アルゲリッチとポリーニ:世界最高のピアニスト2人の物語(の裏話)|本間ひろむさん、自著を語る。
面白くないです
実はこの本を書く前、G社という別の出版社で映画に関する新書の企画を進めていました。
企画会議でオッケーが出る前の段階で、女性編集者にサンプル原稿を書いてくれといわれたのでメールで送ったら、
面白くないです――。
というメールの返事が来た。
面白くないですってあーた、そんなこと言われたのは神武以来(じんむこのかた)初めてだ。
怒るというより逆にハッとしました。そうか、新書でも面白い文章書いていいんだ、と目から鱗だったのです。それまで僕は「新書は学術書であるのだ」と思い込んでいたのです。
じゃあ面白い本書いてやるベーと思った。G社以外で。もともと、読みやすく面白い文章が僕のスタイルだったわけで。で、本書を書くに至ったわけです。
フラニーとズーイを書くつもりで
光文社新書編集部の小松氏からは「時間がかかってもいいから読み応えのある原稿を」というリクエストがあったので、じっくりイメージが膨らむのを待ってから書きました(いつもはこの章は1週間というふうに期間を決めて絞り出してきた)。楽しみながら自分のスタイルで。
アルゲリッチとポリーニだけど、フラニーとズーイを書くつもりで書いた。サリンジャーというより、福田章二が庄司薫になって書いてるイメージですね(わからない人はググってね)。
彼らの資料を読み、演奏の音源を聴いて2人の物語を書いていくうちに、僕はどんどん2人と友達になっていった。
マルタ姉さん、ニューヨーク・フィルはキャンセルしちゃやばいよ。
マウリツィオ兄さん、カルロスは一緒に怒ってほしかったんだよ。
マルタ・アルゲリッチの素顔に迫る音楽ドキュメンタリー『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』
ポゴレリチのコミュニティ
秋になって編集部の小松氏から誰かいいイラストレーターを知らないですか、というメールがきた。
知ってますよ、と、いとうまりこさんを紹介した。
いとうさんとは10年以上前からの知り合いだけど、まだ会ったことはない(小松氏が打ち上げに呼んでくれるかも)。
僕がいとうさんを知ったのは『ピアニストの名盤』(2004年)という本を出した頃でその本を自身のブログで取り上げて下さり、mixiに僕が立ち上げたポゴレリチのコミュニティで交流が始まったのです。いとうさんは若いピアニストを中心にリサイタルに行きまくってる。
若き日のイーヴォ・ポゴレリチ(1958年、セルビア・ベオグラード生まれ)イラスト:いとうまりこ
もちろん耳も肥えていて、ピアノ音楽に関しては一言も二言もある。イラストも特徴をつかむのがうまい。特にクラシック関連はほとんどお任せで大丈夫なくらいだ。おいしいパンに関する著書もあります。
カバーのイラストもいとうさんの手によるもので、本文中もホロヴィッツとかグルダとかデュトワとか、クラシックファンが見たら一発で分かるイラストを描いてくれました。
もちろん、カルロス・クライバー(1930年、ドイツ・ベルリン生まれ。2004年没)も出てきます。イラスト:いとうまりこ
ぜひご覧になってみて下さい。
「ハイレゾ」派か、「スマホ+サブスク」派か
さて、本文中で音楽を聴く環境ついて触れていますがちょっと補足します。
ハイレゾ環境(超高音質)でガッツリ聴くか、スマホ+サブスク(定額聴き放題)で手軽に聴くか、という例やつですね。
かつて僕は(2000年に入ってすぐの頃)、iPod否定派でした。iPodというより圧縮された音源を否定していた(その象徴が、iPod)。その頃、『指揮者の名盤』(2002年)とか『ヴァイオリンとチェロの名盤』(2006年)という本を書いていて、「アーティストがリリースしたタイトルの音楽情報」に手を加えてはいけない、と思っていたのです。
その頃、Appleが全盛時代に突入していました。そう、みんながiPodに好きな音楽を入れて聴いていたのだけれど、それは「アーティストがリリースしたタイトルの音楽情報」を勝手に圧縮して(サイズを小さくして)、つまりはiPodに入りやすいようにして聴くという行為じゃないかと僕は思っていた。少なくとも批評家である僕は「アーティストがリリースしたタイトルの音楽情報」のままで聴かないと、それを批評しないとアーティトに失礼であると。
具体的には、自宅のオンキョーのステレオシステムか、CDウォークマンでCDを聴いていました。ただ、知り合いの音楽家たちは「へ? なんでダメなの?」という感じでiPodを聴いていた。次から次へと新曲をさらわなければいけない。特にJazz系の人はセッションごとにメンバーが代わり、演奏する曲が変わるのです。ま、気持ちはわからないでもないですが……。
時は流れ、「アーティストがリリースしたタイトルの音楽情報」を志向する人たちはハイレゾという最終兵器を得る一方、「iPod」派はスマホで、airPodsで、サブスクで聴く、というスタイルで気軽に音楽を楽しむようになりました。
「ハイレゾ」派と「スマホ+サブスク」派の共存ですね。
かくいう僕は、ほぼ「スマホ+サブスク」派になってしまった(airPodsではなくBOSEのイアホンを愛用してますが)。
だって、アルゲリッチが、ポリーニが、ナクソス・ミュージック・ライブラリーとかAmazon Music Unlimitedに音源を提供してるんだもん。音源を提供するってことは、サブスクにのってる音源も私のアルバムとして認定しますってこと。これすなわち、「アーティストがリリースしたタイトルの音楽情報」ってことです。本人がいいって言ってるんだから、聴く側があれこれいうのも野暮ってもんです。
自宅でもFire 7というタブレットをステーションにして、そいつに外部スピーカーを接続して聴いています。「Alexa、マルタ・アルゲリッチの子供の情景をかけて」といえば、ちゃんとシューマンが流れてきます。
あ、もちろん、「ハイレゾ」派を否定しているわけではないですよ。ただ、そのエリアに足を踏み入れるには、資金が必要! ハイレゾ機器は高いんです。
2020年は5年に一度のショパン・コンクール
21世紀に入ってクラシック音楽の環境も変化しました。
EMIが消滅してWanerClassicsになっちゃったし、PhilipsのタイトルがDeccaから出てる。あのレッド・シールでお馴染みだったRCA(ホロヴィッツとかハイフェッツとかルービンシュタインといった錚々たるアーティストたちがアルバムを出していた)がSony Classicsですよ。銀行がメガバンクに吸収されるように、自動車産業が巨大グループに再編成されるように、音楽業界もガラガラポンです。
そうはいうものの、再生装置がミニコンポだろうが、スマホだろうが、アルゲリッチとポリーニは泰然とそこにいる。大きな山脈のように動じない。スーパースターはこうでなくちゃ。
さぁ、皆さんも、『アルゲリッチとポリーニ』を読んでみて下さい。きっと2人の演奏を聴きたくなります。本書では「名盤」を20枚ずつ紹介しています。サブスクのいいところは、手に入りにくくなったタイトルもけっこう聴けたりすることです。
ショパン・コンクールのこともいろいろ書いてます。今年もアルゲリッチが審査員の一人として名を連ねています。本書でも書きましたが、日本人ピアニストが1位を取るかもしれません。
オリンピックの夏が過ぎれば、秋にはいよいよショパン・コンクールです。
今から楽しみです。
本間ひろむ(ほんまひろむ)1962年東京都生まれ。批評家。大阪芸術大学芸術学部文芸学科中退。専門分野はクラシック音楽評論・映画批評。著書に『ユダヤ人とクラシック音楽』(光文社新書)、『ヴァイオリンとチェロの名盤』『ピアニストの名盤』『指揮者の名盤』(以上、平凡社新書)、『3日でクラシック好きになる本』(KKベストセラーズ)ほか。新聞・雑誌への寄稿のほか、ラジオ番組出演、作詞作曲も手がける。オフィシャルサイト“hiromu.com”(http://hiromu.com)。