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そもそも「おとなの発達障害」とは何だろう?

光文社新書編集部の三宅です。『大人の発達障害 診断・治療・支援の最前線』第1章冒頭部分を公開します。本章の概略は次の通りです。

 発達障害は、さまざまな障害を含む包括的概念であり、その根底には生物学的基盤の多様性に加え、障害の進行過程の多様性と可塑性があります。また、従来障害特性は生得的なものと考えられてきましたが、小児期から継続する発達障害と成人発症の発達障害では、質的な違いがあるという報告もあることから、成人期発達障害とは何かという議論もされるようになりました。
 このようなことを踏まえて、本章ではまず、発達障害という概念や、ADHDの基盤障害論の変遷について述べます。さらにADHDとASDの関係について検討し、併存の仕方による経過の違いなども見ていきます。そして、成人期ADHDの特性と連続性について考察した上で、最後に発達障害と精神障害の今後の展望について述べます。発達障害をめぐる研究の流れと現状を、大づかみに捉えていただける内容となっています。

※「はじめに」、目次、著者紹介はこちらでご覧いただけます。

第1章 成人期発達障害とは何か

小野和哉 聖マリアンナ医科大学神経精神科学教室特任教授

1 発達障害とは何か

「発達障害」という概念の形成

 従来「発達障害」と呼ばれてきた一群の疾患が、2013年に発行されたアメリカ精神医学会のDSM―5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)によって、「神経発達症」または「神経発達障害」(Neurodevelopmental Disorder)と呼ばれるようになってから、しばらく時間が経ちました。

 DSM―5では、ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder=注意欠如・多動性障害)とASD(Autism Spectrum Disorder=自閉症スペクトラム障害)の併存が認められ、成人期のADHDについても診断基準が決められました。

 臨床の場では、発達障害が増加していると言われていて、精神科の一般臨床では、成人期発達障害の治療がしだいに本格化してきました。このような状況の中で、発達障害とは何かを改めて考えてみたいと思います。

 発達障害とはこれまで、広い範囲にわたる、脳の成熟過程における障害と定義されてきました。症状はさまざまであり、原因は遺伝と環境にあるとされています。ASDの概念は、1940年代にアメリカの精神科医レオ・カナーや、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによって形成されました。ADHDの概念が形成されたのは、それから50年の歳月を経てのことです。2013年発行のDSM―5では、その前のDSM―Ⅳでは独立した障害と捉えられていた自閉性障害、アスペルガー障害、小児期崩壊性障害などが、すべてASDという一つの障害にまとめられました。そしてASD、ADHD、知的能力障害など、さまざまな障害を含む包括的な発達障害(神経発達症)の診断基準が登場しました。この意味で極めて新しい概念です。

生物学的な分類と、理念的な分類「カテゴリー」

 さて、ここで少し精神病理学的な話をします。従来、精神疾患は症状の特徴によって、うつ病、統合失調症などのカテゴリー(類型)に分けられていました。つまり、精神疾患の分類は「生物学的な原因」によるものではなく、「症状の類型」によるものであったということです。そこで、DSMでは1980年に、カテゴリーを純粋に「症状の構成」のみで分けることにしたのです。どんな症状があるかによって、どの疾患かを診断することにしたわけです。

 これは「臨床におけるニーズ」と「原因探索」という二つの要素を、留保あるいは妥協させたものです。そのため生物学的に起源が明確な分類である「類(器質的起源明確な分類)」と、カテゴリーという理念的な「類型」が曖昧なままになったのです。

 DSMは2013年発行の第5版でも、まだこの曖昧さを残しているため、カテゴリーに基づく研究が現在まで行われてきました。うつ病、統合失調症といったカテゴリー別の研究です。 

 古茶大樹(聖マリアンナ医科大学神経精神科学教授)が指摘するように、カテゴリーという類型は、器質的(生物学的)原因論とは次元の異なる概念です。したがって、うつ病、統合失調症などのカテゴリー別に、その生物学的要因を探ることは、標的が明確でない一群を対象にして要因を探ることであり、そのために十分な成果を上げていない可能性があります。

発達障害はカテゴリーを超えた包括的概念

 一方、DSM―5ではスペクトラム(spectrum)とディメンション(dimension)という新たなコンセプトが導入されました。

 スペクトラムとは連続体のことで、たとえばASD(自閉症スペクトラム障害)は、従来は「自閉性障害、アスペルガー障害、小児期崩壊性障害、レット障害、特定不能の広汎性発達障害」という五つの下位分類に分けられていましたが、それを自閉的な特徴が連続的に分布している状態と捉え、下位分類を廃して一つの診断分類にしたのです。

 ディメンションとは次元を意味します。ある特徴(症状)を一つの次元と捉えて、Aという特徴はこの程度、Bという特徴はこの程度と、多次元的に評価していく考え方です。

 このように、発達障害は包括的概念であり、その根底には生物学的基盤の多様性に加え、障害の進行過程の多様性と可塑性があります。その意味で、発達障害はカテゴリーという括りを超えていて、今後の精神医学研究の潮流を示していると言えるのです。

発達障害と精神障害を網羅する「ESSENCE」

 発達障害には、図1―1のように非常に多様な障害が含まれます。

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 このような発達障害の広がりの中で、最近注目されているのが、2010年にクリストファー・ギルバーグ(イェーテボリ大学児童青年精神医学科教授)が提唱した「ESSENCE」という概念です。

 ESSENCEはEarly Symptomatic Syndromes Eliciting Neuropsychiatric/Neurodevelopmental Clinical Examinationsの略で、「神経精神医学的/神経発達的診療を行う必要のある早期徴候症候群」という意味です。ESSENCEには、幼児期に症状を呈する発達障害と精神障害の全グループが含まれます。

 彼は、ESSENCEについて以下のように述べています。
「ADHD、ASD、トゥレット症候群、早発性双極性障害など、さまざまな障害は通常互いに共存していて、幼児期の診断においては、これらを区別することは困難である。これらは遺伝子、環境危険因子ならびに臨床症状を共有している。各障害の症状は、そのグループ内のほかの障害の症状と重複することがある。診断基準は、ある年齢ではそれらの症状のうち一つか二つを満たし、別の年齢では三つか四つを満たす。すなわち、症状は年齢とともに変化する」

 要するにこれは、発達障害、精神障害の枠を超えて、認知機能上の課題や発達的な課題を包括的に捉え、その推移を見守ろうという研究です。このような考え方も、発達障害を考える上で重要なものの一つだと思います。

2 成人期発達障害の課題

成人期発達障害の診断における課題

 成人期発達障害には、探索すべき未知の課題が多いのですが、中でも重要なのが「診断の困難」と「確立した治療法がないこと」です。そして診断を困難にしている課題として、以下の4点が挙げられます。

①併存する障害が多様。
②小児期の客観的症状データを取得することが困難。
③患者の主観的認識により、症状にバイアスがかかりやすい(たとえば、患者自身が自分はADHDではないかと思い込むことによって、症状の現れ方がそれらしいものになる)。
④バイオマーカー(客観的に測定できる生物学的指標)がない。

 一方、過剰診断・過小診断のリスクもあります。

 過剰診断のリスクは二つあって、一つ目が「過剰な脳機能障害化」のリスクです。

 発達障害と診断されることによって、適応上の障害――たとえば「就職したことで、学生時代と環境が変わって適応できない」といったことが脳機能上の課題とされると、本人の機能の改善が重視されます。しかしこの場合、不適応は、環境の変化によるものであり、本人の脳機能の改善以前に、環境を当人に合わせて整えることも重要でしょう。

 また、不適応を脳機能上の課題として捉えると、治療の焦点が症状の改善だけに向かいやすくなります。症状は、脳機能の障害によって起こると考えられるからです。しかし、脳機能の改善イコール症状の改善ではありませんし、治療の焦点が症状の改善のみに向かってしまうことで、患者のパーソナリティや、患者を取り巻く環境の問題が、不当になおざりにされてしまう可能性もあります。

 二つ目が、「過剰な日常生活課題の医療化」のリスクです。たとえばADHD薬は、健常者の注意機能も高めることが知られていて、このことは、障害の治療ではない目的に薬剤が使用される危険性をはらんでいます。

 発達障害は内科疾患とは異なり、健常者との境界が明確ではありません。客観的にはさほど大きな問題ではなくても、患者自身の主観的な困難度が高ければ、医療が解決すべき問題として扱われやすいのです。つまり、生活機能改善薬として、薬剤が乱用される危険性があるのです。

 過小診断のリスクもあります。

 発達障害の症状は、成人臨床によくある症状と重なっています。図1―2は、ADHDと一般精神障害における症状の重複を表しています。

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 なぜこのような重複があるのか、その意味は今後検討しなければなりませんが、多くの症状が一般精神障害と重複しているために、発達障害を見逃しやすいことは確かでしょう。診断に際しては、発達障害を常に疾患の候補として考えないと、過小診断になることもあるわけです。

成人期発達障害の治療における課題

 成人期発達障害の治療における課題は、主に二つです。

 一つ目は、この障害にはこの薬をこう使うと効果がある、と証明された薬物療法がないことです。小児の治療においても、ADHDやチックなど一部の障害を除いては、同様です。また、成人期の治療法が小児期と同じでいいかどうかは、今後検討する必要があります。成人期発達障害の場合は、発達の途上にある小児と異なり、脳の成熟後に残っている機能障害が対象だからです。さらに、薬物を長期にわたって投与した場合にどのような経過をたどるかに関しても、データが不足しています。

 二つ目は、効果があると証明された非薬物療法がないことです。非薬物療法としては、認知行動療法や弁証法的行動療法などが試みられています。

 認知行動療法とは、「ある状況下における感情や行動は、その人の認知、すなわちその状況に対する意味付けや解釈によって決まる」という理論をもとに、認知のパターンを変えることで、不快な感情や問題のある行動を修正していく方法です。

 一方、私が本邦に紹介してきた弁証法的行動療法(Dialectical Behavior Therapy:DBT)とは、認知行動療法の一種で、自分を変えることに重点を置く認知行動療法に対して、変えることと変えずに受容することのバランスを重視します。

 こうした認知行動療法群は、薬物療法と組み合わせて行われた場合には、ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial:RCT)で有効性が指摘されてきました。

 RCTとは、「ある薬を飲む」「ある治療を行う」など、その試験で比較すること以外は公平になるように、対象となる人たちを無作為にグループ分けして行う試験です。

 非薬物療法は、薬物療法と組み合わせて行われた場合には、ある程度効果があるという結果が出ているものの、単体での効果は明らかではありません。発達障害は非常に多様ですから、それぞれに対してどのようなアプローチに効果があるのかを、今後検討しなければならないでしょう。

(続く)


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