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ヒラリー・クリントン「大統領選の日、何が起きたのか?」

4年前の米大統領選は衝撃の結末が待っていました。もちろん、トランプ大統領の誕生を予測し得た慧眼の士もそれなりにいたと思いますが、大多数がヒラリー・クリントン大統領の誕生を、半ば当然の結果として受け止める準備ができていたことでしょう。想像するに、ヒラリー氏自身もそうだったに違いありません。本記事では、2018年7月刊行のヒラリー・クリントン氏の最新自伝『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』から、選挙の夜の記述を抜き出します。当然のことながら、勝利スピーチの原稿も着々と準備されていました。なのにあの結果……。無念さと、信じられないという思いが、ひしひしと伝わってきます。

選挙の夜

二〇一六年一一月八日の夜は、孫娘を追いかけて、どうしてもぎりぎりで捕まえられないふりをすることから始まった。シャーロットがはしゃいで、「もう一度!」と叫び、同じことを繰り返す。これがしばらく続いた。それで、テレビから気持ちを逸らしておけた。

家族と主要なスタッフは、ニューヨークのペニンシュラ・ホテルに集まって、開票結果報告を見ていた。わたしは選挙の夜が嫌いだ。もう何もできず、待っているしかない。

何時間か前、夜明け前の暗闇の中、わたしたちはピッツバーグからミシガン州グランド・ラピッズへの最後の選挙運動の旅を終え、フィラデルフィアでオバマとブルース・スプリングスティーンと共に大規模な大会に出た。それからノースカロライナ州ローリーでまた別の大会に出て、そこではジョン・ボン・ジョヴィとレディー・ガガの深夜のデュエットが披露された。ようやくニューヨーク郊外のウェストチェスターに戻ると、午前四時近いというのに、たくさんの支持者が舗道で出迎えてくれた。

わたしは疲れ果てていたが幸せで、チームが誇らしかった。フィラデルフィアのインディペンデンス・ホールでビル、チェルシー、バラクとミシェルと共に、何万人もの人々の前に立ったときが、選挙運動全体を通してピークの一つだった。大統領はわたしをハグし、囁いた。「よくやった。誇りに思うよ」

自宅に帰ってシャワーを浴びて着替えをし、ビルと共にチャパクアの小学校で投票をした。わたしが投票しようとしているのを見て、人々は携帯電話を取り出して友人に電子メールを送ったり、こっそり写真を写したりした。わたしはボランティアのスタッフがいるテーブルに行き、有権者の名簿にサインをした。本当にわたしであることを証明するものが必要かどうかと、冗談を言った(わたしは写真付きの身分証明書を求められることはなかったが、多くの国民はこれを見せなければならず、その日、あまりにも多くの国民が追い返された)。

選挙運動は小さな苛立ちや大きな怒りの連続だったが、最終的に、我が民主制が動き始めるのを見るのは心が高ぶるものだ。あらゆる議論をし、大会を終え、テレビの宣伝が放映されて、一般の人々が列をなして意思表示をする。ウィンストン・チャーチルの、「民主制は最悪の政府の形態だ――他の全てを除いたら」という名言が大好きだ。現状はめちゃくちゃであっても、わたしはまだそれを信じている(選挙人団、あなたたちのことよ!)。

候補者名簿に自分の名前があるのを見るのは、特別なことだ。二〇ヵ月のあいだ、一二回の討論会、そして数えきれないほどのスピーチや集会を経て、ついにここにたどりついた。全国で一億三六〇〇万人がわたしとドナルド・トランプの名前を見て、この国、そして世界の将来を形作る決定をする。

候補者名簿にマークをつける前に、女性が歩み寄ってきて、一緒に自撮りしていいかと訊いてきた(自撮りを求める気持ちには境界線がない─投票場という聖域でさえ、禁止地域ではないのだ!)。わたしは自分の名前と下流(連邦議員など)の候補者の横の空所を埋め、それをスキャナーに滑りこませ、見えなくなるのを見守った。

心の中にはプライドと謙虚な気持ち、そして緊張があった。とにかく全力を尽くしたというプライド。じつは選挙運動は容易な部分で、肝心なのはこれからだという謙虚な気持ち。そして緊張していたのは、選挙はいつも予測不可能なものだからだ。世論調査や分析は、わたしに有利だった。前日、世論調査員のジョエル・ベネンソンが、心強い報告書を送ってきた。それによるとトランプとの一対一の直接対決では五ポイント差で勝っていて、第三政党が入ると四ポイントのリードになる。「きっと勝つよ」ジョエルは言った。それでも、コミーやロシアのせいで、選挙運動はかなりの向かい風だった。何があってもおかしくない。

投票はその日の山場になった。

午後遅い時間にわたしたちがペニンシュラ・ホテルに着いたとき、情勢は良さそうだった。通りは警察官とシークレットサービス職員が封鎖していた。このホテルはトランプ・タワーからわずか一区画しか離れていない。結果が出るとき、二人の候補者は石を投げれば当たるようなところにいることになる。

わたしは頭をはっきりさせておこうとした。夫は出口調査を熱心に追ったものだが、わたしは聞きたくなかった。その日のうちの性急な報道が信用できるとは思っていなかった。それに、もう何もできないのに、わざわざプレッシャーを抱えこむ必要はない。数時間もすれば、結果は分かる。

何週間も、次期大統領としての引き継ぎや最初に手をつけたい仕事に関するメモが詰まった重たいバインダーを持ち歩いていた。閣僚の選択、ホワイトハウスのスタッフの雇用、上院で扱う立法議題。実際の仕事を考えるのは楽しかったが、選挙運動の終盤は、選挙後のことに気持ちを集中するのは難しかった。夜遅く、就寝前に時間を見つけて、引き継ぎに関するメモやレジュメを読んだ。途中で寝てしまうこともあった。逆に何かを思いついて興奮して、すぐにでも実行できるように準備してほしいと、スタッフに電話することもあった。

選挙日、選挙運動は全て終わり、ようやく今後の仕事について本気で考えることができた。興奮した。過去二〇ヵ月間に提案した何百もの細かい政策は、マスコミには充分取り上げられなかったが、国の問題に取り組むための強固な基礎になるだろう。野心的なインフラ整備の計画から始めることにした。道路や鉄道、空港、港、大量輸送交通システム、そしてブロードバンド・ネットワークを改善するいっぽう、仕事を増やす。民主党が上院を奪回する可能性はおおいにあったが、下院では共和党が大多数となるだろう。理屈のうえでは、インフラ整備は二大政党連携の主張になるから、すぐにでも歩み寄りを始めるべきだ。

インフラ整備一括法案を通すのに足る共和党の票を集めるのは難しいだろう。選挙は、我が国を厄介なやり方で分断した。政府や我々の仲間への信頼は、歴史的に低い。わたしたちはお互いに、階級や人種、性差、地域、そして政党の分断線をはさんでいがみ合っている。そこへ橋を架け、国を統一しようというのが、わたしの仕事になる。大統領一人でできる仕事ではないが、最初から正しい姿勢を打ち出すのが重要だ。またマスコミはわたしの引き継ぎ時期と最初の一〇〇日間を、トランプに投票した人々への対処の仕方で評価するはずだ。

最初の試験――最初のチャンスでもある――は、何千万人という国民に見られるはずの、選挙日の夜のスピーチだろう。候補者としての最後の行為、そして次期大統領としての最初の行為だ。グレッグ・ヘイルが率いて先乗りしたスタッフが、マンハッタンのミッドタウンにある大型コンベンションセンター〈ジャヴィッツ・センター〉に、素晴らしい舞台を設営していた。本物のガラスの天井の下を歩いていって、アメリカの形のステージに立つ。演壇は、テキサス州の上だ。票が数えられていたとき、シンボルとしてのガラスの天井が、永久に割れるといいと思っていた。このとき何を言おうか、数週間ほど考えていた。スピーチ・ライターのダン・シュウェリンとミーガン・ルーニーが、上級政策顧問ジェイク・サリヴァンと広報部長ジェニファー・パルミエリと協力して草稿を書いていた。彼らが敗北宣言も用意しているのは分かっていたが、それについてはあまり考えないようにしていた。

ペニンシュラの最上階のスイートルームに入って、ダンとミーガンを呼んだ。ビルとジェイクが合流して、小さな部屋で最終的に草稿を見直した。難問の一つは、トランプに投票した人々に歩み寄って和解の雰囲気をかもしだしながら、わたしの支持者には勝利を味わってもらう、そのバランスだった。歴史も考えなければならなかった。何もかも希望通りにいけば、わたしは初めて大統領に選出された女性として、このスピーチをするはずだった。それだけになってしまわずに、相応の意味を表わしたかった。

そして何よりも、民主制の力をアメリカ国民に約束したかった。選挙によって、わたしたちの信頼が様々に試されてきた。トランプはあらゆる規範を乱し、もし落選したら投票結果を受け入れないなどと警告した。ロシアが介入した。長きにわたる司法省の方針に反してFBI長官もだ。そしてニュース・メディアが、全てをばかばかしい茶番に変えた。多くの国民が、将来にとって何がどんな意味を持つのか疑問に思ったはずだ。わたしはこうした不安に、勝利と平穏な引き継ぎ、そして真の結果をもたらす効率的な大統領の仕事をもって応えたい。大きな連携とともに勝利するのは、国が分断されているという考えを覆すのに役立つだろう。それぞれ違いを抱えながらも、アメリカ国民の大多数は、中核となる価値観を守るために一体になると主張したい。

スピーチの冒頭でそれを伝えたかった。選挙戦でわたしは、「わたしたちは違いによって定義されるのではない。〝我々対彼ら〟という国ではない。アメリカンドリームは、どんな人とも分け合えるほど大きい」と訴えた。わたしに投票してくれた人だけでなく、全国民のための大統領になるつもりだ。選挙運動中に出会った人々から聞いた生の声、多くの人々が感じている怒りを忘れない。選挙の結果が、「泥沼のような政治でも掘り続ければ、何か真実が見つかる。それこそがアメリカ国民を結びつける基本的な価値観だ」ということを示していると言うつもりだった。

スピーチの最後は、個人的な調子にしたかった。選挙運動中、いつでも母の話が心の試金石だった。母の忍耐力は、そのまま我が国が敵対国に対して持たなければならない忍耐力だった。女性の権利とチャンスを求める長い闘いにしてもそうだ。詩人のジョリー・グラハムの助けを得て、スピーチの締めくくりを書いた。これを読むとき、必ずわたしは涙ぐんでしまう。ご存じのように、あの晩披露するチャンスがなかったので、ここに掲載しようと思う。

この夏、ある記者に訊かれました。もし時間をさかのぼって歴史上の誰かに今回の画期的な出来事を話すとしたら、誰にするかと。答えは簡単です。母のドロシーです。母の厳しい幼少時代のことは、わたしから聞いたことがあるかもしれません。母はわずか八歳で、両親から捨てられました。カリフォルニア行きの列車に乗せられて、行った先では祖父母に虐待されて、けっきょく家政婦として働いて自立したのです。それでも母は、自分では得られなかった無限の愛と支援を、わたしに与えてくれました。
母のことは毎日思い出します。列車に乗っていた母のことを想像します。通路を歩いていって、妹を抱いて木製の座席に座っている母を見つけたい。母はまだ、その後どれほどの苦労が待っているか知りません。その苦労を克服する力があるかどうかも知らず――まだまだ長い道のりです。将来のことは何も知らず、母は窓外を通り過ぎていく田舎の風景を見ていました。母に駆け寄り、隣に座って抱き寄せて言ってやりたい。「わたしを見て。わたしの話を聞いて。あなたは大丈夫。いずれ素敵な家庭を築き、三人の子どもをもうける。そしてとても想像できないだろうけど、あなたの娘は成長して、アメリカ大統領になるのよ」
わたしは何よりも確信しています。アメリカは世界一の偉大な国です。そして今夜から、さらに前に進み、一緒にアメリカを今まで以上に偉大な国にしていきましょう――わたしたち、一人ひとりのために。

スピーチライターたちが最後の校正をしに退出し、わたしは待機戦術に戻った。東海岸で投票所が閉まり、結果が出始めた。

最初の警戒標示は、ノースカロライナ州だった。オバマ大統領は二〇〇八年には勝ったが、二〇一二年には僅差で負けた州だ。わたしはそこで積極的な運動を行なったが、形勢はうまくなさそうだった。黒人やラテン系アメリカ人の投票率は希望していたより低く、トランプ支持の白人労働者階級が精力的に活動したらしい。同じことがフロリダ州でも起きた。二〇〇〇年の選挙全体を決定づけた激戦州だ。今回はフロリダ州で共和党の根幹を砕き、目標である二七〇の選挙人の票を手にしたいと望んでいた。この州の人口統計は変化していて、オーランド周辺ではプエルトリコ人が増え、選挙日前の期日前投票数も増えていたので、わたしたちに有利かと思われた。だが選挙運動マネジャーのロビー・ムックが最新の票数を知らせにきたとき、彼が緊張しているのが分かった。彼はとても前向きな人物なので、わたしには、悪い知らせだと分かった。

まもなく、また別の鍵となる州でも同じ展開になった。二〇〇四年の選挙を決定したオハイオ州で、悪い状況だった。だがこれは予想していたことで、わたしは自分に、あらゆる場所で勝つ必要はないと言い聞かせた。二七〇に達すればいい。ロビーとジョン・ポデスタが絶えず最新情報を教えてくれたが、あまり言うべきことはなかった。ただ見守るだけだった。

ビルはひどく緊張し、火のついていない煙草を噛み、長年の友人であるヴァージニア州知事のテリー・マコーリフに一〇分ごとに電話をし、ロビーのもたらす情報に聞き入った。チェルシーとマークは静かだったが、やはり不安げだった。当然だろう。待っているのは辛いものだ。わたしは最もありえないことをすることにして、仮眠を取った。願わくは、目覚めたときに状況がよくなっていますように。わたしは疲れ果てていたので、こんな重圧下でも、目を閉じたらすぐに眠りに落ちた。

起きたとき、ホテル内の雰囲気はかなり重苦しくなっていた。ロビーとジョンは動揺していた。古い友人たちが集まっていた。マギー・ウィリアムズ、シェリル・ミルズ、カプリシア・マーシャルなどがいた。弟たちや、その家族もいた。誰かがウィスキーを用意した。アイスクリームを調達してきた者もいた――ホテルのキッチンにあった、全部の味を。

ヴァージニア州とコロラド州は勝ったが、フロリダ州、ノースカロライナ州、オハイオ州、アイオワ州はだめだった。今や全員がミシガン州、ペンシルヴェニア州、ウィスコンシン州という、わたしたちが頼りにしていた、一九九二年以来どの大統領選挙でも民主党が勝ってきた州に注目していた。白人の労働者階級が多く住む田舎と準郊外の地域では負けた。埋め合わせをするには、フィラデルフィア、ピッツバーグ、デトロイトやミルウォーキーなどの都市で数を稼がなければならず、そのうえで、郊外で全てが決まるはずだった。時間が経つにつれ、悪い展開になった。都会の選挙区の中には結果が遅い場所もあったが、充分な票数を獲得できるとは期待できなくなってきた。

なぜこんなことになったのか?もちろん、選挙運動中、数々の試練に遭った。一一日前のジム・コミーの手紙も衝撃的だった。だがわたしは、一つひとつ困難を乗り越えてやってきたつもりだった。遊説中は、うまくいっているような気がした。エネルギーと熱気がびりびり感じられた。基本的には――世論調査も予想も――わたしたちに勝算があったはずだ。それが消えかかっている。ものすごくショックだった。こんな事態になるとは、気持ちの準備ができていなかった。最終日に頭の中に破滅のシナリオなどはなく、もし負けたら何を言うべきか、考えてもいなかった。だが今やそれが現実になりつつある。室内の空気がなくなり、息ができないような気がした。

真夜中を少し回ったころ、AP通信が、わたしのネヴァダ州での勝利を伝え、これは救いだった。ニューハンプシャー州で勝つ可能性はあったが、それでもミシガン州、ウィスコンシン州、ペンシルヴェニア州で勝たなければ充分ではない。専門家は、あまりにも僅差なので数え直しになるか、少なくともあと一日かけなければ結果は出せないと言った。午前一時過ぎ、わたしはジョン・ポデスタに、ジャヴィッツ・センターにいる支持者たちに帰宅して休むように伝えてほしいと頼んだ。勝ちか、負けか、引き分けか、水曜日の朝まで発言は控えることにした。

ちょうど同じころ、ジョンとわたしはホワイトハウスからメッセージを受け取った。オバマ大統領は、結果を先延ばしにするのは国にとってよくないことだと心配していた。結果を受け入れると約束せずに民主制を傷つけるトランプの姿勢を批判してきた手前、自分たちははきちんと対処するべきだという重圧があった。もし負けたら、速やかに潔く敗北を認めるべきだ。わたしも同感だった。

午前一時三五分、APから、ペンシルヴェニア州でトランプが勝ったと報道があった。勝負がついたも同然だった。ウィスコンシン州とミシガン州でどんなに頑張っても、勝利は難しい。

まもなく、トランプが近くのヒルトン・ホテルでの勝利祝賀パーティーに出かける準備をしているという報道があった。潮時だ。わたしは電話をすることにした。

「ドナルド、ヒラリーよ」人生で最も奇妙な瞬間だった。わたしはトランプにお祝いを言い、速やかな引き継ぎのためにできることは何でもすると申し出た。彼はわたしの家族と選挙運動についてお愛想を言った。電話をかけるのは辛かったろうとかなんとか言われたような気がするが、今では全てがぼやけ、はっきりしない。まるで友人にバーベキューに参加できないと電話しているように、おかしなくらい普通の、そつのない会話だった。ありがたいことに、短かった。

それからわたしは、オバマ大統領に電話をかけた。「がっかりさせてごめんなさい」わたしは言った。喉が締めつけられた。大統領は大丈夫だと言った。わたしは強力な選挙運動を繰り広げ、我が国に尽力した、わたしを誇りに思うと。敗北のあとも人生は続き、彼とミシェルが側にいてくれると言った。わたしは電話を切って、しばらく黙って座りこんでいた。ショックのあまり、呆然としていた。

午前二時二九分、APがウィスコンシン州の結果を告げ、トランプの当選を発表した。その後まもなく、トランプがテレビで勝利を宣言した。

わたしはホテルの部屋で、愛する人や信頼する人たちに囲まれていた。彼らはわたし同様に傷つき、ショックを受けていた。こんな具合に、みんなで力を合わせて目指してきたものが消え去った。

一般投票は、かなりの票差でわたしが勝つようだった。その事実に、いくらかの慰めを感じた。アメリカ国民の多数派はトランプの〝我々対彼ら〟の運動を支持せず、わたしの政策と将来のヴィジョンを選んでくれたということだ。わたしは拒絶された─だが肯定もされた。非現実的なことだ。

わたしは自分を責めた。恐れていた候補者としての限界が、最悪の形で現実になってしまった。二〇〇八年の経験を教訓にして、より良い運動を行なってきた。だが根深い怒りを抱えた国民と繋がれず、現状維持を目指す候補者だというイメージを振り払えなかった。それに、わたしの身に降りかかったことを見てほしい。わたしはドナルド・トランプに対抗していただけではない。ロシアの情報機関、心得違いのFBI長官、そしてとんでもない選挙人団を相手にしなければならなかった。そう、規則は理解していた。勝たなければならない州は分かっていた。それでも過去五回の選挙で二回目の、民主党がより多くの票を獲得しながら、わたしたちの立憲制度の古臭いかぎ爪に勝利を奪い取られる選挙となったことは、腹立たしいことだった。わたしは二〇〇〇年以来、選挙人団は人口の少ない州に不適切な力を与える、非民主的な制度だと訴えてきた。「一人一票」の方針をあざ笑うものだ。皮肉なことに、創設者たちはそれを、民主制における外国の介入に対する防護策として作った─建国の父の一人アレクサンダー・ハミルトンは論評『フェデラリスト・ペーパー六八号』に、外国の影響からの保護を、選挙人団を正当化する理由として挙げている。そして今、ウラジーミル・プーチンのお気に入りの候補者に、勝利が手渡された。

わたしの頭の中で、トランプの大会で鳴り響いていた「投獄しろ!」という声が聞こえた。二度目の討論会で、トランプは、もし当選したらわたしを刑務所送りにすると言った。彼が勝った今、何が起きるのか見当もつかなかった。

スピーチライターたちが、敗北宣言の草稿を持って、遠慮がちに近づいてきた。いったい誰がわたしのスピーチなど聞きたいだろうというのが、正直な気持ちだった。

その草稿は喧嘩腰の調子が強すぎた。偏見と憎しみに基づいて当選した新大統領に対する国民の恐怖に語りかけるものだった。あなたたちは一人じゃない、選挙が終わっても、わたしはあなたたちのために闘い続けると訴えていた。だが人々は、わたしに闘ってもらいたいのだろうか? 感謝して負けを認め、立ち去るべきなのではないか?

だがジェイクは違う意見だった。確かに潔さは大切だ。だが過去半年間、わたしたちはこの男が我が国にもたらす危険について警告してきたのだから、今さらそれが真実でなかったような行動は取れない。これからどうなるのだろうと、怯え、心配している人々がいる。彼らはあなたの声を聞きたがってる。

さかんな話し合いを重ねて、わたしはスピーチライターに、内容は甘くせず、もう少し短くて丁寧な調子に手直しするように頼んだ。

ビルはテレビでトランプのスピーチを見ていた。とても信じられなかったのだ。誰も、信じられなかった。やがてみんながその場を去り、二人だけになった。わたしはまだ泣いておらず、泣きたいのかどうかも分からなかった。心底疲れ果て、一〇年も寝ていないような気分だった。二人でベッドに横になり、天井を見詰めた。ビルが手を握ってくれた。

朝になると、それが現実になっていた。一一月九日の夜明けは、寒々しい雨が降っていた。オレンジジュースを飲もうとしたが、食欲がなかった。やらなければならない仕事がある。それだけに意識を集中した。明るくなるころには、自分の言うべきことが少しはっきりしてきた。

スピーチライターが新しい草稿を持ってきた。わたしは民主制が意味するものについてもっと話したいと考えた。そう、平和な権力の引き継ぎは、わたしたちの大切な伝統だ――自ら敗北を認めるのも同様だ。だが法の規則や平等、そして自由というものも、敬意を持って守らなければならない。「ドナルド・トランプがわたしたちの大統領になります。彼に心を開き、主導するチャンスを与えます」と、わたしは言うことになる。だがそのいっぽうで、自分の支持者やアメリカ国民には、より強くて公正なアメリカというヴィジョンを持って動き続けようと働きかけたかった。若いスタッフや支持者に希望を失わせるわけにはいかない。「この敗北が辛くても、ぜったいに、正義のための闘いに価値があることを疑わないで」そう言いたかった。

最後にわたしに信頼を寄せてくれた女性や少女たちに、直接語りかけたかった。彼女たちの気持ちを考えると胸が痛んだ。初の女性大統領という歴史を作れず、女性たちは、国民が女性を物扱いし性的暴力を自慢げに話すような人物を選んだという事実に向き合わなければならない。多くの女性――男性も――は朝起きて、アメリカはまだ自分たちの思っていた国のままなのだろうかと疑問を抱いただろう。トランプのアメリカに、自分たちの安全な居場所はあるのだろうか?価値を認められ、敬意を払われるのだろうか?

こうした疑問に、わたしが答えることはできない。自分でも訊きたいくらいだ。だが最後のステージで、わたしは今回の闘いを誇りに思うと言いたかった。高い天井を割ることはできなかったが、「いつの日か誰かが割るでしょう――願わくば、今思っている以上に早くに」そして幼い少女たちに、心から信じている言葉を伝えたい。「自分には世界にあふれているチャンスをつかむだけの価値と力があるということを、ぜったいに疑わないで」

わたしは着替えをし、持ちものをそろえた。「いつか、ゆうべのステージの写真を見せてね」と、フーマに言った。

「すごい舞台でしたよ。大統領のための舞台です」

出かける時間だった。国が待っている。先延ばしにしても、物事は容易にはならない。

母のことを思った。小さいとき、近所のいじめっ子にからかわれたことがあった。わたしは家に逃げ帰ったが、母が玄関で言った。「臆病者は入らないで。通りに戻りなさい」玄関から通りまでの道のりが、人生で一番長く感じられた。でもわたしは戻った。いつでも母は正しかった。

わたしは家族を集め、深呼吸をして、ドアの外へ出た。(了)


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