『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』20万部突破記念、本文公開!
光文社新書編集部の三宅です。2017年7月の刊行以来、ビジネスパーソンを中心に多くの方に読まれてきた山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』が6月末の増刷で17万部に達しました。すでに電子版が3万部以上売れていますので、合わせて20万部突破となります。6月にはコミック版『マンガと図解でわかる 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(山口周〈監修〉、PECO〈マンガ〉)も刊行され、好評をいだたいています。この20万部突破を記念しまして、新書判の冒頭部分を公開します。新型コロナウイルスの蔓延で、世界がますます複雑化・不安定化していく中、本書に書かれている内容の重要性は増していくはずです。アートの話から始まる異色のビジネス新書、この冒頭部分だけでもご一読いただけると幸いです。
目 次
はじめに
名門美術学校の意外な上顧客
忙しい読者のために
1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している
本書における「経営の美意識」の適用範囲
会社を「作品」と考えてみる
第1章 論理的・理性的な情報処理スキルの限界
「論理」と「理性」では勝てない時代に/「直感」はいいが「非論理的」はダメ/「論理」と「理性」に頼る問題点・ 時間/哲学を鍛えられていた欧州エリート/「論理」と「理性」に頼る問題点・ 差別化の喪失/ミンツバーグによるMBA教育批判/アカウンタビリティの格差/アカウンタビリティと「天才の否定」/クックパッド紛争は「アート」と「サイエンス」の戦いだった/アカウンタビリティは「無責任の無限連鎖」/アートが主導し、サイエンスとクラフトが脇を固める/経営トップがアートの担い手/千利休は最初のチーフクリエイティブオフィサー/アートのガバナンス/経営者はなぜデザイナーに相談するのか?/サイエンス型が強くなるとコンプライアンス違反のリスクが高まる/エキスパートは「美意識」に頼る/ビジョンと美意識/サイエンス偏重は一種の過剰反応
第2章 巨大な「自己実現欲求の市場」の登場
全てのビジネスはファッションビジネス化する/自己実現的便益のレッドオーシャン/なぜマッキンゼーはデザイン会社を買収したのか?/デザイン思考/「巨大な自己実現市場の登場」は日本にとっての好機/イノベーションにはストーリーが必要/デザインとテクノロジーはコピーできる
第3章 システムの変化が早すぎる世界
システムの変化にルールが追いつかない世界/なぜ繰り返し問題を起こすのか?/実定法主義と自然法主義/後出しジャンケン/「邪悪にならない」/「我が信条」/エリートを犯罪から守るための「美意識」/エンロンのジェフリー・スキリング/日本文化における「罪と恥」/ある会社の常識は、他の会社の非常識
第4章 脳科学と美意識
ソマティック・マーカー仮説/意思決定における感情の重要性/マインドフルネスと美意識/セルフアウェアネスの向上に重要な部位
第5章 受験エリートと美意識
「偏差値は高いが美意識は低い」という人たち/なぜエリートは「オウム的システム」を好むのか?/システムへの適応力/コンピテンシーとしての「美意識」を鍛える/「悪とは、システムを無批判に受け入れること」
第6章 美のモノサシ
鍵は「基準の内部化」/主観的な内部のモノサシ/「美意識」を前面に出して成功したマツダの戦略/マツダが依拠した「日本的美意識」/マツダにおける「顧客の声」の位置付け/「美」のリーダーシップ
第7章 どう「美意識」を鍛えるか?
世界のエリートは「どうやって」美意識を鍛えているのか?/「アート」が「サイエンス」を育む/絵画を見る/VTSで「見る力」を鍛える/「見る力」を鍛えるとパターン認識から自由になれる/パターン認識とイノベーション/哲学に親しむ/プロセスとモードからの学び/知的反逆/文学を読む/詩を読む/レトリック能力と知的活動
おわりに
はじめに
名門美術学校の意外な上顧客
英国のロイヤルカレッジオブアート(以下RCA)は、修士号・博士号を授与できる世界で唯一の美術系大学院大学です。2015年のQS世界大学ランキングでは「アート・デザイン分野」の世界第1位に選出されており、視覚芸術分野では世界最高の実績と評価を得ている学校と言っていいでしょう。ちなみに、次々と革新的な家電製品を世に送り出しているダイソン社の創業者であるジェームス・ダイソンは、このRCAでプロダクトデザインを学んでいます。
さて、このRCAが、ここ数年のあいだ、企業向けに意外なビジネスを拡大しつつあるのですが、なんだと思いますか?
それは「グローバル企業の幹部トレーニング」です。
現在、RCAでは様々な種類のエグゼクティブ向けのプログラムを用意しており、自動車のフォード、クレジットカードのビザ、製薬のグラクソ・スミスクラインといった名だたるグローバル企業が、各社の将来を担うであろうと期待されている幹部候補を参加させています。
世界的に高名な美術系大学院とグローバル企業の幹部というのは、どう考えても連想ゲームの最初に出てくる組み合わせではありません。しかし、こういった取り組みは全世界的なトレンドになりつつあるようなのです。
英国の経済紙フィナンシャルタイムズは、2016年11月13日に掲載された「The art school MBA that promotes creative innovation(美術大学のMBAが創造的イノベーションを加速する)」と題した記事で、いわゆる伝統的なビジネススクールへのMBA出願数が減少傾向にある一方で、アートスクールや美術系大学によるエグゼクティブトレーニングに、多くのグローバル企業が幹部を送り込み始めている実態を報じています。
「仕事が忙しくって美術館なんかに行っている暇なんかないよ」と嘯く日本のビジネスパーソンからすれば、グローバル企業の幹部候補生が大挙して美術系大学院でトレーニングを受けているという風景は奇異に思われるかもしれません。しかし、こういった傾向はすでに10年ほど前から顕在化しつつありました。
例えば「The MFA is the new MBA」(MFA=芸術学修士は新しいMBAである)と題した記事がハーバード・ビジネス・レビューに掲載されたのは、2008年のことです。すでにこの記事では、先進的なグローバル企業において、MBAで学ぶような分析的でアクチュアルなスキルよりも、美術系大学院で学ぶような統合的でコンセプチュアルなスキルの重要性が高まっていることを報じています。
また2005年に出版され、世界的なベストセラーとなったダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』では、多くのビジネスが機能の差別化から情緒の差別化へと競争の局面をシフトさせている中、粗製濫造によって希少性が失われつつあるMBAと、ごく限られた人しか入学できないMFAとを比較し、学位としての価値が逆転しつつあることを指摘しています。
さらに、クリエイティビティとリーダーシップを繋げ、問題解決におけるロジカルアプローチとは異なるデザイン思考のプログラムが本格的にスタンフォード大学で始まったのも10年ほど前のことですし、北欧系のビジネススクールが「創造性」をカリキュラムの中心に据え、いわゆる「クリエイティブリーダーシップ」を看板に掲げるようになったのもここ数年のことです。
こういったトレンドを大きく括れば「グローバル企業の幹部候補、つまり世界で最も難易度の高い問題の解決を担うことを期待されている人々は、これまでの論理的・理性的スキルに加えて、直感的・感性的スキルの獲得を期待され、またその期待に応えるように、各地の先鋭的教育機関もプログラムの内容を進化させている」ということになります。
実は、こういった変化については、しばしばアート側の関係者の中でも話題になっていました。私は大学院でキュレーションを専攻したのち、畑違いのコンサルティングの仕事に進みましたが、同窓生の多くはなんらかの形で美術の世界と関わる仕事をやっています。アート業界に長いこと身をおいている彼らに言わせると、ここ数年で美術館を訪れる人たちの顔ぶれが変わってきた、と言うんですね。
例えば、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのテート・ギャラリーなどの大型美術館には、社会人向けのギャラリートークのプログラムが用意されています。ギャラリートークとは、キュレーターがギャラリーと一緒にアートを鑑賞しながら、作品の美術史上の意味合いや見どころ、制作にまつわる逸話などを参加者に解説してくれる教育プログラムの一種です。アート関係者の話によると、このギャラリートークへの参加者の顔ぶれが大きく変わってきたというのです。
確かに、例えばニューヨークのメトロポリタン美術館で実施されている早朝のギャラリートークに参加してみると、以前は旅行者と学生でほとんど占められていた参加者の中に、ここ数年は、グレースーツに身を包んだ知的プロフェッショナルと思しき人たちをよく見かけるようになりました。彼らは、忙しい出勤前の時間をわざわざ割いて、ギャラリートークに参加してアートの勉強をしているわけです。
世界的に高名な美術系大学院に幹部候補を送り込むグローバル企業、あるいは早朝のギャラリートークに参加しているニューヨークやロンドンの知的専門職の人たちは、いったい何を求めているのでしょうか。
そう、本書の題名通りに問えば、世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのでしょう?これから、読者の皆様と一緒にその答えを探しにいきましょう。
忙しい読者のために
なぜ、世界のエリートは「美意識」を鍛えるのか?
この、本書で立てた「大きな問い」について、忙しい読者のために、ここでまとめて回答を述べておきたいと思います。この回答以降の本書の内容は、すべてこの短い回答の脚注に過ぎないということになります。
グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、あるいはニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、虚仮威しの教養を身につけるためではありません。彼らは極めて功利的な目的のために「美意識」を鍛えている。なぜなら、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。
では、そのように考える具体的な理由はなんなのでしょうか?
今回、本書の執筆にあたっては、多くの企業・人にインタビューをさせていただきましたが、共通して指摘された回答をまとめれば次の三つとなります。
1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
最も多く指摘されたのが「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」という問題です。この問題の発生については、大きく二つの要因が絡んでいます。
一つ目は、多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身につけた結果、世界中の市場で発生している「正解のコモディティ化」という問題です。
長いこと、分析的で論理的な情報処理のスキルは、ビジネスパーソンにとって必須のものだとされてきました。しかし、正しく論理的・理性的に情報処理をするということは、「他人と同じ正解を出す」ということでもあるわけですから、必然的に「差別化の消失」という問題を招くことになります。本書の主たるテーマは「経営におけるアートとサイエンスのバランス」ですが、経営の意思決定が過度に「サイエンス」に振れると、必ずこの問題が発生することになります。
二つ目は、分析的・論理的な情報処理スキルの「方法論としての限界」です。
昨今のグローバルカンファレンスではよく「VUCA」という言葉が聞かれます。もともとは米国陸軍が現在の世界情勢を表現するために用いた造語ですが、今日では様々な場所で聞かれるようになりました。「VUCA」とは「Volatility=不安定」「Uncertainty=不確実」「Complexity=複雑」「Ambiguity=曖昧」という、今日の世界の状況を表す四つの単語の頭文字を組み合わせたものです。
このような世界において、いたずらに論理的で理性的であろうとすれば、それは経営における問題解決能力や創造力の麻痺をもたらすことになります。
これまで有効とされてきた論理思考のスキルは、問題の発生とその要因を単純化された静的な因果関係のモデルとして抽象化し、その解決方法を考えるというアプローチをとります。しかし、問題を構成する因子が増加し、かつその関係が動的に複雑に変化するようになると、この問題解決アプローチは機能しません。
このような世界において、あくまで論理的・理性的であろうとすれば、いつまでも合理性は担保されず、意思決定は膠着することになります。
経営の意思決定における合理性の重要さを最初に指摘したのは経営学者のイゴール・アンゾフですが、彼は同時に過度な分析志向・論理志向の危険性もまた指摘しています。アンゾフは、1965年に著した『企業戦略論』において、合理性を過剰に求めることで企業の意思決定が停滞状態に陥る可能性を指摘し、その状態を「分析麻痺」という絶妙な言葉で表現しました。そして、私が見るかぎり、この状況は多くの日本企業において発生している問題でもあります。
このように様々な要素が複雑に絡み合うような世界においては、要素還元主義の論理思考アプローチは機能しません。そこでは全体を直覚的に捉える感性と、「真・善・美」が感じられる打ち手を内省的に創出する構想力や創造力が、求められることになります。
2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
ノーベル経済学賞を受賞したロバート・ウィリアム・フォーゲルは「世界中に広まった豊かさは、全人口のほんの一握りの人たちのものであった『自己実現の追求』を、ほとんどの全ての人に広げることを可能にした」と指摘しています。
人類史においてはじめてと言っていい「全地球規模での経済成長」が進展しつつあるいま、世界は巨大な「自己実現欲求の市場」になりつつあります。このような市場で戦うためには、精密なマーケティングスキルを用いて論理的に機能的優位性や価格競争力を形成する能力よりも、人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要になります。
人間の欲求を、最も低位の「生存の欲求」から、最も上位の「自己実現欲求」の5段階に分類できるという考え方、いわゆる「欲求5段階説」を提唱したのはエイブラハム・マズロー(*1)でした。この枠組みで考えれば、経済成長に伴う生活水準の上昇によって、商品やサービスに求められる便益は、「安全で快適な暮らしをしたい=安全欲求」を満たすものから、徐々に「集団に属したい=帰属欲求」へ、さらに「他者から認められたい=承認欲求」へと進むことになり、最終的には「自分らしい生き方を実現したい=自己実現欲求」へと進展することになります。
先進国における消費行動が「自己表現のための記号の発信」に他ならないことを明確に指摘したのはフランスの思想家であるジャン・ボードリヤールでしたが、この指摘はもはや先進国においてだけでなく、多くの発展途上国にも当てはまるようになってきています。ひっくるめて言えば、全ての消費ビジネスがファッション化しつつあるということです。このような世界においては、企業やリーダーの「美意識」の水準が、企業の競争力を大きく左右することになります。
*1 おそらくこのような前提をおいて書くと「マズローの欲求5段階説は実証実験では証明されず、アカデミアの世界では眉唾と考えられていることを知らないのか」といった反論があると思います。これは本書執筆の基本的な態度とも関係するのでここでまとめて、そういった類の「科学的に検証できていない」という反論について答えておきたいと思います。科学においては「真偽」の判定が重要になりますが、「科学的に検証できない」ということは、「真偽がはっきりしていない」ということを意味するだけで、その命題が「偽」であることを意味しません。本書のテーマは経営における「アート」と「サイエンス」の相克であり、サイエンスだけに依存した情報処理は経営の意思決定を凡百で貧弱なものにするというのが筆者の主張です。同様に、本書の主張をより豊かなものにするために、筆者は「アート」と「サイエンス」の両方、つまり思考における「論理」と「直感」の双方を用いており、であるが故に筆者が個人的に「直感的に正しい」と考えたものについては、必ずしも科学的根拠が明確ではない場合においても、それを「正しい」(と思う)とする前提で論を進めていることを、ここに断っておきます。
3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している
現在、社会における様々な領域で「法律の整備が追いつかない」という問題が発生しています。システムの変化に対してルールが事後的に制定されるような社会において、明文化された法律だけを拠り所にして判断を行うという考え方、いわゆる実定法主義は、結果として大きく倫理を踏み外すことになる恐れがあり、非常に危険です。この危険性をわかりやすい形で示していたのが旧ライブドアや一連のDeNAの不祥事でした。
現在のように変化の早い世界においては、ルールの整備はシステムの変化に引きずられる形で、後追いでなされることになります。そのような世界において、クオリティの高い意思決定を継続的にするためには、明文化されたルールや法律だけを拠り所にするのではなく、内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められることになります。
グーグルは英国の人工知能ベンチャー=ディープマインドを買収した際、社内に人工知能の暴走を食い止めるための倫理委員会を設置したと言われています。人工知能のように進化・変化の激しい領域においては、その活用を律するディシプリンを外部に求めることは大きく倫理に悖るリスクがあると考え、その判断を内部化する決定を下したわけです。先述した旧ライブドアやDeNAと比較すれば、企業哲学のレベルとして「格が違う」と言わざるを得ません。
システムの変化に法律の整備が追いつかないという現在のような状況においては、明文化された法律だけを拠り所にせず、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になります。
ここまでは、幹部候補生を、RCAなどのアートスクールや、米国のアスペン研究所などの哲学ワークショップに送り込んでいるグローバル企業の人材育成担当者による回答をまとめて紹介しました。以後は、本書において、それぞれの項目についてより詳細に考察を進めてみましょう。