なぜ「高齢女性受刑者」が急増しているのか?|高橋昌一郎【第11回】
「小集団」の中で生きる人々
アルカイダのテロリスト数百人を追跡調査した結果、75%は結婚し67%には子どもがいたという調査結果がある。その意味では、彼らはごく普通の家庭人だった。自爆テロリストの多くは信仰心がとくに高いわけでもなかった。むしろ、宗教思想を植えつけられる環境で育った例は少なく、中には無神論者さえいた。彼らの多くは裕福な特権階級の出身で、大学を卒業し、医師・エンジニア・設計士のような専門家になっていた。つまり「洗脳されて命令に従うだけの狂信者ではなかった」のである(拙著『感性の限界』(講談社現代新書)参照)。
それでは、なぜ彼らは「自爆テロ」という異様な行動を取るのか。近年の認知科学における研究成果によれば、その理由は「小集団の論理」にあるらしい。テロリスト集団にしてもカルト教団にしても、そのメンバーを直接的に結びつけているのは、「信仰」や「信条」といった観念的な理想よりも、むしろ「共感」や「排他」といった感情的な結合にあると理論づけられているのである。
一般に、これらの集団のメンバーになるためには高いハードルがあり、ようやく仲間入りした後には、集団だけに通用する特殊な「小集団の論理」に絶対的に従うようになる。いったんそのような集団に入ると、あくまで集団のために行動の意義を見出し、集団のために献身的に尽くし、集団からの承認を得ることが最優先されるようになる。その時点で、もはや何が正常で何が異常なのか、自分は何のために、何をしているのかさえ見えなくなってしまうわけである。
現代の高度情報化社会では、その集団に対する批判や非難も見聞きできる。しかし、たとえインターネットで世界に繋がっていても、彼らは集団に関する肯定的な情報だけにしか価値を見出さないため、他の情報に関心を持たない。むしろ情報が多ければ多いほど、逆に限定した情報だけしか見なくなる傾向がある。
実は、この傾向は、ごく普通に日常生活を送っている人々にも見られる。というのは、多くの人々も家族や友人、学校や職場、趣味やサークルの小集団の中で暮らし、その小集団からの承認を求めて生きていると考えられるからである。
本書で最も驚かされたのは「刑を終えて社会に復帰しても、家がない。出迎えてくれる人もいない。ならば刑務所のほうがいいと、何度も戻ってきてしまう高齢者が多い」という刑務所副看守長の言葉である。とくに「高齢女性受刑者」は過去30年程で10倍に増加した。現実社会で孤独な彼女たちは、「塀の中」に「小集団」を求めるわけである。高齢女性犯罪の80%は「窃盗罪」であり、「キュウリ1本ぐらいでここに来ちゃった」という70代女性の言葉が痛々しい。
刑務官によれば、受刑者には「寂しい・自分を認めてほしい・意志が弱い・自分に甘い・自立できていない・家庭環境に恵まれない・その場の感情や欲求で動く」ようなタイプが多い。近年は受刑者の高齢化に伴って薬の量も増え、「病院かと思うほど」だともいう。受刑者の介護業務が刑務官の負担になっている。
刑務所を「決まった時間に起きて、決められた服を着て、出されたものを食べる。何も考えずに過ごせる場所」と描写する受刑者がいる。著者・猪熊律子氏は、多くの刑務官や受刑者を密着取材した結果、「刑罰」と「治療」の本質的な意味を問いかけている。とくに彼女が指摘するのは、「塀の外」の生きづらさ、生育環境の問題、非正規雇用や男女の賃金格差に起因する経済的困窮、年金額の低さなどの社会問題である。「塀の外」よりも「塀の中」を選ぶ高齢女性受刑者が増えている日本の現状に、本書は根本的な対策の必要性を説いている!