第1次、第2次人工知能ブームを振り返る――ChatGPTの基礎知識③by岡嶋裕史
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第1次、第2次人工知能ブームを振り返る――ChatGPTの基礎知識③by岡嶋裕史
1960年代の第1次ブーム
これまでAI界隈はブームを3回経験した。
第1次ブームは1960年代である。このとき、技術的な支柱になったのは推論や探索である。コンピュータに推論や探索を効率的に行わせるためのロジックやアルゴリズムが整備され、「おっ、この調子でいけば、いい線いけるのでは?」との期待が高まったのだ。
実際、推論と探索は有用である。現在に至るまで重要な技術的成果であり続けている。しかし、それだけで模倣できるほど人間の知能は甘くないのだ。
迷路の出口を探したり、オセロを指し始めたりはしたが、このころの成果は「一応、反則ではない手は指せる」くらいのもので、力量を人間と比べるのもばかばかしいほどだった。
ルールを設定すればそれに沿った行動はできるので、自然言語処理への適用も始まった。語彙を溜め込んで、文法を教えていけば、ルールに従って翻訳くらいはできそうに思えたのだ。
確かに単語の置き換えなどは素早く処理するが、多くの英語学習者を悩ませているように文法には無限の例外があるし、TPOが出席者の顔ぶれ、話題、上司からの圧のかかり具合などによって、発すべき言葉は千変万化する。人間でもよく読み違えて青くなったり怒られたりするのに、この時代のAIにそれができるはずもなかった。
幻滅期
で、幻滅期が訪れる。
技術の登場時には必ず過剰な宣伝が成されるし(研究者や開発者も有名になりたいし、予算も欲しい)、利用者も新製品を通して新しい世界の夢を見たい。両者の思惑が合致してハイプ(バブル)が起こる。
当然、バブルは弾ける運命にある。
夢を持って触ったのに、無駄な歩の突き捨てばかり入れてくる将棋AIはがっかりなのだ。期待が大きかっただけにギャップに嫌気がさす。みんなが離れて話題にしなくなり、冬の時代が来る。
ただ、第1次ブームにも功績はあったと思う。
「人工知能」という夢をみんなが見た。知能を機械に複製するビジョンを、みんなが共有したと言ってもいい。人工知能の爪痕を世界に遺したのだ。そのときは実現しなくても、ビジョンを共有しておくことは、のちの普及にとって大きな意味を持つ。
AIがすごいのは、ブームが去っても不死鳥のように毎度よみがえる点である。
幻滅期が超えられず、そのまま死滅する技術も多いのに、何回幻滅されてもよみがえるのである。研究する人も、お金を出す人も、利用者も、やはり人工の知性を生み出す夢は好きなのだ。魅力的な恋愛対象と同じで、騙されたり幻滅したりしても、そうそう興味をなくせるものではない。
1980年代の第2次ブーム
第2次ブームは1980年代に起こる。
情報技術、情報機器の進歩によってため込み、そして活用できる知識量が飛躍的に増大したのである。知識を体系化して記述すること、目的に応じてそれを効率的に探索することもそれぞれ洗練の度を加えた。
そこに、専門家を模倣して役に立つ知見をアウトプットしようぜという発想(=エキスパートシステム)を足すことで、それまで娯楽のお供くらいにしか考えられていなかったAIが、一気にビジネスで利用する視界の中に入ってきたのである。
ルールにしたがって判断を下すことは、コンピュータが得意とする領域である。ルールと、ルールの適用に必要な知識を上手に記述できれば、エキスパートシステムは実現できそうに思えた。
実際、その発想は正しかったのである。いま商品名を見渡すと「AI○○」とか「××GPT」とか書かれているが、それってエキスパートシステムですよね、という製品は多い。もちろん、GPTシリーズを使ってエキスパートシステムを構築して悪いことは何もないので矛盾しないのだが、「このように使いたい」という発想自体は昔からあったということだ。
経営判断や意志決定支援、医療の初期診断などで実装が進んだが、やはりこのブームも(けっこう役に立っていたのにもかかわらず)長続きしなかった。
「専門家の知恵を聞き取って、ルールベースを作ればいい」と簡単に言うのだが、それが途方もなくしんどい作業だったのだ。
将棋の例
ぼくは将棋が好きなので、この例を説明するときによく将棋を使う。将棋も有利に進めるためのルール整備はかなり進んでいる。最も体系化されたものは定跡だ。先手と後手とが互いに差し合う一連の手順がまとめられている。
しかし、定跡だけ覚えるのはそこから外れてしまうと役に立たないし、すべての手筋に定跡があるわけでもない。いきおい、もう少し曖昧なルールも必要になる。「三桂あって詰まぬ事なし」とか「二枚替えなら歩ともせよ」とかだ。先人たちが積み上げてきた人間データマイニングの成果である。大量のデータをもとに考えられ、生き残ってきた格言なので、まあ役には立つ。
でも、いくらルールに合致しているからと言って、「よっしゃ、三枚桂馬があると必ず詰むんだな! 王様を捨ててでも桂馬を取りに行くぞ!」だの、「味方の飛車と敵の歩二枚を交換してやったぜ!」だのはやり過ぎである。たぶん勝てない。だいたい、ルール同士が矛盾するものも多いのだ。
で、バランスを取ったり、状況に応じて使い分けるのだが、強い将棋指しだったら「感覚で」やってしまうこれらの処理が、言語化・ルール化しようとすると無茶なのである。うかつに飛車と歩二枚を交換しないために、たとえば飛車の価値を10000点、歩の価値を3点にしておこう。そしたら王様より飛車を大事にするようになっちゃったとか、あちらを立てればこちらが立たずの状態に容易に陥るし、顔を立ててやるべきルールは1万あったり2万あったりするのだ。白刃の上を素足で歩くような繊細微妙な職人芸なのである。
この時代にこの作業に挑んでいた将棋ソフト開発者は修行僧のようだったし、そもそも自分自身がけっこう強くないと将棋ソフトが作れなかった。将棋も有段者でプログラミングもできるって、どれだけ貴重な人材だよ。
というわけで、がんがん新製品や新サービスが登場する状態にはなり得なかったし、AIの進化も頭打ちになってしまった。よくしようとして複雑なルールを足すと、これらの調整作業が累乗的に困難になっていくのである。
利用者の受け止め方としては、「役に立つようにはなったし、進歩も実感したけれど、思ったほどの質でも量でもなかった」程度のものだった。
株の売買の助言もしてくれるし、将棋の相手もしてくれる。まあまあよくなったけど、それは過去のAIを知った上で「AIにしては」「よく進歩したよね」との感想だった。将棋ならば、この時点で「将来、AIがプロ棋士を超えるだろう」と予測したプロ棋士は皆無に近かった(その中で「2015年頃にそうなる」と感想を漏らした羽生善治の慧眼は見事だった)。
二度目のブームも定着には至らなかったが、「仕事にもある程度使える」認知を遺したことが地下水脈のように今のブームまでつながっている。
かくして二度目の冬が訪れる。(続く)