シン・事務所飲み|パリッコの「つつまし酒」#168
独立4年目にして……
それまで勤めていた会社を辞め、フリーライターとして独立して、早いもので3年と3ヶ月が経ちました。本当にやっていけるんだろうか? 当初からあった不安は今もなくなっていませんが、それでも家族全員、なんとかひもじい思いをすることもなく生活できているのは、今まさにこの文章を読んでくださっているみなさんのおかげに他ならないと、心から感謝しています。
ただ、これは自分自身の怠慢でしかないんだけど、な〜んかたるんでるんですよね〜、最近。独立して1年後には日本がコロナ禍に突入してしまい、どうしても気分が鬱々としてしまうことも多く、そんな日々が続くにつれ、どうも最近、仕事にとりかかるまでに時間がかかるというか、筆が遅いというか。いや、世の中には決まった時間に出社し、もっと大変な仕事を毎日毎日こなされている方のほうが多いわけで、120%自分の甘えなのはわかってるんですよ。だけどこう、生活になにか変化が欲しい気がしてしまうんですよね。
ところで、地元石神井公園に、2018年に僕の『酒場っ子』というエッセイ集を出してくれた「スタンド・ブックス」という出版社があります。築50年の平家の古民家をリノベーションした小さな会社で、以前から打ち合わせなどで訪れるたび、こんなところで仕事ができたらいいなぁと憧れていました。そこで独立する際、思い切って代表の森山さんに相談してみたところ、「ちょうど空いているデスクがあるので、ぜひ」と言ってもらえ、ものすご〜く破格のお家賃で、仕事場として自由に使わせてもらえることになったんですね。これはありがたかった。以来、日中は基本的にそこで仕事をしてきました。
その仕事場はもちろん快適で、まるで青春時代のように思い出の詰まった場所なわけですが、先日ふと思ったんです。「新しく個人の仕事場を借りてみるのはどうだろう?」と。
一念発起
10数年前、妻とふたり暮らしをするためにやっと実家を出た僕。大学卒業と同時に就職し、独立するまではずっと会社員だったこともあり、今まで「ひとり暮らしの部屋」や「ひとりの仕事場」という場所を持ったことがありません。贅沢で、分不相応な気はする。けれども人生において一度くらい、そういう場所を持ってみてもいいんじゃないだろうか? そしたらこう、気分一新、また新たな気持ちで仕事に取り組め、新しいアイデアも湧いてくるんじゃないだろうか?
そこで「まぁ、試しに」と物件サイトに条件を入力し、眺めてみると、ま〜夢が広がること! ここもいいじゃん! ここもいいじゃん! って感じで、次々気になる部屋が見つかるんですよ。また、僕の住むエリアは東京23区のなかでも西の外れであり、さらに、家から通えるならば駅からはそんなに近くなくてもいいことを考えると、「こんなに安いの!?」っていう部屋も珍しくない。
とはいえ、慣れ親しんだ環境を自ら変えるのって、けっこうな勇気と、謎の恐怖をともなうもの。しばらくはサイトを眺めてもじもじしているだけだったのですが、ある早朝、謎の勢いにまかせて、「一歩踏み出せ自分! 見せてもらうだけならタダだし!」と、「内見を申し込む」ボタンを押下したのでした。
その後、実はまぁまぁの紆余曲折がありました。最初に気になる物件3軒を案内してくれたのは、A社の若い女性社員、Kさん。ものすごく親切な仕事ぶりではあるものの、口癖が「安い物件には安いなりの理由があるんですよね」で。実際、見せてもらった物件は、身長170cm弱の自分の頭が、軽くジャンプしたらぶつかってしまいそうなほどに天井が低かったり、窓から手の届きそうな位置に隣のビルが建っていて、信じられないくらい薄暗かったり、誰がどう住めばこうなるんだ? っていう廃墟のような荒れっぷりがそのままだったり。その経験に一度、完全にヘコんでしまって、「こんな予算で快適な仕事場を見つけたいなんて、無謀だったのかな……」とも思いました。が、あきらめきれず、もう一度だけと別のB社に相談すると、担当の同世代と思われる男性、Mさんが頼りになりまくり。気になる物件ひとつひとつのメリットデメリットをていねいに説明しながら、一緒にベストと思われる部屋を見つけてくれて、さっそく内見に行ってみるともうドンピシャ! 6畳ひと間プラスロフトという最小限の間取りではあるものの、築年数から考えるとものすごく内装がきれいで、偶然角部屋が空いていて2面採光。エアコンや備えつけの冷蔵庫があるのもありがたく、そして小さな部屋にしては収納が多い。
まさかこんな奇跡のような条件の部屋があるなんて(実際、知り合いの誰に話しても信じてもらえないほど家賃がお手頃)! とテンション上がりまくりの僕に対して、Mさんはひと言、「けっきょくお部屋って、縁なんですよね」とにっこり。その瞬間、正直惚れましたよね、Mさんに。
環境を整える日々
とまぁ、物件探しに関する紆余曲折については、まだまだいくらでもエピソードがあるのですがこれくらいにしておきましょう。とにかく約2週間ほど前から僕は、新しい部屋の環境を毎日少しずつ整えながら、そこで仕事をしているというわけなんです。
真っ白な、なんにもない部屋に、取り急ぎレースのカーテンをつけ、昨年閉店してしまった地元の中華屋から譲り受けたテーブルと椅子のセットを運び込んで、ティッシュなどの消耗品や最低限の食器類を揃え、仕事に必要不可欠なネット回線をひいて、本棚代わりに安く手に入れた、中古の「りんご箱」に、資料用&くじけそうになったときに眺めて勇気を出す用に、自分のこれまでの著書を並べて……。まるで、藤岡みなみさんの名著『ふやすミニマリスト 1日1つだけモノを増やす生活を100日間してわかった100のこと』を地でいく生活がリアルに体験できるという貴重な機会を、ぞんぶんに楽しんでいる昨今です。
最近は少しずつ、趣味であり仕事道具でもある調理関連のグッズや、休憩時間にレコードが聴ける環境など、「生活を豊かにするもの」を導入する余裕もできてきて、この空間がどんどん愛おしくなっていく。そして思ったとおり、仕事もめちゃくちゃ捗る。一念発起して借りて良かったな、生まれて初めての、自分だけで自由に使える部屋。これぞまさしく「シン・事務所」!
初めての仕事場飲みのつまみは
ところでそうだ、肝心の「初めての仕事場飲み」を、実はまだやってないんでした。というわけで早めの夕方に仕事がひと段落したある日、記念すべきひとり飲みを、こそこそと遂行しようと思います。
さて初メニューはなににしようか? と考えた時、真っ先に思い浮かんだ一品がありました。僕の若かりし時代のバイブル、椎名誠さんの『哀愁の街に霧が降るのだ』に、6畳のボロアパートで、椎名さんを含む男4人が共同生活を始めるシーンがあります。そこで炊事担当に任命されたイラストレーターの沢野ひとしさん。自由に料理を作れることになった嬉しさから、「あれもこれも作っていいの!?」とテンションを上げる場面が最高なんですが、そのなかに出てきた「コロッケ丼」の描写が特にたまらないんですよね。
久しぶりに読み返したけど、あらためてたまんないな……。よし、初めての仕事場飲みのつまみはこれしかない! それのごはん抜き、つまり「コロッケ丼のアタマ」を、今から作ちゃうぞ〜!
と、駅前へ行って必要最低限の材料を買ってきました。コロッケ3個は、なんとタイミングのいいことに、「ローソンストア100」で20円引きで発見! それから自宅に寄って持ってきた、玉ねぎ1/4個と卵2個。それらを、持ってきてあったアウトドア用のナイフ、100均のまな板、唯一ある雪平鍋にカセットコンロ(IHコンロもあるけどこっちのほうが雰囲気出るので)などを使って調理していきましょう。いろいろと不便はあるけれど、その感じもまた楽しいな。
なにしろ簡単な料理ですからね。あっという間に完成し、ちょうど松屋でもらって余っていたパックの紅しょうがをのせたら準備完了! ではでは、いっただっきま〜す!
小粋な食器などはまだないので、食べるのは鍋から直接。が、それもまた味わい深い。とろっと甘辛い玉子に包まれた、優しい味のコロッケ、そこに衣の香ばしい油感と、紅しょうがや七味唐辛子のアクセントが加わり、そりゃあ当然、チューハイがすすんじゃいますよ。
あぁ、ぜんぜんぜいたくな料理じゃないけど、しみじみうまいな。今後は人生に迷ったら、またこの味を思い出すことにしよう……。
というわけで、これからはこの部屋を舞台に心機一転、またあれこれ原稿を書いていこうと思うわけですが、まずはこんな身勝手な働きかたを許容してくれる家族に心から感謝。そして、破格の物件だったとはいえ、毎月かかるお金が増えてしまったわけで、少しも無理をしていないといえば嘘になる。つまりこの仕事場は、自分へのプレッシャーでもある。
仕事、がんばらないとな……本当に。