日々の労働が作り上げた「よくゆるんだ身体と中心軸」:新刊『頭上運搬を追って』「はじめに」を公開|三砂ちづる
はじめに
2023年末、ドジャースに入団会見をした元オリックスの山本由伸投手は、2021年のオリックスのリーグ優勝の際に出た記事の中で語っている。
前年のオフの時に、昔の女性が米俵を担いでいる写真を見て、こう思ったそうだ。
「昔の女の人が米俵を担いでいる写真。担げるの?って思うじゃないですか。コツを知っているから持って運べる。人間にはそれだけの力があるはずなんです。トレーニングしているわけではないのに、生きるためにこういうことができる。じゃあ筋肉じゃない。自分の体の重心の位置を明確にすることが大事。力で持ち上げているわけではなく、うまく乗せている」。
そして投げることもまた同じだ、と感じるのだ(*1)。
筋肉とか力とか、の話ではなく、生きるために行なってきた身体を使ったさまざまな技法は、運搬手段、交通手段の発達により、必要がなくなったところから失われていったのである。
女性が米俵を担がなくてもよくなったのは、いかなる意味でも好ましいことだ。過酷な労働から解放されるために、人間は技術を革新し、科学を発達させてきたはずなのである。
そのような時代に生きていてもなお、現在の力や分析で明確に理解できないほどの身体づかいに出会うと、我々はたじろぎ、驚くが、その後、熟考し、その驚きから自らを変える力を得ることも可能なのである。山本投手の話はそういうことだと思う。
この本は、「頭上運搬」を追った。
アフリカや東南アジアや琉球弧(奄美大島から沖縄、台湾までの弓状に連なる数多くの島々のこと)で出会った頭上運搬にたじろぎ、そして過酷な労働であるにもかかわらず、その美しさに魅せられた。
人間はこういうことができるのだ。それは科学的な分析が追いつかない、意識と身体技法の世界である。
日本国内やアジア地域では、女性が頭上運搬しているところでも、男性はやらない。すべて肩で担いでいる。アフリカでは男性の頭上運搬も見かけるが、地域性もありそうである。
よって、この本に出てくる頭上運搬はおおむね、女性によって行なわれているものである。
失われた身体技法を追っていることは間違いないが、それは同時に、女性の本来の美しさとは何か、を追っているのだとも思う。ファッションや、メイクや、若さや、スリムであること、などとは次元の異なる、本当の意味での美しさ、である。頭上運搬から垣間見えるのではないだろうか。
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著者プロフィール
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