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思い出の名高座② 立川談志の『大工調べ』―広瀬和生著『21世紀落語史』【番外編】

立川談志の落語において、与太郎は決して単なるバカではない。談志は与太郎を「常識にとらわれない自由人」として描いている。その1つが『大工調べ』である。21世紀に入って、談志は『大工調べ』を進化させた。棟梁と大家が喧嘩になっていく過程をリアルに描き、そんな二人を「自由人」与太郎は冷静に見ている。この「冷静な与太郎」という描き方にこそ談志の『大工調べ』の真骨頂があった。喧嘩する棟梁と大家を一段高いところから客観的に見下ろして翻弄する論理的な与太郎。それはもはや談志の分身とも言える。
その「進化した与太郎」が初登場して談志ファンを熱狂させたのは2007年3月26日・相模原南市民ホールでの高座。DVD/Blu-ray『談志独演会一期一会 第二集』にも収められているこの時の『大工調べ』は与太郎の泰然自若とした態度が実に印象的だったが、その半年後、今度は「棟梁と大家のやり取りに興味がない」与太郎が登場して談志ファンを驚愕させた。その高座の模様を、当時の日記を基に振り返ってみる。

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2007年9月16日(日)、紀伊國屋ホールにて「談志落語会と昭和名人噺」と題された落語会が行われた。午後7時開演。田島勤之助氏の写真と談志の文章で構成された『談志絶倒昭和落語家伝』(大和書房)刊行記念の会である。

開口一番の立川談修(当時二ツ目)『蟇の油』に続いて登場した談志はまず、「これまで自分が皆と共通の知識だと思っていたものが、もう通用しなくなっている」という話を少し。懐かしい名作映画の話をしても相手に通じなくなってきている、といったことだが、あちこちに話題が移っていく中で興味深かったのは、自身の落語について「60代までは、演じる人物に揺れる幅があった」と言ったことだ。談志、71歳。その真意は何処に……?

いつものようにジョークを披露。「胎教」「アヒルを連れた客」「洋服ダンス」「砂漠のラクダ」「サーカスのライオン」等々。やがておもむろに「今日は『大工調べ』って噺をやるから」と宣言。「追っかけのヤツには、珍しいネタで嬉しいだろう。初めて俺を観る客には災難だけど」と言ったが、3月にも相模原での独演会で『大工調べ』を演っている。「みんなこの噺知ってるよな?」

そして演じた『大工調べ』。一言で言えば「喧嘩したがる棟梁を冷静に見る与太郎」の噺である。談志の描く与太郎はバカじゃない。論理的な自由人だ。冒頭、道具箱は泥棒に盗まれたのではなく大家が持っていったのだとわかった棟梁が「盗まれたっていうから……」と言うと、与太郎は即座に「誰も盗人に盗られたなんて言ってないよ。そっちが勝手にそう思っただけだ」と切り返す。

一両二分を渡された与太郎は、八百足らないからダメなんじゃないかと思い「八百はどうなるのかね?」と棟梁に訊く。棟梁の「八百くらいアタボウだ」という理屈に納得し切れない与太郎だったが、棟梁に怒鳴りつけられて大家宅へ。案の定、大家は「八百足らない」と文句を言う。すると与太郎は、「こういう理屈らしいよ」と大家に棟梁の言い分(「言いづくによっちゃあタダでも取れる」)をそのまま伝えてしまう。

「タダでも取れるって言ったか? 誰かの差し金で来やがったな。差し金を連れて来い!」と言う大家に与太郎は「うん、八百足りないって、あたいも言ったんだよね」と答え、戻って棟梁に「差し金がどうこう言ってたけど、向こうが言ってるのは棟梁のことだと思うよ」と告げる。

「向こうが言ってるのはもっともだよ。だって足りないんだもん」と、あくまで客観的な与太郎。なんで内輪話を大家に話したんだと責められても「いや、棟梁には棟梁の言い分があるらしいから、そこはちゃんと伝えなきゃいけないと思って。棟梁の気風のいいところを伝えてきたよ」と動じない。

やって来た棟梁を見るなり大家は「やっぱりそうだと思ったよ、差し金はお前か」と吐き捨てる。社交辞令は一切なし。「八百持ってきたか。こない? じゃ、この話は無かったことにしてくれ、帰ってくれ!」と大家はニベもない。

「そこを何とか……」と無理やり上がりこんで、あれこれ弁解する棟梁の「この野郎にもさんざ説教したんです、雨露しのぐ大事な家賃を溜めるヤツがあるかって」という台詞に、与太郎はすかさず「そんなこと棟梁は言わなかったよ」と口を挟む。白々しい言い訳が通用する相手じゃない、というこの状況を非常に冷めた目で見てる感じさえする言い方だ。

「職人の貫禄」云々で道具箱が必要で、都合が悪くて八百足りないだけなんだから今すぐ返してくれと言う棟梁に、大家は「お前に都合があるって、そりゃあ都合は誰にもあるだろう。それならもっと早く来ればいいじゃないか。ついでに来たようなもんだろ?」と返す。理屈としては正しいが、一切の妥協を最初から放棄してこういう突き放した言い方をするのは、つまるところ大家はこの棟梁が嫌いだということだろう。そして棟梁も最初から大家が嫌いで、だから口を利きたくなかった。ここのところ、この二人がお互いを嫌いであることを実際の台詞として言わせる演者もいるが、談志はそれを台詞ではなく流れで表現していた。

「ついででもなければ八百はもらえないのか?」
「そんないちいち言葉に絡まねぇで……まったく冗談じゃねぇな」
「もちろん冗談じゃない、本気で言ってるよ」
「そうかい、じゃあこっちも本気で言うが、八百なんざハナから銭と思ってねぇんだ。そこをわざわざアッシが頭を下げに来て頼んでるんじゃねえか!」

こうなったら、もう喧嘩である。

「お前に頭なんざぁ下げてほしくない。八百持ってくりゃ道具箱は返すよ。無理は言ってないだろ?」
「それが今は懐具合が悪いから……」
「じゃあ出直せばいいだろ」
「喧嘩腰だな」
「喧嘩腰に誰がさせる! わからないのか? 八百なきゃ渡さねぇよ。どういう言いかたすりゃわかる? ワ・タ・サ・ナ・イッ!」

この言い方にキレた棟梁の啖呵、これがまた談志独得の表現が存分に盛り込まれた「腹から出た台詞」になっている。「陰じゃみんなてめぇのこと悪く言ってるんだ、てめぇはバカだから気がつかないだけだ」で始まり、この町内に転がりこんで来た当時はみんなから冷飯もらって冷たい味噌汁ぶっ掛けて細く短く命を繋いでたヤツが、焼き芋屋の六兵衛さんのおかげで……というくだりに来たところで、与太郎に向かって「六さん知ってるだろ?」と言うと、あろうことか与太郎はこう言い放つ。

「二人の話を聞いてない」

これには爆笑した。与太郎は、この二人のやり取りに興味がないのである!

「てめえのことで喧嘩になってるんじゃねえか!」と言って、さらに啖呵を切り続ける棟梁。「こっちにも覚悟がある! 与太、話は聞いてるか!?」と言われ、その剣幕に押されて「き、聞いてますっ!」と答えた与太郎だが、「おめぇも啖呵切れ!」と言われると「棟梁、腹も立とうが、やめときな」と冷静に諭す。

「棟梁、先のことは先のことだよ」
「いいから、俺のために啖呵を切れ!」
「うん、じゃあ棟梁のために切るよ。……ヤイ大家、おめぇのことなんか全然知らないし、二人の話も聞いてなかったけど」

他人事と思ってろくに聞いてないからウロ覚えなので棟梁にいちいち「……だよね?」と確認する与太郎に、棟梁たまらず「俺じゃなくて向こうに言え!」と一喝。すると与太郎は「まあ、でも、町内でヒョロヒョロしてたところからここまで来たのはおめでたいことだよね」とまとめてしまう。

すると大家が棟梁に反論する。

「みんなが何と言おうが、俺がどれだけ苦労してここまで来たか……返すところにはきちんきちんと返したからここまで来たんだ!」
「何を! 嘘八百並べやがって!」
「おい棟梁、嘘でもいいから八百並べな」

談志考案のサゲである。ただ、このとき談志は「もうひとつ、違うサゲがあるんだ」と言って、地の語りでサゲる演り方を披露した。曰く「噺家はバカだから『大工調べ』なんて言ってるけど、こんなもの願い出たって奉行が裁くわけがない。本当は『大工調べられず』っていう一席なんです」というもので、これは著書『談志の落語 九』に載っているパターンだ。だが、やはりここは「八百並べな」で切るほうがいいだろう。

マクラ25分、本編約30分で『大工調べ』が終わって仲入り。後半は川戸貞吉氏との対談で、新刊にちなんで「昭和の名人と寄席」を語る。川戸氏にリードされて、談志が昭和の名人世代について答えていく。
「一番可愛がってくれたのは小さん師匠。で、一番小言を言われたのも小さん師匠」
「一番上手いと思うのは圓生師匠。一番下手なのは圓蔵(先代)」
「一番好きなのは……文治(九代目)が己を出すのが好きだけど、わからない」
「柳好の十八番が落語として一番好き」
「文楽師匠は突然変な声を出したりするところとかがわからなかったけど、最近ようやく分解できるようになった」
「やっぱり(好きなのは)志ん生師匠かなぁ」

その志ん生の話題で川戸氏が「志ん朝さんが、うちのオヤジで一番いいのは『二階ぞめき』だ、人形町で雨が降ってる日なんかにトリならやるかも、と言ったので随分追いかけました」という話をした後、談志に「あなたも『二階ぞめき』を演るけど、あれは志ん生師匠の影響で?」と訊くと即座に「違う!」と断言。「だって志ん生師匠のは殆どがマクラで吉原礼賛、本編は小咄みたいな5、6分だから。私のはずっと詳しい、吉原細見のようなものを藤浦(敦)さんに作ってもらったんでね。全然違うんです」

「楽屋で一番口うるさかったのは圓蔵師匠」という話になったところで立川こはる(当時前座)が袖から現われて何やら紙片を川戸氏に渡し、「もうそろそろ」という合図。時計を見ると、午後8時半で、川戸氏が上手くまとめて終演となった。

この後はサイン会。「談志絶倒昭和落語家伝」は発売日1週間前のこの日、いち早くこの会場で販売され、先着150名は終演後に談志にサインしてもらえるという趣向だった。僕も開演前、早めに購入して整理券をもらってある。進化した「自由人」与太郎に酔った思い出の一夜は、列に並び談志にサインをしてもらって幕を閉じたのだった。(了)


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