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『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』本文公開⑦

前回の大統領選の年の6月、全く無名の男性が書いたメモワール(回想録)が刊行され、大ベストセラーとなりました。J.D.ヴァンス著『ヒルビリー・エレジー』です。なぜこの本が注目を浴びたかといえば、トランプ大統領の主要な支持層と言われる白人貧困層=「ヒルビリー」の実態を、当事者が克明に記していたためでした。それから4年、大統領選を前に再び本書がクローズアップされています。11月24日には、ロン・ハワード監督による映画もネットフリックスで公開されます。本連載では、本書の印象的な場面を、大統領選当日まで短く紹介していきます。【追記】11月13日より劇場公開もあるようです。

※こちらから上映劇場の情報が見られます。

(以下、本文)

私はイェール大学のロースクールに入学する前の夏、大学のあるコネチカット州ニューヘイブンに引っ越す費用を工面するために、仕事を探していた。すると、床タイルを扱う中規模の会社を経営する地元の知り合いが、うちで働かないかと誘ってくれた。

床タイルは驚くほど重い。1枚で1.5キロから3キロ近くもの重さがあり、8枚から12枚のタイルがひとつの箱に梱包されている。私の仕事は、輸送用のパレットにタイルを載せ、出荷の準備をすること。簡単な仕事とはいえないが、とにかく稼がなければならない私にとって、時給13ドルは魅力的だった。すぐに心を決め、時間外シフトをできるだけ増やしてもらい、可能なかぎり長時間働くことにした。

10人ほどの作業員がいて、多くはそこで何年も働いていた。そのひとり、飛行機のパイロットを夢見る青年は、このタイル会社以外でも、フルタイムの仕事に就いていた。時給13ドルなら、独り身の青年が地方の町(それなりのアパートが500ドルで借りられる)で暮らすには、十分な稼ぎになる。

しかも、この会社では定期的に昇給がある。景気が低迷するなかでも、ここで何年か働き続ければ、少なくとも時給16ドルは稼げるようになる。年収にして3万2000ドル、つまり、一家族が最低限度の生活を維持できる収入を得られるのである。

ところがその会社は、比較的安定した賃金を約束していたにもかかわらず、倉庫係として長期で働いてくれる人材を確保できないでいた。私が辞めるときには、ほかにも3人の青年が倉庫係として働いていたが、26歳の私がとびぬけて年長だった。

ある作業員(ここでは仮にボブと呼ぶ)は、私より数か月早く倉庫係として採用されていた。19歳のボブには妊娠中のガールフレンドがいた。上司は親切にも、ボブのガールフレンドを事務員として迎え入れ、電話の応対をまかせることにした。

ところが、ボブとガールフレンドは、まったくひどい働き手だった。ガールフレンドのほうは、3日に一度の割合で無断欠勤。「休むときは事前に連絡するように」と繰り返し注意され、数か月で辞めていった。

ボブも欠勤の常習者で、1週間に一度は姿を見せない。しかも、いつも遅刻ばかり。そのうえ、1日に3回も4回もトイレにこもり、一度こもると30分は戻らない。その態度があまりに目に余ったので、もうひとりの作業員と私は、よくからかっていた。ボブがトイレに向かうと、ストップウォッチをセットし、経過時間を確認しては「35分!」「45分!」「1時間!」と、倉庫じゅうに響く声で叫んだのである。

結局、ボブも解雇されることになった。それを知ったボブは、上司のもとに走り、「クビだって? おなかの大きいガールフレンドがいると知っているのに?」と詰め寄った。

だが、辞めていくのはボブだけではなかった。私が働いていた短い期間に、少なくともさらにふたり(そのうちのひとりはボブのいとこ)が、辞めさせられるか、自分から辞めていった。

機会の平等について語るときには、ここまでに書いてきたような事実を忘れてはならない。ノーベル賞を受賞した経済学者たちは、中西部工業地帯の衰退や、白人労働者階層の働き手の減少を心配する。製造業の拠点が海外に移り、大学を卒業していない若者が中流層の仕事に就くことは難しい、というのが経済学者たちの主張だ。

たしかにそのとおり。私も同じ心配をしている。

だが、私が『ヒルビリー・エレジー』で書いたのは、それとは別の話である。産業経済が落ちこむなか、現実の生活で人々に何が起こっているのか。最悪の状況に、人々はどのように反応しているのか。社会の衰退を食い止めるのではなく、それをますます助長する文化とはどのようなものなのか。そうしたことである。

タイル会社の倉庫で私が目にした問題は、マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりも、はるかに根が深い。あまりにも多くの若者が、重労働から逃れようとしている。よい仕事であっても、長続きしない。支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。

さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。つまり、自分の人生なのに、自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしようとする。そうした姿勢は、現在のアメリカの経済的展望とは別個の問題だといえる。

『ヒルビリー・エレジー』で焦点をあてたのは、私がよく知っている人たち、すなわちアパラチアに縁のある白人労働者階層である。しかし私は、そうした人たちのほうが同情に値すると主張したいわけではない。本書は、黒人よりも白人のほうが強い不満を抱いている理由を論じるものではない。読者の皆さんには、本書を通じて、人種というレンズを通したゆがんだ見方をするのではなく、「貧しい人たちにとって、社会階層や家族がどのような影響を与えるのか」を理解してほしい。

多くのニュース解説者や評論家にとっては、「ウェルフェア・クイーン(福祉の女王)」という用語は、「公的扶助を受けながらも、怠惰な生活をする黒人女性(母親)」という偏ったイメージを呼び起こす。だが、本書の読者は、そうした幻影と私の議論とはなんの関係もないことにすぐに気づくだろう。私は実際に、多くのウェルフェア・クイーンを知っている。隣人にも何人かいるが、全員が白人だ。(続く)

J.D.ヴァンス著 関根光宏・山田文訳『ヒルビリー・エレジー』(光文社)より



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