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杉山恒太郎さんの新刊『広告の仕事 広告と社会、希望について』より「はじめに」と目次を公開します!

小学館「ピッカピカの一年生」、セブンイレブン「セブンイレブンいい気分」、サントリーローヤル「ランボー」、ACジャパン「WATER MAN」などで著名な日本の広告界のレジェンド、杉山恒太郎さんの新刊が出ました。タイトルは『広告の仕事 広告と社会、希望について』
「見たくない」「つまらない」と言われがちな広告に未来はあるのでしょうか? その一つの解を、杉山さんが自らのクリエイティブを振り返りながら、熱く鋭く語ります。これからの広告ビジネスを語るには必読の一冊と言えるでしょう。
サブタイトルの「希望」とは何でしょうか?
本記事では、本書から「はじめに」と目次を公開いたします。

独立研究家、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者・山口周氏とのロング対談を収録。

『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』で毎日出版文化賞(文学・芸術部門)を受賞した河尻亨一氏が解説を執筆。

はじめに──広告から〝公告〟へ

「人の価値は財産ではなく、他人と分かちあったものの量」
オードリー・タン

環境変化とともに変わる役割


「遍(あまね)く広く告げる」と書いて「広告」だけれど、僕は「公に告げる」と書いて「公告」という感覚が現代では必要だと思っている。

「公」=パブリックの意識を持った新しい伝え方をしないと、広告には明日はない。逆にいえば、「公告」に姿を変えることで、広告はまだまだ多くの人々に必要とされていくはずだ。公共広告に関わっているときから、このことは仄かに感じていたが、蒙が啓かれ確信に変わったのは比較的最近、「プロボノ」を始めてからである。詳しくは第5章に譲るが、プロボノとは、専門家が専門知を生かして行うボランティア活動のことである。プロボノはまた、近年注目されている「利他」にも通じる。

広告は産業革命以降の大量生産・大量消費の申し子だ。大量生産・大量消費のエンジンとして長年その役割を果たしてきたが、量や規模の経済が明らかに終焉を迎えようとしている今、その役目を終えようとしている。では、広告が終わったかというと僕はそうは思わない。

これまで広告が培ってきたコミュニケーションの経験値や技術、そして直感力などを侮ってはいけない。これからも世の中に必要とされるコミュニケーション技術だと思う。

それは何かといえば、大量生産や大量消費ではない、量や規模ではない、人の喜びや幸せにつながるものだ。

具体的には、何らかの社会課題──貧困・格差、分断、紛争、麻薬、SDGs、ジェンダー平等、LGBTQ+、ブラックライブズマター(BLM)──などの支援・解決につながる行動である。これらの課題はすでに可視化されているが、まだ見えていない社会課題の発見も含まれる。

こうした社会課題が解決されれば、世界中の多くの人々にとって福音となる。社会課題の「社会」とは「官」でも「民」でもない「公」=パブリックである。この「公」の課題に対して何をどういうふうに提案するか、「公」意識をどれだけまとえるか──社会的視点をどれだけ持てるかが、現在の広告の最大の課題である。そしてそれが実現できれば、十分にビジネスとしても成り立つと僕は考えている。

若い人たちを中心に盛んに行われているソーシャル・ビジネスは、すでに大きな成果を上げている。ソーシャル・ビジネスに取り組む若い社会起業家と会うたびに、その自然な振る舞いに感銘を受け、期待し、希望をもらう。彼らのような感覚が、広告(公告)でも必要なのではないか。

ただ、それを実現するためには、広告に関わる人間のマインドセットを変えないといけない。われわれが活躍できる場所はまだたくさんあるが、そのためにはわれわれは姿を変える必要がある。「変わらないために、変わる」。ヨーロッパの古諺だ。

これまで何度も書いてきたことだが、この源流は二〇〇七年、アル・ゴア元アメリカ副大統領が、カンヌ国際広告祭で「グリーンライオン」を授与された際のキーノートスピーチに遡る。彼は世界の広告界の重鎮に向かって「皆さんのコミュニケーションの経験と技術をもっと世の中のために使ってほしい」と語り、万雷の拍手を浴びた。

これを機に、世界の広告界は「フォー・グッド(FOR GOOD)」「ソーシャル・グッド(SOCIAL GOOD)」というキーワードを中心に動き始めた。すなわち、より良い世の中を目指すことに寄与しているか否かが広告に強く求められるようになり、評価の対象ともなっていったのである。

それは広告だけの話に留まらず、企業にも「フォー・グッド」「ソーシャル・グッド」を実現するためのブランドパーパス(Brand purpose)──そのブランドが存在する意義が求められるようになった(もはや流行り言葉となり、消費されつつあることを危惧しているが)。SDGsなど社会課題に配慮したより良い商品やサービスを提供する──そうしたブランドパーパスなき企業は生き残れない。そして、そのブランドパーパスを最良の形で広く世の中に伝えていくのが、広告──公告の大きな役割となる。

それはこれまでのような人々の需要を喚起するための広告ではなく、人々の意識を変えていく広告だ。〝世の中の価値の転換を図る〟という、実は広告本来の役割に先祖帰りしたともいえるが、いずれにせよ、広告は大きな役割をまた新たにもらったのだ。

そのための練習台としてプロボノは非常に価値がある。一回、社会のために無償で仕事をする経験にドップリ浸かることで、脳の新たな部分が開いていく感覚がある。これまで培ってきた広告のノウハウをプロボノで実践すると、こんなふうに生かせて、しかもこんなに喜んでもらえるということが体感としてわかる。それを経験してからビジネスの世界に戻ると、「公告」に向き合えるようになる。

プロボノの一例「おかえりGINZA」


「おかえりGINZA」の暖簾

僕自身、公共広告の制作経験、社会性が重視されるようになった世界の広告の潮流、そこにプロボノの実践が加わったことで「公告」という言葉に行き着いたのだ。「公告」のセンスを身につけることで、広告業界はかつての元気を取り戻せると僕は考えている。

本書の構成は以下の通り。

第1章の「広告から公告へ」では、広告の力が落ちた原因を探りつつ、その復活のための方法論を模索する。

第2章の「僕のクリエイティブ・ライフ/a day in the life.」では、最初期のラジオCMの時代からテレビCM、インターネット広告、現在のライトパブリシティ移籍後の仕事人生を振り返りながら、広告の変遷、広告に関する基礎知識、僕自身の考えを述べていく。

第3章の「クリエイティブを支えるもの」では、僕がどのようにクリエイティブを生み出してきたのか、その根底にある思考法や習慣をまとめた。

第4章の「公共広告の世界」では、僕に「公告」という発想をもたらしてくれた原点である公共広告の世界との出合いと、それへの取り組みについて述べている。

第5章の「プロボノという幸福──人はなぜ他者に与えるのか」では、プロボノとの出会いと実践を通じ、そこに広告復活の可能性を見出したプロセスについて語っている。

特別対談では、かつての電通の後輩・山口周くんにご登場いただいた。ここまでの内容を踏まえた上で、広告ビジネスの可能性、さらに広告という枠からはみ出て、仕事とは、クリエイティブとは、といったことについてざっくばらんに語り合った。

本書の中心読者は広告業界の人々、その中でも主に若い人たちになるだろうが、他の業界の方が読まれても、大いに役立つ内容になっていると思う。なぜなら、広告業界が置かれている苦境は、他のすべての業界にも共通するからだ。

変化しなくては生き残れない。ではその変化をどのように生み出すか?
本書がその一助となれば幸いである。

「創造を続けるなら、変化を恐れるな」
マイルス・デイヴィス

補足「利他は人が行うのではなく、生まれるものである」

若松英輔さんは、『「利他」とは何か』(共著、集英社新書)の中で、陶芸家・濱田庄司の言葉 〝今の願いは私の仕事が、作ったものというより、少しでも多く生れたものと呼べるようなものになってほしいと思う〟を引用し、「利他」をこう説く。

「利他は人が行うのではなく、生まれるものである」

〝プロボノのすすめ〟を提唱し実践している僕にとっては、願ってもない見識であり、心強く感じた。

一時期〝公共広告〟にのめり込んでいたのは、突然〝社会正義〟に目覚めたわけではなく、カンヌ国際広告祭(現・カンヌライオンズ)の場で、海外の公共広告のレベルの高さに愕然とし、広告クリエイター(表現者)としての憧憬と羨望から、世界に向けて挑戦したものだった。

その結果として、人々を笑顔にすることができ、何らかの役に立てたとしたら望外の喜びだ。そこで斜に構えるほど、僕もひねくれてはいない。

しかしながら、人に何かしらを施す行為には、常に〝後ろめたさ〟が付きまとう。そういうセンスを忘れたくないと僕も思う。

利他的な行為には、時に「いい人間だと思われたい」とか「社会的な評価を得たい」といった利己心が含まれています。利他的になろうとすることが利己的であるという逆説が、利他/利己をめぐるメビウスの輪です。

(中島岳志『「利他」とは何か』「おわりに──利他が宿る構造」集英社新書、P210)

本書から、プロボノとは「与える/与えられる」を超えて、それぞれが己の〝自由を手に入れる行為〟であることを感じとっていただけたら本懐である。

二〇二二年九月二六日
スペイン バスク地方・ゲルニカの街/ピカソの壁画を前にして

目  次

はじめに──広告から〝公告〟へ  
環境変化とともに変わる役割/補足「利他は人が行うのではなく、生まれるものである」

第1章 広告から公告へ   
広告はなぜ嫌われるのか?/なぜつまらない広告ができるのか?/番組よりCMが面白いといわれた時代/消えた鬼の宣伝部長/CMは「作品」ではないけれど……/広告代理店はコミュニケーションコンサルだった/広告の『不都合な真実』/ブランドパーパスの時代/チェーザレから始まったポーラのブランディング/広告とは価値観の変容を促すもの/人の心を動かす広告とは/あらゆる職業はパブリックサービスである

第2章 僕のクリエイティブ・ライフ/a day in the life.   
自分にとっての広告の原点/最初はラジオCM/「Think small.」の衝撃/デノテーションとコノテーション/広告マンに求められる資質──「消費者」なんていない/クライアントの要望に応えるだけでは不十分/お金を消す技/センスと努力/コンペに勝つ方法/プレゼンテーションはボイストーン/突然、インターネット広告の世界へ/吉田秀雄──「視聴率」という通貨とテレビCMというクリエイティブ/広告の仕事はメディアの仕事/デジタルの説明に知恵を使う/『がんばれ!ベアーズ』/デジタル黒字転換/「コンテンツ」という言い方は艶っぽくなくてイヤだ/ライトパブリシティへ/価値の再定義/葦みたいな奴

第3章 クリエイティブを支えるもの   
リベラルアーツと教養と/ルーツのないものは弱いもの──歴史に学ぶ/反省力/クリエイティブを支えるスクラップブック/何がわかっていないかわからないと物事は理解できない/毎日の地道な勉強が「勘」を養う/時間の使い方はあまり意識しない/自分の仕事から自由になる/『広告批評』という雑誌/「ピッカピカの一年生」の失敗/「セブンイレブンいい気分」の失敗/匿名の仕事/テクニックはあるけどスキルが足りない/若い人に口出ししたくなることもある

第4章 公共広告の世界   
僕のプロボノのルーツは世界の公共広告/人間の暗部に触れながら、広告を作る/世界に届くために学んだ、視覚言語(ビジュアルランゲージ)という技術/アナロジー(類比)とメタファー(暗喩)とアレゴリー(寓話)/「骨髄バンク」のキャンペーン/「WATER MAN」/公共広告は「広告のための広告」/ソーシャル・コンセンサス(社会的価値形成)とOS‐1

第5章 プロボノという幸福──人はなぜ他者に与えるのか   
果てしない人・瀬谷ルミ子さんとの出会い──「REALs」/「おかえりGINZA」/それはプロボノという大義で始まったものではなかった/プロボノは人を育てる/「風の谷を創る」プロジェクト/「コモン(common)」という考え方

特別対談 山口周 × 杉山恒太郎   
プロボノの大きな意味/伝えるべきものを伝えることができる喜び/プロ化の危険性、アマチュアイズムの重要性/知らないことが武器になる──ネガティブ・アドバンテージ/つまらない広告だからクレームが来る/残らないものを使って、残るものを作る/中国の広告の難しさ/杉山さんはフォレスト・ガンプ?/本物の嘘をつけ/絵が好きな子供だった/東京オリンピックの衝撃/プロボノ・エコノミーの成立/大資本からの搾取/広告からデザインへ/匿名の仕事でスランプに/「幸せじゃない」広告/公共広告の再定義──プロボノ

あとがきにかえて  

いつも時代の一歩先にいる  河尻亨一  


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