腕時計なんてつける必要ない…!? 『教養としての腕時計選び』の「はじめに」を公開します
そこかしこで時刻を確認することができる時代、人は何のために腕時計を身につけるのでしょうか。夢か希望か、はたまた伊達や酔狂か。本書では、特に時計にいろいろな思いを詰め込みがち(笑)な男性のために、時計の魅力と歴史、豊かな物語の数々を徹底的に掘り下げます。年末年始の大きいお買物の前に、ぜひこちらの一冊を手にとっていただけたらと思います。
男は30代になったらちゃんと時計を選べなくてはならない
時計の歴史は、紀元前3000年頃に古代エジプトで発明された日時計から始まる。そして12ヵ月や24時間や60分といった時間の単位は、数学や天文学に長けた紀元前1500年頃の古代バビロニア人によって発明されたとされる。これは1、2、3、4の公倍数である12と、1、2、3、4、5、6の公倍数である60、そして円周の360といった数字の組み合わせから導き出されたものだというのが通説だ。
近代的な機械式時計が発明されたのは13世紀のヨーロッパで、教会の塔時計が始まりだ。その後パーツや機構が小型化され、17世紀後期に懐中時計が完成。この頃の時計はどちらかといえば優雅な美術工芸品に近かったが、20世紀初頭に腕時計が開発されると、いつしか時計は実用品となった。社会が成熟し、時間というルールの中で生活するにつれて、仕事場や学校で時間に追われるように生活する人々をサポートするようになったのだ。
しかし現代は、携帯電話やスマートフォンのおかげで、腕時計がなくても正確な時間を知ることができる。日本での携帯電話の普及率が50%を超えたのは、2000年のことだったが、この頃から「携帯電話があるのだから、腕時計は不要だ」という意見が増えたように思う。確かに腕時計の本質である「現在時刻を知る」という機能は、肌身離さず持ち歩くスマートフォンによって補完される。しかもスマートフォンはGPS衛星が発する電波をキャッチし、位置情報や時刻情報を解析して正確な現在地の時刻を表示するので、海外であっても時刻は正確だ。さらには〝世界最大の時計ブランド〞となったアップルウォッチなどに鞍替えしている人も少なくない。となれば「腕時計なんぞ不要だ」となるのは、なんら不思議ではない。むしろ自然なことだろう。
しかし世の中は、それほど単純ではない。不要という声が高まる一方で、「腕時計が大好きだ」という人も確実に増えているのである。
スイス時計協会FHが発表しているスイス時計の輸出統計データを調べると、2000年から2019年までの19年間で2倍以上も輸出金額が伸びている。スイス時計業界が大きく発展した最大の理由は、経済発展が目覚ましかった中国のおかげであることは言うまでもないが(19年間で約44倍になった)、それ以外の国でも着実に時計消費は伸びている。日本市場におけるスイス時計の輸入額は、2000年が約600億円だったが、2019年は約1840億円と約3倍になっており、しかもセイコーやシチズンをはじめとする強力な国産ブランドも好調だ。ムーブメントやパーツなど全てをひっくるめた日本の時計市場の規模は、なんと8867億円(2019年。一般社団法人日本時計協会調べ)にもなる。つまり「時計はかなり売れている」のだ。
しかも腕時計の嗜好も変化している。スイス時計の輸出統計データを見ると、実はスイス時計の輸出本数は減少している。しかし輸出金額は増えている。2000年以降、3000スイスフラン(約30万円)以上の高級腕時計が、本数金額ともに増えている一方で、安価な腕時計は本数も金額も減少している。つまり高額の時計ほど売れているのだ。
このような不思議な現象を予言していたのが、スイス時計業界の名物経営者であるジャン‐クロード・ビバーである。彼は現存する最古のスイス時計ブランド「ブランパン」を復興し、「オメガ」の業績を立て直し、「ウブロ」をメガブランドへと育て上げ、そしてLVMH モエヘネシー・ルイ ヴィトンの時計部門のプレジデントも務めた大物(現在は同部門のノン・エクゼクティブ・プレジデントとしてアドバイザーを務める)として知られている。
彼はウブロのCEOだった2006年に、「ビッグ・バン オールブラック」という時計を発表した。ダイヤルもインデックスも針もブラックで統一されたこの腕時計に対し、針がほとんど見えない時計に存在意義はあるのか、と聞かれたビバーは、「今どき腕時計で、時間を見る人なんていないよ」と答えている。ビバーは、これからの腕時計はステイタスアイテムであり、自分自身を表現するツールになると考えていたのだ。
それから10年以上が経過した現在の時計業界を見れば、その読みは当たっていたといえるだろう。実用品なら買いやすい価格帯であることも大切だが、自分自身のステイタスを示すモノとなれば、〝高級感〞が重要になるのは当然だ。
しかも携帯電話やスマートフォンの登場によって、時刻を知るための実用品というくびきから逃れたことで、腕時計は自由に進化中。サイズもデザインもカラーも百花繚乱状態だ。それはまさに腕時計が、「ステイタス」であり「自己主張」であり、男性がいつでも身につけることができる「アクセサリー」となったという証拠でもある。自分自身にパワーを与え、モチベーションを高めてくれるものであり、ビジネスやプライベートの場ではコミュニケーションのきっかけになる。その一方で、高級ホテルや高級レストランであれば、そこで〝値踏み〞されることもある。今や腕時計をつけるということ自体が自己主張なのだから、何を選ぶ、どうつけるかで自分自身が透けて見えてしまう(もちろん、「つけない」というのも一種の自己主張だ)。だから腕時計選びは手を抜けないのだ。
特に30代からの腕時計選びはとても難しい。それなりに経験を重ね、責任ある仕事を与えられるとなれば、身だしなみだってそれ相応のレベルが求められるようになる。さらにプライベートでも、家族が増え始める歳頃でもあるだろう。公私ともに人生の転換期を迎える男性が、自分自身のセンスやスタイルを表現し、さらに前向きな気持ちを高めてくれる腕時計と出会うためにはどうすればよいのだろうか?
それはブランドの知名度頼みかもしれないし、見た目のデザインによるのかもしれない。しかしその奥にある文化的価値や歴史的事実を理解しなければ、本当に満足し、自分自身を語るにふさわしい腕時計に出会うことは難しいだろう。なぜなら時計の歴史とは、人間の知的好奇心の歴史でもあるからだ。今や時計はアートや音楽と同じように「教養」となった。時計を知るということは、人類の知の歴史を学び、宇宙の仕組みを知り、摩擦や磁気が機械に与える影響を理解するということなのだ。
本書では、腕時計の深淵なる世界を歴史や文化的側面から探ることで、時計の教養を身につけ、より深く腕時計を愛してもらうことを目的としている。
時計を通じて世界を見れば、また違った景色が見えてくるだろう。そして人生という有限の時間を、より豊かなものにしてくれるに違いない。
目次
第6章の、男30歳になったら買うべき30の時計ブランドは必見ですよ!
著者プロフィール
篠田哲生(しのだ・てつお)
1975年生まれ。講談社「ホットドッグ プレス」編集部を経て独立。時計専門誌、ファッション誌、ビジネス誌、新聞、ウェブなど、幅広い媒体で硬軟織り交ぜた時計記事を執筆している。また仕事の傍ら、時計学校「専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」のウォッチコース(キャリアスクールウォッチメーカーコース)に通い、時計の理論や構造、分解組み立ての技術なども学んでいる。スイスのジュネーブやバーゼルで開催される新作時計イベントの取材を、15年近く行っており、時計工房などの取材経験も豊富。著書に『成功者はなぜウブロの時計に惹かれるのか。』(幻冬舎)がある。
おまけ
10年前に「清水買い」した担当編集の一張羅の愛用品です(笑)。本書でも紹介しているIWC シャフハウゼンの「ポルトギーゼ」、今はもう廃盤になってしまった通称「逆パンダ」モデルです。仕事の節目に思いきって購入した思い出の品です。