島村菜津さんの新刊『世界中から人が押し寄せる小さな村~新時代の観光の哲学』より「まえがき」「目次」を公開します!
まえがき――増える廃村と空き家
イタリア半島は、島国である日本のほぼ五分の四の大きさだ。そこには現在、約七〇〇万戸(二〇一一年 国立統計局調べ)の空き家が存在しているという。さらに、中山間地に位置する五六七二の市町村に絞れば、空き家の数は、だいたい二〇〇万戸になるそうだ。そして完全に人が住まなくなってしまった廃村は、同年のフィレンツェ大学の調査によれば、一八四村だという。
一方、日本の空き家は、二〇一八年の総務省の調べによれば約八四六万戸で、空き家率は一三・六%と過去最多を更新した。そのうち中山間地がどれほどの割合を占めるのかは不明だが、国内では「消滅集落」と呼ばれている廃村は、二〇一五年の調べで一五七村だった。
どうして、イタリアと日本には、空き家が増えているのか。
まず考えられるのは、二つの国は、ともに高齢化率が非常に高いことだ。二〇一八年、日本の高齢化率は世界一で六五歳以上が全体の二八・一%を占めており、第二位はイタリアで、二三・三%だった。
出生率の低さも両国は世界のトップを競っている。結婚しない若者や離婚も多く、共働き家庭の増加もあって、一人っ子世帯も多い。二〇一七年の合計特殊出生率は、日本の平均一・四三人に対し、イタリアは平均一・三二人だった。
人口の推移を見てみると、日本は二〇〇八年の一億二八〇八万四〇〇〇人をピークに以後は減少し始め、イタリアでも、二〇一七年の六一〇〇万人をピークに減少傾向にある。つまり、二つの国では、少子高齢化によって、明らかに人口減少が始まっていることが、空き家が増えている最大の原因と考えられる。
もう一つ、二つの国には共通項がある。それは、ともに第二次世界大戦の敗戦国で、戦後の復興とともに、空前の建築ブームと生活様式の劇的な変化を経験したことだ。もちろん、日本の伝統家屋は木造で、日本人の八割以上が新築に憧れている。家屋の平均寿命が一三〇年近く、七割が中古に住むイタリアとでは、古民家を守ることへの意識や修復の手間もかなり違う。
だが、はっきりしていることは、そんな少子高齢化と、生活様式の大きな変化を体験した二つの国で、今、突きつけられている大きな課題の一つが空き家問題だということだ。
ことに中山間地に点在する集落の空き家化が社会問題となっているのは、それが環境問題に直結しているからだ。日本と同じように、イタリアは、丘陵地帯を含めれば中山間地が国土の約七割を占め、森や水に恵まれた国である。しかし、一度、人の手が入った山を荒らさないためには、人が手をかけ続けることが大切である。枝打ちをし、下草を刈り、広葉樹を増やし、森を育てていく。
荒れた山は里山に獣害をもたらし、保湿力を失って下流域の水被害を大きくする。コンクリート護岸やダムは一種の対症療法に過ぎない。気候変動にも悩まされている今こそ、山村で連綿と続いてきた人々の暮らしに目を向ける必要がある。
そう訴えるのは、イタリア山岳部共同体連合の代表、マルコ・ブッソーネである。
「(山の)集落は、何も都市の養子になりたいわけではないのです。ただ、都市と対等な協定を結びたいのです。都市の人々もまた、我々が彼らを必要としているように、私たちを必要としているのです。私たちが、ここに暮らし続けることで、生態系バランスが保たれているからです。たとえば、水、森林、二酸化炭素の削減、地下水の安定です。
本当に都市住民が、我々に手を貸してくれるというのならば、水道料金に四ユーロ上乗せしてくれればいいのです」
そんなわけで日本でも、二〇二四年から、森林環境税が国民一人につき年額一〇〇〇円、徴収されることになったが、こうした対策は、都市化と乱開発のもとに山の荒廃を放置してきた両国の、いわば最終手段である。
人が山村に暮らし続けること。林業や農業といった森に手をかけるなりわいが存続していく。そのことが、水や酸素の供給を、森や川に依存している、都市住民の暮らしの存続にも不可欠なのである。
アルベルゴ・ディフーゾという試み
そんな中で、山村に増えていく空き家を修復し、これを宿泊施設にすることで、村と都市の交流を図ろうというアルベルゴ・ディフーゾというものが注目を集めている。
アルベルゴは宿、ディフーゾは拡散するといった意味のイタリア語を組み合わせた造語である。たとえば、従来の大型ホテルは、近代的な垂直型の建物の中に、飲食も、スパも、娯楽も取り込まれている。数日間、滞在しても、下手をすれば一歩も外に出なくてもことは済む。長期的なヴァカンスの習慣があるヨーロッパでは、合理的で便利な造りである。一方、アルベルゴ・ディフーゾは、これとは対照的に、旅行者は、村に点在する古民家の宿を拠点として、周囲の自然や農村の暮らしそのものを楽しむというわけだ。
その起源は、一九七六年、北部の山間地で起きた震災後の復興プロジェクトである。レセプションは村に一つ、食事は村の食堂やバールを利用してもらえばいいし、その方が村の経済にも寄与する、という発想は、人がいなくなってしまった被災地の村で生まれた苦肉の策だった。
やがて、地理的条件も抱えた問題も異なる各地での試行錯誤が始まり、二〇〇六年には、「アルベルゴ・ディフーゾ協会」も設立された。大多数を占める従来のホテル、アグリトゥリズモ(農家民宿)やB&B(ベッド&ブレックファスト)に比べれば、まだまだ生まれたばかりの宿泊形態で、その数はイタリアでも五〇〇軒ほどだ。古民家の保存と村の存続と活性化という理念を掲げてはいるが、実際には玉石混淆で、うち同協会に加盟するのは、五分の一ほどに過ぎない。
それが二〇一〇年を超えた頃から、同じく空き家問題が深刻なスイス、ドイツ、スペイン、アメリカ、日本にも注目されるようになる。日本では、アルベルゴ・ディフーゾが舌を噛(か)みそうだというので、「分散型の宿」などと表現されている。
サント・ステファノ・ディ・セッサニオという小さな山村
さて、その中でも世界の注目を集めてきたのは、日本人があまり知らない中部の山岳地帯、アブルッツォ州の標高一二五〇メートルに位置する小さな集落サント・ステファノ・ディ・セッサニオ村のアルベルゴ・ディフーゾだ。
この山村で、古代ローマ帝国の要所から六マイルめの見張り台があったとされることに由来する「セクスタンティオ」という名の有限会社が、二〇〇五年から宿を始めた。そのおかげで、使われていない別荘を含めれば七五%が空き家で、一軒のバールと小さな食料品店、夏にだけ営業する食堂を兼ねた民宿しかなかった村に、今では、三〇軒以上の新しい経済活動が生まれた。
その後も、同社が、世界遺産となった洞窟住居の街、マテーラに展開した二つめの宿が、欧米のメディアに高い評価を受けた。
私は、「セクスタンティオ」の代表、ダニエーレ・キルグレンという人物にじっくり話を聴いてみることにした。
ただ、それは、彼の山村まるごとホテルが、イタリアで最も注目されてきたからだけではない。アルベルゴ・ディフーゾの運営には、社会的協同組合、第三セクター、個人と様々な形態があるが、「セクスタンティオ」の宿は、村に縁もゆかりもなかったイタリア北部出身のダニエーレが、まだ三〇代の頃、村の美しさに惚れ込んで莫大な個人資産をつぎ込んだと耳にしたからだ。
本来ならば、空き家対策は、山村の事情をよく知る住民たちが主体となるのが理想だろう。けれども、高齢化の進む山村は圧倒的な人手不足に陥っており、住民たちだけの力ではもはや何ともしがたい厳しい現状がある。
そこで、人が劇的に減ってしまった山の集落に資産をつぎ込み、空き家を修復して宿にし、村に若者たちが暮らせる新しい経済を生み出そうとしている資産家という存在に興味が湧いた。
格差社会が世界に拡がる中で、一生かけても使い切れない資産を手にした者が宇宙に夢を抱くのは美しいことかもしれない。遺伝子組み換え産業やファストフード・チェーンに投資した方が、確実に収益を生むという投資家もいるだろう。けれども、疲弊した山村の再生に情熱を注ぐような酔狂な資産家は、現代の希望だと思う。
もし、若者たちの力が足りずに窮(きゅう)している山村や離島の再生に、私財を投じるような個人や企業のメセナが、今の一〇〇倍にでも増えたならば、日本はもっと魅力的で住み心地の良い国になることだろう。うら淋しい二極化の社会も回避できるのではないか。
そんなことを考えるうちに、若くして思い切った決断をしたというダニエーレという資産家に、俄然、興味が湧いたのだった。
本書の前半では、なぜ、北部の資産家が、縁もゆかりもなかった南部の山村に古民家ホテルを建てる決意をしたのか、長く空き家だった古民家を宿に変える手法とその苦労、いかに地域の人々の理解を求めたのかも訊いてみた。そして、国内最大の国立公園を誇る山岳地方の潜在的な魅力、これまで評価されることのなかった山村の文化的価値と、これを守ることに人生をかけたダニエーレの人となりを探った。
後半では、二度の震災に見舞われた宿の立て直しに手を貸した大型ホテル・チェーン店の社長や、山村の伝統的な農業を引き継ぐ移住者たちの話、さらには「セクスタンティオ」によるイタリアの恥部と呼ばれた町の第二弾の宿や、日本各地の分散型ホテルの取り組みも紹介する。
ポスト・コロナの時代に求められる新しい観光とは何か。情熱的に語るダニエーレの哲学が、日本の地方再生のヒントになれば幸いである。
目 次
まえがき――増える廃村と空き家
アルベルゴ・ディフーゾという試み/サント・ステファノ・ディ・セッサニオという小さな山村
第一章 壁の煤(すす)を落とすな
突如、目の前に現れた美しい村/決して安くはない宿/テレビも、冷蔵庫も、電話もない/壁の煤を落とすな/温めていたビジネスのアイデア/膨らむ予算、プレオープンまで六年/羊小屋のレストラン/全国から古い素材を集める/地元の協力/欧米メディアが真っ先に反応した理由/「この村に何があるんだ?」/アルベルゴ・ディフーゾという空き家対策/水平方向に拡がる宿/美しさに気づくには、詩人が必要/世界に拡がるアルベルゴ・ディフーゾ/イタリアでも試行錯誤の只中
第二章 本物を求める旅
これからの観光は、本物が求められる/ヨーロッパの観光の歴史/マルクス主義の負の側面/従来の観光の概念を問い直す/文化財保護法では守れないもの――自然との親和性/歴史の重み/素材への気配り/レストランの運営の難しさ/一六世紀のパン焼き釜でのパン教室/山村の政治への働きかけ/経済活動と自然との共存/野生の狼が生息する国立公園/景観を守るための法律
第三章 支配人は民俗学者
羊毛産業の拠点/宿専属の民俗学者/エルメスでもプラダでもない、ブランド品/宿と民俗学者という画期的な組み合わせ/山村から人々が消えていった二つの理由/最も人口流出した村/四〇年をかけてのインフラ整備/珍しく若返った山村の一つ
第四章 時代とともに変化する美意識
「ピエモンテ人による南部への侵略」/イタリア南北問題というステレオタイプ/ナポリの大衆文化のすごさ/美意識は時代とともに変化する/ルネサンスの美意識に支配され過ぎたイタリア人/ヒクス・ウント・レオーネ(そこにライオンがいる)
第五章 セメント会社の御曹司で、HIVポジティブ
HIVポジティブを公言/感染発覚は一九八六年/一錠四〇〇〇円の薬/幼少期のダニエーレ/美しい母/最愛の兄エドアルドの薬物死/異邦人としての父への共感/環境意識の高まりとセメント産業の衰退/ダニエーレはなぜアフリカに通うのか?/ルワンダでの観光ビジネスプロジェクト/「アフリカには時間がある」
第六章 地震とホテル経営
二度の震災/観光客の姿が消えた/修復のおかげで被害は最小に/かつてない財政難/経営を支えた信頼できる友/経営状態はカオス/大型リゾートホテル経営者の助け船/トップ不在のような状況/プラスチックと水の問題/非-場所とは?
第七章 山村の伝統を守る人たち
地元の伝統料理にこだわる/在来のレンズ豆を守る男性/獣害に頭を悩ます/世界で最も美しい城の一つ/機織りをするローマ女性/日本の藍染めを学びたい/羊のチーズ職人/手で乳を搾る/カペストラーノの湧き水
第八章 イタリアの恥から文化の街へ
廃墟の街マテーラ/世界文化遺産と、ダニエーレのアルベルゴ・ディフーゾ/四つの洞窟住居/カラヴァッジョの絵のように美しい/街の歴史を物語る装置としての宿/お客さまを教育する必要性
第九章 これからの新しい観光
賛否両論のアルベルゴ・ディフーゾ/エシカルな旅、責任ある旅、スローな旅/アブルッツォ州の条例に見る、今後の方向性/デイヴィッド・ヒュームの哲学/理性は感情の奴隷/哲学的空間とは?/現代人が心の平安を取り戻せる場
第一〇章 日本型アルベルゴ・ディフーゾ
長崎県の小値賀島(おぢかしま)の古民家ステイ/商店街の進化形としての大津の分散型ホテル/水源の村の暮らしを守る「崖っぷちホテル」/宿場町のもてなし力と歴史を掘り起こす宿/若者たちが活気をもたらす八女福島にアクセントを添えた古民家宿/空き家化が深刻な都心の共同住宅を宿に/能登半島で地域おこし協力隊が始めた里山まるごとホテル
あとがき