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「いい写真」って何!?|36年分の思いが詰まった小林紀晴さん初の写真論!

1995年、『ASIAN JAPANESE』で鮮烈なデビューを果たした小林紀晴さん。以降、写真家・作家として数々の著作を発表してきました。しかし、撮影術や純粋に写真を論じた著書は意外にもこれまで一冊もありませんでした。今回、小林さん初の写真論『写真はわからない』が発売されました。人生の多くの時間を写真とともに過ごしてきた小林さんは本書で何を語っているのでしょうか。「撮る者」は、日々どんなことを考え、どう行動して実際に写真を生み出しているのでしょうか。「誰もが気軽に写真を撮れるようになった時代」に多くのヒントが詰まった一冊です。刊行を機に「はじめに」を公開いたします。

いよいよ、わからなくなってきた

写真に携わるようになって30年以上の時間が経った。18歳で写真学校に入学したのが始まりだ。入学したのは1986年のことで、それまで写真を撮った経験はほぼなかった。そのときから数えて、36年ほどの時間が経ったことになる。その間に、けっして少なくない数の写真を撮り、少なくない写真を目にしてきた。人生の多くの時間を写真とともに生きてきたことになる。

そしていま現在、確実に言い切れることが一つある。それは写真というものが「わからない」ということだ。いよいよ、わからなくなってきたという思いを抱く。だが、そう感じるのは、実は写真の面白さを実感している瞬間だったりする。

私はどういうわけか、高校生の頃に甲子園で行われていた全国高等学校野球選手権大会、いわゆる「夏の甲子園」のテレビ中継を見ていたある瞬間を思い出す。私は桑田真澄、清原和博と同学年で、彼らが出ている試合をけっして少なくない劣等感を抱きながらよく見ていた。彼らが出ている試合だったのか、別の試合だったのか、いまとなっては記憶は曖昧なのだが、テレビの向こう側にいるアナウンサーの言葉を強烈に覚えている。それまで負けていたチームが急に勢いづき、得点して同点に追いついた場面のことだ。アナウンサーが、

「いよいよ、わからなくなってきました」

と繰り返し口にしたのだ。妙に気になった。そのときどういうわけか、アナウンサーが頭を抱えて「野球というものが、私にはいよいよわからなくなってきました」とでも言っているように感じられたのだ。同点になったことで、試合の行方がわからなくなってきた、という意味で使っていることは十分に理解していたが、別のことを指しているように思えた。

すると、ああ、だからスポーツは面白いのだと気づいた。プレーしている高校生自身にも、監督にも、応援しているチアガール、ブラスバンドの高校生にも、観客席を埋め尽くしている人たちにも、そしてテレビを見ている誰もが、つまり一人残らず試合の行方がわからないからこそ、こうして私もグラウンドを注視しているのだ。誰も数分先のことがわからない。考えてみればすごいことだ。だからたったいま、このときが成立しているのだという思いにいたった。これは高校生の自分にとって大きな発見だった。

先日も、別の「わからない」を目にする機会があった。やはりスポーツに関することだ。東京オリンピック2020でメダルが期待されていた体操の内村航平選手(当時)が、信じがたいミスをして予選落ちしたニュースを新聞で目にしたときのことだ。そこには本人のコメントが載っていた。

「これだけやってきても、まだわからないことがある」

内村選手はそう語っていた。私はその言葉に大きく心が動いた。レジェンドとまでいわれたベテラン選手が、体操が「まだわからない」と口にしたことに衝撃を受けたのだ。内村選手がわからないのだったら、では、「わかっている」人はどこに存在するのだろうか、という思いに駆られた。体操がいかに奥が深い競技であるか、そのことだけは理解できた。同時に内村選手だからこそ口にすることができた言葉だとも感じた。つまり、多くのことを「わかっている」からこそ、よりわからなくなったのではないか。これが若手の選手だったら、おそらくこんな発言はしていないだろう。

わかっているからこそ、あるいはわかってきたときにこそ、同時にわからないことも増えていく。

写真はわからない-帯_表1

写真が「わからない」と思っているすべての人へ

実は、この「わからなさ」は、写真というメディアには常について回る。ある写真を目にして「いよいよ、わからなくなってきた」という思いが湧くとき、私はふと嬉しくなる。わかったつもりでいても、何かのきっかけで振り出しに戻されてしまうとでもいえばいいのだろうか。砂山みたいなものだ。途中までなんとか登ったのだが、油断すると足元が崩れ、ずるずると最初の地点まで戻されてしまうような。

だから、いつまでたっても飽きることがない。それはもしかしたら、人間が人間に飽きることがないのと似ているかもしれない。写真であれ、人間であれ、やはり「わからなさ」というものが存在しているからだ。予測不能、コントロール不能で、常に変化している。一カ所にとどまることはない。やはりスポーツに重なる。

私は9年ほど前から母校の大学で写真を教えている。30歳以上も歳の離れた若者が撮る写真を眼にして、ときに頭がフリーズすることがある。けっして否定的な意味ではない。ジェネレーションギャップももちろんあるが、私にはとうてい発想できない写真だったり、あまりに違う価値観から生まれた写真に触れたとき、大いに刺激を受け、ハッとさせられる。そんなとき「いよいよ、わからなくなってきました」と心の中でひとり言をつぶやいている。だから飽きないのだと思う。

その「わからなさ」は数学の数式を解けないとか、英語の単語が思い出せないとかといったものとは明らかに違う。あらかじめ正解が用意されているわけではないからだ。年齢を重ね、経験が増えれば、本来だったら理解度が増すはずなのに、それに反比例するようにわからなくなってゆく感覚がある。

写真を始めたばかりの頃から20代にかけては、違う意味で写真がわからなかった。いま考えれば自分の中に観る目が養われていなかったことが要因だと思うが、自分が苦労して撮った写真は果たしていい写真なのか、それともダメなのかが、まるでわからなかった。もしダメだとしたら、どこがどのようにダメで、どこをどうすればよくなるのか、あるいは、他者にすでに評価されている写真はどこがどういいのか、またはどう違うのか、「いい」と「ダメ」の間にはどんな境界があるのか──、誰か教えて!

そんな気持ちで過ごしていた。つまり、私の頭の中には常に「?」マークがいくつも点滅していた。

何かの手がかりを求めてカメラ雑誌、展覧会の図録などに載っている評論家が書いた、いわゆる写真評論というものを読んでみても息が詰まることが多かった。その種の文章はとにかく難解で、それに写真、美術に関する専門用語がやたら多く、ときに抽象的で簡単には頭に入ってこなかった。観念的なことが多く、まるで禅問答みたいだと思ったこともある。専門用語を知らないものは読むべからずと、門前払いされているような気持ちにもなった。

それらに書かれていることに自分の写真を当てはめたり、照らし合わせたり、すり合わせる手段や手だて、方法がわからなかった。そもそも当てはめること自体が間違っていて、見当違いで自分の写真はそのレベルには程遠いのでは、と思ったこともある。

写真はとにかくカメラのシャッターを押しさえすれば、誰でも文字通り「機械的」に撮れ、生まれる。勝手に生まれてしまうといってもいいかもしれない。だから、よりやっかいなのだ。望むと望まないとにかかわらず、写真はシャッターを押せばほぼ「自動的」に生まれてしまう。

デジタル全盛の時代、写真はさらに気軽で簡単で身近なものになった。誰にでも撮れるものなのに、では、なぜある写真が作品と呼ばれたり、ときに高価な値段がついたりするのか。「いよいよ、わからなくなってきました」の要素はここにも潜んでいる。

本書では、「撮る者」として、長く写真に関わってきた体験から生まれたことを中心により具体的に語っていきたい。さらに写真教育に携わるようになって感じたことについても触れたい。

鑑賞する側、評論する側からの写真論が多くあることは知っている。ただし、撮る側からのものは意外と少ない。撮る者がどんなことを考えて、どう行動して実際に写真を生み出しているのか。

これから写真を始めようとしている人、すでに趣味で写真を撮っている人、現在写真を勉強している人、さらにはプロを目指している人など、写真に興味を持ちながらも、写真が「わからない」と思っている人たちが何かしらのヒントを得るものだったり、手助けになるものであることを願っている。

『写真はわからない』目次

【序章】「いい写真」とは
【第1章】世界は「撮り尽くされた」か
【第2章】カメラとの付き合い方
【第3章】「写真を撮る者」の条件
【第4章】写真は「窓」か「鏡」か
【第5章】人物をどう撮るか
【第6章】風景を読む
【第7章】過去を撮る
【第8章】時代と写真
【第9章】写真に答えはない
【終章】写真はなぜ「わからない」のか

著者プロフィール

小林紀晴(こばやしきせい)
1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社カメラマンを経て、91年に独立。アジアを旅しながら作品を制作する。97年、『DAYS ASIA』で日本写真協会賞新人賞を受賞。2013年、写真展「遠くから来た舟」で第22回林忠彦賞を受賞。写真集に、『孵化する夜の啼き声』(赤々舎)など。著書に『ASIA ROAD』(講談社文庫)、『父の感触』(文藝春秋)、『愛のかたち』(河出文庫)など。初監督映画作品に『トオイと正人』がある。東京工芸大学芸術学部写真学科教授。

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