとしたら、とてもうれしく思います。

科学ジャーナリスト賞を受賞

このたび、この本が「科学ジャーナリスト賞」に選ばれました。こうした時代背景も選ばれた理由の一つにあるのではないかと思っています。

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日本科学技術ジャーナリスト会議のホームページ。新型コロナウイルスに関する情報発信も行っている

この賞は、科学を伝えることに興味がある人たちで作る「日本科学技術ジャーナリスト会議」が毎年、科学技術に関する優れた報道や著作を選んで、発表しているものです。科学ジャーナリズムの作品をたたえる、日本を代表する賞です。『ルポ 人は科学が苦手なのか』が選ばれた今年は、15回目になります。

実は、本を書いているときから、ひそかにこの賞のことは意識していました。

というのも、2005年に上梓した前著『人類進化の700万年』(講談社現代新書)が、1回目の科学ジャーナリスト賞の選考対象だったものの、残念ながら受賞できなかったからです。当時、選考の関係者から「分かりやすく良い本だと推す委員もいたのだけれど……」と聞きました。「次作こそは」との思いがあっただけに、うれしさもひとしおです。

日本科学技術ジャーナリスト会議は贈呈理由を次のように説明してくれました。

「トランプ政権下のアメリカ社会における科学の姿を、現場を実際に歩いて描き出したルポルタージュとして高く評価した。科学技術が生活の隅々にまで浸透し依存する現代社会において科学・技術とどう向き合い、付き合っていくのかは、アメリカ社会だけの特別な話ではなく、日本の私たちにとっても無関心ではいられない課題だと言える」

機会がありましたら、ご一読いただけるとうれしく思います。


『ルポ 人は科学が苦手』目次

まえがき
第1章 自分が思うほど理性的ではない私たち
1・1 人は学ぶほど愚かになる?
1・2 科学のない時代に進化した脳
1・3 科学者の声を聞く必要はあるか
コラム 「ノーベル賞学者」というラベル効果
第2章 米国で「反科学」は人気なのか
2・1 米国の科学不信の底流
2・2 トランプ政権の誕生と科学
コラム UFOに感じる米国の多様性
第3章 科学不信の現場
3・1 創造論
3・2 地球温暖化懐疑論
コラム ローマ法王の声は届くか
第4章 科学をどう伝えるか
4・1 研究者はコミュニケーターではない
4・2 新しい伝え方を探る
あとがき

著者プロフィール

三井 誠(みつい まこと)
1971年、北海道小樽市生まれ。京都大学理学部卒業。読売新聞東京本社に入社後、金沢支局などを経て、1999年から東京本社科学部。生命科学や環境問題、科学技術政策などの取材を担当。2013~14年、米カリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム大学院客員研究員(フルブライト奨学生)。15~18年、米ワシントン特派員として大統領選挙や科学コミュニケーション、NASAの宇宙開発などを取材した。2020年から慶應義塾大学非常勤講師も務める。著書に『人類進化の700万年』(講談社現代新書)がある。

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