「田舎はいやらしい」。東京から移住して12年住んだ私が抱いた違和感の正体
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「田舎はいやらしい」。東京から移住して12年住んだ私が抱いた違和感の正体

光文社新書
私も都心で暮らしていたころは、過疎地域の活性化は正論だと考えていた。過疎地域の発展は地域住民の幸せにつながると信じていた。そうした思い込みのようなものが、過疎地域での暮らしを通して少しずつ変わっていった。なぜなら、そこには変わらないことを望む人びとの姿があった。何一つ変わることなく、どこにも飛び立たず、廃れ、寂れ、衰えていくことを望む人びとの姿があった。地域の活性化が叫ばれている昨今の時局を鑑みて、そのような過疎地域の人たちについての研究を進め、過疎地域の活性化は本当に必要なのか、今一度考えてみたかった。(本文より)

過疎地域に12年住んだ著者が、現地での調査やインタビューをもとに、過疎地域の〝本音と建前〟を鋭く描き出した問題作です。発売を機に、「はじめに」を公開いたします。

過疎地域とは

過疎地域とは、人口減少と高齢化が進んだため、地域社会の機能が低下し、生産機能及び生活環境の整備等が他の地域と比較して低い状態に置かれている地域を指す。

私がその過疎地域で暮らし始めたのは小学校五年生の冬だった。両親の都合で埼玉県川口市のマンモス校といわれた小学校から、鹿児島県の全校生徒五十人程の小学校に転校した。一クラス五十人から全校生徒五十人になったのだから、かなりのカルチャーショックがあった。多彩な方言に加えてなまりも独特で、まるで違う国にやってきたみたいだった。教室には机と椅子がぽつんぽつんと並んでいて、これまでのように集団に紛れて隠れられなくなった。何もかもお見通しといった中で、生活から「裏」が消滅して「表」のみになった。

その表のみの生活は子どもの私にとって心地がよいものだった。まわりから競争の概念が消えてまれなくなり、気持ちが楽になったのを覚えている。何より担任の教師がしっかり見てくれている安心感があった。そうしたこともあり、野山を駆けまわるような年齢までは、のびのびとした過疎地域で育つのも悪くないだろう。

ただし、子どもから大人になっていく中学生時代や、大人としての準備を始める高校生時代は事情が違ってくる。実際に都心で育った子どもの方が、自ら進んで多様な社会と結び付くため思考が柔らかく、コミュニケーション能力も高くなる。都心にはたくさんの人との出会いがあり、たくさんのチャンスが転がっている。その気になれば一流の人とも触れ合える。子どもに活力を与えて、多様性や自主性を育みたいのであれば、裏のある揉まれた環境で育てるべきだろう。

残念ながら私は、これとはまったく逆の道を歩んでしまった。そのため、どれほど人生に出遅れてしまっただろう。子どもの頃からもっともっと多様な人びとと触れ合っていたら、もう少しマシな人間になっていたのではないだろうか、といった思いが、いつも私の心の奥底にある。

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呆れるほど窮屈な暮らし

過疎地域での暮らしは不条理なほど地域のしばりが強くて、呆れるほど窮屈であり、驚くほど行動範囲が狭かった。

国鉄が民営化されてJRになったのは中学生のときだった。国鉄時代はどれほど乗客がいなくても運行するしかなかった赤字路線が、民営化で次々と廃線になった。それにより、私が暮らしていた過疎地域から駅がなくなった。主な公共交通手段はバスで、しかも朝方と夕方の二便しかなかった。ここは過疎地域だと頭で理解していても、その不便さに中学生ながら呆れていた。学生の移動範囲は自転車での移動圏内、せいぜい校区内といったところである。十六歳で原動機付自転車の免許を取得してようやく隣の市まで移動範囲が広がった。ゆえに、自分の判断で自由に移動ができないもどかしさが常にあった。

都心と過疎地域の大人の違いは子どもの私にもすぐに分かった。言葉の重みや深さが違っていた。そこには洗練された感覚や、積み重ねられた教養のようなものはあまり見受けられなかった。思春期の多感な子どもに従順さのみを押し付けて、「あれもするな」「これもするな」といった具合に、その多感さを抑え込んでいた。そうした抑え込みに反発すれば「とんでもない」といった具合に叱られるのである。

私は過疎地域から離れたくて仕方がなかった。しかし、子どもである限り、高校を卒業するまでは過疎地域で暮らすしかなかった。その中で私は方言や訛りを覚えず、標準語にこだわることで、いずれ関東圏に戻るという明確な意識を持ち続けていた。それは両親やまわりの大人たちにも伝わっていた。鹿児島弁を話さない私と距離を置く大人もいたし、そうでない大人もいた。

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東京から再び過疎地域へ

高校を卒業した私は過疎地域を離れて福岡市に住み、その後、アメリカのボストンで二年間暮らしたのち、ようやく関東圏の東京都で暮らし始めた。そのため、よくいわれる上京という感覚はまったくなかった。関東圏に戻ってきたのだし、その前に渡米していたこともあって、日本に帰国したという感覚しかなかった。それについては一般的な地方出身者とは違った。

東京都での暮らしが立ち行かなくなったのは木枯らしが舞う季節だった。日比谷公園の年越し派遣村が話題になった時期で、あのときは本当にろくな仕事がなかった。日本経済は相変わらず停滞しており、ワーキングプアや格差社会といったフレーズはもう古ぼけたものになっていた。勝ち組と負け組の溝は埋まるどころか、どんどん広がっていく一方だった。いよいよ家賃を払えなくなることが現実化してきて、ホームレスになるか、両親の住んでいる過疎地域に避難するかの選択に迫られた。両親が空き家を持っていて、いざとなったら過疎地域に避難するすべがあるのは知っていた。東京を離れれば文化的な生活ができなくなることも知っていた。東京と過疎地域ではそこにある刺激や空気感がまったく違った。ひとたび東京を離れてしまえば二度と文化的な空気の中で息ができなくなる。

……でも、それどころではなかった。

東京都を離れる日、引っ越し業者がやってきて部屋に残った一切合切をトラックに積み込んだ。生活感のなくなった部屋は私の心と同じくらい空っぽだった――。

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これまでとは異なる選択肢

第一部の過疎地域批判は、過疎地域で暮らすようになって六年目にまとめたものである。都心から過疎地域に移住した者によくある疑問が第一部の主体になる。それは地域住民への違和感であり、地方自治体への違和感であり、中央政府への違和感だった。そして、自分自身への違和感でもあった。

私たちはついつい日本人は同じ行動様式で暮らしていると思いがちである。それがじつは違っていた。過疎地域には過疎地域の行動様式があり、都心には都心の行動様式があった。そうした事柄について、都心で暮らしていた者の視点から過疎地域を批判し、過疎地域で暮らしている者の視点から自分自身を批判したのが第一部である。

第二部の過疎地域分析は、過疎地域で暮らすようになって十二年目にまとめたものである。これまで過疎地域の活性化に関して積み重ねられてきた社会学の諸研究について検証し、過疎地域が抱える問題点を浮き彫りにしたうえで、文化人類学の側面から過疎地域で暮らしている人びとが持つ保守性と閉鎖性について分析した。それにより従来の諸研究が陥ってしまった過疎地域の活性化策から脱却し、現実に沿ったかたちで過疎地域の在り方を考察している。

第一部と第二部を通じて、私が伝えたかった事柄は次のようなものである。

都心で暮らしている者が持つ過疎地域に対する誤った認識。過疎地域で暮らしている者が持つ保守性と閉鎖性に依存するという、行動様式の中の幸せ。この二つの橋渡しとしての役割を果たし、現行の過疎地域対策とは違う選択肢を提示したかった。

本稿が少しでも過疎地域の人びとのお役に立てるなら幸いである。

目次

第一部 過疎地域批判――現状維持という名のゆるやかな後退
【第一章】過疎地域のよくある事例
【第二章】過疎地域のよくある問題
【第三章】過疎地域批判
第二部 過疎地域分析――過疎地域の活性化は本当に必要なのか
【第一章】 地域の活性化は本当に正しいのか
【第二章】 過疎地域とは何か
【第三章】 地域活性化の事例調査
【第四章】 過疎地域の現地調査
【第五章】 田舎のいやらしさにおける考察

著者プロフィール

花房尚作(はなふさしょうさく)
1970年生まれ。SHOSAKU事務所代表。1級ファイナンシャルプランニング技能士、CFP® 、宅地建物取引士、管理業務主任者、マンション管理士。演出家として戯曲やシナリオを執筆し、東京都新宿区にて舞台公演を行う。また、米国(ボストン)に二年間在住し、海外40カ国(180都市)を周遊。現在は放送大学大学院にて文化人類学を研究中。さらに外資系損害保険会社やハウスメーカーでの業務経験を活かし、FP相談も行っている。多業種に手を伸ばし、まとまりに欠けるものの、それがウリでもある。著書に『価値観の多様性はなぜ認められないのか』(日本橋出版)がある。

シリア・ボスラ (2)

著者がイスラーム世界を旅したのはアラブの春と呼ばれる動乱の直前だった。トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、エジプトの六カ国を巡った。(写真はシリアのボスラ)

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