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微笑みに隠されたタイ人の本心(第1回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣が綴るディープなタイ事情。第1回は連載タイトルにもある「微笑み」の裏側を探ります。

「東南アジアの国は?」と漠然と質問されたら、今、多くの日本人が「タイ」を思い浮かべるのではないだろうか。2000年代初頭は「タイに旅行に行った」と言っても「台湾?」と聞き返されるほどだったのに、今やどんなスーパーマーケットにもナンプラーやパクチーがある。それほどタイは日本に浸透している。

歴史を紐解くと、タイと日本が修好条約を結んだのは1887年(明治20年)9月26日になる。当時は「日暹(にちせん)修好通商に関する宣言」と呼ばれ、これが今のタイと日本が正式に国交を開いた日となる。ただ、実際のところはそれ以前、およそ600年前のアユタヤ王朝の時代からすでに御朱印船による交易があり、タイ人と日本人の関係はもっと長くて深い。

このように、タイと日本の関係は調べようと思えばいくらでもその歴史を調べることができる。しかし、タイという国を作り上げた「タイ人」というと、途端にどんな人々なのか明確に答えられなくなる。もちろん、人ぞれぞれにドラマがあり、ひと言でタイ人を語ることが難しい。

とはいえ、日本と東南アジアとの経済的な繋がりも日々強まり、日系企業の進出も目覚ましい中、会社命令でタイに赴任する人などは早急にタイ人の実像を知りたいところだろう。そこで、タイに移住しておよそ20年のボク高田胤臣がこれまで見てきたタイ人の本当の姿をこの連載の中で解き明かしていきたい。

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アユタヤの象公園でエサを待つ象。


世界で2番目に日本人が多い外国の街

観光客だけで見ると、タイには年間のべ100万人超の日本人が訪れる人気観光国だ。2019年には過去最高の180万人がタイに遊びに来ている。

また、タイに進出する日系企業も多い。同時にそんな日本人のためのサービス各種もタイに進出しているので、ここ数年は毎年、長期滞在日本人の数が増加傾向にあった。日本の外務省が毎年発表している『海外在留邦人数調査統計』の2020年統計(2019年10月1日時点の在留邦人数)は前年比4.6%増の79,123人となっている。これは90日以上滞在する人がその国の大使館や領事館に提出する在留届の数が基になっている。この中には未提出者もいるので、実際にはもっと多いという見解もあるほどだ。

このおよそ8万人という数は、国別で見るとアメリカ、中国、オーストラリアに次ぐ4番目の規模になる。都市別ではバンコクが57,486人で、アメリカのロサンゼルスに次いで2番目に、日本国外で日本人が多い街になる。タイ統計局発表では2019年のタイ人人口はおよそ6,787万人で、バンコクには約879万人。ちなみに人口約927万人の東京都には韓国人が87,590人、ベトナム人が36,636人いる。このあたりと比較すると、タイやバンコクの日本人の密度の高さ、すなわち人気の高さをイメージしやすいだろう。

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コロナ禍のデパート前でくつろぐタイ人家族。

政情不安と災害が多い国なのに人気なワケ

タイと聞くと、多くの人がいいイメージを思い浮かべるのではないだろうか。南国らしい青い海と空、おいしいタイ料理、物価が安いくて楽しめるショッピング。本当にタイが好きになった人は年に何度も訪れるほど、すっかりタイ・フリークになってしまう。

一方、日々のニュースではタイのマイナス面も毎日、日本国内でも報道されている。たとえばタイの政治に関する不安定な問題もあれば、2011年には世界中のメモリースティックやハードディスクの相場を吊り上げることになった大洪水も発生した。さらに、タイ南部のマレーシアに接する深南部と呼ばれる3県は2004年ごろから爆弾テロが相次いでおり、日本政府は危険度レベル3の「渡航中止勧告」を2004年から途切れることなく発出している。実はバンコクも危険度レベル1として、渡航には注意するように呼びかけているほどだ。

治安もあまりよくない。前述のバンコクが危険度レベル1に指定されている背景は、爆弾事件や反政府デモなどのことを指していると見られる。それ以外にも日本人が巻き込まれる事件・事故は多い。日本人が亡くなる殺人事件も稀に起こるし、窃盗被害などは日常茶飯事だし、自業自得ではあるが麻薬事件も少なくない。在タイ日本大使館の邦人保護件数は世界中の日本大使館の中で2009年まで17年連続ワースト1位、2010年から12年は2位・3位になったものの、それ以降も再びワースト1位になるほど、日本人がトラブルに巻き込まれ、大使館の保護を受けるケースが頻発している。

それにも関わらず、タイ王国が日本人に人気なのはなぜなのか。それはやはりタイ人という「人」の要素が非常に大きい。タイに来れば大なり小なりタイ人と関わることになる。そのときに接するタイ人の気質にすっかり虜になるのではないだろうか。

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タイは街灯の質があまりよくないので、夜間はバンコクでもかなり暗く、治安も悪化する。

席の譲り合いに見るタイと日本の違い

ステレオタイプなイメージでは、タイ人の微笑みが好印象であるとよく言われる。確かにカンボジアやベトナムなどに行くと、通りすがりの人、あるいは入った飲食店の店員と目が合っても微笑みかけてくる人はごく一部だ。タイ人はわりと、特に女性はやさしく微笑んでくれる。こういった小さな行為が我々の大きな思い出になることはよくある。

ボク自身がいつも感じるタイと日本の大きな違いのひとつに、電車などの公共交通機関内での行動がある。簡単に言えば席の譲り合いだ。タイの場合、小さな子ども、妊婦、高齢者が電車に乗ってきたら、若い人が競って席を譲る。特に若い男性に多い気がする。近年はスマートフォンの普及で、日本同様、車内で視線を画面に落としている人が多いので気がつかないケースも多々あるが、そうすると立っている人が座っている人に席を譲るように呼びかける。

バンコク都内には高架電車と地下鉄が中心部だけ走っているが、これは2000年代に入ってからのこと。それ以前はバンコクの交通機関と言えば、タクシーと三輪のトゥクトゥク、それから路線バスだった。路線バスは路面がガタガタということを差し引いても、運転が荒い。昔はドアを閉めずに高速走行をしたので、振り落とされて亡くなる人もいたほど。だから、子どもや老人を立たせるわけにはいかないという事情があって、そのクセが電車でも抜けないのかと思う。

一方、日本だと子どもの足腰を鍛えるといった前時代的な考えもあるのだろうか、子どもには席を譲らない人がいる。また、日本の若者が席を譲らない理由のひとつに、老人が自身を老人であると認識していないこともよくある。たとえば席を譲っても「ワタシは年寄りじゃない」と怒鳴る老人も日本にはいる。タイは習慣的になのか、気質的になのか、譲られたら素直に受ける風潮があることもまた、若い人たちが席を譲りやすい環境にある。

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ちなみに、バンコクの都市鉄道の一部には日本製の電車も走っている。

貧困層でも当たり前のように寄付をする理由

加えて、タイには敬虔な仏教徒が多いことも席の譲り合いに関係しているのではないか。タイは国民のおよそ94%が仏教徒とされる。上座部仏教が浸透しており、日本に多い大乗仏教の信者はごく一部。神仏分離がタイではされていないので、仏教以前からあるアニミズム(精霊信仰)と強く習合している。タイと日本は同じアジアの国として似ている部分もあるが、こと仏教に関する考え方は大きく違う。男性は一生に一度は出家して寺に入るし、女性、特に商売人は毎朝、裸足で歩いてくる僧侶に托鉢をして徳を積もうとする。

この徳を積む行為である功徳は、来世をよりよいものにするための善行で、タイ人は日常的に、息をするように自然と行う。そのための受け皿として、仏教施設だけにとどまらず、あらゆる企業、団体がボランティアを受けつける。欧米の企業や日本の企業でも事業の利益の一部を社会に還元する動きが今は当たり前になってきているが、タイではそれ以前からその動きが活発だった。警察や消防にもボランティア隊員がいるし、洪水や、2004年に起こった南部プーケット県などのスマトラ地震の津波災害では、タイ全土から寄付金や救援物資が送られ、時間がある人は現地に行って救援活動を行った。タイ人は国外の災害にも支援の手を差し伸べる。東日本大震災のときには、バンコクのスラムに暮らす貧困層の人々までもが寄付金を日本に送ったほどだ。

こういった行為の際、タイ人はいつも微笑んでいる。タイ人のやさしい気質と微笑みに触れることで、またタイという国が好きになっていくのである。

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観光地で警察官と記念撮影をするタイの若者たち。

その微笑みに意味はなかった

日本では「住めば都」という言葉があるが、タイにおいてはそのハードルは実はやや高い。タイは旅行した際に見える顔と、長く暮らしていてわかってくる素の顔が大きくかけ離れていることが多い。というのは、タイ人は公に見せる顔と、素の顔がまったく違うことがよくあるからだ。

たとえば、バンコクでは過剰なまでにタクシーが走っている。1990年代後半に交渉制を廃止しタクシーメーターのみになったのだが、そのときから現在に至るまで初乗り料金が改正されていない。ずっと35バーツ(約120円)のままだ。これでは採算が合わないのはわかるが、タイのタクシー運転手は質が悪いのが少なくない。自分の利益のために、平気で人を騙そうとする。特に外国人ならタイ語がわからないから文句も言われないと、高を括っている。日本人も地理や相場に詳しくなければボッタクリに遭っても、日本よりタクシー代は安いので騙されていることに気がつかない。

しかし、暮らしていればそういったことは自然とわかってくる。そして、こういった人を騙して儲けようという魂胆に毎日晒されていると、正直、タイ人不審に陥ってしまう。観光では毎日が非日常なので、ボッタクリも何万円というレベルでなければ思い出話になる。これが暮らすとなれば日常的に起こるので、そのたびに気持ちが少しずつ削られていくのだ。だから、企業駐在員と違い自分の意思で移住してきたので特に無理して滞在する必要がない人の中には、3か月と続かずにタイから撤退する人もいる。あれだけ好きだったタイを一気に嫌いになって帰国する人もいるのだ。

さらに、タイ人は外国人と自国民をはっきりと区別する傾向も強い。国立自然公園や寺院などは外国人料金を設定していることが多く、タイ人が無料になるか、外国人がタイ人の10倍くらいの料金を払わされるケースがよくある。国の経営でこれなので、民間の施設でも似たような設定が散見される。また、タイ人となにかしらのトラブルが起きたときに裁判までもつれ込むと、基本的には外国人は不利になる。裁判官ですらタイ人と外国人を区別し、よほど明確な勝因がない限り、裁判ではタイ人に有利な判決が出ることが多いという。

あれだけ我々にやさしく微笑みかけてくれるタイ人なのに、実際にはそこにやさしさの欠片すらなかったりする。あくまでも彼らはただ微笑んでいるのであって、文字通りそこに「他意」はない。彼らの微笑みに意味はないのである。いや、実際には意味はあるのだが、我々外国人がタイ人の微笑みから読み取ったと勘違いする彼らの感情はまったく事情とは違うのだ。

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観光スポットとしても人気の寺院は、その多くがタイ人は無料で外国人は有料。

「微笑みの国」はほとんどただの標語にすぎない

タイ人はよく、「タイ人はいい人だろう?」、「タイ人はやさしいでしょう?」、「タイはいい国だ」といったことを口にする。多くの観光客は「そうだそうだ」と同意していることだろう。中には、微笑みの国と呼ばれていることを知っていて、「タイ人の微笑は美しいでしょう?」と言ってくることもある。

思い出してほしい。小学生のころ、教室や廊下に標語のようなものが張り出されていたことを。廊下を走ってはいけません、だとか、授業中は静かに、などの言葉があった。もし廊下を走る児童がいなければ、授業をみんなが静かに受けていれば、そんな言葉は張り出されない。

そう。タイ人が自分たちをいい人などと言うのも、彼らは実際そうではないことを自覚しているのだ。先述したが、タイは治安がよくない。治安レベルは地域差が大きく、外国人が行くような場所はあまり重大事件が起こらない。そのため、外国人の大半はタイの治安は思っているほど悪くないと感じる。しかし、現実には日本では考えられないくらい残酷・残虐な事件も起こっている。2020年2月には、現役の兵士が上官からバイト料をもらえなかったことに腹を立てて、地方の商業施設で半日も立てこもり、たくさんの一般人の命を奪った事件も起こった。

タイは日本よりもずっと危ない国だ。だから、彼らは微笑する。我々はあの微笑を好意の微笑と捉えがちだが、そうでないケースが多い。むしろ外国人への微笑は、単にクセでやっているに過ぎないことがほとんどだろう。

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仏頂面の屋台店主だが、客が来ればパッと笑顔になる。

シビアな人間関係の背後にある超格差

タイは貧富の差が激しい。格差社会という言葉では片付けられないくらい、差が大きい。タイ政府は統計局が地方ごとの所得平均などを年に一度算出する。バンコクは圧倒的に高く、他地域の倍以上になる。首都なので所得が高いという単純な理由もあるが、笑えない事情も抱えている。それは「ハイパー富裕層」が居住するのは多くの場合バンコクだからだ。平均所得は単純に計算すると、総支給額を国民の頭数で割った数値になる。しかし、所得分布図を見ると、平均所得を稼いでいるのは全国民の20%にも満たないのがタイの現実なのだ。

ボクの友人がかつて、富裕層のタイ女性と交際していた。彼女はデパートに行くと100万円くらいのアクセサリーなどは値段も見ないで次々に購入していったそうだ。一方、スラム街を取材すると、タイが2014年に軍事政権になったことで欧州の国の中にはタイ製品の輸出入ボイコットが起こり、バンコクの港湾の仕事が激減したリアルを目の当たりにする。スラム街は港湾局の土地に不法占拠する日雇い労働者が多く、たくさんのスラム住民が1日100バーツ(約350円)すら稼ぐことができなくなったのだ。かたや100万円を平気で遣い、かたや350円に苦労する。これがタイの本当の姿でもある。

これは今に限ったことではない。大昔から富める者は常に持つことができ、それ以外の者はいつも搾取される。教育の機会も、収入も、さらには命さえも、だ。ある日の話だが、生活のために海賊版DVDを販売した母親が懲役刑を受けた同じ日、無免許で車を運転して多数の死傷者を出しながらも現場で救護活動も行わなかった富裕層の少女は執行猶予がついた。このケースは裁判になっただけまだマシな話で、富裕層は昔から、それ以外の人々を奴隷のごとく扱ってきた。人を殺しても刑務所に入ることはまずない。生殺与奪の権利は常に富裕層にあるのがタイだ。

そういった世界なので、タイ人の人間関係は極めてシビアになる。あの人とこの人が仲が悪いとかそういった次元の話ではなく、命のかかった人間関係がそこにあるのだ。富裕層と貧困層ならその様子は明確だが、富裕層同士の間にも上下関係がある。だから、タイ人は「ワタシはアナタの敵ではありませんよ」という意味で微笑みを浮かべる。

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2014年の反政府デモの様子。

こういった、観光、あるいは5年6年の滞在ではわからない、本当のタイ人の姿をこれから紹介していきたい。連載に当たってはこれまで誰も語ってこなかったタイ人の本質をきつく批判する場合もあるだろう。しかし、誤解なきように言っておくと、ボク自身はタイ好きのひとりである。妻もタイ人で、子どもたちもタイ語しか話さない、完全なタイ家族の中で過ごしている。必ずやこの連載内容が、今後タイに来る人が素早くタイのことを知るため、また在住日本人がタイ人との人間関係に行き詰ったときの解決のための糸口になることだろう。

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書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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