上位一パーセントの所得が増えた分だけ、下位五〇パーセントの所得が減る――ピケティの弟子が明らかにした衝撃の真実『つくられた格差』
こんにちは。光文社新書編集部の三宅です。先日、この記事を公開したところ、たいへん大きな反響をいただきました。まだ刊行前の書籍にもかかわらず。
当初は序章のみ公開予定でしたが、反響の大きさに気をよくして、第1章の頭の部分も公開いたします。アメリカの話が主ですが、日本でも、このようなしっかりとしたデータに基づき、税制について議論したいものです。現在、期間限定で電子版を先行割引販売していますので、よろしければご利用ください。
2019年10月にアメリカで刊行され、衝撃をもたらした書籍があります。原題"The Triumph of Injustice"(不公正の勝利)、著者は気鋭のフランス人経済学者、エマニュエル・サエズとガブリエル・ズックマン。何が衝撃か? それは、アメリカの富裕層の税率が貧しい労働者よりも低いことを明らかにしてしまったからです。つまり、税制が格差の拡大を後押ししていたのです。「そんなバカな!?」と思われるかもしれませんが、サエズとズックマンの二人は膨大なデータの分析によって、税制がいかに歪められたきたかを解き明かしていきます。まさに「不公正の勝利」としか言いようのない事態です。その邦訳版『つくられた格差』の第1章冒頭部分、ご覧ください。緻密な議論が展開されます。
第一章 アメリカの所得と税
アメリカではどのように税負担が配分されているのか? 一部の識者は、アメリカの税制はきわめて累進的だと主張する。つまり、所得が増えれば増えるほど、税率も上がるというわけだ。ヨーロッパ諸国は、税収の多くを付加価値税に頼っている。これはいわば消費に対する税だが、富裕層は消費にまわす所得の割合が低いため、相対的に貧困層の負担が重くなる。一方、アメリカには付加価値税がない。そのため、低所得者が支払わなければならない税金は比較的に少なくなる。この見方に従えば、連邦政府は累進所得税を通じて、ピラミッドの頂点にいる富裕層により多くの税金を支払わせていることになる。
ところが、税の累進性に関する議論を見ると、真実は正反対だと言う人も多い。富裕層は税法に存在する無数の抜け穴や特定の利益に対する優遇措置により、ほとんど租税を回避しているという。
どちらが正しいのだろう? 税制について落ち着いた議論を行なう前に、実際に誰がどれだけの税金を支払っているのかを明らかにしておかなければならない。だがあいにく、議会予算局などの政府機関は、この疑問に対する十分な答えを持ち合わせていない。連邦税負担の配分については情報を公開しているが、州税や地方税は無視している。しかしこれらの税は、アメリカ人が支払う税金の三分の一を占めているうえ、連邦税より累進性がかなり低い。そのためこの統計では、超富裕層に関する具体的な情報が得られず、ドナルド・トランプが例外なのか、富豪に幅広く見られる現象の一例にすぎないのかが判断できない。
まずはこのあいまいな部分をはっきりさせよう。
アメリカ人の平均所得――七万五〇〇〇ドル
単純な疑問から始めよう。現在のアメリカ人の平均所得はどれぐらいなのか? それに答えるためには、本書で重要な役割を果たすある概念を持ち出す必要がある。その概念とは、国民所得である。国民所得とは、一年の間にある国の住民のものになったあらゆる所得(所得の法的形態は問わない)の合計を指す。これは、所得のもっとも幅広い概念であり、納税申告書で報告した所得や世帯調査で記録された所得よりも大きな数字になる。
たとえば、国民所得には企業が得た利益もすべて含まれる(それが株主に分配されるかどうかに関係なく)。この場合、未分配利益は配当同様、株主の所得と見なされる。ただし実際には、未分配利益は企業に留保され、事業に再投資される。国民所得にはまた、雇用主から労働者に提供される付加給付(民間医療保険の負担金など)もすべて含まれる。
国民所得と密接な関係にあるのが、メディアでよく取り上げられる「国内総生産(GDP)」だ。こちらは、一年間に生み出された財やサービスすべての価値の合計を指す。この概念は、世界恐慌後に初めて現れ、一九五〇年代から一九六〇年代にかけて一般化した。それまでは国民所得が主流だったが、現在では、大統領や評論家が経済成長についてコメントする際には、GDPを引き合いに出す場合が多い。
アメリカでは、二〇一九年の成人一人あたりのGDPはおよそ九万ドルだった。つまり、成人一人ひとりが平均して九万ドル分の財やサービスを生み出したということだ。
GDPから国民所得を導き出すには、二つの点を考慮する必要がある。
第一に、資本減耗分を差し引く。資本減耗とは、生産時に使用された建物、機械、設備などの価値の減損分を意味する。これは、GDPには欠かせない要素だが(そのため国内「総」生産と呼ばれる)、誰の所得とも言えない。企業は、賃金を支払い、配当を分配し、新たな機械に投資する前に、まずは老朽化した設備などの資産を交換しなければならない。トラクターが故障したり窓ガラスが割れたりすれば修理する必要がある、といったことだ。国民経済計算で算定されたこの減耗分はかなりの額に上り、GDPのおよそ一六パーセントを占める。だが実際には、それよりはるかに多いと思われる。生産活動はたいてい、天然資源の減少や生態系の悪化といった事態を伴うからだ。厳密に考えれば、こうした減耗分もGDPから差し引くべきだが、現段階ではまだ行なわれていない(ただし、この不備を是正しようとする取り組みが進んでいる)。
第二に、アメリカが外国から受け取った所得を加え、アメリカが外国に支払った所得を差し引く。一九五〇年代から一九六〇年代にかけては、国際資本市場が確立されておらず、こうした金銭の国際的な流れを無視しても問題はなかった。だが現在では、国境を越えた利子や配当の支払いがかなりの額にのぼる。実際アメリカは、利子や配当といった形で、GDPの三・五パーセントを外国に支払い、GDPの五パーセントを外国から受け取っている。つまり、支払っているより受け取っているほうが多い。
このように、GDPから資本減耗分を差し引き、外国からの所得の正味流入分を加えると、二〇一九年のアメリカの国民所得は、およそ一八兆五〇〇〇億ドルになる。これを、アメリカに住んでいる成人(二〇歳以上)二億四五〇〇万人で平均すると、七万五〇〇〇ドルとなる。この数値は、課税・所得移転前所得で見ても、課税・所得移転後所得で見ても同じである(ちなみに所得移転とは、社会保障の給付金や医療費の公的助成などを指す)。
政府が税金として徴収した金銭は、最終的には誰かに再分配される。現金を支給されたり(社会保障の給付金など)、現物を提供されたり(医療費の支払いなど)、警官や兵士など公共機関の従業員の賃金として支払われたりする。ありがたいことに政府は、いかなる所得も損なわない。だが同様に、いかなる所得も生み出さない。
アメリカの労働者階級の平均所得――一万八五〇〇ドル
だが大半のアメリカ人は七万五〇〇〇ドルも稼いでいない。その一方で、もっと多く稼いでいる人もいる。所得の分布状況をさらに詳細に調べるには、人口を四つのグループに分けて考えるといい。
労働者階級(所得階層の下位五〇パーセント)、中流階級(その上の四〇パーセント)、上位中流階級(その上の九パーセント)、富裕層(上位一パーセント)の四グループである。各グループのなかは決して均質ではないが、人口をこのように分割できる点からも、著しい格差の存在が読み取れる。
まずは労働者階級から始めよう。所得階層の下位半分には一億二二〇〇万人の成人がいるが、この階級の二〇一九年の課税・所得移転前平均所得は、一万八五〇〇ドルである。読者がいま目にした数字は、決して間違いではない。アメリカの成人の半数は、一万八五〇〇ドルの年間所得で生活している。
ここでしばらく本書を置いて、自分の給与明細の税引き前の所得額を思い出してほしい。読者の多くはすぐに、自分たちと残りの半分の成人との間に大きな隔たりがあることに気づくはずだ。この一億二二〇〇万人は、市場から一年間に総額一万八五〇〇ドルしか受け取っていない。全人口の平均所得である七万五〇〇〇ドルのおよそ四分の一だ。
ちなみにこの平均所得は、あらゆる所得を盛り込んだうえでの数値である。所得のもっとも幅広い概念である国民所得を、そこから何も除外することなく、成人の人口で平均している。したがってこの一万八五〇〇ドルには、労働者が政府に即座に支払う金銭(給与税など)も、雇用主が民間保険会社に支払う金銭も含まれる。
所得分布のさらに上の階層を見てみよう。労働者階級の上の四〇パーセント(「中流階級」)の課税・所得移転前平均所得は七万五〇〇〇ドルで、全人口の平均所得と一致している。およそ一億人の成人から成るこのグループはそういう意味で、アメリカの代表的存在と言える。この事実からもわかるように、アメリカの中流階級が消失したという記事をよく目にするが、現実は微妙に異なる。七万五〇〇〇ドルの平均所得を持つアメリカの中流階級は、世界的に見ればいまだ裕福な人々である。それに、この中流階級の所得は一九八〇年以来、年一・一パーセントの割合で増加している。これは、目を見張るほどの数字ではないが、無視できるほどの数字でもない。年率一・一パーセントであれば、七〇年ごとに所得は倍増し、孫世代が祖父母世代の二倍稼ぐことになる。
つまり、現在のアメリカ経済において憂慮すべき問題は、中流階級が消失しつつある点にあるのではなく、労働者階級が驚くほど少ない所得しか受け取っていない点にある。
では、中流階級よりさらに稼いでいる人々についてはどうだろう? 所得分布の上位層を見るときには、上位中流階級(上位一〇パーセントから上位一パーセントを除いた層)と富裕層(上位一パーセント)を分けて考える必要がある。というのは、この二つのグループの内容がまったく異なるからだ。
確かに、上位中流階級(成人二二〇〇万人)は他人から憐れまれるような存在ではない。平均所得は二二万ドルに及び、郊外に広々とした家を所有し、子どもたちを学費のかかる私立学校に通わせ、十分な年金を積み立て、保障が手厚い医療保険に入っている。それでもグループとして見れば、上位一パーセント(二四〇万人の富豪たち)とはあまり共通点がない。この富裕層の年間平均所得は一五〇万ドルに達している。
上位一パーセントの所得が増えた分だけ、下位五〇パーセントの所得が減る
「われわれは九九パーセントだ」というスローガンが登場して以来、富裕層が有する富とそのほかの人々が有する富との間に歴然とした差があることは誰もが知っている。だが本書でも、あえてこの問題を取り上げたい。というのは、この問題が、アメリカ経済の根本的真実を反映しているからだ。過去数十年にわたり、所得分布の最上層の所得は急増しているが、それ以外の層の所得はあまり増えていない。
これについては、もともと下位層にいた人が専門職で成功を収めて裕福になり、上位二〇パーセントのあたりに移動したからと考える人もいる。だが、実際のデータを見ると、アメリカ社会を分断する断層線は、所得分布のもっと上のほうにある。上位一パーセントと下位九九パーセントとの間である。
アメリカ経済の変容は、次に示す事実に如実に表れている。一九八〇年の課税・所得移転前所得を見ると、上位一パーセントの所得は国民所得の一〇パーセントをやや超える程度であり、下位五〇パーセントの所得はおよそ二〇パーセントだった。ところが現在では、これが逆転している。上位一パーセントの所得が国民所得の二〇パーセント以上を占め、労働者階級の所得はわずか一二パーセントにすぎない。つまり上位一パーセントが、それより五〇倍も人口が多い労働者階級全体の倍の所得を手にしている。また、二四〇万人の富豪の手に渡る所得の割合が増えた分だけ、一億人以上の労働者階級の手に渡る所得の割合が減っている。
これほど急激な富の変化を経験したのは、先進国のなかでもアメリカぐらいしかない。所得格差の拡大は間違いなく世界的な現象だが、過去四〇年間に所得の集中が進んだペースは、国によって著しく異なる。
試しに、アメリカと西欧諸国を比較してみよう。一九八〇年当時、上位一パーセントの所得が国民所得に占める割合は、アメリカでも西欧諸国でも一〇パーセント程度だった。しかし続く数年の間に起きた格差の変化は、両者の間で大きく異なる。西欧諸国では現在、上位一パーセントの所得の割合は一二パーセントであり、わずか二ポイント増加したにすぎない(アメリカは一〇ポイントの増加)。下位五〇パーセントの所得の割合も、二四パーセントから二二パーセントへと二ポイント減少しただけだ。世界中を見ても、高所得民主主義国のなかで、アメリカほど格差が拡大している国はない(図1-1)。
(了。続きは書籍をご覧ください)