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イスラエル国内でなぜ停戦への反発の声が上がるのか?新刊本より一部公開

2023年10月7日のハマスによる奇襲攻撃に対するイスラエルの報復としてはじまった「ガザ戦争」は、約4万7000人以上と推定される、ガザ地区の多くの民間人に犠牲者を出しながら2024年1月19日に、6週間の停戦期間に入りました。

停戦は3段階で進められる予定で、今後、恒久的な停戦の合意に向け、イスラエルとハマスで交渉が続けられると報道されています。

ただし、イスラエル国内では政権中枢のスモトリッチ財務相をはじめとした極右勢力から停戦に対しての反発の声が上がり、同じく極右政党に所属するベングビール国家安全保障相が停戦に反発して辞任を表明するなど、今後の交渉にどのような影響を与えるのか、不透明な情勢になっています。

イスラエル国内でなぜ戦争を継続するような声が上がっているのかを紐解いた一冊が、1月16日に刊行された『イスラエルの自滅』です。

現代イスラム研究センター理事長で中東政治の専門家である宮田律さんが上梓され、イスラエルで先鋭化している「修正シオニズム」というナショナリズムやそのイデオロギーを信奉する極右政治家たちの存在、イスラエルとパレスチナの歴史的経緯、複雑な中東情勢やパレスチナ問題に対する日本の動きなどが詳細に解説されています。

本書の第一章から、停戦に対する反発の前提となった、ネタニヤフ政権の支持基盤について解説された一部を公開いたします。

イスラエルの政治・社会を右傾化させたネタニヤフ

2015年以来、ネタニヤフ首相はイスラエルの政治・社会をいっそう保守的に方向づけ、イスラエル国家のイデオロギーについても、リベラル派と競合していくことになった。

ネタニヤフ首相は2018年7月に「ユダヤ国家法」を成立させ、イスラエルをユダヤ人のみによって構成される国とし、アラビア語を公用語の地位からはずした。

「ユダヤ国家法」は実質的にアラブ人やドルーズ派(シーア派から発展した秘教的宗派)など「非ユダヤ人」の国民を二級市民として扱うもので、この「ユダヤ国家法」についてはイスラエル生まれの女優ナタリー・ポートマンが人種主義(レイシズム)であると批判するほどだった。「ユダヤ国家法」が成立したのは2018年7月だったが、こうしたイスラエルの政治社会の保守化・強硬化について好感をもっていたのは、主にイスラエルのユダヤ人で、米国のユダヤ人からは批判的に、かつ冷ややかに見られていた。たとえば、「ニューヨーク・タイムズ」の2018年8月18日付の記事で明らかになった世論調査の結果では、77%のイスラエル人はトランプ大統領による米国・イスラエル関係を支持し、他方、米国のユダヤ人は34%しか肯定的に評価せず、57%が反対だった。パレスチナ・ヨルダン川西岸地区のイスラエルの入植地拡大やイランの核合意からの離脱などの政治問題、またイスラエル国内の非ユダヤ人への差別、民法や女性の権利に対して正統派ラビ(ユダヤ教の律法学者、聖職者)の保守的な見解が強い影響力をもつことなどが、米国のユダヤ人たちには支持されなかった。

イスラエル社会が右傾化したことの背景には、若い世代がオスロ合意など和平の機運があった時代を知らないこと、2000年に始まる第二次インティファーダでパレスチナ人の暴力が頻発したこと、また2005年のイスラエル軍のガザからの撤退がハマスのガザ支配をもたらしたことへの反発が挙げられる。こうした中、パレスチナに対して、領土的譲歩は絶対にすべきではないという考えがイスラエルの特に若い世代の間で強まった。
2019年からイスラエルは政治的危機に陥り、2022年11月までの3年半の間に実に5回の総選挙が行われた。比例代表制のイスラエルの選挙では小党が分立する傾向が強く、選挙後に成立したどの政権も安定的多数を獲得するのが困難だった。また、いずれの選挙も汚職事件で起訴されたネタニヤフへの信任投票的性格が強かった。

ネタニヤフ首相の汚職に関する捜査は2016年から始まり、2019年11月に起訴され、2020年5月に裁判が開始された。裁判中の2021年3月の総選挙ではネタニヤフが所属する政党のリクードが第一党になったものの、議会で多数派を構成することができず、ネタニヤフは組閣を断念して右派政党「新右翼」党首のナフタリ・ベネット、中道政党「イェシュ・アティッド(「未来がある」の意味)」党首ヤイル・ラピドの政党連合に首相の座を明け渡し、ベネット、ラピドが輪番制で、首相の座にそれぞれ就いた。
この政権でもパレスチナ問題ではなく、イスラエル経済の発展に重きが置かれ、パレスチナ問題に積極的に取り組むことはなかった。また、政策課題として優先されたのは何よりもネタニヤフに対抗することで、この連立政権も安定を欠き、2022年11月1日に行われた総選挙の結果、極右政党と連立したネタニヤフ首相が登板することとなった。後述するが、イスラエルの極右はユダヤ人がパレスチナ全域を支配するというイデオロギーの「修正シオニズム」を信奉しており、パレスチナの存在を認めないかのような政策を推進していった。

また、裁判を受けているネタニヤフにとって、首相になれば裁判を長引かせることができるため、ベネット・ラピド政権の崩壊は願ってもないことだった。極右を含むネタニヤフ政権は、最高裁判所の判決を議会の議決で覆すことを可能とする司法改革を推進しようとした。これをイスラエルの民主主義の危機と見なしたリベラル・中道層はネタニヤフ政権に対する大規模な抗議デモをイスラエル全土で展開するようになった。
この司法制度改革「オーバーライド条項」はネタニヤフ首相の収賄に対する有罪判決などを覆す意図をもつものだったが、政権に対する司法権の弱体化につながるもので、ネタニヤフ首相や極右勢力の独裁的な権力行使をも可能にするものだった。

イスラエルの司法はパレスチナ・ヨルダン川西岸のイスラエル人入植地の拡大やパレスチナ人の家屋の撤去などに、国際法や国内法から判断して一定の抑制の役割を果たしてきたが、司法制度改革には入植地拡大を無制限に可能にしたいという極右政党の思惑もあった。

(「第一章 2023年10月7日——イスラエル国防ドクトリンの破綻した日」より抜粋)

本書の目次

第一章 2023年10月7日
――イスラエル国防ドクトリンの破綻した日

第二章 イスラエルの存立を脅かすヒズボラ

第三章 戦争で自壊が進むイスラエル経済

第四章 イスラエル政治を支配する極右政治家たち

第五章 イスラエルを孤立させるネタニヤフの「狂気」

第六章 揺れる米国とイスラエルの特殊関係

第七章 イスラエル包囲網を築く「抵抗の枢軸」

第八章 イスラエルの存立危機と日本


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