ダ・ヴィンチもミケランジェロも「悩める芸術家」だった。作品が語る「天才」たちの熱きドラマ
博覧強記の美術史家、神戸大学教授・宮下規久朗さんによる美術をめぐる最新エッセイ集『名画の生まれるとき――美術の力Ⅱ』(光文社新書)が刊行されました。本書は、「名画の中の名画」「美術鑑賞と美術館」「描かれたモチーフ」「日本美術の再評価」「信仰と政治」「死と鎮魂」の6つのテーマで構成されています。長年、美術史という学問に携わってきた宮下さんが、具体的な作品や作家に密着して語った55話が収録されています。刊行を機に、本書の一部を公開いたします。「『殺人画家』カラヴァッジョの真意とは!? 西洋美術史上最大の謎と新たな解釈」に続き、今回も「名画の中の名画」の中から一話をお届けいたします。
熾烈な競争の世界
ルネサンスの四大巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ティツィアーノは、ルネサンスにとどまらず、西洋美術史上最高の天才であり、彼らのいずれが欠けてもその後の西洋美術史はかなり異なったものになったであろう。みな15世紀末から16世紀前半という同じ時代にイタリアで活躍しており、レオナルド以外の3人は互いを意識して対抗心を抱き、影響を与えあっていた。
2019年に邦訳の出たローナ・ゴッフェンの『ルネサンスのライヴァルたち』(塚本博・二階堂充訳、三元社)はアメリカにおけるルネサンス美術史研究の碩学が、ミケランジェロを中心に、彼らの複雑なライバル関係を、膨大な同時代資料と研究、そして作品分析によって解明しようとした労作である。
舞台はルネサンス発祥の地フィレンツェ、次いで教皇が威光を放ったローマであり、文化の爛熟したヴェネツィアのティツィアーノもそこに加わる。美術家どうしだけでなく、彼らに作品を注文するパトロンどうし、美術家を論評する批評家や弟子どうしのライバル心も激しかった。優れた作品を入手することは君主の声望を高めたため、イタリア内外の君主が彼らの作品を得ようとしのぎを削ったのである。
ミケランジェロは世間から超然とし、弟子もとらずに独力で大作に挑んだ孤高の巨匠と思われているが、それは彼の擁護者や彼自身が宣伝したイメージにすぎなかった。実際の彼は自分が得たい仕事をライバルに奪われることを心配し、パトロンに陳情し、友人に愚痴をこぼす悩める芸術家であった。この本は、手紙や記録によって伝わる美術家やパトロンの肉声を駆使し、美術家をとりまく熾烈な競争の世界を鮮やかに浮かび上がらせる。
作品の痕跡が語る、ライバルへの反発、そして称賛
だが、ライバル対決が高揚するのはこうした人間関係よりも、あくまで作品どうしの関係であった。彼らが相手を出し抜くために、いかに異なる様式を用いるか、いかにわからぬように模倣するかという作品のドラマこそが美術史的に重要であった。ミケランジェロとレオナルドがフィレンツェ市庁舎の同じ広間で壁画を制作しようとしたこと、ミケランジェロとラファエロがヴァチカン宮殿の近接する部屋で同時に壁画を制作したことなど、史上名高い大規模な競作だけでなく、一見まったく競争とは関係のなさそうな作品や素描にも、ライバルへの反発や称賛の痕跡がある。
ヴェネツィアで画壇の頂点に立ち、神聖ローマ皇帝やローマ教皇にも寵愛されたティツィアーノは、早い時期からミケランジェロを意識し、その作品を研究していた。
ティツィアーノの初期の作品、《嫉妬した男の奇蹟》(図1)はあきらかにミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画の《原罪》(図2)のエヴァのポーズを借用している。
(図1)ティツィアーノ《嫉妬した男の奇蹟》部分 1511年 パドヴァ、スクオーラ・デル・サント
(図2)ミケランジェロ《原罪》部分 1509-11年頃 ヴァチカン、システィーナ礼拝堂
ミケランジェロはフェラーラでティツィアーノの官能的な神話画を目にしたが、このときフェラーラ公アルフォンソ・デステから神話画の注文を受け、《レダと白鳥》(図3)を描き、ティツィアーノへの対抗意識を示した。この絵の模写はミケランジェロの友人ヴァザーリによってヴェネツィアにもたらされた。
(図3)ミケランジェロ《レダと白鳥》1535-60年頃 ロンドン、ナショナル・ギャラリー
ローマに滞在していたティツィアーノのアトリエを訪れたミケランジェロは、評判となっていたティツィアーノの《ダナエ》(図4)を見て、自分の《レダと白鳥》を基にしながら、さらに洗練させたことを察知し、同行したヴァザーリに、色彩はよいがデッサンが不十分だと批判をもらしたという。こうした逸話から、ミケランジェロやフィレンツェ派のデッサンと、ティツィアーノやヴェネツィア派の色彩という対立構図が広く喧伝されるようになったのである。
(図4)ティツィアーノ《ダナエ》1544-45年頃 ナポリ、カポディモンテ美術館
このように実力の伯仲する天才だけでなく、ローマでラファエロに対抗するためにミケランジェロに素描を提供してもらったセバスティアーノ・デル・ピオンボ、大胆な様式によってヴェネツィアの公式画家ティツィアーノの地位を脅かしたポルデノーネ、フィレンツェのダヴィデ像の対となる巨像の制作をミケランジェロから奪い取ったバッチョ・バンディネッリ、そしてこのバンディネッリを敵視して殺人まで企てたチェリーニら、天才の陰にうごめく小巨匠たちの暗躍も興味深い。
私はかつて、イヴ=アラン・ボアの『マチスとピカソ』(日本経済新聞社)という本を翻訳したが、20世紀美術最大の天才である2人も互いを強く意識して反発しあい、影響しあっていた。こうしたライバルのドラマはいつでも見られるだろう。
本書の取り上げた盛期ルネサンスのイタリアだけでなく、17世紀初頭のローマ、19世紀から20世紀初頭のパリ、20世紀後半のニューヨーク、あるいは18世紀後半の京都などは、こうしたライバル争いが沸騰することによって新たな美術が誕生し、美術の中心地になったのだ。
彼らは一方的に影響を受けたり、かたくなに反発したりするのではなく、ライバルから学ぶべきものを貪欲に吸収し、同時に自らの強みや個性を厳しく模索して斬新で力強い創造性を示した。まさに天才は天才との競合から生まれるのだ。
『名画の生まれるとき』目次
第一章 名画の中の名画
第二章 美術鑑賞と美術館
第三章 描かれたモチーフ
第四章 日本美術の再評価
第五章 信仰と政治
第六章 死と鎮魂
著者プロフィール
宮下規久朗(みやした きくろう)
1963年愛知県名古屋市生まれ。美術史家、神戸大学大学院人文学研究科教授。東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院修了。『カラヴァッジョ──聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞などを受賞。他の著書に、『食べる西洋美術史』『ウォーホルの芸術』『美術の力』(以上、光文社新書)、『刺青とヌードの美術史』(NHKブックス)、『モチーフで読む美術史』(ちくま文庫)、『闇の美術史』『聖と俗』(以上、岩波書店)、『そのとき、西洋では』(小学館)、『聖母の美術全史』(ちくま新書)など多数。