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ノーベル賞受賞者との対話 特別対談 前野 ウルド 浩太郎(バッタ博士)×水月昭道(道くさ博士)

光文社新書編集部の三宅です。5月に刊行された『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』より、著者の水月昭道さんとバッタ博士こと前野ウルド浩太郎さんの対談を、note上で何回かに分けてお届けしています。お陰様でたくさんの方に読んでいただいていますが、今回が最終回となります。かつて前野さんも、いわゆるポスドクでした。ご著書『バッタを倒しにアフリカへ』のオビには「科学冒険ノンフィクション」とありますが、隠れたテーマのひとつが、博士の就職問題です。非常にユーモラスに書かれていますが、「ポスドクってこんなに大変なんだ……」と戦慄した読者の方も多かったことでしょう。そんな前野さんをお招きして、博士号やポスドクの置かれた状況について、語っていただきました。
※この対談は、2017年9月に収録しました。

第1回はこちら。

第2回はこちら。

博士の就職状況

 ――文部科学省の資料(令和元年度学校基本調査)を見ると、博士課程修了者(学位を取得せずに満期退学した者を含む)に占める就職者の割合は六年連続で上昇し、六九・一%となり、過去最高だそうです。これは正規・非正規を合わせた数字です。数字で見ると改善していますよということですが、周りをご覧になって、そういう印象はありますか。
 水月 全然ないですね。正直、コネがないと無理なんじゃないでしょうか。あるいは、著書がすごく売れるなど特殊なルートがないと。正攻法のステップを踏んでいくルートは昔と変わらないんじゃないですかね。ほとんど改善されていないでしょう。むしろ予算は削られていますから。
 前野 優秀な研究者はたしかに就職できているので、望みがないわけではありません。ずっといい仕事、研究をされている人たちはきちんと就職できているので、やれば報われるところは十分にあります。
 ――優秀な研究者というのは、誰が見てもこれは間違いないという人なのでしょうか。
 前野 昆虫の世界だと、自分と同世代の優秀な人たちは、就職できている印象を持っています。ただ、そこまでいかない人も楽に就職できるようになったら、より豊かになれるのにと思いますね。
 水月 現時点ですごく優秀ではなくても、化ける可能性がある人はいますよね。ただ、そういう人を生かす制度的な仕組みがまだ弱い。
 ――前野さんはアフリカのフィールドで悪戦苦闘されていますね。
 前野 何をやりたいかによると思います。私も日本でサバクトビバッタを野外で観察できたら、わざわざアフリカまで行っていなかったと思います。
 自分の場合は、選んだ研究対象がたまたまアフリカのバッタなので、どうしても行かなきゃいけなかったという事情もあります。ですので、いかに研究対象を選ぶかというのも非常に重要ですね。
 ――とはいえ、日本の中にいる虫から選ぼうとしても、すでに専門家の方がいらっしゃるわけですね。
 前野 そうですね。あとは研究したい生物現象をどの虫を使って実証していくかという目の付けどころも関わってきます。
 純粋に知りたいから研究するというのが一番のモチベーションですが、論文を出すことを想定したら、知りたいことを知るための適切な実験手法は何か、生産性やインパクト、コストパフォーマンスとかいろいろ考えると思うんですね。やはり純粋に「研究が好きだからやっています!」と言ったほうがいいのでしょうが……。ただ実際には、皆さん、生産性も考えているとは思います。若手研究者はもちろん、職を得るためですね。

ノーベル賞受賞者との対談

 ――前野さんは以前、若手研究者の代表としてノーベル賞受賞者の方々と対談をされました。大隅良典先生と梶田隆章先生ですね。そういう先生方も若手研究者の置かれている状況、パーマネントの職がないことをかなり心配されていますよね。
 前野 はい。さらに先生方がおっしゃるには、たしかに若手研究者は苦境にあるけれど、かといって若手だけを支援しても科学全体はなかなかうまい具合にはいかない、若い研究者だけ集中してサポートするというより、みんなに満遍なくサポートしていく、そうすることで若手研究者も潤っていくだろうと。
 あと、いまの若い人たちは役に立つ研究を考えすぎている、もっと純粋に研究を楽しむ、いわゆる基礎研究にどんどん取り組んでいってほしいということをおっしゃっていましたね。
 水月 話を聞いて思ったのが、『高学歴ワーキングプア』が出た二〇〇七年とあまり状況は変わっていないということ。やはり悪いまま。そのなかで生き残っていくためには、自分の研究内容をわかりやすく表現していくのが大事だという点も変わっていません。
 もうひとつ、若手研究者を巡る問題、高学歴ワーキングプア問題は、抱えている問題は一緒ですが、ステージが移行しているという実感があります。
 僕が『高学歴ワーキングプア』を書いた時代は、そもそも研究者がそんなに苦労していることを世間は知らなかった。だから、実はこういう状況なんですよと発信することがひとつの仕事で、そこにニーズがあったわけです。
 それがだんだん認知されていって、『バッタを倒しにアフリカへ』を拝読したら、高学歴ワーキングプアから脱出するためにあがいている姿そのものが書いてある。博士の苦境を皆が知っているなかで、この人は研究者としてどういうふうに生き残りを図ろうとしているのかという読み方がされている。高学歴ワーキングプア2・0みたいな感じに変わっていますね。
 こういう状況のなかで、いまの子どもたちがどういうふうにしてこの世界に足を踏み入れるのか、たとえば親が尻を叩いて入れるのか、あるいはそんなところに行っても得にならないと止めるのか、そういうことが気になりますね。

日本のアカデミズムの衰退

 ――博士が大変だ大変だと言いすぎると、そもそも研究者のなり手が減って、日本のアカデミズムや科学研究の世界自体が衰退してしまいますよね。
 前野 自分の本のなかで紹介しているひとつの希望としては、日本学術振興会(学振)が若手研究者を支援する制度があります。自分はその恩恵にあずかり、キャリアを進めていく上で非常に役立ちました。そういう制度がある程度整備され、機能していますが、もっと増えると助かるというのはありますね。自分の本を読んだ人が、こういう制度の存在を知り、博士になって支援を受けながら研究を頑張ろうと思ってくれたら嬉しいなと思います。
 自分の場合は、国からの支援を十分に受けた上で無収入になって、ポスドクの苦労も味わっています。つまり、嬉しいことも辛いことも経験している――どちらの話もできるので、ノーベル賞受賞者の先生方の対談に呼んでいただけたと聞いています。
 ただ、学振の支援制度は、学位を取ってから何年以内という時間の制限があり、それが一番ネックですね。限られた時間のなかで成果をあげないといけないので、オーバーエイジ枠みたいなものがあると、より使い勝手がよくなって嬉しいですね。あとは、お金のある企業が、若手研究者の支援に乗り出してくれるとすごくありがたいと思っています。眠っているお金を、迷えるポスドクたちに譲ってくれるといいですね。
 水月 学振はいい制度なんですが、支援の期間が短いですよね。その間必死にやるから、ためにはなると思いますが……。そこで頑張って、あとから花開くというケースもありますが、せめて花開くぐらいまでの期間、面倒を見てもらえるといいですよね。

将来の夢、若者へのメッセージ

 ――将来の夢をお聞きしたいのですが、水月さんは後進の育成に軸足を移すということを、本編で書かれていますね。
 水月 いま僕は、若手の研究者のプレゼンを指導してくれという依頼が一番多い。たとえば学振の面接の練習とかですね。パワーポイントのスライドとかを見て、ここはこういうふうに直して、発表はこういうふうにしたほうがいいみたいなことを散々やります。僕自身もそれが役割だと心得ています。
 皆さん、それなりに面白い研究をやっているんですね。ただ、アピールが下手だとそれが伝わらない。アピールの仕方が違うだけで、相手が面白いと思ってくれる。だから面白く見せる、方便的に言うなら相手をうまく騙す、相手を楽しい気持ちにさせてあげるプレゼンが非常に大事です。それが研究者自身を助け、世の中のためにもなるという思いでやっています。
 そういう意味では、前野さんのご著書は秀逸ですね。カバーからはじまって、中身の文章も含めて、いろいろな遊びを入れています。本当に考え抜かれているなと思いました。
 ――前野さんの近いところの夢は、業績をあげて、パーマネントの職を得るということですよね。
 前野 はい。そしてその先は、本当にいい研究をしたいと思っています。
 最近、バッタ研究のいろいろな情報を十年ぶりにアップグレードした総説が出ました。それを読んでいると、自分の論文も引用されていて、ものすごく嬉しいんですけれど、自分としては、もっと知ってもらいたいことをまだ論文発表できていなくてもどかしい。納得のいく論文を世に発表して、世界の研究者の仲間入りをしたいと思っています。
 水月 今三十代後半ですよね。
 前野 三七歳です。
 水月 ここから研究者として一番脂が乗ってくる時期ですね。
 前野 これからの三年で、世界の研究者の仲間入りを果たしたいと思い、準備を進めているところです。いま考えているものがすべて論文になったら、バッタ博士は実は研究者だったと、みんな納得してくれるのではないかなと(笑)。
 水月 僕も三七歳の時は、すごく野心がありましたね。そのあと、研究者としてのステージが変わって、後進の育成に燃えたいなという思いが、この二、三年ですごく強くなってきています。いずれ研究者として去って行かないといけない日がやってくるので、後進に何かを引き継いでいてほしいという思いが強くなってきたんですね。
 最近、ひとつ嬉しい話がありました。僕は二〇一一年に一度、立命館大学を去ったんですね。それから二年後ぐらいかな、面倒を見ていた博士課程の連中がボチボチ、テニュアを取ったり、学位を取ったりするようになったんです。そのお祝いの席でみんなが、「和尚さんロス」でしばらく悩まされたと言ってくれたんです(「和尚さん」は水月氏のニックネーム)。和尚さんがいなくなって寂しかったとか急に言われてね、ドキッとしました。去ったあともちょくちょくメールで連絡を取るし、関係ねえだろうと言ったら、僕たちと一緒に徹夜とかしてくれて、いろいろ面倒を見てもらって、和尚さんが去って初めてその価値に気づいたと。そういうのを残していくのも、大事なんだなということを、若い連中から初めて教えてもらいました。
 よく考えると、僕らも大先生の背中を必死で追いかけてきたんですよね。未だに大先生から「頑張れよ」と声をかけてもらえる。辛いことがあったら、自分の味方をしてくれる先生のところに、いまでも相談に行ったりするんですが、必ず応援してくれる。そのことですごく励まされる。けれども僕の先生たちは、いよいよ世を去らなくてはいけない年齢に差し掛かってきました。池田武邦先生は九五歳を超えられて、早川和男先生も八十代の後半です。先生方がご存命の間に、安心していただけるように頑張らんといかんなというのがありますね。
 あと、先生方から受け継いだものを僕なりに後進に伝えていくのが、非常に大事なことではないかなと。最近そういう欲が出てきました。
 ――最後に、研究者を目指している若い方へのメッセージをお願いできますでしょうか。
 前野 好きな研究をやれるのは、超楽しいです。大変なこともありますが、人生をかける価値はあったと思っています。
 水月 捨てる技を磨いてほしいですね。余計な世間的な成功とかが目に入ると、ババ所長(モーリタニア・国立サバクトビバッタ研究所所長。『バッタを倒しにアフリカへ』の重要登場人物のひとり)曰く「嫉妬は己を狂わす」。だからそういう欲を捨てる。ただ、捨てていくんだけど、自分のやりたい研究はきちっとやる。研究に対する欲だけは持っていてほしい。その先に成功とか生活の安泰とかが見えてくると失敗するので、そこを捨てるということですね。(了)

 ※早川和男先生は、『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』執筆中にお亡くなりになった。この新刊をずっと楽しみにしてくださっていたのに間に合わず痛惜の極みである。先生をなくしたのは僕にとって近年もっとも辛い出来事であったが、きっと極楽浄土から不肖の弟子を見守ってくださっているように思う。本書を恩師に謹んで捧げます。(水月)


 

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