世界最大のツイッター炎上事件―ネットリンチで人生を破壊された人たち
昨今、SNS上での個人攻撃――いわゆる「ネットリンチ」が過激化し、痛ましい事件も起きてしまいました。このような現象を防ぐことはできないのか? かつて起きた、世界最大のツイッター炎上事件――ネットリンチ事件を基に考察してみたいと思います。事件は2013年12月20日に起きました。ある女性の冗談ツイートが、人種差別的だとして大炎上し、彼女の名前はツイッターの全世界トレンドランキング一位となったのです。結果的に彼女は職を失い、破滅します。この記事がユニークなのは、被害者の声を詳しく紹介していることです。炎上やリンチはどのように広まったのか。被害者の恐怖とはどのようなものか。迫真の内容です。出典は『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』(ジョン・ロンソン著、夏目大訳、光文社新書、2017年)です。
11時間のフライトの間に、世界一の有名人に
ごく普通の無名の人が、ツイッター上で一〇〇人そこそこのフォロワーに向かい、少々品の悪い、無神経な冗談を言う。その後、大勢から寄ってたかって強く非難され、排除されてしまう。そんなことが数ヶ月の間に何度も繰り返された。幼い子供を抱え、ただ毎日真面目に働いているような善良な市民が、突然、大勢から袋叩きに遭ったのだ。
私はそんな体験をした人たち一人ひとりに会って話を聞いた。レストランや空港のカフェで顔を合わせた彼らは、皆、一様に憔悴しきった顔をしていた。善良な市民らしくきちんとスーツを着てはいたが、ふらふらと力なく歩く姿はゾンビのようにも見えた。
三週間前、ジャスティン・サッコはヒースロー空港を経由する空の旅の最中に問題のツイートをした。それが、後に大変な事態を招くことになる。二〇一三年一二月二〇日のことだ。
その前の二日間、サッコは、休暇中の自分の旅に関して、ツイッター上で少々品の悪いジョークをいくつか続けて飛ばしていた。彼女のフォロワーは一七〇人ほどだ。
サッコには、SNS版のサリー・ボウルズ(ミュージカル『キャバレー』の登場人物)のようなところがあった。退廃的で、気まぐれで、不用意に言葉を発する。無意識に、いわゆる「政治的に不適切な」発言をしてしまう。
たとえば、彼女はニューヨークから乗った飛行機で見かけたドイツ人男性について、こんなツイートをした。
「変なドイツ男がいる。ここはファーストクラスだし、もう二〇一四年だよ、制汗剤ぐらいつければいいのに――ワキガのひどい悪臭をかがされながらの独り言。製薬会社は何をやっているのか」
ヒースロー空港で乗継便を待っている間にはこんなツイートをした。
「チリソース――キュウリのサンドイッチ――虫歯が痛い。でもロンドンに帰って来たね!」
そして乗継直前のツイートはこうだ。
「アフリカに向かう。エイズにならないことを願う。冗談です。言ってみただけ。なるわけない。私、白人だから!」
彼女は自分の書いたことに一人笑いながら、「ツイート」ボタンを押した。その後、三〇分ほど空港内をうろうろ歩きながら、時々ツイッターをチェックしていた。
「最初は何事も起きなかったんです」彼女は私に言った。「返信は一つもありませんでした」
彼女はその時、少しがっかりしていたのだと思う。自分では結構、面白いことを言ったつもりだったのに、反応がまるでなく、沈黙が続いている。少しは褒めてもらえると思ったのに誰も褒めてくれない。そんな気分だったのだろう。
彼女はそのまま飛行機に乗り込んだ。一一時間のフライトだ。その間はほとんど眠っていた。着陸後、携帯の電源を入れるとすぐ、高校卒業以来話したことのなかった知人からのメッセージが目に飛び込んできた。
「こんなことになるなんて、とても悲しいよ」
画面をよく見た彼女は驚いた。
「私の携帯の画面は恐ろしいことになっていました」彼女は言う。
私たちが話をしたのは事件から三週間後だ。場所は、サッコの選んだニューヨークのレストラン、クックショップだった。
ジャスティン・サッコは、IAC(InterActive Corp)の広報部長を務めており、同じビルの上の階にオフィスがあった。
IACはウェブサイト"Match.com"や、Vimeo、OkCupidなどを所有する企業だ。彼女がその店で私に会いたいと言ってきたのは、そして、高そうな仕事用の服を身に着けていたのは、午後六時にオフィスに行ってデスクを片づけることになっていたからだった。
まだ飛行機がケープタウン国際空港の滑走路にいる間に、携帯の画面にはもう一つテキストメッセージが表示された。
「今すぐ電話して」それは親友のハンナからだった。「今、あなたはツイッターで全世界のトレンド第一位になっているのよ」
「@JustineSacco の最悪の人種差別ツイートを見て、私は今日、@careに寄付をしました」
「@JustineSacco がどうして広報の仕事なんてしてるの? こんな無知の人種差別主義者は、フォックス・ニュースがお似合いだよ、#AIDSは白人だって誰だってかかる病気だ!」
「ジャスティン・サッコのツイート、人種差別があまりにひどすぎて、恐ろしい。言葉も出ない。恐怖以上の何かを感じる」
「IACの社員です。 @JustineSacco には、今後、会社を代表する立場で一切、物を言って欲しくないです。絶対に」
「@JustineSacco というこのとんでもない女のことを皆に知らせるべきだ」
彼女の雇用主だったIACからは「あまりに非常識で、言語道断なコメントという他ありません。弊社の社員ですが、現在、国際線の飛行機に乗っており、連絡がつきません」というツイートがあった。それに対しても即座に反応があった。
「できすぎた話でちょっと面白い。全世界規模の問題を起こした @JustineSacco が『国際線』に乗っているなんて」
「早く飛行機が着陸して、携帯見ないかな。きっと驚くだろう。その時の @JustineSaccoの顔が見られたら、私にとって最高のクリスマスプレゼントになるのに」
「すごいな。 @JustineSacco は、飛行機が着いたら、いきなりこの状況を見るのか。携帯の電源入れただけで、こんな辛い思いすることってそうはないだろうな」
続いて、"#hasjustinelandedyet(ジャスティンはもう着陸したか)"というハッシュタグが全世界でトレンド入りした。
「本当にもう家に帰って寝たいんだけど、バーで皆が #hasjustinelandedyet にあんまり夢中になってるもんだから、気になるし、ほっといて帰るわけにもいかなくて」
「破滅していっているのに、本人はそれにまったく気づいていない、こんな状況はあまりないので興味深いですね。 #hasjustinelandedyet 」
「#hasjustinelandedyet は、私にとってはこの金曜夜の最高のネタです」
わざわざ手間をかけて調べ、彼女がどの飛行機に乗っているかを突き止める者まで現れた。フライトトラッカーのサイト(飛行中の航空機をリアルタイムで追跡できるサイト)へのリンクが貼られたため、彼女の乗っている飛行機が今、どこにいるかを皆がリアルタイムで確認できるようになった。
「@JustineSacco の乗った飛行機があと九分ほどで着陸するみたいですよ。見物ですね」
「もうすぐ、あのバカ女 @JustineSacco がクビになるところが見られますよ。リアルタイムで。本人が知る前にクビになるかも」
「おおもう少しだ。誰かケープタウンにいる人。空港に行って、彼女が出て来るところを実況できませんかね。頼みます。誰か! できれば写真つきで。 #hasjustinelandedyet 」
飛行機が着陸し、事態を知ったサッコは慌ててツイートを削除したが、その後には削除に関するコメントも見られた。
「ごめんね、@JustineSacco ツイートは一度書いたら、永久に残るんだよ」
ウェブサイト「バズフィード」の計算によれば、関連のツイートは何十万件という数にのぼったという。何週間か経ってからもまだこんなツイートが見られたくらい、余波も長く続いた。
「皆さん、ジャスティン・サッコを覚えていますか。 #hasjustinelandedyet ってハッシュタグ、ありましたね。すごかったです。あの時は百万単位の人たちがひたすら彼女の乗る飛行機の着陸を待っていました」
私は以前、自動車事故に遭った人に直接、話を聞いたことがある。衝突の時、どういう気持ちになるのかを尋ねたのだ。印象的だったのは、わずか一秒で車というものの見え方がまったく変わる、と彼女が言ったことだった。
事故の直前まで、車は彼女にとって友達だった。常に自分のために働いてくれていたし、シートも身体にぴったりとフィットしていた。内装も豪華で洗練されていたし、何もかもが思いどおりで、一つの不満も感じていなかった。ところが、またたきする間に、車は急に、彼女を攻撃する武器へと変わり、鋭い刃を向けてきた。まるで「鉄の処女」と呼ばれた拷問具の中に入れられたようなものだった。友達が突如として最悪の敵へと変貌した。
私はもう何年にもわたって、「身の破滅」と言えるような体験をした人に積極的に会い、直接、話を聞いてきた。会った人はすでに相当な数になっている。その人を破滅させたのは、多くの場合、政府や軍、大企業であり、そうでなければ単に自滅した、ということがほとんどだった。
だが、ジャスティン・サッコは、そのどれとも違うのではないかと思う。彼女は、私が会った中ではじめて、ごく普通の「善良な市民たち」によって破滅させられた人ではないかと感じた。
炎上後の生活
グーグルには、「グーグル・アドワーズ」というサービスがある。これを利用すれば、特定のキーワード、たとえば自分の名前が一ヶ月間にグーグルで何回検索されたかを調べることもできる。
二〇一三年一〇月、ジャスティン・サッコの名前がグーグルで検索されたのは三〇回だった。翌一一月も一ヶ月に三〇回検索されていた。ところが、次の一二月は、事件の起きた二〇日から月末までの間に、なんと一二二万回も検索されている。
ケープタウン国際空港では、一人の男性が彼女の到着を待ち構えていた。彼はツイッター・ユーザーの、"@Zac_R"で、空港に現れたサッコの写真を撮り、ツイッターに投稿した(編集部注:書籍には写真が掲載されています)。
「おお、 @JustineSacco がついにケープタウン国際空港に到着。変装のつもりかサングラスをかけている」
サッコが問題ツイートをしてから三週間が過ぎた。ニューヨーク・ポスト紙は、取材のため、ジムへ向かう彼女を追跡するなどした。また、新聞各社は、同様の問題発言が他にもないか、彼女の過去のツイートを調べあげた。
過去のツイートの中でも最も問題が大きいと思われるのはこれだろう。
「昨夜は、自閉症の子供とセックスする夢を見た」(二〇一二年二月四日のツイート)――「ジャスティン・サッコが悔やむべき一六のツイート」バズフィード、二〇一三年一二月二〇日
事件についてジャーナリストに自分の口で何か話すのはこれが最初だし、これで最後にするつもりだとサッコは私に言った。私としては、それではあまりに残念だし、あまり良いことではないと感じた。
彼女からのメールにはこんなふうに書かれていた。
「私は広報担当として企業で働いていた人間です。その私にとっては、かつての顧客を巻き込んでしまうのが怖いのです。たとえば、彼らがあなたの著書への協力を求められた場合、その要請に応じるべきなのか否か、私にはわかりません。ともかく、とても不安です。それにこれ以上、下手に何か話して、新たな攻撃の原因を作るのも怖いです。ただ、一度はどこかで話さないと、とは思っています。私がどれほど異常な状況にいるか、皆に知らせてくれる人はいて欲しいのです」
正気の人間であれば、白人がエイズにかからないなどと考えることは決してないだろう。サッコが店で席に着いて、最初に私に話したのがそのことだった。
「あれがアメリカ人としてまともなコメントでないことは私にもわかっています。本気であんなことを言うはずがないし、私が本気であんなことを信じていると思った人もまずいないはずです。もちろん、世の中にはヘイトスピーチというのがあり、特定の集団を極端に憎む人たちがいるのも知っています。本気でああいうツイートをする人も皆無ではないでしょう。でも、私はそういう種類の人間ではありません」
サッコのツイートが盛んにリツイートされ始めたのは、彼女の飛行機が離陸してから三時間ほど経った頃だった。おそらくスペインか、アルジェリアの上空で眠っていた時だ。
私のタイムラインにも大量にリツイートが流れてきた。他のすべてのツイートを圧倒する量だった。はじめは「あ、誰か何かばかなことを言って非難されているな」と思って、少し面白がっていた私から、すぐに面白がる気持ちは消えた。彼女を吊るし上げている人たちが、一種の「集団発狂」のような状態に陥っているなと感じたからだ。
サッコのツイートは、そう出来の良いジョークではないし、褒められたものではないが、人種差別的なものでないことは明らかだ。有色人種を貶める意図はない。自分でも気づかないうちに特権意識を持ちがちな白人を笑う自嘲的なコメントだろう。そんなはずはないと頭でわかっていても、つい白人であるというだけでエイズのような危険と無縁だと感じがちな自分たちを笑っているのだ。そうではないだろうか。
「あれは、現状の矛盾を揶揄するジョークでした」サッコのメールにはそう書いてあった。
「アパルトヘイト後も続く南アフリカの苛酷な状況を揶揄したジョークでもあります。それはアメリカ人が日頃、あまり関心を向けないことです。誰もがかかり得る病気なのにもかかわらず、黒人の患者が極端に多いことに、いささか不穏当な言葉で言及したのです。残念ながら、私はアニメーション『サウスパーク』の登場人物でもなければ、コメディアンでもありませんでした。私の立場で、エイズのような問題に公の場で、『政治的に不適切な』表現で触れるべきではなかったのでしょう。第一、これでエイズについての社会の関心を高めようなどという意図もなかったわけですし。世界への怒りをぶちまけようという気持ちもありませんでした。自分を破滅の危険にさらしてまで言いたいことなどなかったのです。
アメリカに住んでいると、第三世界の悲惨な現実とはある程度無縁でいられます。多くの人がさほどの不安もなく安全に日々を送れるのです。安全な泡の中で生活しているようなものです。私には、そんな泡の中のアメリカ人を揶揄する気持ちもあったと思います」
偶然だが、私も以前に同じような――もう少し面白かったと信じたいが――ジョークを、ガーディアン紙のコラムで書いたことがある。飛行機でアメリカに来て、空港での入国審査で止められた時のことを書いたコラムだ(私と名前がそっくりなマフィアのヒットマンが逃亡中で警戒していたらしい)。
止められた私は、大勢の人で混み合う部屋へと連れて行かれ、待つよう指示された。
その部屋には、いたるところに警告の看板があった。「携帯電話の使用は固く禁じられています」という看板だ。
だが、私には「画面でメールやテキストメッセージのチェックをする分にはきっと何も言われないだろう」という確信があった。それは結局のところ、私に自分は白人であるという自覚があるからだ。
私のジョークはサッコのものより少しは面白いと思うし、言葉の使い方も良かったと思う。そして大事なのは、サッコのジョークは、実際にすでにエイズで苦しんでいる人にとっては冗談で済まないものだったということだ。私のジョークに比べると不快に思う人は多かったはずだ。
私のジョークは面白く、言葉も使い方も良く、さほど不快でもなかったので、サッコのように炎上にはつながらなかった。そう言えば言えなくもないが、本質に大きな違いはない。単に私は運が良かっただけなのかもしれない。映画『ディア・ハンター』のロシアンルーレットのシーンを私は思い出す。クリストファー・ウォーケンが銃を頭に押し当て、引鉄(ひきがね)をひくが、弾丸は発射されないというシーンだ。
サッコが人種差別主義者だと多くの人が思ったのは勘違いなのだが、勘違いされた責任は彼女自身にもある。本来は、自嘲の意味が強いコメントだったのだが、書き方が少しまずかった。そして、ツイッターのコメントは不特定多数の人が見るため、サッコがどういう人なのかは考慮されず、表面的な言葉だけを見られてしまうところはあるだろう。しかし、私自身は、彼女の問題ツイートを見て、何を言わんとしているか一秒もかからずに理解できたし、人種差別主義者とも思わなかった。彼女を吊るし上げた中にも、実は真意を理解していたのに、何らかの理由で故意に誤解した人が多かったのではないだろうか。いったいどういう理由なのか。
「結局、なぜ、どのように私という人間が誤解されたのかは、私自身にも完全にはわからないのです」サッコはそう言う。「多数の人たちが私の名前に触れ、写真も撮られたりしましたが、どうも皆、実際の私とは違う別の『ジャスティン・サッコ』なる人物を作り上げていたような気がします。その架空の人物をひどい人種差別主義者だと決めつけた。怖いのは、たとえば、私が明日交通事故か何かを起こして記憶を失って、自分のことをグーグルで検索したら、他人が作り上げた自分像を本当の自分だと信じてしまうだろうということです」
ジャーナリストというと、勇敢で恐れを知らない人間だと思っている人が多いだろう。不正義とは断固闘い、正気とは思えない暴徒が相手でも恐れることはない、そう思われがちだ。だが、この一件の報道には、そんな恐れを知らない勇敢な態度は見られなかった。サッコも私もそこは同意見だった。「私たちは誰もが皆、いつでもジャスティン・サッコのようになり得る」という報じ方をしているジャーナリストもいたが、その誰もが「私は彼女のツイートを擁護しているわけではない」という点を強調していた。
……言葉遣いは乱暴で、あの言い方をする品のなさは褒められたものではないが、その意図は少々誤解されているし、責められすぎと言えなくもない。軽率な行動が許されるわけではないが、罪は多くの人が思っているより軽いのではないか。気持ちの良いジョークではないが、本当の意味でのヘイトスピーチとは明らかな違いがある。ヘイトスピーチというより、思慮が足りず、趣味の悪いユーモアとみなすべきだろう……
――アンドリュー・ウォーレンスタイン「ツイッターの悪魔への同情」バラエティ紙、二〇一三年一二月二二日
アンドリュー・ウォーレンスタインは、まだ勇気のある方だったと言える。だがそれでも、「私は決して彼女の味方というわけではないので巻き添えにしないでください」というメッセージが含まれているのを感じる。オールド・メディア側の人間の、ソーシャル・メディアに対する恐れがよく表れていると思う。
サッコは謝罪声明を出した。身の危険を感じた彼女は、南アフリカへの家族旅行を予定より早く切り上げて帰ってきた。
「宿泊するホテルで姿を見たら襲撃するという脅しもありました。私の安全は誰も保証できないと忠告されたんです」
インターネット上には、彼女は南アフリカの鉱山王、デスモンド・サッコの娘で、いずれ四八億ドルもの財産を相続するのだという噂が駆け巡った。私もその噂は本当だと信じていた。だが、実際に顔を合わせ、私がそのことに少し触れると、彼女はまるで頭のおかしい人間を見るような目で私のことを見た。
「私はロングアイランドで育ったんですよ」彼女は言う。
「ジェイ・ギャツビーみたいな大邸宅ではなくて?」私は言った。
「はい、ジェイ・ギャツビーみたいな大邸宅じゃありません」サッコはそう答えた。「母は、私が物心ついた頃からずっとシングルマザーだったんですよ。母は客室乗務員をしていました。父はカーペットの販売をしていたそうです」(後でくれたメールによると、彼女が大人になるまでの間、母親はずっと独身で、客室乗務員と別の仕事を掛け持っていたが、彼女が二一歳か二二歳の時に再婚したという。継父はとても裕福らしい。母親の車の写真をインスタグラムに載せたことがあるので、裕福な家庭の育ちだという印象を与えたのかもしれない。他にも理由はあるかもしれないが、ともかく何らかの理由で、多くの人が彼女のことを甘やかされて育ったわがままな人間だと思っている。はっきりした理由は彼女にもわからない。ただ、私には事実だけでも知らせておこうと思ったと言っていた)
何年か前、私はアイダホの「アーリア人国家」に所属する白人至上主義者の何人かにインタビューをしたことがある。彼らは、政財界の首脳たちが毎年非公開で実施している会合「ビルダーバーグ会議」がユダヤ人の陰謀であると主張しているので、そのことについて話を聞こうと思ったのだ。
「会議には一人もユダヤ人が参加していないこともありますが、それでもユダヤ人の陰謀だと言えるのはなぜですか」私はそう尋ねた。
「確かに彼らは、ユダヤ人ではないかもしれません」一人が答えた。「でも、実に『ユダヤ的』です。それだけで十分なんですよ」
つまりそういうことだ。アーリア人国家にとって、攻撃対象となり得る人間は、何も本当にユダヤ人でなくても構わないのだ。少しでも「ユダヤ的」でありさえすれば攻撃対象になり得る。
ツイッターで起きているのも同様のことだと言えるだろう。ジャスティン・サッコが本当に特権階級の人種差別主義者かどうかはどうでもいい。実際、彼女は特権階級でもなければ人種差別主義者でもない。だが、そう見えさえすれば十分なのである。
アフリカ民族会議(ANC)の支持者たちも、当然のように、彼女を非難する側に回った。ケープタウン国際空港から、生家にたどり着いた彼女に、伯母はこんなふうに言っている。「この発言は私たち家族の意見とは違っている。この行動によって、お前は家族の名誉を傷つけてしまった」
この話をしながら彼女は涙を見せた。私はただその様子を見ていることしかできなかったが、何とか少しでも雰囲気を変えようと口を開いた。
「物事は、時に、一度底に達すると落ち着いて、その後、好転することがあるのではないでしょうか」私は言った。「今、あなたは底にいるということなのかもしれません」
「あら」サッコは涙を拭いて言った。「今回の件で、私が何より強く感じたのは、人間には群衆心理というのがやはりあるのだな、ということです。ただ、正直に言って、今が底だからこれからは良くなるとは思えません」
一人の女性が私たちのテーブルに近づいてきた。レストランの支配人だ。支配人はサッコの隣に座り、優しげな表情で何ごとかをささやいた。声が小さかったので私には何を言っているのか聞こえなかった。
「え、そうですか。それって良いことでしょうか」サッコはそう答えてきた。
「もちろん、そうですよ」支配人は言った。「何があってもそれは、次へ進むための準備になる。自分がそう思えばそうできる。今すぐにそうは思えないかもしれないけど、それでも構わないと思います。いずれそうだったと思える時が来るでしょう。あなたにも何か本当にやってみたい夢の仕事があったんじゃないですか」
サッコは彼女の顔を見て言った。
「あったはずだと思います」
炎上の発端
私は、ゴーカーのジャーナリスト、サム・ビドルからメールをもらった。おそらく、ジャスティン・サッコへの攻撃は彼から始まったと思われる。
まず、一七〇人いたサッコのフォロワーのうちの一人が、サム・ビドルに問題ツイートの存在を伝えた。ビドルは、自身の一万五〇〇〇人のフォロワーに向けてそれをリツイートした。騒動はそこから始まったのだ。
「彼女が広報部長だというのが重要な点だと思いました」ビドルからもらったメールにはそうあった。「IACで上級職にある人間が人種差別主義的なツイートをしている。それを知らせるだけで、多くの人の興味を惹くには十分でした。事実、多くの人の興味を惹いた。また同様の機会があれば、私は同じ行動を取ると思います」
ジャスティン・サッコが破滅したのは当然のことだ、とサム・ビドルは言う。それは彼女が人種差別主義者だからであり、特に、彼女のように地位の高い人種差別主義者を叩くのは正義だというのだ。自分は、ローザ・パークスに始まる公民権運動を継承しているのだという。以前なら弱く沈黙しているしかなかった人間が、力を持ったエリートの人種差別主義者を公の場で晒し者にし、屈服させられるようになったのだから良いとビドルは考えているようだ。
だが、私は、彼の言うことはまったく正しくないと思う。第一に、ジャスティン・サッコは地位の高い人間とまで言えるだろうか。一応、広報部長という地位にはあるが、ツイッターのフォロワーもわずか一七〇人という無名の人間である。さほど上にいるわけでもない人間をどん底まで叩き落としたというにすぎないのではないだろうか。
平凡な人の人生が突然、破壊される。なぜそんなことが起きるのか。ソーシャル・メディアならではのドラマなのだろうか。
私は、人間というのは複雑なもので、明確に善や悪に分けられるものではないと思っている。年齢とともに性質というのは変わっていくし、そうわかりやすい人はどこにもいない。ところが、ソーシャル・メディア上では、各人にわかりやすい人格が設定され、そのために劇的なことが起きやすい。毎日のように、傑出した英雄や、許しがたい悪党が新たに現れる。白黒がはっきりしていてわかりやすいが、現実の人間とはかけ離れている。なぜ、そのような短絡的な判断をしてしまい、皆が極端な行動に走りがちになるのか。どうすれば、この状況から抜け出せるのか。
サム・ビドル自身も、自分の行動がこれほどの大きな影響を及ぼしたことに驚いたし、恐怖を感じていたと思う。銃をはじめて撃った人は、その反動の強さに驚くことが多いが、それに似ている。ビドルは「ジャスティン・サッコがあまりに短時間のうちに転落していったので、驚いた」と私に話した。
「自分が眠って目を覚ますまでの間に、誰かが仕事を失っている、そんなことは起きて欲しくありません。誰かの人生を破壊することを望んでいるわけでもないのです」そして、サム・ビドルはメールの最後にこう書いていた。「彼女はいずれ立ち直れると思います。今はまだ無理かもしれないですが。人の関心は長くは続かないものです。皆、今日は今日で新たな敵を見つけて攻撃するでしょう」
いくら隠しても、検索すれば自分がどういう人間かわかってしまう
サッコは「デスクの片づけがあるから」と言って立ち去ろうとしたが、オフィスのあるビルのロビーに入ったところで、床に座り込み、泣き崩れてしまった。その後、彼女とはもう少し話をした。私はサム・ビドルの言っていたことを彼女に伝えた。しばらくすればきっと立ち直れるはずだ、ということである。
ビドルは口からでまかせで調子の良いことを言ったのではないと思う。ネット上で集団攻撃に加わる人は、ほとんど皆、彼と似たようなものだろう。犠牲者がその後、どうなったかには関心がないのだ。ただ、集団発狂のような状況に快感を覚えているだけだ。大勢が一斉に行動することで、とてつもないことが起きるのを楽しんでいるのに、その楽しみに犠牲が伴っていることを知って水を差されたくない。
「まったく立ち直ってはいないですね」サッコはそう言った。
「本当に苦しいです。大事な仕事でしたから。私は自分の仕事が好きでした。それを奪われたんですよ。誇りを感じながら働いていたのに。周囲の人も皆、喜んでくれていました。問題が起きて最初の二四時間は、あまりの辛さに大声で叫んでいました。心に負った傷はとても深いものです。夜もなかなか眠れません。夜中に目を覚ますことも度々で、そんな時は自分が誰だかわからなくなったりもするんです。突然、何もすることがなくなったんですから。私のスケジュールはまったくの白紙で何の用事もありません。何も……」
彼女はここで言い淀んだ。
「……生きている意味というのがないんです。私は三〇歳です。良い仕事に恵まれていました。でも、今、予定は何もない。再び何者かになるために動き出したいけど、まだ一歩も踏み出せていない。毎日のように、自分が誰かを忘れる時がある。こんなことが続けば、いずれ、完全に自分を見失います。私は独身ですが、この先、誰かとつき合うのも難しいでしょう。いくら隠しても、今はグーグルで検索すれば私がどういう人間なのかすぐにわかってしまう。事件のことを知れば相手は離れていくでしょう。もう私には新しい出会いなど期待できないんです。良く思われるわけはないのですから」
彼女は、私の本について尋ねた。自分の他に誰を取りあげるつもりなのかと。
「今のところ決めているのは、ジョナ・レーラー(編集部注:著書の中でボブ・ディランの発言を捏造したことが発覚し、大スキャンダルとなったベストセラー作家。本書の別の章で取り上げている)ですね」私は言った。
「彼は今、どんな様子ですか」彼女はそう尋ねた。
「ひどい状態だと思いますね」私は言った。
「ひどいってどんなふうに?」
彼女は心配そうだった。レーラーのことを気遣ってもいただろうが、彼のことを知れば自分の未来がわかると思ったのかもしれない。
「壊れています」私は答えた。
「壊れている、というのはどういう意味でしょうか」サッコは言った。
「他人からは羞恥心がないのかと誤解されるような状態ですね」私は言った。
どうしてもレーラーのことを恥知らずだと思ってしまう人が多いようだ。羞恥心がなく、そのためにどこか人間性を欠いているとすら思われてしまう。姿は人間だけれども、人間らしさがないと感じるのだ。
自分たちが攻撃し、傷つける相手のことを、人間性を欠いた存在とみなしがちなのは、ごく普通のことである。特に珍しくはない。攻撃する前も、攻撃の最中も、その後も、相手は人間ではない、と思い込むのだ。
だが、相手が実際には非人間的な人物ではない場合、二つの相矛盾する認知が同時に生じることになる。これを心理学の用語で「認知的不協和」と呼ぶ。二つの矛盾する認知が共存する状態は、人間にとってストレスになり、苦痛である(たとえば、「自分たちは優しい人間である」という認知と、「自分たちは誰かを破滅に追い込んでいる」という認知は矛盾しているので、共存しているとストレスになる)。
その苦痛を和らげるため、私たちは自分の矛盾した行動を正当化するような幻想を生み出す。たとえば、「タバコを習慣的に吸っていると寿命を縮める」とわかっていても、タバコを吸ってしまう人がいるとする。「タバコを吸うと早死にする」という認知と、「自分はたくさんタバコを吸っている」という認知には矛盾があって苦痛になる。そこで、「タバコを吸うと肌を老化させる」ということに目を向ける。小さな害に目を向けることで、大きな害から目をそらすのだ。そして、「肌が老化する、そんなの気にしないよ」と考え、タバコを吸い続けるのだ。
サッコはまた私に会うと約束してくれたが、すぐには無理で、何ヶ月かは間をあけて欲しいと彼女は言った。結局、五ヶ月後に再会しようということになった。
「今回のことが他人事のように思えるようになるまでは難しいです」彼女からのメールにはそうあった。「ただ家で毎日座って映画を見て、泣いて自分を憐れんでいるわけにはいきません。どうにか復活をしなくては」
彼女はジョナ・レーラーとは違っていた。
「レーラーは何度も繰り返し嘘をつきました。多くの人を騙していたんです。何度も大勢の人を欺いて、人格を疑われているわけです。その場合にはどう復活すればいいのか私にはわかりません。たった一度、悪趣味なジョークを言っただけの私とは明らかな違いがあると思うし、私はそう信じたいです。私は確かに愚かなことをしたけれど、自分の品位まで捨てたわけではありません」
今はとにかく何か仕事をすること、鬱状態、自己嫌悪に陥るのを防ぐにはそれしかない、と彼女は言った。これからの五ヶ月をどう過ごすかは自分にとって本当に重要だとも言っていた。五ヶ月後に会った時に、その結果は確かめられるだろう。
私が書く本に自分のことが「悲しい事例」として載ることを思うと辛い、と彼女は言う。だが、自分を攻撃し、破滅させた人たちに、必ず復活するところを見せるのだと決意していた。
「今のこの時は始まりにすぎなかった、と言えるようになって、またお話をしたいと思います」彼女は私にそう言った。
(続く)