見出し画像

攻撃的で極端な意見ほど拡散されやすい―『正義を振りかざす「極端な人」の正体』本文公開

光文社三宅です。9月17日に山口真一先生の新刊『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(光文社新書)が刊行されました。コロナ禍で顕著となった「SNSでの誹謗中傷」「不謹慎狩り」「自粛警察」といった主にネット上での負の現象を分析し、その解決策を提示する内容です。本記事では、本書第1章を何回かに分けて公開中で、今回はその4回目、最終回です。

前回までの記事はこちらから読めます。

非対面だと攻撃してしまう

「極端な人」がネットに多い理由の3番目は、非対面コミュニケーションだと、対面コミュニケーションよりも攻撃的な物言いをしやすい、ということだ。

 非対面コミュニケーションで攻撃的な物言いとなることについて、世界の研究では、「コンピュータによって媒介された非対面のコミュニケーション(Computer Mediated Communication:CMC)における、敵対的で攻撃的な相互行為」として、フレーミング(flaming)という名称で研究されている。このフレーミングという言葉はフレイム(炎=flame)から来ているわけだが、日本では近い現象を炎上といい、海外では炎というのは大変興味深い。

 それはさておき、世界中の心理学やコミュニケーションに関する多くの研究が、非対面コミュニケーションの時に罵倒や侮蔑、悪意を含む言動が多く発生することを示している。さらに、ネットにおけるコミュニケーションでは、対面コミュニケーションはおろか、ビデオ会議よりも一層攻撃的なメッセージが書かれやすくなっているらしい。

 その要因は、主に3つ指摘されている。

①オンラインのコミュニケーションでは、身振り手振りや表情といった非言語情報のフィードバックがなく、相手も同じ人間であるという認識が薄れる。
②情報量が少なくなる結果として主観の入った過度な解釈が行われやすい。
③匿名性の高さが責任感を希薄にし、相手への顧慮よりも自己中心的な考え方になってしまう。

 ただし、3点目の匿名性については、従来の研究では有力な要因として考えられていたが、近年その影響は限定的なのではないかという指摘もされている。

 例えば、甲南女子大学助教の時岡良太氏らのラインを対象とした研究でも、攻撃性の増加が確認されている。ラインは既知の友人とのやり取りが主であり、ほとんどの場合で匿名性はないと考えられるのに、である。また、詳細は後述するが、韓国でインターネット実名制を導入した際には、攻撃的な書き込み数の割合はほとんど変わらなかった。

「匿名性が悪」というのは真っ先に思いつく要因であり、マスメディアでも繰り返しそのように報じられている。しかし実際には、安易にそのように結論付けることは出来ないのである。

非対面での攻撃性は人間の本性かもしれない

 非対面だと相手への配慮をなくし、自分の言いたいメッセージをそのまま言ってしまうというのは、実際に誹謗中傷を書き込んでいる人の発言からも分かっている。NHKが先述の木村花さんの事件において、批判・誹謗中傷を書き込んだ男性にインタビューしたところ、「傷つく傷つかないは関係なく とりあえず自分の思いを言いたかった」「自分の意見をとにかく言いたかっただけ」という風に話した。

 また、他の人は、「『早く出ていって欲しいな』とか『うぜえな』と書いている人はほかにもいたので、それに自分も同調するような感じで、『誰かと話したい』みたいな気持ち」とも述べていた。

 これらはまさに、相手のことを同じ人間と考えておらず、自分の言いたいことだけ言っている状態だ。相手がそれでどう感じるかは二の次である。

 しかし考えてみれば、これは「極端な人」の本性を映し出しているのかもしれない。ネットを介したコミュニケーションになったからといって、誰もが誹謗中傷を書き込むわけではない。そもそも、人格否定などの誹謗中傷を、非対面コミュニケーションだからといってわざわざやる必要はないのだ。

 心理学で用いられるカップルのあるある話として、こんなものがある。自分をとても大切にしてくれる人と付き合っているが、一方で、飲食店の店員などに対しては非常に横柄な態度をとる人がいたとする。そういう場合は、結婚して長く一緒に住むうちに、その店員への態度と同じ態度を自分にとるようになるので結婚はするなという話だ。

 これはつまり、今は特別な存在である自分に対して優しくしているが、その人の本性は、自分が客として優位に立った時に横柄な態度をとるというものなのである。そして、結婚し、長く一緒にいるようになって自分が特別な存在でなくなった時、その態度は自分に向けられるということだ。まさにそれが、その人の本性だというわけである。

 この人の中では、客である自分は上であり、店員は下ということになっている。そして、そのように相手を同ランクの人間と考えていない時の態度というのは、まさに、ネットでの非対面コミュニケーションにおいて相手にとる時の態度と同じだろう。

 友人・恋人・家族――いろんな人に対して、その人が大切な場合には普通の態度をとる、でもそうじゃない人には高圧的な人というのは、あなたも今まで生きてきて一度は見かけたことがあるのではないだろうか。そういう「極端な人」が、ネットでは本性を現しているといえる。

攻撃的な意見は広まりやすい

「極端な人」がネットに多い4つの理由として挙げた中で、最後の理由は、攻撃的で極端な意見ほど拡散されるというものである。

 人はとかく極端な意見や攻撃的な意見が好きらしい。リオデジャネイロ州立大学教授のマーロン・ラモス氏らの研究によると、世論が極端化していく過程においては、極端な意見を持つ人々の意見がまず多く広がっていき、全体的に意見が二分されていく構造が明らかになっている。

 また、中国の北京航空航天大学の研究チームが、中国のツイッターとも言われるウェイボーを分析したところによると、「怒り」の感情を伴う投稿がSNS上で最も拡散しやすいことが分かった。次点で「楽しい」感情のメッセージであったが、拡散のしやすさという点では、怒りに大きな差をつけられていた。また、「悲しみ」や「嫌悪」については、広まりやすい傾向は見られなかった。

 さらに、フォロワー(SNSで繋がっている人数)が多い人ほど、ユーザ同士の感情の伝播の度合いが強いということが分かったのである。

 このような結果は東京大学准教授の鳥海不二夫氏が、新型コロナウイルスに関する1億2000万件のツイートを分析した結果からも明らかになっている。投稿内容の感情を10種類に分けて分析したところ、怒りの感情が最も拡散しやすい一方で、安心や好きといったポジティブな感情は拡散しにくかった。しかも、特に感染者を攻撃する書き込みは拡散スピードが速かったのだ。

 つまり、誰かに対して怒りをぶつけているような投稿は拡散されやすく、かつ、インフルエンサーとも言えるような多くのフォロワーを抱えている人の場合は、そのような投稿をより一層拡散しやすいというSNSの特徴が見えてくる。

 加えて、投稿回数の偏りとあわせて考えると、「極端な人」はネット上で多くの怒りを伴った攻撃的な投稿をする。それを止める人は現実社会と異なりいないため、攻撃的な投稿ほどより多くされる。そのうえ、そのような投稿は拡散もされやすく、瞬く間に人々の間に広まっていくというメカニズムが見えてくる。

 我々がネットを見ていて「攻撃的な人が多いな」と思う背景には、「攻撃的な投稿ほど多く投稿される」「さらに拡散もされやすい」という、SNSが可能にした「発信」「拡散」という2つの画期的な要素の両方が関わっていたのである。

フェイクニュースは真実より拡散される

 昨今世界中でネットの問題として取り上げられていることの1つに、フェイクニュースがある。フェイクニュースとは、簡潔にいえば虚偽の情報・ニュースのことである。2016年の米国大統領選挙以降特に注目されており、ニューヨーク大学准教授のハント・アルコット氏らの研究では、選挙期間中にトランプ氏に有利なフェイクニュースは3000万回、クリントン氏に有利なフェイクニュースは800万回もシェア(拡散)されたらしい。

 先ほどの「怒り」の感情ほど拡散されるという特徴は、実はこのようなフェイクニュースやデマを社会に広めることにも繋がっている。

 フェイクニュースには、米国民主党の大統領候補であったクリントン氏が児童買春に携わっていたなど、センセーショナルで人々の怒りを煽るようなものが多い。実際、中国の北京航空航天大学の最新の研究によると、広く流通していたフェイクニュースで「怒り」の感情を伴ったものは、真実のニュースの3倍にも及んでいた。

 そして、このような怒りを伴ったフェイクニュースは、先ほどの「怒りは拡散されやすい」という性質から、人々の間で非常に伝達されやすい。実際、サイエンス誌に掲載されたMIT助教のソローシュ・ボスギ氏らの論文では、「フェイクニュースの方が拡散スピードが速く、また、拡散範囲が広い」ということが示されている。

 当該論文では10万件以上のツイートを分析しており、その結果、真実が1500人にリーチするにはフェイクニュースより約6倍の時間がかかることや、フェイクニュースの方が70%も高い確率で拡散されやすいことなどが明らかになっている。

 加えて、私がグーグルと共にフェイクニュースの拡散メカニズムを研究したところによると、政治的に極端な意見を持っている人ほどフェイクニュースを信じて拡散してしまう傾向も見られた。このようにフェイクニュースを流すということにおいても、「極端な人」の存在が見えてくる。

 つまり、フェイクニュースを流す人というのは、人々の「怒り」の感情に訴えかけるような設計にし、それによって拡散を狙う。あるいは、故意のデマでないにしても、怒りの感情を伴っていると拡散されやすいため、結局人々の目に留まりやすくなる。フェイクニュースは虚偽のものなので、真実よりもよほどセンセーショナルに、怒りの感情を伴った内容にしやすい。

 それに敏感に反応するのが「極端な人」たちだ。彼らは自分と考えの異なる主義主張に対して、強い怒りの感情を抱く。そのため、流れてきたその怒りを煽るフェイクニュースを、「極端な人」たちがまた怒りをもとに拡散する……。そのようにして、フェイクニュースはどんどん社会に広がっていくのである。

(第1章了)


光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!