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大河ドラマ好き必読! 最新研究をふまえて鎌倉幕府と室町幕府を比較する

編集部の田頭です。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、盛り上がっていますね。私も毎週楽しみに視聴していますが、本書『鎌倉幕府と室町幕府』は続々と出版されるドラマの関連本とは少しだけ角度を変えて、鎌倉幕府と室町幕府の実態を比較する内容になっています。
比較するポイントは3つ。①公家寺社とのパワーバランスはどうだったか②地方支配の強固さはどうだったか③滅亡から見えるものは何か。以上の3点を、最新の研究に基づいてそれぞれ検証しています。
人物中心の歴史の見方とはひと味違う解釈として、もう歴史好きにはたまらない内容になっているはずです。とりわけ大河ドラマの『太平記』や『花の乱』、『北条時宗』あたりがお好きな方には、ぜひご一読していただければと思います。
刊行を記念して、巻末に収録した著者四氏による座談会「鎌倉幕府と室町幕府はどちらが強かったのか?」の一部を抜粋して公開します。白熱した議論の一端を感じ取っていただければ幸いです。

本書に通底する問題意識

――研究上の室町時代ブームをいったん整理する、次いで鎌倉時代と比較検討するというコンセプトでスタートした本書の企画ですが、紙幅の都合上、本編で書ききれなかった部分もあろうかと思います。本日は、いわば一冊の締めとして執筆者のみなさんにお集まりいただきました。談論風発、自由に議論していただければ幸いです。まずは改めて自己紹介からお願いできますでしょうか。

木下 木下です。室町専門のお三方のスパーリング相手をやらせていただきました。鎌倉時代のパートである一、三、五章を担当しています。専門は鎌倉幕府の裁判や、「御成敗式目ごせいばいしきもく」などの法律です。

山田 山田徹です。今回は第二章の朝廷・公家社会関係のところを担当しましたが、普段は室町幕府や守護などの研究をやっています。また、とくに南北朝時代については、具体的な政治過程の研究も進めています。

谷口 谷口です。室町時代の地方支配を扱う第四章を担当しました。が、守護論や権力論は私の中心的なテーマではなく、本来は南北朝~戦国時代における足利あしかが氏・足利一門の持つ権威の話をメインに研究しています。

川口 川口です。今回は戦国時代の室町幕府を扱った第六章を担当しました。本来は室町時代の中央と地方の関係がメインテーマで、大名やその配下の人物の動きに注目して研究を進めています。また、最近では和歌や連歌れんが五山ござん文学などの文芸とその史料に関心があります。

――ありがとうございます。まず木下先生からうかがいます。みなさん書かれたテーマもご専門も違うのに、響き合うものがあると読後の印象でおっしゃっていたのが印象的でした。本書一冊のテーマにも関わってくると思いますので、その点からお話をお聞かせください。

木下 室町のお三方の原稿や、鎌倉幕府の研究を改めて読んでみて、近年の研究特有のモードがあると感じました。ポイントは二つあると考えていまして、一つは権力や政治の見方として、対立ではなく協調、強制ではなく合意、意図的ではなく状況依存的といった側面を重視するようになってきたということ。もう一つは、谷口さんの第四章でキーワードとして示された都鄙とひ関係」。京都という都市の存在感が相当に強いことをちゃんと認識して、そのうえで地方を考えるというのは、山田さんはじめ、谷口さんも川口さんも論じていらっしゃる。この二点が、近年の研究における大きな共通の視点であるように思いました。

山田 私も木下さんが第一章で書かれた内容は、室町時代研究にも当てはまる部分が多いと考えています。武家以外の勢力がどのように幕府の権力を求め、利用していったかということですね。幕府が主体的に振る舞うというより、そうした「受け身の幕府」像のような議論が、一九九〇年代以降のトレンドだったのかなと改めて思いました。
 私の担当した第二章では、貴族社会から幕府への働きかけについて取り上げました。近年の研究では、当時の人たち自身の視点が重視されていて、彼らがどのような感覚や論理を持っていたのか、どのような状況に直面していたのかをしっかり踏まえたうえで、具体的な動向を説明していこうとする傾向があると思っています。
 具体的には、足利義満あしかがよしみつが朝廷に入っていくところが典型例ですね。危機的状況を強烈に意識しながら、義満の力を引き込むことで公家社会の復興をめざしていた二条良基にじょうよしもとという人の動きが評価されています。
 ただ、良基の主体性を評価するあまり、義満は良基の思惑に従ったにすぎない、といわれることもあるようですが、そこまで行くとやっぱり極端ですよね。義満が準備されたレールの上に乗りながら好き勝手やっているような面も当然ありますから。木下さんの第一章を読んで、そんなことを考えました。

木下 中心的な主体と見られていたほうは無計画で、やられている側と見られていたほうは意外とビジョンがあるみたいな話ですよね。まさに従来の研究が相対化されていると感じますが、行き過ぎると本当に権力を持っていた人間が誰なのかというのがわかりにくくなってしまうと思います。それに、権力を持っている側を過度に弁護してしまうようなことにもなりかねない。山田さんの第二章にもあったように、義満の行動原理を、当時の公家社会の常識で埋めていってある程度説明することはできる。しかし、それでも埋められない部分があるというのがたぶん山田さんのおっしゃりたかったことですよね。

山田 政権内外のことを知るうえで当時の人たちの書いた日記が重要なのですが、足利将軍本人のものは残っておらず、周りの人たちのものが残っているわけです。そのため、そのような周辺の人たちの考え方はわかるんですが、そこだけを基軸に組み立ててしまうと、偏ってしまう……。たとえば、将軍を彼らにとってただ便利なお神輿みこしみたいなものとして描いてしまうような面は、たしかにあるように思います。

木下 最高権力者の意図というのが史料上から露骨に出てくるケースって少ないですよね。「足利義満日記」などがあるわけじゃないですし。だから、文献に書いてある以上のことに踏み込まない禁欲的な手法のみだと、権力者の意図というのが実証しにくいので、なかったことになってしまいがちな気がするんですね。ただ、やっぱりそれだけではちょっと物足りない。実証主義史学のある意味の袋小路なのかもしれませんね。

――この二〇年にそうした権力観を考えるうえでの大きな転換が生じたのには、何か理由があるのでしょうか?

木下 月並みではありますが、冷戦構造の崩壊やマルクス主義の影響力低下が大きいのでしょう。これまでは、武家vs公家といった対立構造、すなわち古い階級が新しい階級を打倒していくといった階級闘争史観が根っこにあったと思うのですけど、その図式がなくなってみると、今まで見落とされてきた歴史上の細かい動きが目に入ってきたということなのかなと私はみています。

谷口 私もマルクス主義的歴史観の崩壊というのは大きかったと思いますね。その流れにつけ加えると、この本でやっているような、ある時代の「全体」を論じていこうという視点も近年の研究の根っこにあると感じています。部分や各地域だけだとか、二項対立的な見方だけではなく、日本全体を見通すうえでは、たとえば京都を中心にして全国を見ていくと、案外理解しやすい。これは、個別の地域権力の研究だけでは見えてこなかったところだと思います。地域の研究がかなり緻密に進んだことで、今度はそうした個々の研究を総合して、全体を考えられるようになってきた。鎌倉だけではなく、室町や戦国でもこの点は一緒ですね。

――本編で驚かされたことの一つに、鎌倉時代という呼称自体がそもそも検討に値するという問いかけがありました。

木下 鎌倉時代という呼称を変えなきゃいけないとまでは私は考えていませんが(笑)、日本の歴史時代の区分は、基本的にいまは政権所在地の名前をつけていますよね。奈良の平城京だから奈良時代。平安京だから平安時代。幕府が京都の室町にあったから室町時代と。すると鎌倉時代の場合、鎌倉が首都にあったのだと誤解されるのは、ちょっとまずいと思うんですね。この時代も京都が首都であったことは明確な事実であって、首都から離れた鎌倉に、もう一つの極ができたことが重要なのかなと思います。
 その点では「鎌倉時代」と分けること自体が妥当なのかという議論もありえます。平安時代の終盤は院政時代と呼ばれていますが、じつは鎌倉初期の後鳥羽ごとば上皇の時代まで、すなわち承久じょうきゅうの乱までは続いているとみていい。鎌倉幕府が始まったからといってすぐに京都の支配力が失われたわけではありませんし、承久の乱を経ても公家政権は残ります。この点は一般的な歴史理解とはズレがあるところだとは思います。

――命名したことによって逆に見えなくなってしまうものがあるというか、規定されてしまうものがあると……?

木下 名前がなんのために必要かというと、物事をよく認識するためです。ないとやはり不便ですから。ただ時代を区分して名づけてしまうことによって逆に変な縄張り意識のようなものも生まれてしまう。日本史の場合、自分は鎌倉時代研究者だから鎌倉時代しか見ないとか、中世史研究者は中世だけ、近世史研究者は近世だけといった感じで閉じこもってしまうことになりかねないわけです。時代区分というのは便宜上なされたものであるということは常々認識したほうがいいかなとは思っています。

――それも今回の本に通底する歴史を理解するうえでのみなさん共通の問題意識ですよね。

木下 川口さんの第六章じゃないかな。戦国の人は戦国しか見なくて、室町のほうは見なかったりするという問題を指摘していたのは。

川口 戦国時代の幕府研究は、今谷明いまたにあきらさんの議論を引き継いで「戦国時代に弱体化したはずの幕府がなぜ存続しえたか」という問題設定からスタートしています。そうすると、必然的に弱体化したとされる時期より後から、議論がはじまるわけです。けれど、木下さんが述べられたように、時代区分は現代の研究者による便宜的なものです。だから、戦国期の室町幕府といっても、ゼロからスタートしたわけではない以上、前代と何が一緒で何が違うのかということは意識しなければならない。当たり前のことですが、結局は連続性を考えたうえで時代をどう考えていくかというのが求められるということですね。これは、室町時代を研究している自分に対して、自戒の意味を込めて言っています。

谷口 昔はそこまでではなかったと思いますけど、今はどんどん専門が細分化しているので。室町時代だと、まず時期的に南北朝期、室町期、戦国期で大きく分かれて、そこからさらに地域的・テーマ的に細かく枝分かれして……というような感じですかね。

「京都」の存在感

――谷口先生の第四章では、徳川幕府の江戸のように、京都の将軍の周りに守護が暮らしていたということが示されていました。

谷口 私は山田さんやみなさんの先行研究を整理しただけですが、日本という国の構造がかなりそうした中央集権的に出来上がっていた事実・側面はあると思います。近代はもちろん、江戸時代などもおそらくその典型例で、多くの大名や武士が江戸に集まって、そこで政治や文化が花開く。武士たちにとっても、むしろ在国より在江戸のほうが好ましかったりもする。まさに現代とも繋がるような話です。
 中世というと、従来は分権的な社会というイメージが強く、地方が主役だ、と言われやすかったと思われますが、首都である京都への集住を前提に、ある種統合的なイメージで全国支配を見てみると、現代にまで繋がってくるような日本史の一側面を打ち出せる気がしますし、中世のイメージそれ自体もまた大きく変わってくるように思いますね。

山田 二〇〇三~二〇〇四年くらいにそうした議論がすごく進んだんですよね。守護職を持つような有力者たちがみんな中央にいて、京都に富が集まる構造になっていると。参勤交代の場合だと大名にも地元で過ごす期間と中央で過ごす期間の双方がありますが、室町時代の場合だと、守護は基本的にずっと京都にいるわけです。
 その一方で、それが必ずしも全国的ではないということがもう一つの論点です。谷口さんが第四章で強調してくださっていると思うのですけれど、たとえば遠くの九州の守護は京都にはいない。東国も別枠で、地域差がある点が大事なのかなと思っています。個人的には、単純な中央集権か地方分権かみたいな二項対立の話に落とし込むのではなくて、それぞれの地域で両方の側面がどのように表れてくるのか、そのあたりの地域性のようなものに興味があります。

川口 少しだけ補足しますと、幕府の全国支配を俯瞰ふかんしたとき、きっちり制度的にやろうとしている部分と、そうではない部分があると考えています。たとえば、幕府と遠国地域の権力の関係をみたとき、京都では大名や将軍の側近が取次役をして交渉を担当しますが、これは「~奉行」のような明文化された役職ではないんですね。地方でも、幕府が制度的に強く押さえようとする志向性はほとんどない。全体として幕府の全国支配には、構造的なゆるさが感じられます。それでもなぜか不思議と破綻はたんせず、幕府・将軍による列島社会の緩やかな統合が続いている。このあたりに室町時代のおもしろさがあるんじゃないかなと私は思っています。

木下 室町幕府には、地方社会をコントロールしようという発想があまりないですよね。京都市中がうまくいっていればいい、という感覚なのでは。地方でバタバタ人が死んでもそんなに動じないみたいなところがあると思うんですね。その意味では、じつは鎌倉幕府というのは室町幕府に比べて全国支配がある意味では強かった面があるんじゃないかと思うんです。遠隔地の守護や御家人への統制も強い。あと、奥州と蝦夷地えぞち、あるいは南九州と南島といった日本と外との境界地帯を、直接掌握しようとする傾向もありますね。
 一方で、別の見方をすると、中央と地方のつながりは室町の方が密接に見えます。反乱が起きたときに鎌倉と室町では違いが出ますよね。中央での殺し合い、地方での殺し合いがすぐに相互に波及する。室町時代の守護は、京都の政界で権力闘争に敗れたら屋敷を焼いて地方に帰るというのが定番になっている。一方の鎌倉時代は、鎌倉で兵を挙げて、それでだめだったら一族郎党そのまま滅んでしまう。宝治合戦ほうじかっせん霜月騒動しもつきそうどうのような鎌倉内の抗争は、あまり地方と密着しない。当事者が地方に下って粘ったりしないから、鎌倉幕府の内乱というのは一日か二日で終結するわけです。応仁の乱に典型的なように、室町幕府内の抗争がだらだらと何年も続くのとは対照的ですね。

※つづきはぜひ書籍でお楽しみください!


著者プロフィール

山田徹(やまだとおる)
1980年、福岡県生まれ。同志社大学准教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。著書に『京都の中世史 第4巻 南北朝内乱と京都』(吉川弘文館、2021年)、論文に「室町領主社会の形成と武家勢力」(『ヒストリア』223号、2010年)、「土岐頼康と応安の政変」(『日本歴史』769号、2012年)など。


谷口雄太(たにぐちゆうた)
1984年、兵庫県生まれ。青山学院大学准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。著書に『中世足利氏の血統と権威』(吉川弘文館、2019年)、『〈武家の王〉足利氏―戦国大名と足利的秩序―』(吉川弘文館、2021年)、『分裂と統合で読む日本中世史』(山川出版社、2021年)など。


木下竜馬(きのしたりょうま)
1987年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所助教。東京大学大学院人文社会系研究科日本文化研究専攻日本史学専門分野修士課程修了。専攻は中世法制史、鎌倉幕府。主な論文に「武家への挙状、武家の挙状―鎌倉幕府と裁判における口入的要素―」(『史学雑誌』128編1号、2019年)、「鎌倉幕府による裁許の本所申入」(『日本歴史』832号、2017年)など。


川口成人(かわぐちなると)
1989年、岡山県生まれ。京都府立京都学・歴彩館京都学推進研究員を経て、2022年4月より日本学術振興会特別研究員(PD)。京都府立大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(歴史学)。主な論文に「室町期の大名被官と都鄙の文化的活動」(芳澤元編『室町文化の座標軸—遣明船時代の列島と文事―』勉誠出版、2021年)、「都鄙関係からみた室町時代政治史の展望」(『日本史研究』712号、2021年)など。

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『鎌倉幕府と室町幕府』目次

骼悟牙ケ募コ懊→螳、逕コ蟷募コ・024_6
骼悟牙ケ募コ懊→螳、逕コ蟷募コ・024_7


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