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宮沢賢治はアインシュタインを超えていた?『銀河鉄道の夜』を天文学的に解読して初めて分かったこと。

『雨ニモマケズ』『注文の多い料理店』『春と修羅』などの作品で知られる宮沢賢治(1896-1933)は、生誕から120年以上が経った現在でも多くの人に愛され、影響を与え続けています。仏教信仰と農民生活に根ざした創作を行い、作品中に登場する架空の理想郷に郷里の岩手県をモチーフとして「イーハトーブ」と名づけたことでも知られていますが、賢治は37年という短い生涯で膨大な量の作品を遺しました。天文学者の谷口義明さんは、賢治童話の代表作『銀河鉄道の夜』をテーマに、これまでにないアプローチで賢治の宇宙観に迫る本を刊行しました。約100年前、賢治は宇宙に何を見ていたのでしょうか。谷口さんが執筆の経緯などを綴ってくださいました。

宮沢賢治の世界にハマってしまいました

このたび、光文社新書の一冊として『宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』という本を上梓させていただきました。

私の場合、

  職業=天文学者
  専門分野=銀河天文学

なので、宮沢賢治といえば、『銀河鉄道の夜』に素直に結びついていきます。ところが、『宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』に至るまで、何と65年の歳月を要しました。

何のことはない。還暦を過ぎてから、宮沢賢治(以下では「賢治」と略させていただきます)の世界にハマってしまったのです。

もちろん、子どもの頃から賢治の名前は知っていました。賢治の手帳に残されていたメモ「雨ニモマケズ」を知らない日本人はいないと思います。子どもの頃に読んで覚えている賢治の他の作品といえば、『よだかの星』と『注文の多い料理店』でしょうか。

ところが、そこから先は賢治とは縁遠くなってしまいました。最近になるまで、私は賢治の作品をほとんど読んだことがなかったのです。何と、『銀河鉄道の夜』も読み通したことはありませんでした。いやはや……という感じです。

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きっかけは岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館

そんな私ですが、『銀河鉄道の夜』に関心を抱きました。2018年のことです。いくつか契機はあるのですが、一つは私の仕事に関係しています。

私は2016年4月から放送大学に勤務しています。放送大学は通信制の大学で、講義はテレビ、ラジオ、そしてインターネットで配信しています。そのため、放送大学の教員は普通の大学で行うような学生への講義はしませんが、講義番組を制作しなければなりません。私もこれまでに、四つの講義番組の制作に携わってきました。テレビ科目は『太陽と太陽系の科学』と『宇宙の誕生と進化』の二つ、そしてオンライン科目は『宇宙、地球、そして人類』と『地球を読み解く』の二つです。

そして、次に開講する科目は“天文学入門”です。これは2021年度開講予定ですが、準備は2018年に始まりました。この科目をどのような構成にするか、いろいろと考えてみました。

普通、天文学入門というと、太陽系の話から始まり、天の川の星々、銀河系、そして他の銀河、最後は宇宙論という流れで講義を構成していく感じになります。私は天文学者なので、この路線で講義を作っていくのは、それほど難しいことではありません。しかし、この路線はあまりにもありきたりで、面白みに欠けます。

そんなとき、ふと思いついたことがありました。

賢治の『銀河鉄道の夜』を題材にして、天文学入門の講義が作れないだろうか? これだと、今までの天文学入門の講義とはまったく違った趣向で講義ができるのではないだろうか?”

そう思ったのです。これが2018年の秋のことでした。

このアイデアを思いついたのは、この年の夏、久しぶりに宮沢賢治記念館を訪れたことがきっかけになっています。その際、宮沢賢治童話村にも立ち寄ったのですが、そこの売店で美しい装丁、かつ大型版の『銀河鉄道の夜』を見つけて購入しました(写真1)。

図1

写真1 『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治作、金井一郎絵、miki HOUSE、2013年)

天の川を駆け巡る鉄道の旅

早速、その『銀河鉄道の夜』を読んでみることにしました。読んでみると、“面白い”の一言でした。『銀河鉄道の夜』に書かれている事柄から、いろいろな天文現象が頭の中に浮かんでくるのです。もちろん、それは私が天文学者だからでしょう。これなら、天文学入門の講義番組を制作できるだろうと確信しました。

「なぜ、『銀河鉄道の夜』をもっと早くに読まなかったのだろう」。深く、反省した次第です。

ご存知のように、『銀河鉄道の夜』の物語は、北十字(はくちょう座)から南十字(みなみじゅうじ座)までの天の川を駆ける鉄道の旅を書いたものです(写真2)。行く先々で面白い宇宙の話題が出てきます。これらを紡いでいけば天文学の入門は十分に果たせるのです。

図2

写真2 天の川を走る銀河鉄道の旅路
GAIA衛星による全天写真: (ESA/GAIA/DPAC)
http://sci.esa.int/gaia/60169-gaia-s-sky-in-colour/
JR釜石線の宮守川橋梁を走る電車。写真は銀河鉄道の旅路の方向を考えて、左右反転して使用しています(撮影:畑英利)

しかし、問題は残ります。私は天文に関していえばプロですが、賢治に関していえば、ズブの素人です。そんな私が賢治に関する本を出版したり、講義番組を制作したりしてよいものだろうか? 何だか、そういう道義的な責任を感じてしまいました。

これを克服する道はひとつです。
「勉強だ!」
ということで、賢治について勉強してみることにしました。

「いい気になるなよ」

まずは、賢治に関する本を集めて、読んでみる。これが近道のように思いました。そこで、神田神保町の古書店巡りをしてみることにしました。日本の文学を専門にしている古書店をいくつか覗いてみると、賢治の文学全集だけでなく、賢治関係の本がたくさん並んでいます。それらの背表紙を眺めていると

「『銀河鉄道の夜』をちょっと読んだぐらいで、いい気になるなよ」

と言われているような気がしました。考えてみれば、今までに多くの文学研究者の方々が賢治の研究をしてきた歴史があります。『銀河鉄道の夜』は賢治童話の代表作とも言われていますから、多数の論考がなされてきています。時代を遡れば、草野心平、高村光太郎、谷川徹三ら、錚々たるメンバーが賢治を論じてきているのです(写真3)。

図3

写真3 十字屋書店版の『宮澤賢治研究』。草野心平の編集で、初版は昭和14年(1939年:賢治没年の6年後)です。私が持っているのは第四版で昭和22年発行のものです。

幸いなことは、拙著『宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』のように、『銀河鉄道の夜』を天文学の観点から読み解いていくという試みはされていなかったことです。

しかし、『銀河鉄道の夜』は一筋縄で理解できるような作品ではありません。読むとお分かりのように、さまざまな仕掛け、そして、さまざまな謎に溢れた作品なのです。つまり、『銀河鉄道の夜』を読み解く切り口はいくらでもあるのです。これは、やはり勉強するしかありません。

自宅の書斎は約400冊の賢治関係の本で埋め尽くされた

まずは、お手軽な『宮沢賢治全集』ちくま文庫版10冊を買って眺めてみることにしました。しかし、古書店にはもっと立派な全集が並んでいます。ある古書店の店主の方と話をしたら、

「まあ、まずは校本でいいんじゃないですか」

と言われたので、筑摩書房の『校本 宮澤賢治全集』も買いました。しかし、【新】校本の全集も出ているので、結局それも買うことにしました(写真4)。さらに、賢治関係の本をざっと400冊。自宅の書斎の本棚は賢治だらけの状態になってしまいました。

図4

写真4 書斎の机に並べられた『【新】校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房)。神田神保町の古書店で買い求めたものですが、本棚が溢れていて、とりあえずこのような状態になっていました。2019年9月に書棚を新たに買い求め、今では無事その本棚に収まっています。

こうなると、雰囲気は出てきます。

「初心忘るべからず」が身にしみた

「よし、読むか!」

と気合を入れて、片っ端から読んでいきました。しかし、読むだけではダメで、メモを取りつつ、文書化してまとめていくことが大切です。

研究者は論文を書くのが商売なので、書くこと自体はそれほど問題ではありません。書き溜めた原稿は、2ヶ月間で、500~600ページにもなりました。『銀河鉄道の夜』に関連する事柄に絞ったわけではないので、文章の整理が大変でした。そして、印刷した膨大な原稿の山を見て、呆然としてしまいました。

「さて、どうしたものか……」

その時、思いついたのが、

「そうだ、光文社新書の小松現さんに相談してみよう!」

というアイデアでした。

2019年に光文社新書から出した『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』でお世話になった編集の方です。原稿をみていただいたのですが、返事は

「うーむ、これではチョット……」

というものでした。これは当然です。まず、500~600ページもあります。そして、内容も多岐に渡っています。要するに的が絞れていないのです。そこで、小松さんから頂いたご助言が、

「やはり、『銀河鉄道の夜』だけに絞ってみたらいかがですか」

というものでした。考えてみれば、最初の目的はこれだったのです。“初心忘るべからず”この格言が身にしみた次第です。

こうして、2年越しで出来上がったのが『宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』なのです。私は今までに30冊以上の本を出してきていますが、基本的には天文学の教科書や解説書です。内容は銀河、ブラックホール 、そして宇宙の進化が中心です。自分の知っていることを平易にまとめていく作業なので、普通に書いていれば自動的に仕上がる感じです。

しかし、今回は違いました。そもそも底本として『銀河鉄道の夜』があります。つまり、ストーリーは私ではなく、賢治が書いているのです。私は脇役に徹して、賢治の気持ちを汲み取りながらまとめていくだけです。今までとは、使っている脳細胞が違うという感じの作業でした。

もちろん、このような試みは私とって初めてのことです。では、どうだったのか? じつは、とても楽しい作業でした。なんだか、病みつきになりそうな予感がします。

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プラス3冊分の賢治に関する原稿

そして、それは現実になりつつあります。なんと、もう三冊分、賢治関係の原稿を書き上げてしまいました。

(1)『宮沢賢治の星十夜』
(2)『屋根の上の星っ子賢さん — 宮沢賢治の宇宙観』
(3)『銀河、鉄道、そして夜 — 天文学者が観た宮沢賢治』

(1)は、夏目漱石の『夢十夜』にヒントを得て書き上げたものです。賢治の作品から興味深い天体(星、星雲、星座など)を10個選んで、解説していく趣向です。写真2で、JR釜石線のめがね橋を走る電車の写真を提供していただいた畑英利さんは30年来の友人で、天体写真家として名を馳せておられる方です。そこで、畑さんの美しい写真をフィーチャーして、楽しめるように工夫してみました。賢治の見たような美しい星空を堪能できます。

(2) は、『宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』を執筆しながら考えていた賢治の宇宙観をまとめてみたものです。これは私の知りたかったことです。

そして(3)は、『銀河鉄道の夜』を天文学から離れて、謎解きしていく物語です。これはもう、探偵小説の世界です。じつは、研究者という商売は、犯人を探す探偵稼業なのでした。

やはり、最初に一気に数百ページ分を書いてみたのがよかったのかもしれませんね。なにしろ、何の制約もありません。自由に書けたことが幸いしたように思います。

「賢治」を「アインシュタイン」に置き換えてみると……

ところで、(2)の『宮沢賢治の宇宙観』ですが、項目は次のようになっています。

第1章   賢治の「科学観」
第2章   賢治の「宇宙観」
第3章   賢治の「時空観」
第4章   賢治の「四次元観」
第5章   賢治の「エネルギー観」
第6章   賢治の「重力観」
第7章   賢治の「量子観」
第8章   賢治の「宇宙塵観」
第9章   賢治の「宇宙人観」
第10章   賢治の「未来観」

いま、これを眺めて不思議な気分にとらわれています。なぜなら、「賢治」を「アインシュタイン」に置き換えても、成立しそうな章立てになっているからです。

賢治は1986年に生まれ、1933年に没しています。わずか37年の人生でした。今からざっと100年も前のことです。その時代に、どうして現在でも通用するよう宇宙観や科学観を賢治は持つことができたのか? 

これは本当に謎です。

かくして、『宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』の結論は次のようになりました。

賢治には未来が見えていた――。

さて、そろそろ充電が必要になってきました。私は宮城県仙台市に住んでいるので、賢治の故郷、花巻はそれほど遠いわけではありません。また、宮沢賢治記念館を訪れて、賢治の世界に触れてこようと思っています(写真5)。

図5

写真5 私の書斎で佇む賢治。この賢治の人形は宮沢賢治記念館前にある“工房 木偶乃坊”で、15年ぐらい前に購入した“デクノボーこけし”です。後ろに控えるパネルは、宮沢賢治記念館で購入した「雨ニモマケズ」の額です。
谷口義明(たにぐち よしあき)
1954年北海道生まれ。東北大学理学部卒業。同大学院理学研究科天文学専攻博士課程修了。理学博士。東京大学東京天文台助手などを経て、現在、放送大学教授。専門は銀河天文学、観測的宇宙論。すばる望遠鏡を用いた深宇宙探査で、128億光年彼方にある銀河の発見で当時の世界記録を樹立。ハッブル宇宙望遠鏡の基幹プログラム「宇宙進化サーベイ」では宇宙のダークマター(暗黒物質)の3次元地図を作成し、ダークマターによる銀河形成論を初めて観測的に立証した。主な著書に、『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』(光文社新書)、『アンドロメダ銀河のうずまき』(丸善出版)、『天の川が消える日』(日本評論社)など多数。




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