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13章 マーケッターに求められるパラダイムシフト/山口周著『グーグルに勝つ広告モデル』全文公開【その12  最終回】

13章 マーケッターに求められるパラダイムシフト

ここまではメディアの変化について論じてきました。では、この変化に対応して広告主やマーケッターは、どのように考え方を変えていくことが必要なのか、考察してみましょう。

*マスメディアの「信頼感の終わり」の始まり

マスメディアがマーケティングツールとして、消費者に対する訴求力をちゃんと維持していくためには、二つのポイントが必要になります。

①メディアに対する信頼性

②メディア情報の占めるシェア

一つずつかいつまんでお話ししましょう。

*「発掘! あるある大事典Ⅱ」の示唆するもの

まず、一つ目の「メディアに対する信頼性」という要素です。

2007年に「発掘! あるある大事典Ⅱ」という番組で、データの捏造が発覚して番組が休止に追い込まれるという事態が発生しました。「発掘! あるある大事典Ⅱ」は、日常接しているごく普通の食品や日用品を取り上げ、実は知られざる効能があるということを科学的に解き明かす、というのが基本路線の番組でした。

番組で取り上げられた商品の人気が急上昇することが、これまでにいくつもあった、というほどの影響力をもっていた番組だったのですが、そこで説明される科学的根拠が、実はインチキだったということで話題になったわけです。

筆者はむしろ、インチキそのものより「インチキでないと視聴者の多くが妄信していた」ことのほうに驚いたのですが、一方でテレビというメディアがまだ視聴者の信頼を維持していたということを考えれば、この事件は昔からよくあるヤラセの単なる一事例として見るよりも、テレビというメディアが従来持っていた信頼感の終焉が始まった、と考えるべきなのかもしれません。

どういうことかというと、これまでインターネットという新興のメディアに対して、テレビや新聞、雑誌といった既存4マスメディアは、信頼性という側面で一つの優位性を持っていたのですが、それを自ら崩してしまったなあ、ということなのです。

一方、玉石混交で誰の情報だかハッキリしないことからまったく信頼できないとされていたインターネットの情報が、実はかなりの程度信頼に足るものだということが最近盛んにいわれるようになってきました。よく事例として挙げられるのはウィキペディアで、先述したとおり、この事典の情報の量と精度は、ブリタニカ国際大百科事典と遜色ないものであることがわかっています。

Wisdom of crowds(不特定多数の知恵)という言い方をされることもありますが、要するにミンナが寄り集まって出した知恵だったり意見だったりというのは、それが不特定多数になればなるほど、実は意外と間違いが少なくなってくる、というコンセプトのことです。

一方、これまで一種の情報の権威というイメージを形成して「正しい情報」を提供していると信じられてきたテレビが、実は視聴率のためには確信犯で情報を捏造するということがわかった。これは実に対照的な流れです。今後、テレビをはじめとした4マスメディアは、インターネットに対して情報の信頼性という観点では確実に優位を失っていく、むしろ劣位になる恐れすらあると考えています。

筆者は、この流れは広告ビジネスに中長期的には大きなインパクトを与えるだろうと考えています。メディアが発する情報の信頼性──もっと大胆な言い方をすれば、そのメディアが持つ説得力──は、メディアによって変わるにせよ、そのまま広告の効果にも反映されるからです。

例えば「福田総理 プロレスに転向」という文言が、たまたま入った公衆便所の扉に書いてあったとしたら、多くの人は単なる落書きとして無視するだけでしょうが、「日本経済新聞」の一面に書いてあったら、皆さんは椅子から転げ落ちるほど驚くでしょう。

要するに人間は、与えられた情報に対して、その情報のソース、平たくいえば「誰がそのニュースの発信者」か、ということによって態度を変えるのです。

違和感のある情報であっても、発信源に権威があれば盲従を形成できることは、例えば多くの医療事故が、看護師や薬剤師が「おかしい」と思いながらも「医師の指示だからきっと大丈夫」と思って再確認しない、つまり「医師=信頼できる情報源」への盲従で発生していることからも推察できます。

*インターネット情報の信頼の高まり

一方、これまで信頼に足らないメディアとして高をくくっていたインターネットの信頼性が、どんどん高まっています。時系列での比較ができないのが残念ですが、雑誌「宣伝会議」が2006年に行った調査によると、消費者が商品の購入を検討する際にインターネットの情報を参照する率は40%になっている一方、マスメディアによる広告は9%しか参照されていません。

広告 9%

店員による説明 16%

知人・友人の口コミ 18%

インターネット上の評価情報 40%

マスメディアの番組・記事等 12%

日経産業消費研究所が2007年8月に行った調査でも、約4割がネット上の書き込みを買い物時の参考情報としているという結果が出ているので、おおまかにいって半分弱くらいの消費者は、すでに買い物時にネットの情報を信用できる情報源として参照しているということがいえそうです。

平たくいえば、モノを買うかどうか迷っている人にとって、相当程度に信頼できそうだと思える情報が、いとも簡単に、どんどん取れる状態になりつつあるのです。

それに対してマスメディアは、信頼性を回復するよりも、むしろ失う方向に動いているわけです。

実はグローバルに見てみると、日本人は逆にこれまでメディアを信用しすぎていたのじゃないか、といえるかもしれません。

日本において「もっとも信頼性のあるメディアは何か」という調査をすると、最上位が新聞、テレビが次点になりますが、同じ調査を米国で行うと、最上位には教会がきます。米国では小学生のころからメディアリテラシーの教育をするので、マスメディアに対してニュートラルな情報提供を望むのは一種の幻想だということが浸透しています。

一方で日本は、戦後の民主啓蒙活動をマスメディアが担ったという経緯があるだけに、やみくもな権威信仰、メディア信仰があるように思えます。それが今になって少しずつ崩れてきているのは、むしろグローバルスタンダードに近づきつつある、ということなのかもしれません。

「発掘! あるある大事典Ⅱ」の事例は、その大きな動きが顕在化した最初の事件だったのでしょう。その後もいくつかの番組で、情報の捏造が行われていたことが発覚しています。

なぜこんなことが起こってきているのか?

推察の域を出るものではありませんが、アテンションの獲得が日々難しくなる中で、驚くような新鮮な情報を与えようと思うと「当たり前の話」という領域からドンドン乖離していかざるを得なかった、ということなのだと思います。こういった観点からも、アテンションの数を奪い合う、というビジネスモデルが、限界にきていることを認識できると思います。

*そもそも広告が効かなくなる時代

次にメディアの信頼性に関する二つ目の要素である「メディア情報の占めるシェア」について考えてみましょう。

いささか古い話で恐縮ですが、スタンリー・ミルグラムの先生でもあった社会科学の大御所ソロモン・アッシュが1950年代に行った実験によると、人は、ある特定の選択をした周りの人の絶対数ではなく、その相対数、つまりシェアによって自分の態度を決めていることが明らかになっています。

簡単なたとえでいうと、ある人が自動車を買おうとしていて、ある友人が、Aがいいよ、と教えてくれたとしましょう。その場合、この人に友人が一人しかいない場合と、たくさんいる場合とでは結果的に形成される態度が異なる、ということです。

要するにたくさんの情報ソースを持っている人は、少ない情報ソースしか持っていない人に対して、態度形成させにくい、ということです。

アッシュの実験結果で非常に興味深いのは、消費者の態度変容は情報のシェアに対してリニアに反応するのではなく、図17が示すように、ある閾値を超えたところで急激に転換を起こすという点です。

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この概念をマーケティングに応用してみると、どういうことになるのでしょうか。

まず、人々が購入プロセスの中でどのような情報を活用しているかを考えてみると、先述のように主に6つの情報を活用していることがわかります(図18)。

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インターネットが普及するまでは、この6つのうち、エキスパートの評価と口コミの2つを参照することは、多くの商品で非常に難しい状況でした。もちろん例外もあって、例えば自動車はエキスパートによる評価そのものが自動車雑誌というコンテンツビジネスとして成立しているケースですし、ミシュランガイドも一種のエキスパート評価です。

さて、図18を見ると、従来、購買に向けていよいよアクションを起こして店頭に行くという以前の段階において、人が態度形成のために参照可能な情報は、そのほとんどがマスメディア広告だったことがおわかりいただけると思います。

それでは、消費者が受け取っているマスメディア広告の情報量はどのように変化しているのかというと、4マスメディアについては、停滞~減少というのが基本トレンドです。

ところが、人々がインターネットから得ている情報量はものすごい勢いで増加しているのです(図19)。

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例えば単純な時間で見てみると、インターネットの一日あたり利用時間は、2000年には19分だったところが、2005年には39分へと倍増しています。ネットは、表現力もここ数年で大きく改善されてきていますので、それを時間の増加に掛け合わせれば、参照される情報量の増加率はさらに大きなものになると思われます。

さて、先述のアッシュの提唱した概念にもう一度戻って、この情報環境の変化がもたらすインパクトをよく考えてみましょう。

ポイント1 従来は、商品に対して態度形成するための情報ソースとしてはマス広告、店頭における商品および販促物、店員の説明がほとんどで、特殊なケースを除いてすでに購入済みの知人による口コミやエキスパートによる評価は手に入らなかった。

ポイント2 マス広告の情報量には大きな変化はないが、広告とは別に「すでに購入した人」または「その道のエキスパート」の評価を簡単に手に入れられるようになってきた。

ポイント3 購入の意思決定のための総情報量に占めるマス広告のシェアは今後、減り続け、口コミまたはエキスパート評価の情報シェアが高まり続けそう。

ポイント4 シェアがある一線を越えるとマス広告は態度形成させる機能を失い、認知させるだけの機能しか発揮し得なくなる。加えて、マス広告情報と自分で収集した情報にギャップがあると、企業やブランドに対する消費者の信用の低下という事態すら引き起こしかねない。

ここで非常にタチが悪いのは、広告の絶対量が変化していないという点です。広告の絶対量が変わらない、つまりコストは変わらない。にもかかわらず急激にその効果を失うわけですから、マーケティングの費用対効果が極端に低下する時代が到来しつつあるということなのです。

実は、ブロードバンド環境の整備で日本より若干遅れているアメリカでは、すでにマーケティング面でこの動きが出つつあります。

2006年にトヨタ自動車が某主力車種の販促において、テレビ広告をほとんど行わなかったにもかかわらず販売量に変化がなかったことが、一時期業界の話題となりました。このことをきっかけに、こと自動車に関してはテレビ広告が実はほとんど効いていないのではないかということが、すでに競合自動車メーカー内でも重要な問題として提起されており、大幅なメディアミックスの見直しが行われている最中なのです。

*マーケッターが陥っているメディアアウト・パラダイム

こういった時代への対応を考えていくときに、現在のマーケッターの多くが囚われている一種の思考パターンが、大きな障害になると考えています。筆者はこれを「メディアアウト・パラダイム」と呼んでいます。

従来、マーケティングの2大パラダイムとされてきたものに「プロダクトアウト」と「マーケットイン」という概念があります。

前者が初期のフォードに代表される、大量に作って大量に売る「製品先にありき」の考え方に根ざしているのに対して、後者はそれに対する一種の反省として、市場を虚心坦懐に見て顧客のニーズに応える「顧客先にありき」という態度から生まれてきた考え方と捉えられています。

ところが、昨今の日本におけるビジネスプランニングのプロセスをよく見てみると、実際のマーケティングはそのどちらでもなく、プロダクトとマーケットの間をつかさどるメディアや流通の枠組みに規定されてしまっています。いわば「メディアアウト」というパラダイムに縛られてしまっているのです。

このメディアアウト・パラダイムを転換せず、インターネットメディアを従来のマスメディアと同じように一方的に情報をコントロールするツールとして利用するときわめて危険です。

例えば、米国のドクターペッパー/セブンアップ社やソニーが犯した失敗(新製品を売り込むために影響力の強いブロガーに自社の商品をヨイショする投稿を掲載してもらったが、ヤラセが発覚してブログが炎上、ブランドイメージを毀損してしまった)は、インターネットを単なるマスメディアとして捉えた、典型的な「メディアアウト」の事例と考えてよいでしょう。

これらの取り組みは、使っているメディアがWeb2.0的なだけであって、裏側に動いている思考のモデルはきわめて前時代的です。

大型メディアを通じた販促を念頭において商品を開発し、プロモーションの段階になって、使えそうなメディアがあるからそこへ情報を押し込んでみたという構図で、その思考プロセスでは、消費者の文脈や思いは完全に無視されています。

消費者というのは、我々が思っている以上に精度の高い感度を有していて、提灯記事を掲載したブログなどはすぐに見破られてしまいます。消費者が獲得しつつあるこの感度の鋭さに対する認識について、マーケッターは肝に銘じておくべきでしょう。

また最近では、ブログで推奨されている商品を購入したところ、記述されていた内容と商品の現実に大きな差があった、ということが増えており、国民生活センターへの相談も増加傾向にあります。

清涼飲料ならまだ迷惑のレベルで済みますが、こういったことが薬品や医療サービスの領域で重なれば社会問題にすらなりかねないですし、そもそもブランドを致命的に毀損してしまうことになります。

Web2.0の時代は、口コミもこれまでとは比較にならないくらいに早く伝わるということを十分に認識しておくべきでしょう。

では、成功事例としてはどのようなものがあるのか?

筆者自身が、近年で「これは」と思った二つの事例を紹介したいと思います。

*リコーにおける不満を汲み取る「場」作り

商品の問題点を把握するためにアンケートやグループインタビューを実施したけど、陳腐で月並みな調査結果しか出てこなかった、という経験をお持ちの方は多いと思います。

実は不満や要望というのは非常に無意識的なものであって、ある生活文脈の中でしか顕在化しないことが多いのです。平たくいえば「不満はあるけど今聞かれても具体的に思い出せない」というケース多いのです。

この事例では、消費者が不満や要望を出し合うような「場」を作ることで、商品の進化・改善を行い、価格下落を防ぐことに成功しました。

デジタルカメラ業界は陳腐化のスピードが速く、通常は3カ月で価格下落の波に飲まれて、値崩れを起こしてしまいます。しかしリコーは銀塩カメラの名機GRをデジカメに衣替えして投入する際に「3年間値崩れさせない」という目標を設定しました。

値崩れが起こるのは、短期間に機能面で進化した商品が次々にリリースされるからです。そこで開発陣は、発売後も製品が顧客の声を受けて進化する仕組みを組み込む、という逆転の発想に至りました。

要するに、改善した「次の商品」を出すのではなく、買っていただいた「現商品」を「顧客の声」に基づいて改善させていく、という方策を取ったのです。

具体的には、顧客の不満や要望を表出させる「場」としてブログ等を活用することで、細かい改善点を拾い上げ、修正した制御ソフトをインターネットでダウンロードできる仕組みを整えました。

その結果、通常、不具合の修正といったケースでも対応ソフトのダウンロードが10~20%であるのに対して、半数近くのユーザーがダウンロードを行い、また価格も2005年の発売から2年以上をへてなお、市場投入当初の価格を維持することに成功したのです。

*ブラザー工業における「顔」の見える付き合い

プリンター製造大手のブラザー工業は、インターネット関連サービス企業のはてなと組んでブログを立ち上げました。主に同社の商品情報やそれに関連する情報を提供していたのですが、その特徴は、必要に応じて各部署の担当者自身が個人名で応対していたことです。

各担当者にはアイコンとして似顔絵があり、文字通り「顔」の見えるコミュニケーションがそこで行われ、参加者との活発なやりとりがなされていました(2007年3月以降新規エントリーなし)。

ブラザーといえば、ブログの表題にキャンペーン名をアップすることで参加できるキャンペーン等、手法についてのユニークさが言及されることが多いのですが、このような顔の見えるコミュニケーションにこそ成功の本質的な要因があると考えられます。これは他のブログマーケティングの成功企業にも同様に見られる特質です。

「顔」の見えるコミュニケーションを目指す以上、必然的にマニュアル化やプロセス管理は困難になります。この点は、今後のコンタクトポイント(顧客と企業の接点)を考えるときに、きわめて重大です。

従来は、マスメディアで大量かつ一方的に情報を流し、店頭においては徹底的なマニュアル教育と効率化されたプロセス管理で客をさばいていく、というのがマーケティングの基本コンセプトでした。しかし今後は、画一的なマニュアルに沿った対応ではなく、担当者個人の誠意が感じられる対応を顧客が求めていることを認識すべきでしょう。

であればこそ、ブログそのものを仕事として楽しめる担当者を任命し、その担当者に大きく権限を委譲していくという管理統制上の改革が求められているのです。

*成功事例に見られる共通点

ここまで見てきた成功事例の共通点をまとめると、次のようになります。

ポイント1 インターネットを、情報をプッシュするための第五のマスメディアと思わないこと。企業側の都合でいいたいことを一方的にいうのはむしろ危険。インターネットを新たな価値ある情報を協創(企業と消費者が情報を一緒に生み出すこと)するためのメディアと考えるべき。

ポイント2 ネット上では「潜在的なユーザーの不満」を顕在化させる「場」作りが大事。情報の協創はただ待っていても起きない。利用シーンや不満を想起させる刺激を与えるなどの「場」作りが重要。

ポイント3 担当者の顔が見えるコミュニケーションが「場」作りのポイント。企業としての体裁を前面に出していては協創は生まれない。担当者の顔が見えることで、はじめて協創は可能になる。そのためには責任委譲等のガバナンス面での改革も必要。

*情報テクノクラートとしてのマーケッターの終焉

マーケッターはこれまで一種の情報テクノクラートとして振舞うことを許されてきました。どのような情報を消費者に渡し、どのような情報を消費者に渡さないかを判断し、権力を行使する。この権力が大きかったからこそ、新聞やテレビの編成部門は広告部門からの介入を恐れたともいえます。

そもそも多くのマスメディア企業がその生死を広告費に依存している以上、極論すれば、企業の広告費という軍資金を用いてどのように情報を世の中に出すのか、という判断は、すべてマーケッターサイドにあったともいえます。

しかし、そういった時代はもう終わりつつあることをマーケッターはしっかりと認識すべきでしょう。

旧ソ連は、建国当初に莫大な国費をかけて国全体をめぐるネットワークを作りましたが、それは同時代の多くの国が行った電話網の構築ではなく、拡声器のネットワークでした。日々、党からの告知や国歌、労働賛歌を流すためのインフラです。情報の流れは一方向で完全にテクノクラートに管理されていました。

しかし、この情報の量と流れはやがてコントロールできなくなります。情報量が徐々に増えていく中で共産党幹部が感じた「大衆が読めない」という恐怖は、マーケッターも共感できるのではないでしょうか。

商品に関連する情報は、市場の文脈の中で自然発生的に生まれ、それがネットに書き込まれ共有されることで、新しい消費者がその情報を活用して新たな消費を生み出します。

そして、その新たな消費がさらに新しい情報を生んでいき、その連鎖は検証→利用→評価→という無限循環の中で生命体が淘汰を起こすのと同じように連鎖していくことになります。

その連鎖の中で、より環境に適合した情報だけが生き残り、そうでない情報は滅びていくことになります。

企業はそれを制御することはできません。むしろ、その淘汰の中で残っていくような、消費者にとって真に有用な、意味の変容すらもたらすような情報を与えていくことに腐心するべきでしょう。

ではどうやって?

その淘汰の循環の中に飛び込むことです。

企業は情報テクノクラートとしての権力を失いつつありますが、その一方で消費者と等身大の目線を獲得し、以前には気づくことのできなかった顧客の本当のニーズや、自社商品の本当の価値を認識する窓を手に入れたともいえるのです。

マーケッターにとって、これは恐るべきことです。これまでフォーカスインタビューやラダーリングといった、一見深層意識まで深掘りできそうな調査手法が、結果的には陳腐で表面的な調査結果しか出せず、クライアントを散々シラけさせてきた方法論に対する、強烈なアンチテーゼとしての手法を手に入れたことになるのです。

Web2.0をメディアアウトとして考えるか、あるいはまったく新しいパラダイムとして捉えるかによって、今後のマーケティングのパフォーマンスは大きく変わってくるでしょう。


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