見出し画像

【最終回】それでもタイ人はタイが好き|「微笑みの国」タイの光と影

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
3年近く続いてきた連載も今回がラスト。最終回は本連載で伝えてきた格差社会や教育、政治状況などの振り返りに加えて、悪いところもひっくるめてタイを愛する高田さんの気持ちを伝えます。

生まれたときにすべてが決まっているタイ人の絶望

 前回の最後に述べたように、タイは王国なので、すなわち支配層と被支配層で構成された社会である。富裕層はもはや覆すことのできない既得権益で守られ、大衆がどんなに抗っても彼らから利権を取りあげて分配することができない。

 もし何億歩も譲って、既得権益を取りあげることができ、富の再分配が叶ったとしても、そのときにはまた新しい支配層が生まれるだけの話だ。プレイヤーが変わるに過ぎない。昔の日本にあった五人組という年貢を納めるための社会制度は、今はその制度がないにも関わらず、他人に過剰に干渉する日本人の気質を作ったとボクは思う。まるでDNAに書き込まれたかのようだ。タイの支配層・被支配層の関係もこれと同じで、結局なにも変わらないだろう。

 富裕層は自分たちを守るため、より内側の人間を大切にして、外側の支配するべき人々に対しては人とも思わないような扱いをする。ある記事で読んだのは、中国マフィアがまさにそういった関係性だそうで、自分たちの派閥外の人に対しては平気で残虐な攻撃をしてしまう。華人がほとんどを占めるタイ財閥にもそうした気質が少し流れているのかもしれない。

 ただ、タイ富裕層は身内を大切にするだけではなく、横の繋がり、つまり同じ利害関係を持つ人には優しい面がある。2006年から今に続くタイの政治のごたごたを見ていればわかるように、既得権益を守る際には富裕層はひとつのグループとして一致団結する。そのときには、富裕層以外が彼らに対する部外者である。2006年から数年くらいのごたごたの中で、農民などの貧困層には政治参加の権利がないというようなことを堂々と言っていた富裕層も少なくない。

 そんな世界なので、被支配層に生まれた人は、いつまでも被支配層にいるしかない。SNSを利用することでビジネス的に成功を収めるタイ人中流層も増えてはいる。しかし、その稼ぎもハイパー富裕層の収入や資産レベルからすれば微々たるもの。いずれにしても、部外者として生まれた人は部外者としか見られていないので、どんなにビジネスがうまくいこうとも、富裕層に入ることはまずできない。

 貧しく生まれた若者が這い上がるチャンスはそうないのである。特にネットが発達した今はその事実に気がついてしまうタイ人も少なくない。だからというわけではないが、タイでは後先を考えない、とんでもない事件・事故も少なくない。自暴自棄になっている人もいるし、少なくとも未来に希望を持っていない人が日本よりもずっと多いと思う。

タイではよくも悪くも子育てに持論がある人はいないので、よくも悪くも子どもはのびのび育つ。

仏教がタイ人を救ったのか

 ただ、他方で自己肯定感が高く、人生において幸せを感じている人が日本人よりも多いのも事実だ。これも昔の富裕層が作り上げた教育の成果といえばそれまでで、タイという世界に囲い込むような教え方があるのではないか。これによって、なにも知らないことで幸福感が上がる。トンカツが好きな人がトンカツを食べられない生活は地獄かもしれない。しかし、トンカツを知らない人はトンカツがなくても幸せである。そういう感じではないか。
 その幸福感を得るためのひとつがタイ仏教ではないかと思う。タイ仏教は上座部仏教と呼ばれ、日本の大乗仏教とは違う。ミャンマーの仏教と同じなのかというとそれも違い、仏教伝来以前にあったタイ独特の精霊信仰と深く習合しており、タイ独自の仏教になっている。

 タイの仏教が独特のものになったのは、やはりタイ人に教えを浸透させるためだったのではないか。タイ人のほとんどは来世も人間で生まれるためにと徳を積む。こういった教えは、被支配層の人々に与えるカタルシスとして必要だったのだろう。不平等な今を受け入れ、次回に期待してもらうというわけだ。つまり、仏教はそもそも、政治的に利用されただけに過ぎない。
 ただ、それが悪いことかというと結局はそうでもない。実際に悪いものであればここまで浸透しなかっただろう。多くのタイ人に受け入れられたのは、どうしようもない今を潔く諦めることで得られる心の余裕の居心地がよかったからだろう。いいことをした自分への誇り、神に守られて次の人生はいいものになるという心の余裕、多民族国家であり支配層も上にいる窮屈な生活の中で人を許せる気持ち。そういったものから心の穏やかさを取り戻し、幸せを感じる。

 そういう点では、タイ仏教は多くのタイ人を救ったのではないか。もちろんタイは多宗教であるのでほかにも信仰される宗教はいくつもある。ただ、一般国民の大多数が信仰する仏教を例に挙げているに過ぎない。

近年のタイ仏教はちょっとよくない。許可を取っているとは思えないオブジェでお布施を暗に要求している。

タイには国籍の抹消手続きが存在しない?

 なんだかんだいって、タイは支配層・被支配層の関係が居心地のよさの源泉にもなっている。王国の最も上に立つ国王がいて、王室があって、タイ人はその国に生まれ育ち、自身もその王国の一員であり、国王に守られた民であるという自覚もある。

 もちろん、これもまたタイ式の教育の帰結ともいえる。しかし、王国なのだからこれは当然のことだ。どこかの北の国のように自分の子どもよりも肖像画を大切なものとして扱うような、強制的な支配ではない。タイ国籍者として生まれたのだから、国王を崇めるのは当然であり、タイ人にとってはそれが誇りでもある。

 日本は太平洋戦争での暴走やら敗戦にトラウマがあるのか、「愛国心」だとか国に誇りを持つことに抵抗感がある人が多い。最近だと日本の政治家が難民の受け入れや人権を守ることを訴えているようだが、タイではそうした意見が誰からも起こらない。タイ人はタイを愛し、タイ人であることに誇りを持ち、タイという国を守ることを考えている。自国の利益にもならない外国人を守ろうとすることはしない。そういう意味では、日本人が日本を理解している以上に、タイ人はタイ王国をしっかり考えている。

 ここ20年近くも続く政治的な問題や格差社会など、いろいろと問題が山積みだが、ほかの国の人のように海外に逃げ出す人はまずいない。タイ人でいることに喜びがあり、外国に行ってタイ人以外になることなど考えもつかないのだ。

 実際的にボクが経験した話ではなく、ある日本人から聞いた話をしよう。彼は妻がタイ人で、子どもは日・タイの二重国籍になっている。タイも日本も成人になるあたりでどちらかの国籍を選択することになる。日本は基本的に二重国籍を認めない方針なので、その年齢になると選択を迫られるようだ。日本人を辞めますと宣言しない限りは日本国籍は継続される。仮に日本人でいることを選択した場合、タイ国籍を抹消しなければならないのだが、タイの役所に行ってもその手続きができないという。

 法的には抹消手続きは存在するはずだ。しかし、タイ人として生まれた人がタイ国籍を捨てることなんてありえないとタイ人は考えるので、公務員のほとんどがその手続きの仕方を知らないという。あくまでもその人から聞いた話で、ボク自身が役所関係に問い合わせたわけではないけれども。あと数年でボクの上の娘がその年齢になるので、本当なのかどうかはそのときにわかるだろう。まあ、娘も根っからのタイ人なので、タイ国籍を選択すると思うけれど。

 それくらい、タイ人はタイという国が好きだ。そう考えると、政治的な対立なども、自分の利益を優先しているとはいえ、国を亡ぼすつもりはなく、タイ王国自体を発展させたいという気持ちは双方、同じなのである。

タイ人は日本人以上に祭り好きな明るい性格をしている。

どこか人間的な部分を持っているからこそ過ごしやすい

 タイの公務員が国籍抹消の手続きを知らないという不確かな話を取り上げたのは、タイ人らしいエピソードだと感じたからだ。

 タイの公務員は法律の解釈などを自分流でしているので、手続きなどの際に「この人はダメだったけれども、別の窓口は通った」ということがしばしばある。最近はだいぶ減ったが、警察官やさまざまな窓口では賄賂が要求される。これらを悪いことだと思う人も多いだろうが、ボクはむしろその方がいいと思う。確かに自分が不利な要求ならおかしいのだが、賄賂を払うことで便宜を図ってもらえるなど、メリットもあるではないか。こういう対応が実に人間らしいと思う。

 タクシーのボッタクリなど、なんらこちらにメリットがないものは確かにボクも許せないが、何かしらの利益があるなら多少の金額は許容範囲だ。よく「金持ちならなんでもしていいと思うのか!」みたいな罵倒があるが、ボクは金持ちがそれを言うならともかく、富裕層でない人が言うのは、恵んでくれる金額が足りないと怒る物乞いと同じだと思う。富裕層はそれなりの税金を払っているのだから、なにか得なことがあっていいじゃないか。

 日本は平等な社会が前提なので怒る気持ちもあるかもしれない。しかし、タイは生まれたときに人生のほぼすべてが確定するような格差社会だ。金持ちが得する社会の中、平民が多少の金額で何かメリットを得られるならそれでいいと思う。

 もちろん日本人、あるいは日本の中でもそう考えている人はいると思う。それは公務員でも同じだろう。とはいえ、法令的な問題などもあるにしても、日本で本当に賄賂を要求して便宜を図る人はそうそういない。一方、タイはそれを実際にやってしまう。そういう人間味がおもしろいのではないか。

 90年代後半、あるいは2000年代の初めくらいまではタイもそういうことが多かった。いや、そういうことしかなかったと言ってもいい。ああいうメチャクチャなところがおもしろくて、まさにそれがタイの魅力だと思った。今は便利な世界になったけれど、いろいろと面倒にもなった。今はなんでもかんでもちゃんとしないといけなくなってきたが、あのころはゴチャゴチャだった分、自分もテキトーでいいんだと、とても居心地がよかったものだ。
まだギリギリそういったいい加減さが残っているので、もうこれ以上ガチガチにならないでほしいと、かつてのタイを知るボクはそう願ってしまう。

観光客の写真撮影に応じる観光警察官。公務員も優しい人から不愛想な人まで多様だ。

だからタイは素晴らしい

 ここまで30回超に渡ってタイ人やタイのことを書いてきた。メディアやネットではタイのいいところばかり、もしくは不快な点だけを取り上げる両極端な話がよく目につく。本連載は、タイでタイ人と暮らすボクが、できるだけフラットな目線でタイのいいところ・悪いところを書き綴ってきた。

 基本的にはボクはタイが好きである。富裕層はなにを考えているかわからない怖さがあるが、一般層のタイ人はみんな明るく、よくも悪くも感情がストレートだ。たとえばタイの出向先に突然赴任することになった人は、おそらくタイ人の性格に驚くかもしれない。合わない人はタイそのものを嫌いになるだろう。

 でも、それはやっぱり考えが浅い。国籍はなんであれ、相手を理解するにはいろいろな事情や背景を鑑みる必要がある。ただ表面的なことばかりを言うほかの記事と比べたら、ボクの書いてきたものは在住日本人や真のタイ人の深いところを掘り返してきたと思う。もちろん、ボクの経験の中でということになってしまうけれども。

 タイ人はとにかく自分に素直な人たちだ。欲望にストレートなので、一見子どもっぽく見えるけれど、一旦自分もそんな生き方になるといろいろな物を肩から降ろすことができて、身軽な人間になった気がする。

 昔から今に至るまで、企業駐在員がタイに来ると最初こそ嫌々働くが、数年も経つとタイが気に入ってしまい、人によっては帰任命令と共に退職してタイに残るというケースもある。それくらい魅力があるのは間違いない。

タイ人は食べることも好きで、市場などではしっかり吟味して食材を購入する。

 これを書いている現在、タイでは2023年5月に行われた選挙に動きがあった。タイは選挙でいろいろと決まらず、そのあとの話し合いがあって、首相やいろいろが決まるという、他国ではありえないことになっている。そして、2006年の政治のゴタゴタが始まって以来、選挙をすれば富裕層=保守側が負け、ごねてごねて、選挙がなかったことのようになる。20年近く経った今回もまた、結局選挙が行われたのに審議が入り、やっと8月になって決着がついた。ずっと、根本の部分はなにも変わらない。

 そんな中で今回、選挙で勝ったことになっているのは保守派が嫌いなタクシン派ではあった。タイ国民ももう20年もやってきた政治騒乱に辟易していたのに、結果、また火種がくすぶりそうな状態に落ち着いた。そろそろ新しいところでケリがつくと思ったのに、これだ。結局、ずっとこういう感じなのだ。ただ、もしかしたら「もうさすがに……」と富裕層タイ人も思っていて、とりあえずこのままになるということもあるかもしれない。実際的に、タクシン派が政権を握ると麻薬事件が減って平和になり、かつ経済もうまく回りはじめるというメリットはある。一応タクシン本人も帰国し、刑務所に収監されている。国王がその後恩赦を出したので、1年ほどで出てくるようだ。それもまた富裕層がいろいろと言い出しそうな気もする。

 人や国は常に前進して、常に変化していくものだ。しかし、こういう同じことを延々繰り返して進歩がないのもまたおもしろい。こういうことをはじめとして、これまでボクが書いてきたタイのマイナス面もひっくるめてタイが好きだと言えたら、それこそ真のタイ好きである。悪いところから目をそらさず、全部をまとめてタイを好きだと思える日本人がもっと増えてくれたらと願う。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

この連載の概要についてはこちらをご覧ください↓↓↓

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!